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第2章 届かない背中と指の距離
62 迎える灯り
しおりを挟む日が地平線に沈むころ、俺たちは帰りついた。
店のドアの横には明かりの灯るランタンが吊るされている。まだ明かりをつけなければいけないほど街は暗くなっていないのに、間違いなく帰ってくるようにと。そんな所にもヴァンの気持ちが現れているように見えて胸が熱くなった。
ドアを開ける直前、俺は続くジャスパーにたずねる。
「今日の……その、好きとかの話……ヴァンに言う?」
「言って欲しい?」
「いや……その、気持ちが落ち着いたら自分で言う」
「がんばれ」
「うん……」
小さく頷いてドアを開ける。
ヴァンはカウンターのそばのイスに腰かけ本を読んでいた。まさかずっとそこに座っていたわけじゃない……と思うのだけれど。
「ただいま……」
「おかえり」
ぱたり、と本を置いて顔を上げる。
表情はいつもの優しい微笑みだ。なのにその顔を見ただけで、俺の胸の奥がつきりと痛んだ。
「楽しんでこれた?」
「うん……美味しいご飯食べられるところ、連れて行ってもらった」
続くジャスパーたちに視線を移して、ヴァンは「そう」と答えた。
ザックとマークがヴァンに頭を下げながら、「本日はこれで失礼いたします」と短く挨拶をして店を後にする。その見送りの瞬間ザックと視線が合った。頑張れよ、とでも言うのだろうか、珍しく口もとで笑って店を出ていった。
「ヴァンは晩飯食べたのか?」
「いや、これからだよ」
ジャスパーとヴァンの会話に、俺は「あっ」と声をあげる。
夕食とか何も考えないで帰ってきてしまった。そんなやり取りを予想していたのか、ジャスパーが懐から小さな包みを出した。いつの間に用意していたのだろう。
「ほい、お土産。リクもそんなに食ってないから、後で二人で食べろよ」
ヴァンが受け取る。
そして俺の方を向く。
「少しは食べられそうなの?」
「えっ! あ、うん……もぅ、大丈夫」
「そう、良かった」
いつものようにヴァンの手が髪に伸びてくる気配を感じて、俺は思わず身を竦ませた。怖いとかじゃない、なのに、なぜか真正面からヴァンの顔を見ることができない。
「リク?」
「お、俺……汗かいたから、流してくる!」
そう言って奥の階段を駆け上がった。
魅了の心配はしなくてもいい。少なくても今は、ヴァンには、心配するような状態になっていないし、万が一の時は対処してもらえる。もう近づいても大丈夫なのだと頭では理解している。
なのに、ダメだ……。
ヴァンが俺に触る……というだけで心臓が爆発しそうだ。
三階のバスルームに飛び込んで、肩で息をする。
鏡に映る自分の顔は耳まで真っ赤だ。
「あぁぁ……もぅ、どうしたらいいんだよぉ……」
好きなのだと、意識してしまってからも感情がぐちゃぐちゃだ。
ヴァンの姿も声も指も何もかもが、俺の中をかき回していく。ヴァンはいつも通りに接してくれているのに、俺がこんな状態じゃまた心配をかけるし、迷惑をかけてしまうのに。
「しっかりしないと」
着ていた服を脱ぎ捨てて、頭から冷たい水を被る。
元の世界にこんなのあったよな。滝に打たれたりとか。邪念退散みたいな。今は夏で、冷たい水が逆に気持ちいいぐらいだけれど。って……それじゃちっとも、邪念なんか消えっこない。
「リク?」
こんこん、とバスルームのドアがノックされた。
半開きのドアの向こうで、ヴァンが声をかけている。
「あっ……!」
「開けても大丈夫かい?」
「……う、うん」
返事をしてからしまった、と後悔した。またタオルを用意するのを忘れていた。着替えも。ドアを開いたヴァンは、裸の俺を見て瞳を細めた。
何度が風呂に入れてもらったことがあったから、裸を見られるのはこれが初めてじゃない。それなのに、全身にカッと火がつく。せっかく水を浴びたのに。
「あ……あの、ジャスパーはもう、帰ったの?」
「うん、今日は帰ったよ」
「そ、そう……」
うろたえるように俺は視線をさまよわせる。
今更腕で身体を隠すのも余計に意識しているようでできない。かといって、ヴァンが俺を見ているのかと思うだけで呼吸がおかしくなってくる。昼間ザックたちに見られた時は、何も感じなかったのに。
「お客さん……忙しかった?」
「甥っ子のクリフォードだよ。いろいろ言いたいことを、言いたいだけ言って帰った。リクに魅了のことを話したそうだね」
顔を上げる。
瞳を細めたヴァンが、微笑みながらわずかに首を傾げた。
「中途半端な知識で、リクを不安にさせた」
「それは……」
「不安だったり分からなかったなら、僕にきいてほしかった。ジャスパーも言っていただろ?」
俺がヴァンに恋愛感情を持ってしまった……というのとは別に、魅了で悩んでいたとヴァンに伝えたのだろう。それは、仕方がない。魅了は下手をすれば、周囲に影響してしまうものだから。
「ごめん……おれ……」
「責めるつもりはないよ。これから少しずつ、頼ってもらえればいいだけだから」
そう呟いてからドアに寄りかかり、腕を組んで息を吐く。
「クリフォードが言っていたよ。リクに魅了の能力を話さずにいたのは、試練を乗り越える力が無いと見下しているのかって。心が弱からと寄ってたかって誤魔化して、ただ甘やかして守っている。違うのか……ってね」
「え……」
「一理あると思ったよ。大切にしすぎて、危険なもの全てを遠ざけていた」
あのクリフォードが、ヴァンにそんなことを言ったなんて。
「魅了は難しい。本人の意志で抑えられても、周囲の人たちがそう思うとは限らない。意識を乗っ取られて操られるのでは、と疑心暗鬼になる。魔法石で抑えすぎても暴走を呼ぶ。通常の魔法より高いコントロールが求められる」
ヴァンが言葉を切る。
「自暴自棄になり、誰彼構わず魅了して自滅した人は多い」
俺がそうならないように、慎重に慎重を重ねていた。
ヴァンは魔法に関する専門家だ。そのヴァンが話すのは時期尚早と思っていたのなら、俺はそれを責めたりしない。
「……今度は、できるだけ相談……する」
「そうして。態度で察することはできても、心の中まで読めるわけじゃないから」
ヴァンが両腕を広げる。
「おいで、リク」
ドキ……と胸が鳴って、足に力が入る。
真っ直ぐ見つめ返すと寂しそうな笑みが返された。
「僕はまだ、リクに触れないのかな?」
「ちが……そんなこと、ない」
ぎこちない動きでヴァンのもとに行く。
ふわりと片腕で肩を抱かれた。
直接触れた手の熱さに、背中や肩がじんじんしてくる。嬉しくて、切なくて、涙が溢れそうになる。
耳元で、低く柔らかな声が囁く。
「何も心配しなくていい。少しずつ覚えていけばいいのだから。それこそ、光の魔法の練習をした時みたいに」
「うん……」
「ゲイブが遠征に行こうと言っていたんだろ? 街中ではない、森の景色を楽しみながら魔法の練習をするのもまた、楽しいよ」
「……うん……」
ヴァンの肩に瞼を押し付ける。
やっぱり好きだ。俺はこの人が好きだ。頭を撫でて髪を梳く仕草とか、背中や肩をさする手のひらとか。俺のことを想うやさしい言葉の全てが、俺を幸せにしてくれる。
身体を熱くしてくれる。
ふっ……と肩を抱く腕が緩んだ。
顔を上げるとヴァンが額に口づけを落とす。
「ところで……」
「……ん?」
とろとろとした気持ちで見上げると、ヴァンは楽しそうに微笑んだ。
「身体を拭く物は手元にないの?」
「え?」
ハッとして思い出す。俺、裸のままだった!
「あっ……そ、そう! 用意してなくて……!」
「言えば取ったのに。わざと見せてくれているのかと思ったよ」
「ちがっ!」
ははは、と笑うヴァンは、とても楽しそうだった。
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