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第3話 ふれていないのに
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――夢の中で、誰かが囁いていた。
湿った髪。指の裏。喉の奥に残る、甘く腐ったような香り。
熱くて冷たくて、触れてもいないのに、体の奥が疼くような感覚。
声は低く、くぐもって、まるで耳の裏に直接流れ込んでくるようだった。
『……ここ、感じるんですか?』
触れられていないのに、触れられた気がした。
脚の間が、じわりと反応する。
ぞくり、と背筋が震え、喉の奥がひくついた。
目が覚めたとき、全身がじっとりと汗ばんでいた。
ジャージの内側が妙に湿っていて、心臓の鼓動がうるさいほど響いている。
(……っ、夢……?)
だが誰が出てきたのか、明確に思い出せなかった。
髪の匂い。声の湿度。指先の冷たさ。
すべてが混濁しているのに、ただ一つ――あの甘い匂いだけは、はっきりと鼻腔に残っていた。
* * *
優里の声が遠く聞こえる。
「……ねえ、聞いてる? 晶くん?」
「あ、ああ。ごめん、ちょっと寝不足で」
朝の教室。彼女の声はいつも通り明るい。
笑顔も、手の温度も、何一つ変わっていないのに――どうしてだろう。
その声が、乾いて聞こえる。
優里が手を重ねてくる。温もりが確かにあるはずなのに、指先が拒んでいる気がした。
(ちがう……この手じゃ、ない)
何を考えているんだ、と自分を叱りながらも、頭の片隅では昨日の記憶が蘇る。
無言で差し出された本。
喉の奥にこびりつく声。
指先が、じわじわと疼いていた。
* * *
放課後。
足が、勝手に向かっていた。
図書室。あの匂いの残る場所。
静寂が支配するその空間の、どこかで彼女が呼んでいる気がしていた。
重い扉を押し開ける。
空気が、ぬるく甘い。
書架の奥に、見つける。
彼女は今日も同じ席に座り、指先でゆっくりとページをめくっていた。
長い黒髪がカーテンのように揺れ、襟元の肌が、うっすらと光に透けている。
喉が、ひりつくように乾いた。
それでも、足は止まらなかった。
「……昨日の、本……少し、気になって」
声をかけた自分の声が、どこか他人のもののように聞こえた。
澪が、ゆっくりと顔を上げた。
瞳が、深く、静かに晶を見つめる。
そのまま、彼女は何も言わずにカバンに手を伸ばし、一冊の本を取り出した。
表紙にはカバーがかけられている。だが、その厚みと装丁からして、昨日と同じ種類の本だと直感する。
「……こういうの、嫌いじゃないですか?」
低く、湿った声。
耳ではなく、喉の奥に響く。
晶は、ゆっくりと首を振った。
「……興味は、ある」
その瞬間、澪の唇が、ほんのわずかに弧を描いた。
それは笑ったというにはあまりに儚く、だが応えたと感じるには充分だった。
「じゃあ、感想……また、聞かせてください」
差し出された本。
それを受け取ろうと手を伸ばした、その瞬間――
指先と指先が、ふれる。
電気のようなものが走った。
火傷するような熱ではなく、ぬるく、じっとりと肌に染み込む感触。
晶の指先は、思わずそのまま澪の手を握ってしまいそうになる。
だが彼女は、それより一瞬早く、手を離した。
残されたのは、本と、触れた場所に残る匂いと熱だけ。
* * *
その夜、晶は部屋の電気を落とし、間接照明の明かりだけを頼りに例の本を開いた。
カバー越しに微かに香るのは、インクの匂いと、指先に残っていた澪の気配だった。
ページをめくると、紙の間から湿った吐息が立ち上るような錯覚がした。
――夜の静寂に響く、ひとつの声。
柔らかく囁くような口調で、彼の耳元にそっと語りかける女の描写。
決して荒々しくはない。ただ、肌と肌の境界線を、舌でなぞるような筆致だった。
指が止まらなかった。
ページを繰るたびに、視線と一緒に喉が乾いていく。
(……えっ、こんなに……)
文字だけだ。なのに、頭がぼうっと熱を帯びていく。
心臓が、段階的に、少しずつ速くなっていく。
そして――とある描写に差しかかった瞬間、身体が明確に反応した。
――少女は、彼に触れることなく、ただ声と息だけで、彼を昂ぶらせていく。
服の上からでも分かる勃起の感覚に、晶は驚くよりも先に、羞恥すら忘れていた。
それはまるで、自分の奥深くに他人の指が差し込まれていくような錯覚。
澪の指。澪の声。澪の匂い――いや、あの本の中の女に重ねているつもりで、結局は澪を思っている自分に気づく。
「……っ」
喉の奥で、名もない声が洩れた。
それがまるで、彼女に聞かれているかのように錯覚して、背筋がぞくりと震えた。
脚を閉じた。だが、勃ち上がるものが皮膚越しに主張してくる。
ページの中では、女が男に「どうして触れないの?」と問いかけている。
晶はその文字を目で追いながら、逆に、澪の言葉を想像していた。
――「ふれてないのに、感じてるんですか?」
澪が、あの声で、あの口調で、耳元に囁く。
ベッドの上にいるのは自分ひとりなのに、視線のどこかに誰かの目があるように感じてしまう。
下半身がじんじんと熱を帯び、指先が震える。
ページを閉じようとしても、手が止まらない。
まるで、このまま最後まで読み終えてしまえば、自分は元に戻れないと知っているのに。
ラストの章に入ったところで、ようやく本を閉じた。
硬い音が、静まり返った部屋にぽつんと響く。
呼吸はまだ整っていない。
皮膚が、どこもかしこも敏感になっている気がした。
(……なんだよ、これ……)
脈打つ身体と、乾いた唇。
自分が、まるで熱に浮かされたように澪を求めていたことを、否応なく思い知らされる。
ベッドの隣に置かれた本。その表紙に、澪の指の痕跡があるように思えた。
手を伸ばしかけて、やめる。触れたら、もう引き返せない気がして。
ただ、手のひらに――あの時、ふれたやわらかい温度だけが、なおも残っていた。
湿った髪。指の裏。喉の奥に残る、甘く腐ったような香り。
熱くて冷たくて、触れてもいないのに、体の奥が疼くような感覚。
声は低く、くぐもって、まるで耳の裏に直接流れ込んでくるようだった。
『……ここ、感じるんですか?』
触れられていないのに、触れられた気がした。
脚の間が、じわりと反応する。
ぞくり、と背筋が震え、喉の奥がひくついた。
目が覚めたとき、全身がじっとりと汗ばんでいた。
ジャージの内側が妙に湿っていて、心臓の鼓動がうるさいほど響いている。
(……っ、夢……?)
だが誰が出てきたのか、明確に思い出せなかった。
髪の匂い。声の湿度。指先の冷たさ。
すべてが混濁しているのに、ただ一つ――あの甘い匂いだけは、はっきりと鼻腔に残っていた。
* * *
優里の声が遠く聞こえる。
「……ねえ、聞いてる? 晶くん?」
「あ、ああ。ごめん、ちょっと寝不足で」
朝の教室。彼女の声はいつも通り明るい。
笑顔も、手の温度も、何一つ変わっていないのに――どうしてだろう。
その声が、乾いて聞こえる。
優里が手を重ねてくる。温もりが確かにあるはずなのに、指先が拒んでいる気がした。
(ちがう……この手じゃ、ない)
何を考えているんだ、と自分を叱りながらも、頭の片隅では昨日の記憶が蘇る。
無言で差し出された本。
喉の奥にこびりつく声。
指先が、じわじわと疼いていた。
* * *
放課後。
足が、勝手に向かっていた。
図書室。あの匂いの残る場所。
静寂が支配するその空間の、どこかで彼女が呼んでいる気がしていた。
重い扉を押し開ける。
空気が、ぬるく甘い。
書架の奥に、見つける。
彼女は今日も同じ席に座り、指先でゆっくりとページをめくっていた。
長い黒髪がカーテンのように揺れ、襟元の肌が、うっすらと光に透けている。
喉が、ひりつくように乾いた。
それでも、足は止まらなかった。
「……昨日の、本……少し、気になって」
声をかけた自分の声が、どこか他人のもののように聞こえた。
澪が、ゆっくりと顔を上げた。
瞳が、深く、静かに晶を見つめる。
そのまま、彼女は何も言わずにカバンに手を伸ばし、一冊の本を取り出した。
表紙にはカバーがかけられている。だが、その厚みと装丁からして、昨日と同じ種類の本だと直感する。
「……こういうの、嫌いじゃないですか?」
低く、湿った声。
耳ではなく、喉の奥に響く。
晶は、ゆっくりと首を振った。
「……興味は、ある」
その瞬間、澪の唇が、ほんのわずかに弧を描いた。
それは笑ったというにはあまりに儚く、だが応えたと感じるには充分だった。
「じゃあ、感想……また、聞かせてください」
差し出された本。
それを受け取ろうと手を伸ばした、その瞬間――
指先と指先が、ふれる。
電気のようなものが走った。
火傷するような熱ではなく、ぬるく、じっとりと肌に染み込む感触。
晶の指先は、思わずそのまま澪の手を握ってしまいそうになる。
だが彼女は、それより一瞬早く、手を離した。
残されたのは、本と、触れた場所に残る匂いと熱だけ。
* * *
その夜、晶は部屋の電気を落とし、間接照明の明かりだけを頼りに例の本を開いた。
カバー越しに微かに香るのは、インクの匂いと、指先に残っていた澪の気配だった。
ページをめくると、紙の間から湿った吐息が立ち上るような錯覚がした。
――夜の静寂に響く、ひとつの声。
柔らかく囁くような口調で、彼の耳元にそっと語りかける女の描写。
決して荒々しくはない。ただ、肌と肌の境界線を、舌でなぞるような筆致だった。
指が止まらなかった。
ページを繰るたびに、視線と一緒に喉が乾いていく。
(……えっ、こんなに……)
文字だけだ。なのに、頭がぼうっと熱を帯びていく。
心臓が、段階的に、少しずつ速くなっていく。
そして――とある描写に差しかかった瞬間、身体が明確に反応した。
――少女は、彼に触れることなく、ただ声と息だけで、彼を昂ぶらせていく。
服の上からでも分かる勃起の感覚に、晶は驚くよりも先に、羞恥すら忘れていた。
それはまるで、自分の奥深くに他人の指が差し込まれていくような錯覚。
澪の指。澪の声。澪の匂い――いや、あの本の中の女に重ねているつもりで、結局は澪を思っている自分に気づく。
「……っ」
喉の奥で、名もない声が洩れた。
それがまるで、彼女に聞かれているかのように錯覚して、背筋がぞくりと震えた。
脚を閉じた。だが、勃ち上がるものが皮膚越しに主張してくる。
ページの中では、女が男に「どうして触れないの?」と問いかけている。
晶はその文字を目で追いながら、逆に、澪の言葉を想像していた。
――「ふれてないのに、感じてるんですか?」
澪が、あの声で、あの口調で、耳元に囁く。
ベッドの上にいるのは自分ひとりなのに、視線のどこかに誰かの目があるように感じてしまう。
下半身がじんじんと熱を帯び、指先が震える。
ページを閉じようとしても、手が止まらない。
まるで、このまま最後まで読み終えてしまえば、自分は元に戻れないと知っているのに。
ラストの章に入ったところで、ようやく本を閉じた。
硬い音が、静まり返った部屋にぽつんと響く。
呼吸はまだ整っていない。
皮膚が、どこもかしこも敏感になっている気がした。
(……なんだよ、これ……)
脈打つ身体と、乾いた唇。
自分が、まるで熱に浮かされたように澪を求めていたことを、否応なく思い知らされる。
ベッドの隣に置かれた本。その表紙に、澪の指の痕跡があるように思えた。
手を伸ばしかけて、やめる。触れたら、もう引き返せない気がして。
ただ、手のひらに――あの時、ふれたやわらかい温度だけが、なおも残っていた。
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