174 / 202
第5章 この腕に帰るまで
163 チャンス
しおりを挟む――姿はゾンビやミイラのような、魔物そのもの。
けれど歩き方や仕草がよく見る魔物と違う。いきなり襲い掛かるのではなく、様子を伺うようにして近づき腕を伸ばして、器用に俺の顎を持ち上げた。
そして眼窩の奥で光る暗い瞳で、舐め回すように見つめる。
目が霞んでハッキリと見えない。
それでも確信があった。目の前にいるモノは、呪いで魔物のように見えている人間……だと。
「……ぅ、あ」
ソレが耳障りな音を発して何か話しかけているが、理解できる言葉にならない。
理解できなくても想像はできる。
守りの魔法石で俺には触れないはずなのに、触ることができた。きっと……俺のことを「堕ちた」と、思った……はず。
全く警戒する様子もなく、ソレが、顔を近づけてくる――。
瞬間、俺は鎖を掴んていた手に力を込めた。
頭を後ろに引いて吊り輪鉄棒のように脚を上げる。
勢い付いた膝蹴りが、一瞬、動きを止めたソレの顎下にきれいに決まった。のけ反りよろめくソレを前に、俺は暗がりに潜んでいた物に向かい叫ぶ。
「今だ!」
声とほぼ同時に、大きな黒い影が躍り出た。
獣の咆哮と唸り声。鋭い牙で噛み付くのではなく、野球のグローブほどの大きな手が、ソレの身体を横なぎに弾き飛ばした。
人形のように転がり、魔法円のすぐ外側にいた肉塊の魔物――ゲラウィルの上に倒れ込む。
ストルアンが呼び出した、体内に卵を産み付けるという、おぞましい魔物だ。
ゲラウィルは瞬く間に、倒れ込んで来たものを触手のような腕でからめとっていく。俺の顎を掴んだソレは、逃げ出せずもがき、絶叫を上げた。
「はあっ、はっ、はっ、はっ……」
催淫の香に耐えながら、この時を待っていた。
首の守りの魔法石の魔力が尽きるのが先か、俺の意識が壊れるのが先か。だが、それさえ堪えきれば、いずれ警戒レベルを下げた魔法石が、「危害を加えないものには触れることを許す」状態に戻るはずだと。
相手を油断させた時に、チャンスは訪れる。
薄暗いホールの隅に見覚えのある魔物の姿を見た時、望みはまだ捨てなくてもいいのだと知った。
「片耳の……黒い、獅子」
「ぐるるぅ……」
のっそりとした動きで俺に近寄り、まるで猫が甘えるように大きな身体をこすりつけてくる。二年半前に、ベネルクの地下で元の世界に通じる歪みの入り口にいた魔物だ。
元の世界に戻そうとしたヴァンが、ゆく手を阻むようして現れた魔物に攻撃しようとした時、俺が止めた。まだ自分に魅了の力があるとは知らない時だったが、誘拐された時に現れた魔物やウィセルがいうことを聞いたのを見て、もしかして、と呼びかけた。
攻撃はしない。
だから人に見つからない場所に行って、と。
欠けた左耳を持つ黒いライオンは戸惑うようにしていてが、俺の言葉に従って姿を消した。
それから、ベネルクの地下で魔法の訓練をするようになると、度々姿を現した。
決して近づいたりはしない。
遠くから俺とヴァンを見守っていた。
あの魔物が、ベネルクと遠く離れた聖地ヘイストン……の近くなのだろう、こんな得体のしれない場所にまで、俺を探しに来た。来れたということは、ここを抜け出す道もきっと知っている。
「片耳……」
切れ切れの声で、黒いライオンを呼ぶ。
「俺に、力をかして……鎖を……」
噛み切れるだろうか。
そう言葉にする前に、黒いライオンは後ろ足で伸びあがった。頭の位置はかるく俺の背丈を越える大きさだ。そして俺が意図したとおりに、高い天上から吊り下げられ、手首に繋げられていた鎖を噛み千切る。
右手を、そして左手の鎖と切って、俺の身体はやっと自由になり床に崩れ落ちた。
「はっ……ぁ、……あ」
肩で呼吸を繰り返す。
ずっと吊り上げられていた指先は痺れて感覚が無い。それでも咄嗟に鎖を握り、近づいてきたモノを蹴り上げるぐらいには動くみたいだ。
床に転がったまま立ち上がることのできない俺に、黒いライオンが鼻先をつける。
「あぁ……逃げ、ないと……」
頭を動かして、さっき近づいてきたヤツに顔を向ける。
必死に何かを喚きながらこちらに腕を伸ばしているが、肉塊の腕にからめとられますます逃れられない状態になっていた。
人間でも魔物にしか見えないソレが、誰かは分からない。
それでもストルアンではないだろうと、思う。
あいつがこんなに簡単に、自分を呼び寄せた魔物の餌食になるとは思えない。なら……ストルアンの仲間か……もしくは、チャールズか……。
俺は手足に力を込めて、ふらつきながらも立ち上がる。
どんなに助けを求められても、俺にはどうにもできない。
支えるように片耳の黒ライオンが肩を貸すように寄り添った。
ストルアンがこのことに気づいてもう一度捕まえに来る前に、逃げなければ。
「俺も……ゲイブのところで、身を守る訓練を……していたんだ。いつまでも黙って捕まったままでなんか、いるものか……」
ザックやマークのようには戦えなくても、不意をついての反撃方法を教えられた。
ピンチだと思う時ほど冷静になれ。危機を打開する手を探り、今の自分に出来ることをして、じっとチャンスを待つのだと。
催淫の香に、かなり長い時間意識を持っていかれていたが、もう……たぶん、きっと、大丈夫だ。
吸い込んだ香を魔法で浄化して、疼く身体を抑え込む。
ストルアンの手から逃れれば……あとは、きっとどうにかできる。
「片耳……外に、ここから出る道を、教えて……」
「ぐるるぅ」
喉の奥を低く鳴らして、片耳の黒いライオンが歩き出す。
俺はふらふらとよろめきながらも、青白く輝く魔法円から出た。何か特別な仕掛けがあるかと思ったが、これといった反応はない。だからと言って、安心はできない。
ゲラウィルに囚われたソレが、俺に向かって必死に手を伸ばしている。
それから目を反らすようにして、薄暗いホールから地下道のような石の通路へと、俺は歩いて行った。
◇◇◇
――同じ頃。
別室で大結界が崩壊した後の、国外逃亡ルートの地図を眺めていたストルアンは、リクを中心に展開させていた魔法円に異変があったと気づいた。
時刻はそろそろ夜明け。
七夜目が始まると同時に大結界は崩れると読んでいたのに、未だ兆しが無い。
少し前にチャールズがリクの様子を見に行ったはずだと、ストルアンは顔を上げた。
「……もしや、裏切りましたか? チャールズ」
呟き、ストルアンは、部屋にいた他の魔法師や帝国の使者にこの場から離れる指示を出し、リクを捕らえているホールへと向かった。
10
あなたにおすすめの小説
鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる
結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。
冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。
憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。
誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。
鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。
溺愛の加速が尋常じゃない!?~味方作りに全振りしたら執着兄上たちの愛が重すぎました~
液体猫(299)
BL
毎日AM2時10分投稿
【《血の繋がりは"絶対"ではない。》この言葉を胸に、末っ子クリスは過保護な兄たちに溺愛されながら、大好きな四男と幸せに暮らす】
アルバディア王国の第五皇子クリスが目を覚ましたとき、九年前へと戻っていた。
巻き戻す前の世界とは異なるけれど同じ場所で、クリスは生き残るために知恵を振り絞る。
かわいい末っ子が過剰なまでにかわいがられて溺愛されていく──
やり直しもほどほどに。罪を着せた者への復讐はついで。そんな軽い気持ちで始まった新たな人生はコミカル&シリアス。だけどほのぼのとしたハッピーエンド確定物語。
主人公は後に18歳へと成長します(*・ω・)*_ _)ペコリ
⚠️濡れ場のサブタイトルに*のマークがついてます。冒頭のみ重い展開あり。それ以降はコミカルでほのぼの✌
⚠️本格的な塗れ場シーンは三章(18歳になって)からとなります。
⚠️若干の謎解き要素を含んでいますが、オマケ程度です!
公爵家の末っ子に転生しました〜出来損ないなので潔く退場しようとしたらうっかり溺愛されてしまった件について〜
上総啓
BL
公爵家の末っ子に転生したシルビオ。
体が弱く生まれて早々ぶっ倒れ、家族は見事に過保護ルートへと突き進んでしまった。
両親はめちゃくちゃ溺愛してくるし、超強い兄様はブラコンに育ち弟絶対守るマンに……。
せっかくファンタジーの世界に転生したんだから魔法も使えたり?と思ったら、我が家に代々伝わる上位氷魔法が俺にだけ使えない?
しかも俺に使える魔法は氷魔法じゃなく『神聖魔法』?というか『神聖魔法』を操れるのは神に選ばれた愛し子だけ……?
どうせ余命幾ばくもない出来損ないなら仕方ない、お荷物の僕はさっさと今世からも退場しよう……と思ってたのに?
偶然騎士たちを神聖魔法で救って、何故か天使と呼ばれて崇められたり。終いには帝国最強の狂血皇子に溺愛されて囲われちゃったり……いやいやちょっと待て。魔王様、主神様、まさかアンタらも?
……ってあれ、なんかめちゃくちゃ囲われてない??
―――
病弱ならどうせすぐ死ぬかー。ならちょっとばかし遊んでもいいよね?と自由にやってたら無駄に最強な奴らに溺愛されちゃってた受けの話。
※別名義で連載していた作品になります。
(名義を統合しこちらに移動することになりました)
愛していた王に捨てられて愛人になった少年は騎士に娶られる
彩月野生
BL
湖に落ちた十六歳の少年文斗は異世界にやって来てしまった。
国王と愛し合うようになった筈なのに、王は突然妃を迎え、文斗は愛人として扱われるようになり、さらには騎士と結婚して子供を産めと強要されてしまう。
王を愛する気持ちを捨てられないまま、文斗は騎士との結婚生活を送るのだが、騎士への感情の変化に戸惑うようになる。
(誤字脱字報告は不要)
《本編 完結 続編 完結》29歳、異世界人になっていました。日本に帰りたいのに、年下の英雄公爵に溺愛されています。
かざみはら まなか
BL
24歳の英雄公爵✕29歳の日本に帰りたい異世界転移した青年
【完結】気が付いたらマッチョなblゲーの主人公になっていた件
白井のわ
BL
雄っぱいが大好きな俺は、気が付いたら大好きなblゲーの主人公になっていた。
最初から好感度MAXのマッチョな攻略対象達に迫られて正直心臓がもちそうもない。
いつも俺を第一に考えてくれる幼なじみ、優しいイケオジの先生、憧れの先輩、皆とのイチャイチャハーレムエンドを目指す俺の学園生活が今始まる。
あなたの隣で初めての恋を知る
彩矢
BL
5歳のときバス事故で両親を失った四季。足に大怪我を負い車椅子での生活を余儀なくされる。しらさぎが丘養護施設で育ち、高校卒業後、施設を出て一人暮らしをはじめる。
その日暮らしの苦しい生活でも決して明るさを失わない四季。
そんなある日、突然の雷雨に身の危険を感じ、雨宿りするためにあるマンションの駐車場に避難する四季。そこで、運命の出会いをすることに。
一回りも年上の彼に一目惚れされ溺愛される四季。
初めての恋に戸惑いつつも四季は、やがて彼を愛するようになる。
表紙絵は絵師のkaworineさんに描いていただきました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる