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017 狂犬ハチガヤ

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 ブラフマンをたたき起こすと、羊太郎はボコボコに伸された。
 曰く、「師匠の眠りを妨げるヤツは教育が必要だ」とのこと。まったくふざけた道徳観の持ち主である。思わず道徳の教科書が売っている書店を調べたほどだ。
 そのままブラフマンとの組手となったが、羊太郎は抵抗らしい抵抗もできぬまま圧倒されて終わった。四十半ばのオッサンとは思えない身のこなしで、赤子の手を捻るように羊太郎を打ちのめすのだから信じがたい。しかも戦闘中は時間経過とともに速く、重くなっていくのだから不思議だ。

 ともあれ、本日の訓練を終えた羊太郎は、退ダン手続きとアイテムの換金を終え、ダンジョンセンター併設の喫茶店を訪れていた。
 入店後、しばし経って蜂ヶ谷が現れる。
 珍しくもスポーティな格好だ。黒地に白のラインが入ったジャージパンツを穿き、上はスポーツブランドのロゴが入ったTシャツを着ている。ご自慢の長髪は白のバレッタで止めたアップスタイルだ。
 在職期間はクマを飼っていたにもかかわらず、この一ヶ月で蜂ヶ谷はすっかり様変わりした。というよりも、就職前の姿を取り戻したと言うべきか。
 素材がいいので、黙っていれば美人の典型例である。

「遅れてすみません~!」
「おう、待ったぞ」

 憮然とした羊太郎に蜂ヶ谷がむっと頬を膨らませる。

「待ったぞ、じゃないですよ。この私との待ち合わせなんですから、『来るまでの時間が待ち遠しかったよ』くらい言ったらどうです?」
「俺がそんなセリフ吐くとこ想像できるか?」
「……気味が悪いですね。病気を疑います」
「正直でよろしい。ほら、突っ立ってないで座れよ」

 顎でしゃくると、蜂ヶ谷が椅子を引いて腰を落とす。
 退職後、蜂ヶ谷は羊太郎とパーティを組んで冒険者になった。普段から顔を合わせている二人だが、今日は蜂ヶ谷に別件の仕事が入ってしまっていた。そのために羊太郎は、呑んだくれのオッサンと二人でダンジョンに潜る羽目になったわけである。
 なお、今日待ち合わせたのは、蜂ヶ谷が買い物に付き合えと言ったからだ。

「今日も赤鬼と戦ってたんです?」
「ああ。お前がいればもっと楽ができたかもな」

 蜂ヶ谷の魔法は《空中散歩》。魔力で足場を作ることができる便利魔法だ。モンスターの頭上を歩く蜂ヶ谷にヘイトを移しかえると、まるでゾンビ映画のようで大変面白い。
 ゴブリン十匹が蜂ヶ谷に群がろうとする様は壮観だった。

「どうせ押しつける気でしょ! あんな恐ろしいモンスターを後輩にあてがおうだなんて、正気の沙汰じゃないですよ!」
「ほら、可愛い子には旅をさせよとも言うし」
「え、わたしが可愛いからですか? ならいいですけどね!」

 犬よりも単純な後輩が顔をほころばせる。
 羊太郎は眉尻を下げて憐憫の目を蜂ヶ谷に向ける。バカほど可愛いと言うが、蜂ヶ谷の場合は屈託のない笑顔がむしろ不憫に思えてしまうのが悲しい。
 羊太郎は「ところで」と話題の舵を切る。「今日は何を買うつもりなんだ」
 蜂ヶ谷は逡巡し、小さなバックパックからメモ帳を取り出す。

「アイテム類の補充と私の装備の新調ですっ」

 ふんすと鼻息を荒げる蜂ヶ谷。ずいぶんと嬉しそうだ。

「装備はともかく、アイテムなんてほとんど使ってないと思うが」
「冒険者用の絆創膏や包帯類ですよ。いくつあっても足りないでしょ?」

 蜂ヶ谷が腕に貼りつけた絆創膏をこれ見よがしにアピールする。
 わざわざ冒険者用と付けたのは、それが通常の絆創膏などとは一線を画すものだからだ。ダンジョンセンターのセレクトショップで売られる商品のなかには、ノアが卸した不思議なアイテムもある。

 そのうちの一つが蜂ヶ谷の使用している魔法の絆創膏『癒えるくん』だ。
 自然治癒力を高める効能があり、傷跡が残らないようにしてくれる優れものらしい。女性の冒険者には必須アイテムなのだとか。

 冒険者業にいそしんでいる都合、蜂ヶ谷も普段から生傷が絶えない。ダンジョン探索を終えると、決まって絆創膏を貼りつけていたのを思い出す。おしゃれな洋服を着飾って出かけるのが趣味のくせに、なぜ傷を作ってまでダンジョンに潜るのだろうか。

 不思議になるが、訊くことは憚られた。
 絆創膏から意識を反らしつつ、羊太郎は蜂ヶ谷の話に耳を傾ける。

「それから、装備は薙刀を使ってみようかと思って! いまは槍を試してますけど、どうも突くのが苦手なんですよね」
「今の銛突き漁スタイルもいいと思うけどなあ」

 口では褒めておきながらも、羊太郎は思い出し笑いをこらえるのに必死だ。
 銛突き漁スタイルとは、魔法で空を歩きながら、槍で地面のモンスターを突く戦闘方法を指す。《空中散歩》のようにユーザーの多い魔法だと、戦闘スタイルまで研究されていることが多いのだ。
 蜂ヶ谷は反射的に柳眉を逆立てた。

「そのダサい名前が嫌なんですよ~! 私はもっと格好よく戦いたいんですっ」

 ムッとした表情が可笑しくて、羊太郎は噴き出してしまう。

「そ、それはわかった。けど、どうして薙刀なんだよ?」
「私もモンスターの首を刎ね飛ばしたいんです! そのほうが格好いいですからね!」

 一転して、蜂ヶ谷はうきうきした様子になった。口角をニマニマと吊り上げ、内心の期待を表情に出してしまっている。
 対して羊太郎は、後輩のあまりの狂戦士ぶりに絶句するほかなかった。
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