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第1章 廃ビルの向こうは異世界でした
26 呼び出し
しおりを挟む日が昇る前に軽く食事をしたヴァンさんが、膝下までの長いコートを着て鏡の前に立つ。
この姿は、初めて会った時とほぼ同じものだ。ゲームに出てくる魔法使いか僧侶のような……戦い挑む時の正装という感じで。よくよく見れば、襟や袖、裾のラインに沿って小さな魔法石が縫い込まれていた。
「きれい……飾り、じゃないですよね?」
他にも携帯する魔法具や武器を確認していたヴァンさんが、ゆっくりと振り向き俺の前に立つ。
帰りはどのぐらいになるか分からないと聞いている。店のドアの鍵は自動でロックされ、お客さんが来ても気にしなくていい。出来るだけ早く帰るから、心配しないで待っていなさいとも。
けれど普段街を歩く時とは全く違う、危険な場所に行くのだと嫌でも思い知らされるような姿を見て、ずっと胸の奥がざわざわしている。
ヴァンさんならきっとうまくやると……信じていないわけじゃないのに。
「服に縫い込んだ魔法石は、防御や回避、戦闘能力を高める術を施してある。飾りというより実用としての装備だね。リクもほら……」
そう言って、優しく微笑みながら俺の着ていたシャツの襟をめくった。
角度的に直接は見にくい位置に、薄い緑色の小さな石が縫い込んである。
「気づかなかった」
「守りの石だよ」
襟を直してそのままつい、と俺の顎を持ち、上に向ける。
俺の頭の位置はヴァンさんの胸の辺り。顎にも届かない身長差に身を屈め、真っ直ぐ俺を見下ろして、そのまま瞼の辺りに口づけをした。
胸の奥がざわざわする。
不安なのだろうか。
ずっと側にいてくれた人が出かけてしまうというだけで、こんなも落ち着かなくなる自分が信じられない。ずっと誰も居ない部屋で、一人で、過ごしてきたというのに。
「そんな顔をしないで、笑顔で見送ってほしいな」
「見送る……なんて……」
「できるだけ早く始末をつけてくる。この家で待っていて」
ヴァンさんの指が顎から離れ、俺は小さく頷いた。
本当は一緒に連れて行ってもらいたい……。
けれど誰に言われるまでも無く、何もできない俺が一緒では足手まといだ。それどころか俺を庇いながらの行動は、ヴァンさんの足を引っ張ることにしかならない。
「無理、しないでください……」
「うん」
頷いて、もう一度俺の髪にキスをすると、ヴァンさんは夜明けとともに迎えに来たゲイブさんたちと家を後にした。
時間の進みが、やけに長く……感じる。
この世界の時間は八つの区切り毎に大きく三つに分かれている。一年を通して日が沈んでいる時間を現す、夜の八つ。季節ごとに夜明けや日の入りの時間が変る、明けの四つと暮れの四つ。そして日が昇ってる時間を示す、昼の八つ。
合わせて二十四つで、元の世界と時間感覚はほぼ同じ。
とはいっても、ここの一つと元の一時間が全く同じかどうかは分からないから、正確なところはなんとも言えないけれど。
「まだ、昼の三つ……か」
歯車とゼンマイ仕掛けの時計を見て、ため息をつく。
元の世界の午前四時から八時を明けの四つに当てはめるなら、今は午前十一時を少し過ぎたぐらいだ。朝食が早かったにもかかわらず、食欲は無い。
「軽くでも、何か食べた方がいいよね……」
パンとスープは用意してある。
けれど手を付ける気になれず、俺はヴァンさんに貰った魔法石を手に取った。気を紛らわせるように両手に包んで、教えてもらったことをやってみようと意識を集中する。
「石の、肌触りを感じる」
テキストの文章を読み上げるみたいに、口に出してみる。
不思議なあたたかさが胸の奥から湧いて来て、石が熱を持ち始めるはずだ。ヴァンさんが教えてくれた通り、なのに――。
「うまく、いかないや……」
深呼吸をしてもう一度同じように繰り返してみる。
石は……俺の手の中で、冷たく転がったままだ。
「ヴァンさん……」
背中が寒い。
部屋はあたたかくしているはずだから、室温の問題じゃない。ヴァンさんがすぐ側にいないというだけで、ひどく肌寒く感じているだけだ。
「……ヴァンさん……」
何でこんなに弱気になっているんだろう。
ヴァンさんは俺が元の世界に戻るために、危険な仕事をしている。俺のワガママがさせているっていうのに。
「ヴァン――」
「キキッ」
不意に小さな鳴き声が聞こえて顔を上げた。本や魔法石の隙間から、小さな生き物が数匹、こちらを見上げている。
「ウィセル」
「キッ」
腕を向けると手のひらに乗って来た。くりくりとした瞳を真っ直ぐ俺に向けて、首を傾げている。ふわふわの長い尻尾が踊るように揺れている。
「お前たち、いつも姿を見せてくれるよね」
慰めようとしているのかな。一匹は肩の上に駆け上って、首のまわりでくるくる回る。くすぐったい。
「はははっ! そんなところで跳ねまわるなよ」
首をすくめて笑う、その時、一階のドアが激しく鳴った。
ヴァンさんは、お客さんが来ても気にしないようにと言っていた。
たしかに店の品について聞かれても、俺には何も分からない。だから二階のリビングで息を潜めていたのだけれど、ドアを叩く音はいつまでたっても止まない。
「急ぎの用なのかな?」
ゆっくりと階段を下りて店を覗いて見る。
いかつい体格の男の人が一人、何かを叫びながらドアを叩き続けている。お客さんにしては様子がおかしい。せめてヴァンさんは留守だということでも伝えた方がいいだろうか。その上で、伝言を聞くぐらいなら俺にもできる。
そろそろと店に下りて、様子を見ながらドアのノブに手をかけた。
ガチャリ、と重い音が響く。
「あの……どのようなご用でしょうか? 今日はお店、休みです」
「あんた、異世界から来たってのはあんたか⁉」
ぼさぼさに髭を伸ばした、熊みたいなおじさんがいきなりきいてきた。
俺は思ってもみなかった言葉に思わず頷く。
「良かった。ホール侯爵の御子息が怪我をなさった」
「えっ⁉」
ざぁぁっ……と、血の気が引いた。
ホール侯爵の御子息にして、王国一の結界術師。侯爵という言葉は、昨日聞いたばかりだ。
「怪我? ヴァンさんが?」
「そうだ」
「無事なんですか⁉」
「かなりヤバいんだ……大怪我で」
「意識は⁉」
「まだ、どうにか……だが、あんたを呼んでいる」
「俺……を?」
どうしよう。
「直ぐに来てくれ。手遅れになる前に」
手遅れになる前に。でも……ヴァンさんは、家で待っているように言った。
「あの……」
「もう会えなくなってもいいのか⁉」
「あ……」
会えなくなる。
その言葉を聞いた瞬間、頭の芯がカッと熱くなった。指先が冷たく震えてくる。喉に鉛が詰まったようにうまく呼吸ができない。
「ヴァンさんはどこに⁉」
「治療院に運んだ。馬車で案内する」
「わかりました」
店を出る。ドアが閉まって、背後でガチャリと音が鳴った。自動で鍵は閉まると言っていたから店は大丈夫だ。
「こっちだ」
髭のおじさんが屋根のついた箱型の、二頭立ての馬車へと俺を誘導する。
「ここから遠いんですか?」
「少し走ることになる」
ドアを開いて馬車の中に飛び乗った。
直ぐ後に、髭のおじさんが続く。振り向いて怪我の状態を聞こうとした、その目の前、額に赤黒い石を押し付けられた。
「意識は混沌の泥沼に……沈め」
瞬間。
ぐらぁりと世界が揺れた。
思いっきり頭を揺さぶられた感覚。視界が暗くなる。
「なっ……あ……」
立っていられず膝をついた、と思った瞬間、頭に当たった馬車の床の冷たい感触。声が出ない。息すら、まともに……吸えない。
「やっぱりガキは単純だな」
「……ヴァ、ン……」
「おい、馬車を出せ!」
外に誰かいるのだろうか……そう、思ったところで、俺の意識は途絶えた。
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