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第2章 届かない背中と指の距離
65 郊外の森
しおりを挟む季節がゆっくりと移り変わっていく。
元の世界でいうなら九月初旬というところだろうか。異世界での初めての秋は残暑と呼ぶような厳しさは無く、郊外の森の樹々は少しだけ、緑の色あいが褪せていた。
夏も息苦しいような蒸し暑さは無いし、冬は雪が降っても凍えるほどではなかった。
一年を通して過ごしやすい。これがこの世界の特徴なのか、この国の地域的なものなか分からないけれど、毎日は驚くほど穏やかだった。
「リク、あそこが還りの地だよ」
ヴァンが指し示す丘は、果てしなく続く山脈を望む高台にあった。
以前、ジャスパーからこの国の大きさを数字で示されたことがあったけれど、正直どのぐらいの大きさなのかピンと来ていなかった。今、この丘から見える、雲に霞んだ山脈のはるか向こう側に国境があるのだと聞いて、改めて自分がいる場所の大きさを実感した。
「広いね……」
「そう、とても広い。けれどアールネスト王国よりも大きな国はたくさんある」
「……海に面したマージナル王国とか、西のノルダシア共和国。海の向こうの大陸を制しているシガノリア帝国……あとは小さな公国が、いっぱい」
地理で習った地図を頭に描いてみるけれど、正直、単語を覚えた……程度で、国の違いはまだよく分かっていない。
「海の魔物は陸より凶悪だからね。大陸中央にあるというだけで、この国の守りは強い」
呟くヴァンの横顔を見て、俺はまた峰々に視線を向ける。
魔物の脅威は大結界で抑えられているとはいえ、それは全ての国境が他国との境になっている……ということだ。島国育ちの俺には、やっぱりピンと来ない。
「リクは……海を見てみたい?」
ヴァンが俺を見下ろしながら優しくたずねた。
俺は、首を傾げてみる。
「どうかな……俺が生まれた国は四方を海に囲まれていた。暮らしていたのは海沿いの街ではなかったけれど、電車――その、魔法みたいな力で動く乗り物に乗っても、そんなに遠くは無かった。俺には特別、憧れも何も無い」
もちろん家族で海水浴に行く、なんてことも無かった。
小学生の頃、遠足で一度行った記憶がある程度だ。その時の潮騒は記憶にあっても、弁当を持っていけなかった俺は、クラスの子たちから離れた場所で一人時間を潰していたように思う。
やっぱり、楽しい記憶じゃない。
「ヴァンは海を見てみたい?」
「どうかな……」
俺と同じように苦笑いで返す。
「危険な魔物が多いなら、それ相応の準備をしていかないと命にかかわりそうだ。僕は……戦わずに済むならその方がいい。のんびり魔法石でも眺めて暮したい」
「若いのに」
思わず吹き出しそうになった。
ヴァンは一瞬複雑そうな顔をしてから、それでもやっぱり優しい笑みになって懐から幾つかの石を取り出した。
魔力の尽きた魔法石だ。夏の初めに近所のお菓子屋、リビーさんから受け取った石をはじめ、店に届けられた石たちをやっと大地に戻しに来た。
ヴァンは、白い大きな石碑から少し離れた場所に持って来た石を置き、一歩離れてから、朗々と呪文のような言葉を紡ぎ始めた。古典的な言い回しでほとんど分からないけれど、感謝を伝えるような意味合いに聞こえる。
あぁ……カッコイイな、と思う。
長いローブの裾が風に踊り、縫い付けられた小さな魔法石が光を弾く。
大地も空も、すべてが輝いているみたいで、一幅の絵画を見ているようだ。もしくは大きな教会に描かれている、古い壁画のような。
この人が俺の好きな人で、俺を大切にしてくれる人。
それがたまらなく嬉しくて同時に、たまらなく切なかった。
俺みたいな人間が好意を寄せていいのだろうかと。もちろん、口に出したなら皆に叱られそうだから、言わないようにしているけれど。
こんなふうに眩しい姿を目にする度に、自分は不釣り合いなのでは……という気持ちが湧きあがっていく。
ずっと内緒にしておけば、何を想おうと自由だよね……。
「おまたせ」
長い詠唱を終えたヴァンが俺の方に振り向いた。
そして来た時と同じように俺の背に手を添えて、皆の所に戻るよう促していく。ヴァンと一緒だし特別な場所だからと、護衛のザックとマークは丘の下で待っていた。
「退屈だったかな」
「そんなことない。ヴァン、カッコよかった」
「そう……」
ふふふ、と笑うヴァンはすごく嬉しそうだ。
俺も……胸の奥が温かくなる。同時にヴァンの匂いに包まれて、嬉しさと切なさに胸が裂けそうになる。
感情の波がジェットコースターみたいに、上ったり下りたりを繰り返していて、辛い。
「ヴァンのこれからの予定は?」
「んん……このまま、リクとゆっくり散歩していたいんだけれどね」
小さくため息をつく。
今回の遠征――ゲイブの言うところのキャンプは、新人の実地訓練を兼ねている。光を避ける性質のある魔物は、明るい昼の内は姿を現さない。もしくは弱体化しているのを利用して、森の深いところに隠れている魔物を狩るのだという。
ヴァンは大魔法使いということもあって、その方面の指導をお願いされていた。
「行ってきなよ」
「リク?」
「こんな機会じゃないと、皆はヴァンに教えてもらえないじゃないか」
魔物の討伐は剣の腕だけがあればいい、というものではないらしい。なかには魔法を使う魔物や、剣を弾く特性を持った物もいる。メインの武器はあったとしても、魔法の補助があってこそ安全で確実な討伐ができるのだと聞いていた。
「俺には信頼できる護衛がいるから」
丘を下りて来た俺たちの姿を見つけ、マークが手を振る。その横でザックが軽く会釈をした。二人とも小走りで俺たちの前に駆けつけて並ぶ。
「森の奥には絶対に入らない。危険な場所にも行かない。ちょっとだけこの辺りを散歩したら、昼には基地に戻るよ。午後は……」
「夕食の手伝いをして欲しいって言ってました。もぅ……リク様をこき使うなんて」
振り向くとマークが口を尖らせた。
俺はアーヴァイン様の被保護者という立場らしいけれど、扱いは他のギルドのメンバーと同じ。雑用なんかを次々と頼まれて、わりと忙しくしている。普段からゲイブの訓練場に顔を出しているせいで、メンバーのほとんどが顔見知りだから気さくなものだ。
俺としては特別扱いで暇を持て余すより、ずっと嬉しい。
「むしろ俺に付き合わせて、ザックやマークまで雑用させているのが申し訳ないというか……せっかくだから訓練に加わりたいだろ?」
「俺たちのことは気になさらないでください」
「俺も魔物を追っかけるより、飯炊きの方が楽しいし!」
明るく笑うマークをザックが窘める。
ヴァンは笑って頷いた。
「それじゃあ、頼むよ。リク、練習は明日から始めよう」
「うん」
ふわりと俺の頬を撫でてから、額に口付けをしてヴァンが行く。その後姿を見つめつつ、俺はじくじくと痛む胸に苦笑していた。
嬉しい。と同時に切ない。
そして……欲しい、という感覚。
想いを伝えるにしても、今はまだ、そのタイミングじゃない。
いろいろな感情が浮かんでは沈み、しんどいな……と視線を落とす。小さくため息をついてから顔を上げると、心配そうにザックが俺を見ていた。
「お身体が辛いですか?」
「いいや、大丈夫だよ。さ……行こう」
吹き抜けた冷たい風に、俺は笑いながら腕をさすった。
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