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第3章 成人の儀
97 宮殿の入り口
しおりを挟む心地よい揺れの馬車の中で、俺は、そのまま本当に眠ってしまったみたいだ。
「リク、リク……」
軽く肩を揺らされて瞼を開ける。
車窓からの日は西に傾き、やわらかな黄金色に染まり始めていた。
「あ……俺……寝ちゃった?」
目をこすり顔を上げる。
ずっとヴァンの肩に寄りかかったままでいたみたいだ。
浄化魔法だろうか、手のひらで軽く顔を撫でる仕草でさっぱりさせてもらってから、俺は座り直して隣のヴァンに顔を向けた。
夢も見ないで眠った。すごい、すっきりしている。
「ごめん、重かったよね」
「リクは可愛いから。平気だよ」
大したことじゃないと答えるヴァン。重かった、に対する返答にしてはちょっと変な気がするけど。まぁ……いいか、と俺も笑う。
向かいの席では呆れたように笑うジャスパーが、軽く腕を組みながら声をかけてきた。
「これからお披露目っていう馬車の中で、それだけ熟睡できるのもすごいよな。実はけっこう神経図太いのか?」
「けっこうじゃなくて図太いよ。俺、戦闘モードの時は負けないし」
「ははは、頼もしいな」
優しくされると戸惑うのに、敵意を向けてくる者には負けない。たぶん俺は負けず嫌いで、意地っ張りなのだと思う。
とはいっても、これからのお披露目会で皆が皆、俺に敵意を向けてくるわけじゃない。
貴族でもない異世界の、成人したての子。
危険なのか、明確な敵になるのか利用できるのか、それとも無視しても問題ない程度の小者なのか……。
今回のお披露目会は、それを見定める――検分する、という意味合いが強いのだろうな……というのが、ヴァンやジャスパーの会話から想像できた。
相手がどう思うと関係ない。
ここまで準備してくれた人たちのために、俺は俺らしく振る舞うだけだ。
「リク、門が見えて来たよ」
ヴァンの言葉で、俺は窓の外に視線を向けた。
郊外の、整備された広い道を走っていた馬車は、両側に門番を従えた広い――それこそ馬車が三台から四台は同時に通り抜けられそうなほどに広い門を、悠然と通り抜けたところだった。
俺は窓辺に顔を近づけて、真っ直ぐに伸びる道と遠くまで広がる景色に声を上げる。
「わぁぁ……」
「広いだろ?」
ジャスパーが楽しそうにきいてくる。
うん、広い。
広いという言葉で簡単に終わらせていいのかと思うほどに、広い。
ずっと遠くまで見渡せる平坦な庭は、左右対称に造られているのだろう。複雑な幾何学模様に植木を刈り取って、広大な緑の絨毯のように広がっている。更にその向こうには噴水があり、人工的に造られた小川もある。
馬車が進むに従って、幾人かの着飾った婦人や紳士がのんびりと庭を歩く姿が見えた。
その人の大きさから見て、この庭園は端から端まで目測でも千メートルから二千メートル……で済むだろうか。きっともっと広い。
そして、その更に向うにある、巨大な建物が夕陽に輝いている。
「宮殿……?」
俺は思わず呟いた。
馬車の足並みは落ちていないのに、門を通り過ぎてからいっこうに近付く気配を感じない。横に伸びた荘厳な建物は、かつての世界のテレビやネットで見た、世界遺産クラスの宮殿、そのものの煌びやかさがあった。
尖塔がいくつも突き出た、縦に伸びたお城……じゃなくて、正に宮殿。
博物館とか美術館とか言うような……とにかく、人が住むような建物には見えない。
「……ここが……」
「うん、僕の実家」
さらりと、答えるヴァンは苦笑している。
ジャスパーがおかしそうに続く。
「昔、ヴァンのお祖父さんが、時の国王様から頂いた離宮だってよ」
「え……じゃあ、元は王城だったってこと? 王様からのプレゼント?」
「お祖父様はこの国を護る大結界構築の基礎を築いた方だからね。その功績を称え、頂いたものだと聞いたよ」
すごいなぁ……。
「じゃあ、ヴァンは……ここで、育ったの?」
「うん」
「迷子……に、なりそう、だね」
ぽかんと口を開けて言う俺に、ヴァンはくっくっと肩を揺らして笑う。
「そうだね。新人の使用人はよく迷子になって泣いていた」
「ヴァンは優しいから、道案内とかしてあげたんだろ?」
「逆に、嫌な奴は迷わせたり」
「ははは」
意外と悪戯するのが好きなのだと、今ならわかる。
あぁ……でも本当に、何もかもが規格外だ。
徐々に馬車の速度が落ちて宮殿の入り口に近づいていく。そこには二頭から四頭立ての馬車が幾つも停まり、着飾った人たちが巨大な建物の方へと向かっていた。
俺たちはそんな馬車の横を通り過ぎて、この馬車のために空けておいたと思われる、正面の階段に一番近い場所へとつく。
使用人と思われる人たちが数人、出迎えるように近づきドアを開けた。
ヴァンが「いよいよだよ」という視線を向けるのに頷いて、俺は馬車から下りる。
「お待ちしておりました。アーヴァイン様」
「うん」
俺に続いてヴァンとジャスパーが馬車を下りる。
横に広い、白亜の石段が目の前にあり、ずっと向こうにある扉まで魔法石の明かりで照らされていた。空は黄昏から茜色になり宮殿を染め、高い初夏の空には一番星が輝き始めている。
夢みたいに美しくて、優雅な世界だ。
そこで行き交う人々の心の中が、嘘と嫉妬と様々な野望で渦巻いているというのが……俺には想像できない。
白髪のきっちりとした老紳士が、ヴァンに声をかけた。
「長旅でお疲れではございませんか?」
「この程度では疲れないよ。じぃ」
「はい」
「来賓の様子は?」
「既に多くの方がお集まりでございます。皆様、アーヴァイン様の雄姿並びに愛し子様のお披露目を、心よりお待ち申し上げてございます」
「うん」
執事だろうか。下げた頭を上げ、俺の方を向いてから優し気に微笑んだ。
「長い道中ながら、お健やかなご様子。安心いたしました。ホール家に仕えます私たち、心より、お迎え申し上げます」
「ありがとうございます」
「既に、護衛の方々も控えてございます。どうぞこちらへ」
そう言われ、案内された先に見知った顔があった。
ヴァンの剣の師匠ゲイブと、俺の護衛についていたザックとマークだ!
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