121 / 202
第3章 成人の儀
番外編 それは大切な宝物だから 5
しおりを挟む――本当に好きな人のために取っておかないと。
リク様が、哀しそうな……辛そうな瞳で笑う。
俺は。
俺の好きな人は、あなたです。
あなたなのです。
もし今、そう言ったならリク様はどう答えるだろう。
想像して……いや、想像する前に今、リク様にこんな顔をさせてしまっている時点で、俺ではダメなのだと知る。
たとえ練習とか、一時の慰めとか……そんなものすら許さないほど、リク様は心はアーヴァイン様だけを求めている。もし……万に一でも、アーヴァイン様が想いに応えなかったからと言って、代わりに誰かを……とはならない。
リク様が好きなのはアーヴァイン様なのだ。
その思いに、絶対の迷いは無い。
本当に、一途に、たった一人だけを……。
「すみません……」
すみません。
辛い思いをさせたくなくて、ただ……慰めたかったのに、俺の言葉はリク様を困らせた。従者としての分をわきまえない言動だと、分かっていても止められなかったのは、俺が未熟だったからです。
「今の言葉は、聞かなかったことにしてください」
「いいよ……それだけ俺のこと心配してくれていたんだろ。逆に、ごめん。もっとしっかりしないとね」
リク様は何も悪くない。
悪いのはリク様の寂しさと優しさと、不器用さにつけこんだ俺です。「身の程をわきまえろ」と叱っていいのです。もしくは「誘惑するな」と吐き捨てていいのです。
それなのにリク様は、決して俺を責めることなく微笑み返す。
アーヴァイン様のお姿を見て、リク様も主として振る舞おうとしている。気丈に。
本当に……従者として失格なのは俺の方だ。
そう苦笑しながら顔を上げると、先頭を歩いていた弟のマークが怒りを滲ませた顔で俺を見ていた。
今の会話を全て聞いていたのだろう。
馬鹿者と怒鳴られるだろうな……そう思った時、魔物の気配がした。
◇◇◇
リク様の魅了の力は守りの魔法石で封じても尚、魔物を呼び寄せた。
昼間ということもあり、襲って来た魔物は難なく倒すことが出来た。だがそれが引き金となったかリク様の魔力が暴走したのだ。
俺は、首を引っ掻き、悶え苦しむリク様を抑えつけることしかできず、駆けつけたアーヴァイン様の手でやっと眠りについた。
倒れたリク様を運び込んだ礼拝堂は、役目を終えた魔法石の浄化や埋葬、封印などの管理や、魔法による負傷の治癒を行う場所だった。急ぎ駆けつけたジャスパー様が手当てにあたる。
その堂の外で、マークが力いっぱい俺を殴りつけた。
「何やってんだ! 馬鹿かよ!」
「マーク……」
「想いを告げられなくて悩んでいるリク様に、あんなこと言ったら苦しませるに決まっているだろうが! 色ボケしてんじゃねぇよ!」
「そうだ……俺は、バカだ……」
殴り倒した俺の襟を乱暴に掴み上げて、壁に押し付ける。
「好きだって気持ちが生まれるのは仕方がねぇよ。けど、分かってるだろ! 相手は侯爵様の御寵愛を受けている方だ。どんな理由だろうと主のものに手を出して、殺される覚悟もねぇのにハンパなことしてんじゃねぇよ!」
マークの瞳に涙が滲んでいる。
本気でリク様のことを……俺のことも、心配しているからこその叱責だ。
「もし、リク様が兄貴の手に乗ったら、リク様もアーヴァイン様からお仕置きを受けるんだぞ。そのぐらい分かれよ……」
振り捨てるように手を離す。
弟の言葉は正しく、リク様のことを想うのなら尚更、線引きしなければならない。
「ちゃんと……俺の尊敬できる兄貴でいてくれ」
――とその時、礼拝堂のドアが開いた。
中から姿を現したのはアーヴァイン様で、きっと俺たちの言い争う声が聞こえたのだろう、細めた瞳で言葉なく見つめる。
マークが緊張した面持ちで卿を見上げた。
「アーヴァイン様……リク様のご様子は……」
「ジャスパーの対処で危険な状態は脱したよ。今はまだ眠っているが、目が覚めて……数日休めば大丈夫だろう……」
「あの……」
マークが言いよどむ。
俺は、この場で斬首されてもいい覚悟でアーヴァイン様を見上げた。
「俺の責任です。俺が、リク様の心を乱した」
声を絞り出す。
護衛として失格だ。この場で任を解かれ、もう二度とリク様にはお会いできなかったとしても、言い訳はできない。だが、アーヴァイン様は剣を抜くことなく、静かな声で答えた。
「魔物を呼び寄せたのはリクの力だ。君たちは関係ない」
関係ない。
言葉は優しかったが、凍るほどに冷たい響きが含まれていた。
明確な拒絶の響きに指先がチリチリと痺れる。俺の心の内を知ってか知らずか、卿は静かに続けた。
「君たちが……魔物の爪を排除した働きは認めよう。だが――」
ひとつ、呼吸を置いて告げる。
「友人として、リクを裏切るようなことはしないでくれ」
ドアを開ける。
入るなら入れと促すような仕草に戸惑いながらも、俺たちは礼拝堂の中へと入った。台の上では青白い顔で眠るリク様がいた。
守りの魔法石を外そうとした首のひっかき傷が痛々しい。赤くなった手首は、俺が抑えつけたせいでできたものだろう。
眠りながらも苦しそうに、綺麗な眉が歪む。
俺は……好きだ何だと言いながら、見つめることしかできない。
改めて状態の説明を受け、マークは「リク様壊れちまう」と声を漏らし、鼻をすすった。
やがて目覚めたリク様をアーヴァイン様に任せ、一度退出してから、俺はこれからのことを考えた。
リク様を好きだという気持ちは変わらない。
けれど……もう二度と、リク様の気持ちを迷わすようなことは言うまい。もし護衛を続けさせてもらえるならば……だが。任を解かれたとしても、俺はそれに従う。
それがリク様にとっての幸いであるのなら。
リク様のおそばに居られるのは、彼の人にとって相応しい者だけだ。
夕暮れ時。
気持ちを落ち着けたリク様は、憑き物が落ちたように穏やかな表情になって現れた。「心配……かけたよね……」と申し訳なさそうに言いながら、軽く笑みまで向ける。
そして――。
「ザックのそれ……俺がやったの?」
「いえ」
痣になった顔を見て、そっと指を伸ばしてくる。
もう二度と、俺からは触れはしない。
マークが、つらっとした顔で言う。
「兄貴があまりにふがいなかったので、俺が殴りました」
「ふがいない?」
そうです。
「俺がリク様を守り切れなかったからです。すみません。俺にはもう――」
「ザックは何も悪くない!」
俺の言葉をさえぎって、リク様は声を上げた。
そしてアーヴァイン様に乞うような視線を向ける。
「ヴァン……あの……」
「リクはどうしたい?」
「もちろん当然、これからも友達で! ……あ、じゃなくて、護衛を続けて欲しい。俺、まだ全然弱いし、また魔物に襲われるかもしれないし、だから!」
こうなると予想していたのか、アーヴァイン様は仕方がないという顔で微笑んだ。
「だそうだよ。リクが自分で力をコントロールできるようになるまで、どうしても不安定な状態が続く。今後も似たようなことが起るかもしれない。しっかり頼むよ」
頼むよ、と。
言って下さるのか。
これからもお側で護っていいと。
マークが「任せてくださいっ!」と声を上げる。俺はただ、胸が裂けるほどに泣きたい気持ちを押し殺し、言った。
「ありがとうございます」
――と。
◇◇◇
あれから二年余り。リク様は辛い訓練を乗り越え、御成人された。
街の人たちとお祝いしてから、リク様のお顔は拝見していない。きっと想いに応えてくださったアーヴァイン様と、心を通わしていたのだろう。
宮殿の如く素晴らしいホール侯爵家で、貴族に向けたお披露目を行うこととなったこの日、俺たちも護衛用の礼服に身を包み、リク様の到着を待っていた。
どのようなお姿になっているか……楽しみなようで、寂しくもある。
日の沈み始めた空は晴れ渡り、薄紅の薔薇のように柔らかな色へと染まり始めていた。
広々とした庭園には、天上を思わせる花の香りに満ちている。そんな宮殿り入り口に、四頭立ての馬車が到着した。
ホール家の使用人が、アーヴァイン様ご一行の到着を告げる。
開かれるドア。
ゆっくりと姿を現し下りて来たのは、輝く魔法石を縫い付けた青い礼服に身を包む、凛としたお姿の――美しい青年、だった。
すっと伸びた背筋。意思の強い眼差し。
紅の夕空で一番に輝く星が現れたかのような、輝きだ。
偉大な大魔法使いの隣にあっても決して引けを取らない、存在感の強さがある。何より、匂い立つような華と色香。
大人になられたのだ。
愛しい人の手で、リク様は花開いたのだ。
「ザック! マーク!」
俺たちの姿を見つけ、そこだけは変わらない笑顔で声をかける。
「久しぶりだ。元気だった? あぁ……なんかすごい似合っているじゃないか。今回のお披露目会に合わせて、着て来てくれたのか?」
「リク様こそ……」
「んん?」
「いきなり色っぽくなりましたね」
あまりの美しさに、マークが顔を引きつらせながら答える。
俺は、胸の中で微笑む。
街の人たちと祝った成人の儀から、ほぼ半月ぶりです。
そう答えようとした言葉は声にならなかった。眩しくて、美しすぎて……本当に、俺の手の届かない高みへと上られた。その切なさに、胸が……焦げる。
アーヴァイン様の寵児にして最愛の恋人は、心無いものが触れていいお人ではない。
世界に二つとない、貴石。夜の星々より美しい人。
そのようなお人をお護りできるという身に余る光栄に、今は感謝しかない。マークとの無邪気な言い合いに、リク様が笑顔を向ける。
「兄貴だろ、ザックからも何か言ってやってよ!」
「いえ……その、リク様……今日は一段と……」
「ザック?」
「お美しいです」
――お美しいです。
初めて顔を合わせた時に見た、柔らかく微笑む、少女のように小さくて愛らしい少年はもういない。素直さと優しさはそのままに、しなやかな強さを併せ持った、美しい青年。
この美しい宝石に触れることを許されているのは、アーヴァイン様ただ一人。
護らせて下さい。
これからも、ずっと、いつまでも。
あなたの命がある限り。
俺の命がある限り。
――それは、大切な宝物だから。
20
あなたにおすすめの小説
鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる
結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。
冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。
憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。
誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。
鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。
溺愛の加速が尋常じゃない!?~味方作りに全振りしたら執着兄上たちの愛が重すぎました~
液体猫(299)
BL
毎日AM2時10分投稿
【《血の繋がりは"絶対"ではない。》この言葉を胸に、末っ子クリスは過保護な兄たちに溺愛されながら、大好きな四男と幸せに暮らす】
アルバディア王国の第五皇子クリスが目を覚ましたとき、九年前へと戻っていた。
巻き戻す前の世界とは異なるけれど同じ場所で、クリスは生き残るために知恵を振り絞る。
かわいい末っ子が過剰なまでにかわいがられて溺愛されていく──
やり直しもほどほどに。罪を着せた者への復讐はついで。そんな軽い気持ちで始まった新たな人生はコミカル&シリアス。だけどほのぼのとしたハッピーエンド確定物語。
主人公は後に18歳へと成長します(*・ω・)*_ _)ペコリ
⚠️濡れ場のサブタイトルに*のマークがついてます。冒頭のみ重い展開あり。それ以降はコミカルでほのぼの✌
⚠️本格的な塗れ場シーンは三章(18歳になって)からとなります。
⚠️若干の謎解き要素を含んでいますが、オマケ程度です!
公爵家の末っ子に転生しました〜出来損ないなので潔く退場しようとしたらうっかり溺愛されてしまった件について〜
上総啓
BL
公爵家の末っ子に転生したシルビオ。
体が弱く生まれて早々ぶっ倒れ、家族は見事に過保護ルートへと突き進んでしまった。
両親はめちゃくちゃ溺愛してくるし、超強い兄様はブラコンに育ち弟絶対守るマンに……。
せっかくファンタジーの世界に転生したんだから魔法も使えたり?と思ったら、我が家に代々伝わる上位氷魔法が俺にだけ使えない?
しかも俺に使える魔法は氷魔法じゃなく『神聖魔法』?というか『神聖魔法』を操れるのは神に選ばれた愛し子だけ……?
どうせ余命幾ばくもない出来損ないなら仕方ない、お荷物の僕はさっさと今世からも退場しよう……と思ってたのに?
偶然騎士たちを神聖魔法で救って、何故か天使と呼ばれて崇められたり。終いには帝国最強の狂血皇子に溺愛されて囲われちゃったり……いやいやちょっと待て。魔王様、主神様、まさかアンタらも?
……ってあれ、なんかめちゃくちゃ囲われてない??
―――
病弱ならどうせすぐ死ぬかー。ならちょっとばかし遊んでもいいよね?と自由にやってたら無駄に最強な奴らに溺愛されちゃってた受けの話。
※別名義で連載していた作品になります。
(名義を統合しこちらに移動することになりました)
愛していた王に捨てられて愛人になった少年は騎士に娶られる
彩月野生
BL
湖に落ちた十六歳の少年文斗は異世界にやって来てしまった。
国王と愛し合うようになった筈なのに、王は突然妃を迎え、文斗は愛人として扱われるようになり、さらには騎士と結婚して子供を産めと強要されてしまう。
王を愛する気持ちを捨てられないまま、文斗は騎士との結婚生活を送るのだが、騎士への感情の変化に戸惑うようになる。
(誤字脱字報告は不要)
《本編 完結 続編 完結》29歳、異世界人になっていました。日本に帰りたいのに、年下の英雄公爵に溺愛されています。
かざみはら まなか
BL
24歳の英雄公爵✕29歳の日本に帰りたい異世界転移した青年
【完結】気が付いたらマッチョなblゲーの主人公になっていた件
白井のわ
BL
雄っぱいが大好きな俺は、気が付いたら大好きなblゲーの主人公になっていた。
最初から好感度MAXのマッチョな攻略対象達に迫られて正直心臓がもちそうもない。
いつも俺を第一に考えてくれる幼なじみ、優しいイケオジの先生、憧れの先輩、皆とのイチャイチャハーレムエンドを目指す俺の学園生活が今始まる。
あなたの隣で初めての恋を知る
彩矢
BL
5歳のときバス事故で両親を失った四季。足に大怪我を負い車椅子での生活を余儀なくされる。しらさぎが丘養護施設で育ち、高校卒業後、施設を出て一人暮らしをはじめる。
その日暮らしの苦しい生活でも決して明るさを失わない四季。
そんなある日、突然の雷雨に身の危険を感じ、雨宿りするためにあるマンションの駐車場に避難する四季。そこで、運命の出会いをすることに。
一回りも年上の彼に一目惚れされ溺愛される四季。
初めての恋に戸惑いつつも四季は、やがて彼を愛するようになる。
表紙絵は絵師のkaworineさんに描いていただきました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる