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第5章 この腕に帰るまで
164 追って来る魔の手
しおりを挟む薄暗いホールに足を踏み入れて、「ああ……」と私は嘆息した。
仄かに光る魔法円の中央には、捕らえていた者を失った鎖だけがぶら下がっている。あれほどいた下等魔物をすべて砂と石に変え、更に鎖を引きちぎって逃げたとは……。いったいどんな魔法を使ったのか。
ゆっくりと魔法円の方へと近づくと、円のやや外側に放置していた肉塊の魔物――ゲラウィルから、白い足が覗いていた。
あの青年、リクのものではない。
顔を覗き込む前に、嗚咽を含んだ切れ切れの声が漏れた。
「ス……トルアン……さま、た、すけ……」
「なるほど」
様子を見に行ったチャールズを、この醜悪な魔物の餌食にさせたか。
なかなかどうして、残虐な心を持ち合わせている。いや、リクには人の姿が魔物に見える呪いをかけていた……ならば、チャールズと気づかずに反撃したのかもしれない。
「たす……け、あ、ぁああ! ぁ!」
ゲラウィルの醜い触手が、チャールズの服の中に入り込んでいる。
確かめずとも、彼の秘部におぞましい先端を突き入れ、今こそ卵を産み付けているのだろう。こうなっては何をどうしようと、いずれ彼の精神は崩壊する。
人としてはもはや、使い物にはならないな……。
優しく控えめな外見に反して、嫉妬と独占欲にまみれていた青年だ。
父もその身分に見合わぬほど見栄を張った、金と権力を求める強欲な者だったが、チャールズは更に冷徹さと残虐性を内に秘めていた。
自分の父親を贄に差し出すぐらいだから、将来は私の補佐にしてやろうと期待していたのだが。
「思ったほど、使えなかったですね……」
正気を失ってもおかしくないほど催淫の香を焚いて、鎖で自由を奪い、絶え間なく魔物をけしかけ精神をすり減らした相手にこのザマでは、奴隷にするほどの価値も無い。
いずれ産み落とすであろう魔物は利用するとして……。
「さて」
ここは今まさに、大結界再構築を行っている聖地ヘイストンの地下。
途方もない迷宮の大深部にあたる。
アーヴァインもまさが自分の足元で、愛し子が凌辱の憂き目に合おうとしているとは思っていまい。本来ならば転移魔法円で、ヘイストン一帯から遠く離れた地まで一気に移動したかったのだが、さすがに聖地の護りは堅い。
街を守る障壁は同時に、内のものを外に逃がさない効果もあるのだから面倒なものです。
これも大結界が崩壊すれば消えるだろうから、今しばらくの辛抱というもの。
そうなれば一気に国外――マージナル王国まで飛ぶ計画となっている。マージナルは表向き海の向こうの帝国と敵対しているが、既に内部は帝国の手のものに骨抜きとなり、属国となるのも時間の問題。
私はアールネスト王国を滅ぼし、帝国の庇護の下で、思う存分魔法の研究を楽しむことができる。
そのためにも、あれだけの魔力を備えた魅了持ち、リクを手中にしておかなくては。
「この地下迷宮からは出られません。逃げるだけ無駄というもの……」
必死に助けを求めるチャールズをそのままに、私は逃亡した先に足を向ける。
リクを中心に展開していた魔法円は、そこに捉えていた者がどこに逃げても行方が分かるようにとしたものだ。もし……アーヴァインの手の者がリクを発見し隠したとしても、暗闇に点々と灯る明かりのように足跡を辿ることができる。
慌てて追わずとも、疲れ、歩けなくなったところでゆっくり捕らえればいい。
「いえ……ただ捕まえるのでは、面白くありませんね」
逃げ出したことを、後悔させなければ。
迷宮の深部でくたくたになるまで歩き回り、恐怖に顔を引きつらせながら私の足音を聞く。
逃げるだけ無駄だったと。……そう知った時の、絶望に彩られたあの異世界人の顔は、きっとどんな美妃よりそそるものがあるでしょう。
「既にあなたは、私のものなのですよ……リク」
役に立たない人間の従者より使い勝手のいい魔物を呼び寄せ、先行して後を追わせる。
喉の奥から漏れた笑い声は、薄暗い迷宮の奥底へと響き渡っていった。
◇◇◇
息が……切れる。
ヴァンに「リク」と、もう一度名前を呼んでもらう。
ただそれだけを望みにして、俺は壁に手をつきながら、引きずるように足を、一歩、また一歩と前に進ませていた。
本当なら走って逃げたい。けれど、魔物や催淫の香に抵抗し続けていた俺の身体は、想像以上に体力を失っていた。
時々、欠けた左耳の黒いライオンが肩を貸すように支えられなければ、もっと早い段階で動けなくなっていただろう。
「はあっ……ぁ、あぁ……」
カタミミと呼ぶことにした黒い魔物は、迷いない足取りで先へと進む。
この先にヴァンがいるかどうかは分からない。それでも……一人で闇雲に歩くより、きっとマシだと思う。
「あぁっ! はっ、ぁっ」
不意に、ずくり、と身体の奥が疼いた。
もうここまで催淫の香の煙は追ってきていない筈だ。それなのに……長い時間、煙を浴びていた俺の中には……あの、正気を失わせる成分が残っているのかもしれない。
「浄化……を、するんだ……」
石の床に両膝をついて、自分の腕で身体を抱え込むように抱きしめる。
治癒の魔法は使えないから、とにかく、俺の身体の中にある「必要ない物」を無害な物へと変える、それだけを意識して疼きに堪えた。
手首はまだ革のベルトが嵌められていて、そこから噛み切られた鎖がチャリチャリと鳴っている。
自分で自分を慰めようと思えば、出来なくもない。
けれど。
今、ここでそんなことをしていても際限がない。
際限が無い上にこんな場所で意識を失ってしまったなら、きっと後を追っているだろうストルアンに捕まってしまう。今度、奴に捉えられたなら、本当にタダでは済まない。
首元で俺を守っている魔法石の魔力が尽きるまで、いったいどんな目に遭うか……。
「ぐふぅうう……」
カタミミが何かの気配を察したように、俺たちが歩いて来た方の暗がりを見た。
そして警戒を示すように、低く唸り声をあげる。
「奴が来た……のか……?」
泥のように重い身体の脚に力を込め、立ち上がる。
歩け。一歩でも遠くまで歩けと、自分に言い聞かせたその時、確かな気配と足音が聞こえた。
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