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第2章 届かない背中と指の距離
44 氷魔法
しおりを挟むただヴァンに寄り添い、腕に抱かれる。匂いに包まれる。
それがどれほど幸せで安心できるのか。心地よくて体中の緊張がとけて、俺の意識は眠りの中に落ちていく。
ほんの少し。
……ほんの少しだけ、ヴァンの肩に頭を預け触れていたい。
そう思い、深く息をついた後の記憶が無かった。
ふと、目を覚ますと部屋は真っ暗になっていた。日が沈んで、部屋の明かりの魔法も切れてしまっていたようだ。
「やばっ……ね、ちゃって……た」
目をこすりながら起き上がる。
今は何時頃だろう。
そう思い、寄り添っていた人を見下ろした。
「えっ……?」
呼吸が、荒い。
手を伸ばすと首筋に触れた汗ばむ肌が、信じられないほど、熱い。
「ヴァン?」
そばにあった光の魔法石に呪文を唱え、明かりを灯す。
淡い光の下に浮かび上がるヴァンの表情は苦し気に歪んで、浅く早い呼吸を繰り返していた。熱が上がってきていたんだ。
「ヴァン、ヴァン……」
軽く肩を揺らすも返事は無い。
ベッドから素早く立ち上がり、机の上にある置時計を確認する。夜の一つになる少し前――夜の九時前だ。眠ってしまったのは二時間ちょっとだろうか。
「何やってんだ……俺……」
大事な時に眠ってしまうなんて。
慌てて部屋をぐるりと見渡す。
まず、何をすればいい。何をしなければならない?
ジャスパーが置いて行った物をもう一度確認する。
痛み止めや吐き気止めになるお茶……これは煎じなければならない。熱さましの薬は強いから、時間を開けるように言っていた。次に飲ませてもいい時間は、早くて夜の二つ――十時過ぎ。
「水はしっかり取ること。そうだ、水を……」
いつでも飲めるよう煎じ薬を作りながら、キッチンから新しい水をコップに汲んできて、ヴァンの枕元で声をかける。
返事は無い。見ただけでも、返事ができるような状態じゃないと分かる。
せめて冷やさなきゃだめだ。
冷たい水――氷。
氷が必要だ。
キッチンには食材を冷やす魔法石を入れた箱――冷蔵ボックスがあっても氷を作るほど冷えたりはしない。石は箱に固定されているから、それだけを持って来て直接冷やすということもできない。
元の世界なら、夜でもコンビニで売っていた。
この世界にも……氷を売っている場所はあるはずだ。なければ近所の人に氷を作ってもらい、分けてもらうか……。
でも、こんなに高い熱を出したヴァンを一人置いて、家を出ていいものだろうか。
夜は外に出てはいけないと言われている。盗賊や魔物……そいつらに狙われたなら、俺は……身を守る手段が無い。
それにもし目を覚ました時に俺がいなかったら、きっと心配をかける。熱のある体で探そうとするかもしれない。ジャスパーだって言った。「君に出来ることは不安な顔をせず、見守ることだ」と。
今は、何があってもそばを離れてはいけないように思う。
「とりあえず、タオルを……濡らした布を冷やして、何度も交換すれば」
今できることはそれしかない。
いつでも飲ませられるように、準備した煎じ薬を冷まして置いて、何枚かの布をボックスで冷やす。汗を拭きながら、せめてもと俺の手のひらで額や首筋に触れて冷ます。
「氷魔法が、使えたなら……」
もっと、ヴァンを楽にさせることができるのに。
「いや……違う」
使えたなら、じゃない。
使えるようになるんだ。今。
俺にできることはある。
立ち上がり、練習用にと渡されていた幾つかの魔法石を棚から取り出す。
氷を切り出したかのような、もしくはガラスの欠片のように透明な、手のひらほどの石だ。少し冷たいが、それは石自体の特性だ。
俺はそれを手のひらに包んで、石の肌触りを感じていく。
光の魔法石はここから、手のひらのぬくもりに意識を向けていった。柔らかな灯火、日の光、火傷するほどの熱ではなくてもあたたかい。その光とぬくもりを、石の中心に集めていく。
花火のように小さな光が弾けて、集まって、蕾となって開いていった。
とても幸せな気持ちになる魔法だ。
けれど、氷の魔法は少し違う。
冷たい。どこまで冷たく凝った塊に意識を向けていく。
深い海や湖の底のような、光の届かない闇のイメージもつきまとう。それはどこか、地下道で一人さまよっていた時のイメージとも重なる。不安と恐怖に息が苦しくなった時のような……。
「うっ……」
ざわっ、と背筋に悪寒が走った。集中力が切れて、指先が震えてくる。
俺は……心のどこかで、氷のイメージを「怖いもの」と結びつけているのだと思う。冷たさの先にある、切れるような痛みを恐れて逃げている。
だからいつまで経っても成功しないんだ。
「しっかりしろ」
自分で自分を叱りつけて、もう一度意識を集中する。
氷は……冷たい。暗い。静まり返った世界と、孤独……。その、イメージから逃げようとせずに、見すえる。その先にあるものを掴もうと、俺は腕を伸ばす。
熱に浮かされ、苦しんでいる人がいるんだ。
その人を少しでも楽にできるかもしれない。
助けたい。力になりたい。
俺にできることは、そのぐらいだから。
「お願いだ……」
目を瞑り、ぎゅ、と強く握りしめて額に近付ける。
「……ヴァンを、助けたいんだ……」
この手まで凍ってしまってもかまわないから。
だから、魔法石よ応えてくれと願う。
一粒の氷でも……ヴァンの呼吸が楽になるなら、お願いだと。
俺が魔法酔いで熱を出した時、ヴァンは一晩中寄り添っていてくれた。あの時と同じように、俺は、ヴァンに寄り添っていたい。
だからと、繰り返し願う。
ゆっくりと……。
想いが石を融かし、もう一度、冷たく凍る結晶へと形を取っていく。
痛いほどの冷たさが指先に伝わっていく。
「蝕像水晶の氷を……ここに……」
瞬間、カチン、キン、と……氷が割れるような音が響いた。
はっとして閉じていた瞼を開く。
手のひらの中、ひやりと冷たい石があった。
空気中の水分を呼び寄せ、石の周囲にはちいさな氷の結晶が生まれ始めている。次々と。小さな小石程度の大きさだけれど、指先で持つと、じわりと溶けていく。
「成功……した……?」
思い出したように、俺はテーブルの上に置いたままにしていたコップの中に魔法石を入れた。そこからコップの水を使って、氷が次々と生まれてくる。
「お皿を……そうだ氷嚢、準備しないと」
大きな音を立てないよう、急いで氷水のアイスバッグを用意する。小さくシンプルな革袋は俺の時にも使っていたものだ。それを、熱にうなされるヴァンの額や首筋に当てる。
ヴァンは瞼を閉じたまま、大きく息を吸った。
「……気持ちいい? これで少し、楽になる?」
問いかける声に答えられるほどじゃない。
でも、少しずつ苦しそうな呼吸が、落ち着いてきているように思える。
「そういえば時間……」
思い出したように時計を見ると、十時半を少し過ぎていたところだった。今ならヴァンに熱さましの薬を飲ませることもできるかもしれない。
そう思い、俺は新しいコップに新しい水を用意した。
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