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第2章 届かない背中と指の距離
58 話すまで帰しません
しおりを挟む「何か軽く食べましょう。リク様!」
「ここしばらく食が細かったと聞いています。この店なら普段と違う物もあるので、楽しめますよ」
二人にかわるがわる言われては、食欲が無いとも言えない。
俺は困ったように笑いながら、「じゃあ……少しだけ」と答えて店内に入った。
――そこは、高い天井の広い空間だった。
向かって左側はひしめくように丸テーブルが並べられて、料理や酒を前に、四、五人ずつが座っている。ざっと見ただけでも六組ぐらいはいるだろうか。狭いテーブルの間を、若い給仕がせわしなく行き来していた。
ビアガーデン……のイメージに近いな、なんて思う。
今は窓からの明るい日が入っているけど、夜になったら柱に備えてあるロウソクやランプが灯されて、もっといい雰囲気になるんじゃないだろうか。
右側はエントランスホールというかロビーというか、広い空間があって、やつぱり数人が集まりながら雑談をしていた。ヴァンが迷宮探索の時に着ていくような長いローブの人もいれば、軽装鎧に剣だけの人もいる。数はは多く無いけれど、鈍く光るゴツイ板金鎧の人も。
そのロビーの奥には受付カウンターがあり、やっぱりせわしなく動く職員……といっていいのかな、そういう人たちがいた。
ゲイブのギルドで、似たような恰好の人は目にしたことがあるけれど……こうして見ると壮観だ。
左右の壁際には、吹き抜けの中二階に続く階段がある。
階上はコの字型のロフト状になっていて、左側はやはり食事や酒を楽しむ人たちのテーブルが並んでいるのが見えた。対して右側は手すりに寄りかかった――胸元を大きく開けた女の人たちが、獲物を探すような視線で階下を覗いていた。
その内の一人が俺の視線に気がついて、軽く手を振る。
なにか見てはいけないものを見たようで、俺は慌てて視線をそらした。
「リク様、こっちです!」
気がつくとマークが左の階段下で手を振っていた。
俺の半歩後ろに立つザックが、「どうぞ」と俺の背中を押す。
「ザックやマークはよく来るの? こういうところ」
「ここ、飯が美味いんですよ! 安くて量も多いし!」
「リク様は初めてですか?」
ザックにきかれて俺は頷く。
本当になんというか、ファンタジーな映画のセットみたいだ。
マークは席が決まっているとでもいうように、迷いなく階段を上っていく。その向こう、奥まったテーブルに見覚えのある人たちが座っているのを見つけ、俺は思わず足を止めた。
「なんで……ゲイブとジャスパーが?」
「よぉ、来たな」
軽く手を振る。
立ち止まった俺にマークは戻ってきて、背中を押しながらテーブルまで連れて行った。
「まぁまぁ、どうぞどうぞ」
「もしかして……皆で待ち合わせしていたのか?」
「偶然ですよ、偶然!」
丸テーブルの奥、壁際の席に促されて座る。
右側にはジャスパーとゲイブが並び、すでにチーズと干し肉のようなツマミと、アルコールの匂いがするコップが置かれていた。
左隣にはマークが、その向こうにザックが座る。
両側を固められて、これって……簡単に席を立てない配置じゃないか……。しかも……隣が、近いし。
「ここまで来る元気があって、良かった良かった」
「この間、ジャスパーが調整してくれたから」
「でもちょっと痩せたんじゃない? ほら、肉でも何でも好きな物頼みなさい。ここはお金持ちのお兄さんの奢りよ」
ぽん、とゲイブがジャスパーの肩を叩く。
喜ぶマークに、顔をひきつらせたジャスパーが「年下に奢らせる気かよ」と言い返していた。
「リク様も……どんな物がいいですか?」
注文を聞きに来た店員を前に、ザックがきいてくる。
そう……言われても、何があるか分からない。
「任せるよ……俺は、飲み物があればいい」
「分かりました」
隣でマークが、「鶏の丸焼き!」と声を上げるのに頷きながら、幾つかの品を注文していく。それをとがめる様子も無く、ゲイブもジャスパーも無骨な木のコップを傾けている。
俺は……小さくため息をついた。
「俺をここに呼び出した理由は何だ?」
「怒っているのか?」
「怒っているわけじゃない。最初からそう言ってくれれば……」
「来たのかな?」
テーブルに肘をついて、顎を支えながらジャスパーはにっこりと笑う。
俺はもう一度小さくため息をついた。
「まぁ……いいや。率直に聞こう。リク、ヴァンに秘密にしていることは何だ?」
「え……?」
思わず身体を引く。
けれど、背後は壁とマークの席で、どうしようもない。
「別に……」
「何も無いとは言わせない」
「言わないと、言ったら?」
「いつまでも帰れない、かな……」
「そんな!」
夕暮れまでには帰ると言ってきた。
夜は魔物や賊がうろつく時間帯だ。いくら護衛を付けていたとしても心配する。それでなくても散々心配かけているのに。
「ザックやマークが叱られる」
「その時は、ギャレット様やジャスパー様につかまって、帰してもらえなかったっていうので、大丈夫ですよ」
あはは、と笑いながらマークが言った。ゲイブも同じだ。
俺は呆れたように口を開く。
助けを求めるようにザックを見ると、真剣な表情で返された。
「俺も、一人で抱えていないで、言ってしまった方がいいと思います」
「ザック……」
「俺にどうにかできるものじゃないかもしれません。ですが何か解決の糸口ぐらいは見つけられるかもしれない。少なくとも俺は、リク様の味方です」
味方です。
そういうザックの顔に、俺はうつむいてしまう。
魅了は……俺の力は相手の心を虜にしてしまう、自由を奪ってしまうものだ。
だから、これも……俺が言って欲しいと思って、言わせている言葉かもしれない。今この時点で、すでに皆は危険な状態にあるのかも知れない。
それをどうにかするには、自分の力でコントロールするしか無くて。
コントロールする方法は何も知らない。
自分一人ではどうにもできないと、最初から分かっていた。
それなのに……聞くことができない。
聞く方法が分からない。
いや違う、聞いていいかどうかが分からない。
そうじゃなくて……言えって言っているんだから、そのまま、事実を言えばいいのに言えない。怖いという感覚が先に立つ。
俺は何を……怖がっているんだ。
嫌われることか。
捨てられ、要らないと言われることか。
そばにいられなくなること……だろうか。ヴァンの……。
それは……それだけは、嫌だ。
「リク様……」
ザックが俺の名前を呼んだ。
顔を上げる。
今、俺はどんな顔をしているのだろう。
逃げ出したい。けれど、逃げられない。
「みんなは……」
かすれた声を絞り出す。
「みんなは……俺といて、大丈夫……なのか?」
「んん?」
ジャスパーが眉間に皺を寄せて顔を傾げた。
「んー……意味が、よくわからない」
「……おかしくなったり、しないのか?」
「だからどういう意味だ?」
ひとつ息を吸う。覚悟を決める。
「俺、人を狂わせる……魅了の力があるんだろ?」
皆が動きを止めた。
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