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第1章 廃ビルの向こうは異世界でした
32 ラストチャンス
しおりを挟むふらりと、引かれた勢いのまま立ち上がる。
いろいろなことがいっぺんに起きて、すべてが夢のよう感じる中で、俺の腕を掴むヴァンさんの手だけが確かな感覚で伝わってきた。
「ヴァン、一体何をやらかした⁉」
ジャスパーさんが怒気を含んだ声で問い詰める。
それに対してヴァンさんは、口の端を上げるだけの静かな笑みで軽く答えた。
「ちょっと騒ぎを起こしただけだ。大したことじゃない」
「騒ぎって……」
「馬を用意した」
「盗ったんだろ!」
「借りただけだ」
すぐ後ろに立つゲイブさんに顔を向けると、やっちゃったもんは仕方がない、とでも言うように両方の手のひらを上に向け、肩を竦めて笑った。「あぁぁ……」とジャスパーさんは頭を抱える。
「ゲイブがいながら何やってんだよぉ……」
「あら、あたしはいつでもヴァンの味方よ。魔法院なんてクソくらえだもの」
「そうだった……」
おネェ言葉のゲイブさんが、俺の方を見てウィンクする。
なんか……騒ぎとか盗ったとか、おだやかじゃない言葉が聞こえたんだが。
「前言撤回。お前はただのバカだ。どうするんたよ院と対立するつもりか⁉」
「そこは上手くやってくれ」
「上手くって……」
「頼む」
静かに、真剣な表情で言うヴァンさんに、ジャスパーさんは言葉を飲み込む。そして身体がしぼむほど長いため息を吐いてから、俺たちを追い払うように手を振った。
「あぁぁ! わかった、行けよ‼」
「ヴァン、こっちを片づけたら後を追うわ」
ジャスパーさんとゲイブさん、二人に送られヴァンさんが頷く。そして俺の方を見て静かに言った。
「リク、最後のチャンスだ」
「ヴァンさん……俺……」
「魔法院には渡さない」
言うと同時に背中とひざ裏に腕を入れ、軽々と抱えあげた。
ゲイブさんが窓を開ける。って、一体、何をするつもりだ⁉
「しっかり掴まっていろ」
「……えっ」
床から天井近くまである大きな窓の外はテラスになっていた。その手すりの向こう、地面は遥か、下。ヴァンさんは何の躊躇も無く手すりを飛び越える。
「わ……ぁあぁあああ‼」
胸と肩にしがみ付く。
一瞬の浮遊感。続く落下の後、重力を感じさせない着地。
何が起きているんだ⁉
間を開けることなく走り出す。遠くで響く騒ぎの声。ヴァンさんが呪文を唱える。風が流れる。
不意に動物のいななきが聞こえたかと思った時、目の前に大きな栗毛の馬が現れた。何がどうなっているのか分からないまま、肩に担がれ、乗せられる。
続いて、ひらり、と月の下で、馬にまたがるヴァンさん。
手綱を引くと同時に前脚を上げた馬に驚き、俺は後ろに跨ったヴァンさんにしがみ付いた。
「ハァッ!」
掛け声と同時に走り始める。
激しく速く波打つ心臓のように、大地を蹴る蹄の音。
耳元で、風が、唸る。
世界が……流れていく。
「……ヴァン、さん……」
溢れる想いを押し込めて、俺は鼓動の響く胸に額を付けた。
◇◇◇◇
風のようにリクをさらっていったヴァンを見送り、俺は隣に立つゲイブに呟いた。
「俺たちは残酷なことをしているよな」
「ジャスパー」
昼間、地下道を調査して分かった。おそらく異世界との繋がりは夜明けまでもたない。
今夜が最後になる。
リクとヴァンが共に居られるのも、あと、わずかだ。
「リクが元の世界に戻ったなら、もう二度とこの世界に来ることはできない。忘れられない記憶を与えて送り出すなんてさ……」
ヴァンは魔法院の強引なやり方を誰よりも知っている。非人道的なことでも平気で行う。異世界人が人として扱われることは無い。
だからこそ、院に取られるぐらいなら、何としても異世界に帰そうとするだろう。それが今生の別れになったとしても。
「ジャスパー、諦めるのはまだ早いとおもうわ」
自信を込めた声で、ゲイブが答える。
「ヴァンは頑固なバカでも、リクは賢い。気付くわよ」
「ゲイブ」
「そして一度気づいたなら、迷わない。あの子はそういう子よ」
バタバタと走る足音が廊下に響き、乱暴にドアが開けられた。
数人の警備兵と共に部屋に踏み込んだのは、魔法院のストルアン。この薄ら笑いは、いつ見ても好きになれない。
「標本を逃がしたのですか?」
「いいえ」
俺は俺の敵に向き直る。
「国法に沿い、望む場所へと送り届けに行ったのです」
いくら魔法院とはいえ、逆らえないものがある。
事態を察したストルアンの顔が、悔しさに歪んだ。
◇◇◇◇
東の空がうっすらと白みかける頃、俺とヴァンさんを乗せた馬はベネルクの街にたどり着いた。慣れた動きで馬から下りて腕を伸ばす。その手に掴まり、俺も馬を下りた。
夜明けの街は……とても静かだった。
世界にヴァンさんと俺しかいないような、そんな気配に胸がざわつく。
ヴァンさんは用意していた魔法石に明かりを灯して、俺の手を取った。火傷は消えても赤みは残る指を見て、眉根を歪め、そっと口付ける。
一瞬泣いているように見えた顔を前にして、俺の胸に痛みが走った。
「異世界に繋がる道を見つけた。だが、もうほとんど消えかけていて、夜明けまでもつかどうかという状態だ。急ごう……」
感情の消えた声で、手を引き歩き出す。
俺は目の前を行くヴァンさんにどう言葉をかけていいのか分からず、黙ってついていく。
焦っているのか、歩調が速い。地下道は所々が崩れて、鈍い夜明けの光を滲ませていた。
何か言わなくては……。
このまま、何も言わずに別れてはすけない。
そう思うのに言葉が見つからない。
違う。
怖くて言葉にできないでいるだけだ。
……もうこれが最後なら、どんなに嫌われても叱られても、何も怖いことなんかないはずなのに。
不意に、ヴァンさんの足が止まった。
「バフモーン……」
顔を上げると十メートルほど離れた場所に、大きな獣がいる。黒いライオンのような姿だ。
魔物だ。
破れ欠けた左耳。赤く輝く瞳と、驚くほど長い牙。離れていても分かる鋭い爪。ジャスパーさんが「あと一歩というところでウィセルが現れた」と言っていた、取り逃がした魔物かもしれない。
ヴァンさんが瞬時に俺を背中に庇う。
「矢となり、刃となり、礫となり、彼のものを――」
「まって! ヴァンさん!」
魔法石を散らし、呪文を唱える背中にしがみ付きながら俺は叫んだ。
驚いて詠唱を止めたヴァンさんが振り向く。その横を一歩進んで、俺は大きな魔物に向かって叫んだ。
「そこを通して欲しいんだ! 遠くに行って! 人に見つからない場所まで!」
魔物が戸惑うように前脚で足踏みをした。そして鼻をひくつかせ、様子を伺う。俺たちを見定めているような視線。……やがて「ぶふっ!」と息を吐いてから、ゆっくりと、背を向け立ち去っていった。
俺も緊張を解いて、大きく息を吸う。
「リク、今のは……」
「分からない。けれど逃げる時、ウィセルが俺の言葉を理解してくれたんだ。廃墟で襲ってきた魔物も一瞬動きを止めた。だから、もしかしてと思って……」
俺の言葉は魔物にも通じるのかも知れない。
ヴァンさんは言葉を失ったように俺を見下ろしている。
「余計なことして、ごめん。でも……あいつとヴァンさんが戦って、怪我をしたら嫌だから」
誘拐犯たちの嘘が本当になったら嫌だ。
ただ、そう思ってのことだ。
「そう……」
ヴァンさんは多くを語らず、俺の頭を撫で髪に口づけしてから、また歩き出した。
道は複雑で、瓦礫も多い。来た時と明らかに違う道のように思えるけれど、ヴァンさんが進むのなら間違いない。
そう思いどれほど進んだだろう、崩れかけた通路の向こうに、青く光るものが見えた。
「ここ……が……」
異世界の入り口は床から天井まで続く、まるで垂直にそそり立った水面のようだった。
ゆらゆらと波打っている。その向こうに無骨な四角い柱が見えた。
廃墟となったビル。薄暗い地面には、置き捨てられたカバンがある。その色、形、間違いない。クラスの奴らに取られて捨てられた俺のカバンだ。
――元の、世界だ。
「リク……」
ヴァンさんが囁く。
そのどこまでも優しい声に、胸が痛くなる。
「……さぁ、行きなさい」
俺の背中を押す、ヴァンさんの手は――冷たく、震えていた。
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