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第3章 成人の儀
94 恥ずかしいなんて失礼だ
しおりを挟む五人、六人……と、入室してきたのは二十代から五、六十代までの男女。素朴な身なりで、一見街で見かける普通の人たちだ。
その人たちが俺の姿を見つけると、皆、はっとしたように息を飲んでから表情を綻ばせた。中で一番年長と思われる老紳士が、頭を下げる。
「此度は御成人、おめでとうございます」
俺はただ驚いて、戸惑いながら「ありがとうございます」と返す。
「私たちはアーヴァイン様の愛し子となりますリク様の御成人、お祝いの衣装に、針を持たせて頂きました者でございます。見てのとおりの卑しき身分ではありますが、この腕の技だけは誰にも負けぬと自信を持っております」
ひとつ息をついてから、真っ直ぐにヴァンと俺を見つめる。
「常々、国をお守り下さいますアーヴァイン様に御恩をお返ししたいと思っておりましたところ、素晴らしい機会を頂き、これほど幸せなことはございません。この御召し物に携われましたことは、私たちの誇りでございます」
頭を下げる老紳士に続いて、周囲の人たちも頭を下げた。
そして顔を上げると、中には瞳を潤ませた人たちが、「よくお似合いです」と言葉をかけてくる。
「あの……本当に、この衣装を?」
「はい。ちょうど、その襟の部分の石は私が縫わせて頂きました」
「袖と裾の刺繍は私が」
「私は生地の裁断を。あぁ……本当に、よくお似合いで」
堰を切ったように口々に言う。
この一着の衣装を仕立てるだけで、これだけの人たち……いや、ここに来なかった採寸担当のバーナードさんもいるから、もっと多くの人たちの力で出来たという。その事実に、俺は改めて衝撃を受けていた。
「お美しいです」
「これほど見事に着こなして頂けるとは。孫の自慢話にできますな」
「あ……ありがとうございます」
俺は同じ言葉以外何も浮かばなくて、ただ「ありがとう」と返す。
お針子の人たちは本当に一目見て、一言伝えることができれば満足だったのか、お披露目の成功を伝えてから早々に部屋を出た。合わせて道具を片づけ終わった着付け師たちも部屋を後にする。
残った数人の使用人とジャスパーとヴァンを前に、俺は、たまらない気持ちになってうつむいた。
ヴァンが声をかける。
「リク?」
「俺、すごい……失礼だった」
「ん?」
「なんか、恥ずかしいって思っていたんだ」
こんなにキラキラの王子様衣装なんて、きっと似合わないし恥ずかしい。ヴァンが喜んでくれるし、これがこの世界のドレスコードなんだと自分に言い聞かせて……心のどこかで仕方なく着る、なんて気持ちがあった。
けど、それってすごい失礼だった。
「こんなに多くの人がお祝いしてくれて、手を掛けて、時間もかけて、用意してくれていた物の価値を全然分かっていなかった」
似合うとか似合わないとかじゃない。
似合うように着こさないと失礼だ。
あれだけ心を込めてくれたんだ。この衣装を用意してくれた人たちの気持ちに報いるためにも、ちゃんと背筋を伸ばして、もっと堂々として行かないと。
「当たり前のようにある目の前のいっこいっこが、全然当たり前じゃなくて、ものすごく多くの人の手を渡って来たんだってこと……すごく、感謝しないと……」
「そうだね」
嬉しそうに微笑んで、ヴァンは俺の額に口づける。
そうだ。目の前に心から尊敬するカッコイイ人がいるのだから、まずはヴァンのように堂々としていこう。
恥ずかしいことなんかない。恥ずかしがっていたらダメだ。
「俺、ヴァンみたいになりたい。ヴァンみたいにカッコよくなりたい」
「そのままでリクは十分、素敵だよ」
指の腹でそっと俺の頬を撫でる。
「変わりたいという気持ちも含めて」
ヴァンは俺の気持ちを何一つ否定しない。
それって、すごい包容力だと思う。
兄のような顔で眺めていたジャスパーが、ニヤリと笑った。
「本来は裏方が挨拶するなんて無いんだが、十分、気合も入ったみたいだな」
「リクは優しい子だからね、人の気持ちを無下にはしない」
俺は「えへへ」と照れくさそうに笑い返すと、使用人の一人が静かに入室して馬車の用意ができたことを伝えた。
「さて、そろそろ行こうか」
「ジャスパー、少しの間でいい。リクと二人きりにしてもらっていいかな」
「んん?」
首を傾げたジャスパーは、ニッ、と笑ってから「少しだぞ」とにやけ顔で返した。
使用人たちも部屋を出てヴァンと二人きりになる。
窓からの光で眩しいほどに輝くヴァンは、そっと俺の衣装に縫い付けられた魔法石を指先で撫でてから、静かに言った。
「さて、魔法石の起動をしておこうか」
耳に心地いい呪文が響く。
軽く瞼を閉じて、俺はヴァンの声に耳にを傾ける。低く、撫でるように響く呪文は、魔法石だけじゃなく、俺自身も目覚めさせていくような気持ちになる。
ここまで大切に育てられて、花開いて、一つの実を結んでいくような。
いや、まだ早いかな。
俺の知らない俺が、次々と花開いていく。
俺はこの人の手で、どこまで変っていくのだろう。
「んっ……」
呪文が心地よくて、鼻にかかった甘い声が漏れた。
ゆっくりと瞼を開くと、思うより近くにヴァンの顔がある。つい、と指先で俺の顎を上げる人を真っ直ぐに見上げ、俺はもう一度瞼を閉じる。
唇を合わせる。
互いに上唇と下唇を啄ばむような、かるくて、柔らかなキス。
「僕の、可愛いリク」
ぞく……と、背筋に心地いい痺れが走った。
ヴァンのものだと言ってくれる、その言葉も呪文のように聞こえる。
夢中になって他の人なんか目に入らなくなる。
目の前の人にだけ囚われていく、幸せな呪縛をかけられたみたいに。それもきっと、俺が欲しかったものだ。
「俺を……離さないで。ずっと……」
瞼を開いてうっとりと見上げると、強く肩を抱かれて深いキスが来た。
チキチキと魔法石が鳴る。
絡み合う舌が名残惜しそうに互いの体温を分け合ってから、ヴァンは微笑み、囁いた。
「行こうか」
「うん」
頷いて、俺たちは部屋を出た。
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