枯れない花

南都

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第二章 「主人公」と「憧れ」

第二十二話

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 安全装置の一つだっておそらくないこの機械、申し訳程度にシートベルトを取り付ければ、右手側に座ったモノクロームが「私たちはいけます」と合図を送る。
 応じるように、店長はそれにグッと親指を立てた。

「行くぞっ! 一回は空の旅ってのをして見たかってもんだ!」

 店長が操縦レバーを引けば、襲ってくるのは正面からの重圧だった。
 ぐいと体が座席に押し付けられる。窓から覗かせる景色は途端に動きを速め、滑走路の角度の変化に合わせ徐々に傾斜が掛かってくる。

 そして角度が五十度近くになったところ、その機体から伝わる浮遊感。

 飛んでいる、確かにこの機体は飛んでいるのだ。

「戦線を離脱したっ! 無効化を発動していい!」

「分かりました。気を付けてください、崩れそうならすぐ言ってください。対処します」

「わかってるよ! 俺だって自分の機械が棺桶になるのはごめんだからな!」

 耳につく高音、独特の座席の匂い、窓に映るのは輝く光の粒だ。星のようだ、夜景にうつる星のよう。

 地上から離れるときにはその光はせわしなく動く。しかし上空へと上がってしまえばその動きは落ち着いてくる。
 耳についていた高音も、いつからか気にならないほどに馴染んできた。座席のシートから来る匂いも、気を落ち着けるには十分なほどに鼻が順応してきた。

 飛行機に乗るのは学生以来のものだ。当然ではあるが、ここまで小型のものに乗った経験はない。
 こんなにもすぐ隣に気を許せる人間がいることも初めてだった。

 独特の浮遊感を覚える。当時は空から地を見下ろしては光の数に驚いたものだ。
 いや、今も変わらない。夜景というのはきらびやかで、心を打つような高揚感を与え、しかし胸を締め付けるような切なさを覚えさせる。

 光の数だけ人がいる、その大多数が自分なりの幸福を見つけているのだ。
 俺は……違う。
 自分は足掻きに足搔いて何も持っていない。この人々の内の一人になってなどいない。暗闇の中の一人なのだ。

 誰よりも輝く光を目指していた。だからこそ、この光はどこまでも美しく神秘的に見えた。胸を打ち、心が開けるようだった。

 しかしほんの少しの光さえつかめていない現実が、その光を黒く染める。
 目指したものとはかけ離れている。心を閉ざし、胸が締め付けられる。簡単に光を掴む人々と俺とは違う。

 窓に手を当てる。微かに結露した窓、その手が力なく下へと擦れれば、わずかな指紋と指の軌跡がその窓には残る。
 その軌跡、倒れそうな人間が窓に手をつくことでバランスを取ろうとしてつけた跡のようだ。戦いに疲れ力を失った人間の証。
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