前世魔王の伯爵令嬢はお暇させていただきました。

猫側縁

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多くの人々の中、誰にも気づかせずに接近し、対象者本人が気づいた時には既に時遅し。
また誰も気付くことなく消える。

我に接近したその何某は、間違いなく超一流の暗殺者か何かであろう。
其奴にとってはなんて事もない、失敗などありえない、そんな簡単な仕事であった事だろう。


……相手が我でさえなければなぁ!


「えい」
「グッ……!?」

後ろから我を抱え込むように口元を押さえて来たので、とりあえず後ろに蹴り上げた。

恐らく我が蹴りのために上半身脱力して前に倒れるようにしたのを、気を失ったと勘違いして、何某は気を抜いてしまったのだろうな。
思ったよりも綺麗に鳩尾に入れてしまった。踵、強化してたのに。


急に人が倒れた為に、流石に異常に気付いた人々が何だ何だと騒ぎ始める。
倒された何某は、我にやられたとばかりに幻術を使って被害者ヅラしようとするので、邪魔してやった。

具体的には…。
何某は、我が何の取り柄もない人畜無害そうな男を蹴りまくったように見えるよう、自分に幻術をかけたので、我はこの辺り一帯に幻術崩しを施した。

つまり、周囲の人間達にはきちんと現実が見えるということだ。

ちょっと周囲の状況を伺えば…。

「ちょっと!これは一体どういうことだい!?こんなパチモンを売りつけやがったのか!」
「ひぃっ!?何で魔法が解けて…!」

「オィオィ、こんな土塊が金塊だってぇ?このペテン師がぁああああ!」
「ぎぃやあああああ!!?」

……現実が見えた結果、ちょっと色んな物も見えてしまったらしいが、致し方ないことだろう。とりあえず、我も目の前の現実を見ようではないか。

「おーい。命はとっておらんが、生きてるかー?」

自分の幻術で我を悪者に仕立て上げようとした作戦は失敗したと悟り、脱出の機会が無くなったことを自覚したようだ。

我に蹴られてしっかり痛かったのと、幻術も効かなかったことがショックで倒れたままの何某。ぷるぷる震えてる。痛い?痛いかー、そうかー。そうだろうなぁ。我、今日の靴はとある店員一押しの超厚底ブーツだし。

「我に気安く触れたからだ。無礼者。
婚姻前の女性に触れるなど言語道断。
うっかりお前の両腕ぶちっとしちゃうところだったぞ」

我に触れた感触を記憶している手など腕ごと無くなってしまえ。

『ご主人、グロはキライでしョ?』
「うむ。だから直前で思いとどまって蹴るだけにした」

偉いだろう!えっへん!

「さて、この見るからに怪しい変質者はどうするかな」

冒険者ギルドは出禁だし。というか、出禁なんてあるのか。いいのかそれで。

「な…なぜ…!毒が…」

お。喋れるくらいの余裕は生まれたらしい。

「いや我毒なんて効かんし」
「確かに、急所を…!」
「秒で治るし」

「………!?」

そんな動揺せんでも。先程までの職人芸を披露していた堂々たる風格はどこに行った。

『まぁ、そんな顔したくなる気持ちは分かるケド。襲った相手が悪すぎたワネ』

リィが憐憫を滲ませて倒れ込んだそいつを見る。先程倒れ込んだ衝撃で仮面が外れ、視線が合った。
失敗による驚愕、我の身体の丈夫さへの驚愕。しかし今その目に浮かぶのは恐怖と絶望だ。圧倒的な強者を前にし、死を悟る絶望。

何度もみた事のある目だ。
そしてこうなった奴らは、大抵次にこう言うのだ。

「…ば、…化け物…!!」

…と。
しかし我はこう思うのだ。
我を化け物と思うのは、貴様が脆弱だからだと。

魔王であった時、玉座にかけて何度も見た。
我の前にくるまでに既に意志も何もかも折られた者達や、
たどり着いて、我にかすり傷一つつけられず勝手に諦めた者達や、
命尽きるその瞬間まで剣を握り、しかし終ぞ我を倒すことはできず散っていった者達は、

皆、そんな目をしていた。

何度も、何度も、何度も、何度も!

……我は勇者が近づいてくるたびに悲しくなる。どうせ勝てないのに、何故のこのことやって来るのか。正気の沙汰とは思えなかった。

それ故、同様に我も絶望したのだ。

"こんな世界は要らない"と思うほどには。

『………!ご…じ…!』

ただ生きているだけで、消え去ることを望まれる世界などに、価値はないと思う程には。

…あれ?そういや我……
な ん で 死 ん だ ん だ っ け ?


『ご主人!!』
「……だから、流石に爪を脳天に刺されるのは痛いって言っとるだろう、リィ」

この間より深いじゃないか。お陰で嫌な記憶から帰ってこれたが。

『今そんな事はいいから!前見て前ッ!』
「前?」

…はて。我はそんなにぼーっとしていたのだろうか。
いつの間にか、あの不審者がお縄についている。そして我の目の前には、どう考えても先ほどまでは無かった非常に大きな影。というか、人。

リィを片手でつまみ上げ、もう片方の手を我の頭の上に置いている。多分布を乗せて止血してくれていると思われる。

「大丈夫ですか?」

フルプレートのアーマー。腰に下げた大剣。
身に付けている道具は全てしっかりと使いこなされて、整備もされているのだろう。
しかしそれだけではない。それを使いこなす側の実力もまた、よく練られて鍛えられたものだ。

強い。前世を思い出してから我が見たどの人物よりも。

前世も含めると上の下と言わざるを得ないが、少なくとも我が1番嫌いだったあのゲス勇者よりは間違いなく強いと思う。勇者にだけ神とやらがくれてやる反則レベルの能力を考えなければ。

「あの、聞こえていますか?」

その人物はさらに言葉を重ねた。
黙って静かに見上げる我と、離して助けてと吠えるリィ。しかし、我はリィを返してもらうのも忘れて暫く呆けた。

というか、我らを囲むようにできた人垣から聞こえた言葉に驚いたというか、納得がいったのだ。

「お、おい…あれまさか…!」
「だよな?間違いないよな…!"将軍"だ!!」

「きゃっ、目が合っちゃった…!素敵…!」
「ちょっと!今のは私を見たのよ!」

「女の子を襲った不審者を倒してくれたのね!」
「流石は"将軍"だな!こんな人のごった返してる中で凄えよ!!」

"将軍"。
冒険者ギルドのギルマスが褒め称えていた人物。その人物よりも我の知る料理長の方が凄いと本当に思ったし、思っている。

それもその筈だ。

だって我は、この"将軍"を既に知っているのだから。

「………料理長」
「はい。アリステラ様」

返事をした我に安心して料理長は笑った。

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