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第3章 成人の儀
95 余裕の笑み
しおりを挟む屋敷から出発する。その見送りに、ジャスパーの奥方と子供たちが顔を見せた。支度の邪魔をしてはいけないと、別の部屋で待っていたらしい。
やっと部屋から出してもらって、俺の姿を見つけた子供たちは、いつもと違う姿に驚いて立ち止まった。
五歳のシェリーは、瞳がこぼれ落ちるんじゃないかっていうぐらい大きく見開いて固まってしまうし、まだ二歳にならないエミリアも、「きらきら!」と声を上げて大はしゃぎする。
「リクさま、とてもおきれいです」
「ありがと。シェリーもカワイイね」
大人と変わらない言葉で挨拶をするシェリーの、視線の高さを合わせるようにしゃがむと顔を真っ赤にしてもじもじする。
「エミリアと仲良くね」
「はい」
可愛らしく返事をする後ろで、奥方のシャーロットさんも優雅に微笑みながら声をかけて来た。
「皆がリク様にお力添えをしています。どうぞ、大船に乗ったように安心なさって、一夜を楽しんでいらしてください」
「ありがとうございます」
立ち上がり、頷いていよいよ屋敷を出る。
出た。
の……だけれど。
その大通りに面した目の前に……四頭立て四輪の、大きな馬車が止まっているのを見て、俺は再び固まってしまった。
……って、えぇええ!?
このサイズの馬車は滅多に……いや、初めて見る。元の世界でいえばリムジンみたいなものだ。あそこまで縦長ではないけれど、ワゴン車ぐらいのサイズは余裕である。
後輪の車輪なんか俺の胸ぐらいじゃないだろうか。
華美な装飾こそないけれど、しっかりとした造りの重厚な感じは、高貴な人の乗り物、というそのままの威圧感。
……さすがに、俺の顔が引きつる。
「ヴァ……ン、これ……何人、乗るの?」
「ん? 僕とリクとジャスパーの三人だよ」
御者の数を入れずに、ってことだよね。
「三人……って大きくない? どこまで……行くの?」
「僕の実家まで」
驚く俺に笑いながら、そんな、ちょっとそこまでって感じで。
今朝、ヴァンが家の前に入れない馬車だと言っていた意味は分かった。確かにこれでは細い小路の奥には入れないだろう。けれど三人しか乗らないのに、このサイズの馬車がいるのか?
「少し遠いから、広い方がゆっくりできるだろうと思ってね」
きっちりとした制服の御者が二人……いや、三人だ。そのうちの一人が優雅な所作で、ドアを開けた。
ヴァンが導くように俺の手を取って、最初に乗せてくれる。
嬉しい。
けどこれって確か、淑女に対するリードじゃなかったっけ?
いや、今は突っ込まないでおこう。
この世界では性別関係なくするものなのかもしれない。俺が知らないだけで。
俺に続いてヴァンが乗り、最後にジャスパーが乗って向かいの席に腰を下ろす。
うん。中も広いです。
寝っ転がれるぐらいに広いです。広すぎて落ち着かない。
御者がドアを閉め、前に手綱を握る一人と、後方の外側に立ったまま二人が並ぶ。少し遠いってさっき言っていたけれど、その間、この人たちはずっと立ちっぱなしなのだろうか。
数人の使用人と奥方と子供たちが見送る前で、馬車はゆっくりと動き出した。
「リク、今からそんなにお行儀よくしていなくても、大丈夫だよ」
おかしそうに、俺の隣に座るヴァンが言う。
俺は無意識に膝をぴたっと揃えて、手を握りしめていた。
「……そ、そうだよね」
落ち着け俺。馬車の中には、見知った二人しかいない。今から変に肩に力を入れる必要はないんだ。
「ねぇ、後ろの人たち……ずっと、立ちっぱなしなの?」
「え?」
「疲れるんじゃないかと思って……」
今日は天気がいいからいいけれど、風が強かったり雨だったら大変だ。手綱を握る人は仕方がないかもしれないけれど、後ろに立つ人たちはずっとその姿勢でいるのだろうか。
俺が気にしながらチラチラと後ろを見ると、目の前でジャスパーが笑いを堪えている。
「何がおかしいんだよ」
「いやぁ、つくづくリクは庶民だなぁ……と思って」
「庶民で悪かったな」
「そこがまた、リクのいいところだよ」
ジャスパーに続いてヴァンまでおかしそうにしている。
う……どうせ、俺の思考は一般庶民だよ。仕方がないじゃないか、貴族じゃないんだから。俺の隣で、ヴァンが悠然としながら言う。
「彼らは護衛でもあるから、数時間ぐらい立ちっぱなしでも平気だよ」
「……そ、うなんだ。すごいな……」
「ヴァン、街道のチェックはしてあるのか?」
「もちろん。危険な物は既に排除してある」
余裕の笑みで答える。
今、さらっと、排除……って。
でも、そうだよな。いかにも特別な人が乗ってますといった馬車が街道を行けば、魔物ばかりじゃなく盗賊だ何だも目をつける。それを事前に排除とか、さらりと言ってしまうヴァンって……。
なんかもう、改めてやっていることが全て桁違いというか……。
窓の外に顔を向けると、道行く人たちが驚いた顔を向けている。
その注目の具合がもう……有名人のパレードに遭遇した、といった具合だ。いや、ヴァンは確かに有名人だから、全然間違いじゃないけど。
落ち着け俺。ここは平常心。平常心。
「くくくっ……リクを見ていたら、楽し」
「笑うなジャスパー」
「そうは言ってもさ、見掛けは王族にも負けないぐらい気品があるっていうのに、中身は普通の男の子っていうあたりが楽しいんだよ。ヴァンの親父さんもびっくりするだろうなぁ」
見かけに関しては、もう俺……何も言わない。
そんな感じで軽口を言い合いながら馬車に揺られ、途中の街や村で小休止を挟んでは馬を替えた。いつもは街中でしか馬車を利用していなかったから、そんな様子も新鮮で。
俺は、ヴァンが御者や護衛の人たちと話をしているのを、少し離れた場所でジャスパーとお茶を飲みながら眺める。
本来ならこういった雑事も、執事だとかそういった人たちがやるらしい。だけどヴァンは気さくに、自分で何でもやってしまう。
ヴァンが親しみやすくて貴族っぽく見えないのは、きっとそういうところもあるんだろうな。
「リク……夕べはちゃんと眠れたか?」
不意にジャスパーに話し掛けられて、俺は振り向いた。
「ちゃんと、って?」
「時々、悪夢にうなされてるって聞いたよ」
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