悪逆非道の英雄譚

北乃 雪路

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序章 異人、異界に降り立つ

第一話

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「ここは、何処だよ?」

 鈍い痛みを発する頭を押さえながら、横になった状態の身体を起こし、辺りを見回す。
 辺り一面は木が鬱蒼と生い茂り、部活帰りの喜多健一が歩いていたコンクリート仕立ての歩道など影も形も見えなかった。

「どういう事だよ。ここは一体どこなんだよ?」

 健一は思い出せる範囲で記憶を辿る。
いつも通り学校に通い、部活に励んだ後、友人達と少しコンビニで買い食いをし、友人達と別れ、1人帰路に着いたところまでは思い出せた。
 しかし、それ以降の記憶は曖昧になり、今に至る。

 誘拐

 その言葉が健一の頭をよぎる。
 父は普通のサラリーマンで、母は専業主婦、少し歳の離れた甘えん坊の可愛い妹がいる絵に書いたような一般家庭だ。
 しかし、父の稼ぎはそこそこ良く、一般家庭と言いながらも少しは裕福な方であるという自覚があった。

「そうだ! スマホで検索すれば位置ぐらい……」

 健一は周りを見渡して荷物を探す。
 誘拐されたのなら手荷物など全て取り上げられるのが普通ではあるが、それに気づかないほど健一は焦っていた。

「あった!」

 少し離れたところに無造作に置かれていた自分の学生鞄を見つける。すぐ様飛びついて中を漁り始める。程なくしてお目当てであったスマホを見つけると電源を入れ、地図アプリを起動させる。
 しかし、画面には「ネットワークに接続されていません」の文字が踊り、アプリを起動できなかった。

「圏外か。これだけ深い森なら仕方ないか」

 使えないスマホを見て嘆息するも、気持ちを切り替えて、どうにか森から脱出する方法を考える。

 「とりあえず、川とかある場所を探そう」

 飲み水の確保が最重要であるという結論に至り、独言ちりながら歩みを進めていく。

「暑い。もうすぐ秋だって言うのに、なんでこんなに暑いんだ?」

 滴り落ちる汗を拭い、当てずっぽうながらも懸命に歩き続ける。時期的には夏も過ぎ、秋を迎えており、肌寒い日もある。だが、この場所は木のおかげで日射しこそ強くはないが、夏場のような暑さを感じさせていた。

「もしかして、川もない、のか?」

 どれほど歩き続けたのか、脚の負担が重くなったところで、座るのに丁度良い木の根を見つけたので、腰を下ろしていた。休憩したことで考える余裕ができ、嫌な想像が頭の中をよぎる。

「ん……何か聞こえる?」

 嫌な想像が頭を埋め尽くす間際、健一の耳に微かな音が聞こえてくる。疲れた体に鞭を打ち、その音が聞こえる方に向かって歩き出す。

「うわっ!」
 
 音が聞こえる方向に一心不乱に進んでいくと、急な浮遊感が健一を襲い、そのまま転落していく。

「痛ってぇ」

 身体を襲った痛むに顔をしかめながら打ちつけた部分を押さえて蹲る。幸いなことに身体を打ちつけただけで大きな怪我などはなかった。数分もすれば痛むが治まり、辺りを見回す余裕ができる程度には回復していた。

「川だ!」

 見渡した先には、大きな川が流れていた。すぐさま川に近づくと、よく透き通った綺麗な水を勢いよく飲んでいく。

「ふぅ、この辺りは良いな。涼しいし、水場もある」

 水を飲み、人心地ついてから辺りを見渡す。大きな川の周りは窪地となっており。適度な木陰と水場が近くにある事で過ごしやすい気温となっており、拠点にするには最適な場所であった。

「どうにかして、ここから出ないとな。とりあえず、この辺りで雨風凌げる場所を探すか、作らないとな」

 水を飲み、ある程度体力が回復した事

「どうにか形にはなったかな?」

 ふぅ、と息を吐き、額の汗を拭う。
 落ちていた木や葉などを掻き集め、見様見真似でテントを作っていた。お世辞にも良い出来とは言い難いが、身体を休めるには十分な代物であった。

「明日からだな。ここからの脱出は」

 テントを作るのに時間がかかり、既に周りには夜の帳が下り始めていた。

「早く帰らないとな。心配してるだろうし」

 テントに入り、明日の為に横になる。疲れていた健一が眠りの世界に落ちるのに時間は掛からなかった。



 もう何日経っただろうか?

 やつれた顔色で、健一は肢体を地面に放り投げ、働かない頭を動かしながら考えていた。

 最初のうちは、脱出するために森を散策していた。しかし、一向に脱出の糸口が掴めず、時間だけを浪費していた。
 それならば、と食料を探そうとするも、川に魚はおらず、木の実も見つからない。
 唯一、見つかったものといえばキノコだ。しかし、妙に毒々しい色をしたキノコであり、いくらお腹が空いていても食べる気になれないものであった。
 川を見つけることができたため、喉の渇きは満たせ、空腹も水で紛らわせることができしまった。そのことが、逆に苦しみを長引かせる結果となってしまっていた。

「とう、さん……か、あさん……あか、り……」

 死の淵に立たされた健一の頭に思い浮かぶのは、家族のことばかりであった。

(両親は心配しているだろうか。朱理は泣いてないだろうか。母さんの料理が食べたい。父さんのくだらない親父ギャグが聞きたい。朱理と一緒にゲームがしたい。家族で旅行にも行きたい。まだやりたい事は、いっぱいある。まだ親孝行ができていない。もっと出来る範囲で親孝行をしておけばよかった……)

 心配、未練、後悔。
 様々な言葉が頭の中を駆け巡るが、ただ口から漏れた言葉は一言。

「……しに、たく、ない……しに、たく」

 ポツリと漏らした悲痛な言葉。
 だが、同時に冷静な部分では、もう助からないという確信も得ていた。

(訳も分からず、こんな場所で1人ぼっちで死ぬのか……でも、もういいか。もう、疲れたよ……)

 辛い生への渇望よりも安らかな死への渇望が上回り、その時の訪れを待とうと静かに目を閉じる。
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