前世魔王の伯爵令嬢はお暇させていただきました。

猫側縁

文字の大きさ
65 / 136

65.

しおりを挟む
65. Another side


マズイマズイマズイマズイ。

……しくじった。

今日ほどあの主人に仕えたことを後悔した日はないだろう。


仮面に隠れた顔を引き攣らせ、恐怖のまま能力をフルに使って最短ルートを最速で駆け抜けながら男は思った。
もう味覚も戻ったはずなのに、何故か皮膚が、目が、口の中が、身体中の粘膜が痛い気がする。ダメだ完璧にトラウマになってやがる。

恐怖から縺れそうになる脚を叱咤して男は走り続ける。

【王都を訪れる人間の中で、黒髪や赤い目の持ち主がいたら、見つけ次第拐ってこい。方法は任せるが殺傷の類は禁止】

そんなどう考えてもアウトな依頼で、しかし、超一流の暗殺者である男にとっては超簡単かつかなりいい報酬が貰える追加業務だった。

とはいえ黒髪や赤目は珍しい。いないわけでは無いがかなり珍しい。それ故に、半年に一度か二度あるかないかくらいの任務だった。
男の主人は誘拐してきた黒髪もしくは赤目の人物を、口止めの上すぐに解放している為今まで何も問題にはならなかった。

では何がしたいのか。それは男には分からないし、分かる必要も無い。ただ命令に従い、その報酬を得る。それだけが男のやるべきことであるから。

だから今回も、いつものと同じような作業だと思っていた。

油断があったのは認める。
黒髪紅目という特に珍しい組み合わせの、可愛らしい少女1人攫うだけだったから。冒険者だというが、ただのか弱そうな少女。主人のような強者から感じる独特の覇気も特に無い。

背後をとって薬を嗅がせ、一応の為に急所を突き、対象の身体から力が抜けた為気が緩んだ。

それが罠とも気付かずに。

自分の鳩尾に鈍くて重い一撃を喰らったことに気付いたのは、無様にも地面に倒れてからだった。どうやったのか、攻撃箇所である鳩尾だけでなく何故か指先や足先まで痺れている。

任務失敗。

その4文字が過るが、だとするなら急いでこの場を離れなくてはならない。目眩しの為に幻覚を使うも、それすら見破られて、無力化された。

一体何なんだ!この子供は!!

毒も効かない、急所を突いても倒れない、幻術は容易く破られた。こんなの、どうやって攫えって言うんだ。

兎に角近くにいる仲間が自分を回収する為にも気を逸らす必要がある。何か手はないか、そう思って視線を漂わせ、少女と目が合い、漸く理解した。

絶望するには、十分だった。

自分が仕える主人すらも凌駕するであろうその魔力。小さな身体に途方もないエネルギーを凝縮したような…否、最早魔力そのものが人形を取っていると言われた方が納得できる程のエネルギーが見えた。

覇気が無い?何を考えているんだ俺は!大きすぎて見落としたんだろうが。

「化け、物……!」

気付かなければよかった。気付いてしまっては、もう呼吸すら苦しい。

しかも、"将軍"と知り合いとか聞いてないぞ!?


ただ1つ幸運だったのは、野次馬が"将軍"に群がったお陰で俺が奇跡的に奴らの視界から外れた事だろう。仲間に回収されて、俺は主人の元に戻った。戻ってこれた。……或いは戻ってきてしまった。


失敗について、主人は何も言わなかった。

「…攫えなかったなら仕方ない。次は招待して来い。失礼の無いように。

今度こそ、確実に」
「っ…承知、致しました…ッ…!」

研ぎ澄まされた刃の先を喉元に突き付けられたような逼迫感。次はない、と言外に告げる瞳は氷のように冷たい。行け、と言われて即座に退室する。

殺されるかと思った。
我が主人は、"出来なきゃ殺す"がモットー。手元に役立たずは必要無い。あれは、本気だ。


ああ全く、今日は厄日だ。殺そうとしなかった点ではあの化け物の方が優しいが、招待状を届ける為に近付かなくてはならない事が恐ろしくてたまらない。
"殺さなければ何しても問題ない"と思ってそうなあの化け物に。いや、魔法を極めた我が主人ですら出来ない事だから除外していたが、あの化け物は、"殺してしまったら蘇生すればいいか"くらい平気で思っていそうだ。

役に立たないから不要と切り捨てられるか、
オモチャにされて何気無しに壊されるか。

どちらも嫌だが、自分に非があると分かる点で見ればどう考えても自分の主人の方が優しい。
その優しさに報いねばならないと、恐怖が後押しした。


しかし、2回目の接触は間合いに入るどころか声をかける前に失敗し、結果数日間、目や口、皮膚が焼けるような痛みに苦しんだ。

そのまま逃げ帰れば命はない。そう思い、先ずは情報を集める事にした。あの少女と関わりのある女冒険者達を捕縛し、情報を引き出し(といっても大した情報は得られなかった)…あと一歩のところで、幻術が破られた。

やはりあの少女だった。Sランク冒険者"将軍"の二つ名を持つ男すら気づかなかった俺の所在に気付き、嗤った。
純粋な好奇心で小さな虫を解体する子供が浮かんだ。

マズイと思った時には身体が先に逃げていた。
怖い怖い怖い!

勿論逃げ込む先は雇い主のところ。殺されるかもしれない。でもそうだとしても、あの少女に殺されるよりマシだと心の底から思う。

辿り着いたその家の、主人の部屋。待っていたその人は、俺に死ではなく、問いをよこした。


「黒髪紅目のアリスという少女について」

知っている事を全部はけ。と。
しおりを挟む
感想 70

あなたにおすすめの小説

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる

竜頭蛇
ファンタジー
ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。 評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。 身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。

三歳で婚約破棄された貧乏伯爵家の三男坊そのショックで現世の記憶が蘇る

マメシバ
ファンタジー
貧乏伯爵家の三男坊のアラン令息 三歳で婚約破棄され そのショックで前世の記憶が蘇る 前世でも貧乏だったのなんの問題なし なによりも魔法の世界 ワクワクが止まらない三歳児の 波瀾万丈

転生してモブだったから安心してたら最恐王太子に溺愛されました。

琥珀
恋愛
ある日突然小説の世界に転生した事に気づいた主人公、スレイ。 ただのモブだと安心しきって人生を満喫しようとしたら…最恐の王太子が離してくれません!! スレイの兄は重度のシスコンで、スレイに執着するルルドは兄の友人でもあり、王太子でもある。 ヒロインを取り合う筈の物語が何故かモブの私がヒロインポジに!? 氷の様に無表情で周囲に怖がられている王太子ルルドと親しくなってきた時、小説の物語の中である事件が起こる事を思い出す。ルルドの為に必死にフラグを折りに行く主人公スレイ。 このお話は目立ちたくないモブがヒロインになるまでの物語ーーーー。

転生ヒロインは不倫が嫌いなので地道な道を選らぶ

karon
ファンタジー
デビュタントドレスを見た瞬間アメリアはかつて好きだった乙女ゲーム「薔薇の言の葉」の世界に転生したことを悟った。 しかし、攻略対象に張り付いた自分より身分の高い悪役令嬢と戦う危険性を考え、攻略対象完全無視でモブとくっつくことを決心、しかし、アメリアの思惑は思わぬ方向に横滑りし。

魔力0の貴族次男に転生しましたが、気功スキルで補った魔力で強い魔法を使い無双します

burazu
ファンタジー
事故で命を落とした青年はジュン・ラオールという貴族の次男として生まれ変わるが魔力0という鑑定を受け次男であるにもかかわらず継承権最下位へと降格してしまう。事実上継承権を失ったジュンは騎士団長メイルより剣の指導を受け、剣に気を込める気功スキルを学ぶ。 その気功スキルの才能が開花し、自然界より魔力を吸収し強力な魔法のような力を次から次へと使用し父達を驚愕させる。

裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね

竹井ゴールド
ファンタジー
冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。 元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、 王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。 代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。 父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。 カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。 その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。 ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。 「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」 そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。 もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。 

さようなら、たったひとつの

あんど もあ
ファンタジー
メアリは、10年間婚約したディーゴから婚約解消される。 大人しく身を引いたメアリだが、ディーゴは翌日から寝込んでしまい…。

処理中です...