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ようこそケツバット村へ
【黒鉄孝之、浅尾真綾(1)】
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都心から北へ、国道とトンネルをいくつか抜けて、山沿いに車をもう随分と走らせている。
途中にあったサービスエリアでのランチや、ここまでの走行中も、黒鉄孝之は真綾とあまり会話がはずまなかった。
曲がりくねる山道に気をつけながら、孝之は横目で助手席を見る。リクライニングを深く倒した真綾が、横向きにしたスマートフォンの画面を指先で連打して夢中になって遊んでいた。
(行き先がケツバット村じゃ、やっぱダメだったかな……)
青藍色のショートデニムパンツから伸びた白い両足が、先ほどからずっと忙しなくばたついている。それは、恋人の不機嫌のあらわれなのだろうか。
視線をフロントガラスへ戻し、慣れない本革のステアリングを握り直して、さらに森を抜ける。
孝之はペーパードライバーなので、この車はもちろんレンタカーである。車種は見た目重視で流行のものを選んだ。記念すべき初旅行というだけでなく、年下の恋人への多少の見栄を意識したからでもあった。
とはいうものの、孝之の服装はいつもどおりのTシャツとジーンズのパンツ姿なので、多少の違和感を真綾は感じていたのだが、口にはしなかった。
「真綾さーん、楽しんでるかーい?」
なんとか場を和ませようと思い、少しおどけながら訊いてみる。
「んー? うん。楽しいよぉー」
年上の恋人の顔を見ることもなく、真綾はスマートフォンの画面を先ほどよりも素早く弾きながら、平淡な調子でそう答えた。
質問内容が悪かった。
これでは、ゲームが面白いのかを訊いているみたいだ。自分の語彙力の無さに、孝之は深い溜め息をついた。
真綾は2歳年下の大学生で、ふたりが出会ったきっかけは、孝之のバイト先での事故だった。
*
高校卒業後からフリーターを続けている孝之は当時、夜勤も含めた仕事をいくつか掛け持ちしていた。そのうちのひとつがビルの窓ガラス清掃で、事故はその作業中に起きた。
事故当日は快晴で風もなく、まさに穏やかな陽気だった。
窓清掃は屋外の高所作業もあるため、天候次第では休みになり、その日の稼ぎが無しというのも珍しくはない。前日は夜遅くまで雨が降っていたので、場合によって作業中止も考えられた。仕事が休みになるのはうれしいが、給料が少ないのではバイトを掛け持ちしている意味がない。
晴れやかな青空とは裏腹に、複雑な心境のまま屋内から身を乗り出して窓ガラスを拭いていたその時、孝之は運悪く足を滑らせて落っこちた。
ビルの2階……約6メートル下へと足から落ちて苦痛に身悶えしている孝之に、一部始終を目撃していた若い女性が誰よりも早く駆け寄る。
「大丈夫ですよ! 死なない怪我ですから、大丈夫ですよ!」
そう言って孝之を励ましながら、救急車へ通報してくれたのが真綾だった。彼女は通報後も孝之が搬送されるまで、その場に残ってくれて見守り続けてくれたのだ。
*
「死なない怪我って、なんだよ」
ふと、孝之がつぶやいた言葉に、助手席で熱心にゲームをしていた真綾が反応して「えっ?」と声を上げた。
「もうそろそろ、村が見えてきてもいいんだけどな」
ふたたび盗み見た太股には、次々と木々の影絵が浮かんでは消えてゆく。
「孝之のエッチー。ねえ、うしろの車もケツバット村かな?」
真綾に言われてサイドミラーを見れば、黒いランドクルーザーが車間距離を一定に保ちながらついてきていた。
「ああ……うん。きっと、ほかの観光客だろ。こんな山奥にランクルって、違和感ハンパないよ」
間もなくして、ケツバット村を示す錆びついた看板が道路脇に見えた。孝之は速度を少し上げて村へと急ぐ。気のせいか、黒いランドクルーザーも同じように速度を上げたような気がした。
途中にあったサービスエリアでのランチや、ここまでの走行中も、黒鉄孝之は真綾とあまり会話がはずまなかった。
曲がりくねる山道に気をつけながら、孝之は横目で助手席を見る。リクライニングを深く倒した真綾が、横向きにしたスマートフォンの画面を指先で連打して夢中になって遊んでいた。
(行き先がケツバット村じゃ、やっぱダメだったかな……)
青藍色のショートデニムパンツから伸びた白い両足が、先ほどからずっと忙しなくばたついている。それは、恋人の不機嫌のあらわれなのだろうか。
視線をフロントガラスへ戻し、慣れない本革のステアリングを握り直して、さらに森を抜ける。
孝之はペーパードライバーなので、この車はもちろんレンタカーである。車種は見た目重視で流行のものを選んだ。記念すべき初旅行というだけでなく、年下の恋人への多少の見栄を意識したからでもあった。
とはいうものの、孝之の服装はいつもどおりのTシャツとジーンズのパンツ姿なので、多少の違和感を真綾は感じていたのだが、口にはしなかった。
「真綾さーん、楽しんでるかーい?」
なんとか場を和ませようと思い、少しおどけながら訊いてみる。
「んー? うん。楽しいよぉー」
年上の恋人の顔を見ることもなく、真綾はスマートフォンの画面を先ほどよりも素早く弾きながら、平淡な調子でそう答えた。
質問内容が悪かった。
これでは、ゲームが面白いのかを訊いているみたいだ。自分の語彙力の無さに、孝之は深い溜め息をついた。
真綾は2歳年下の大学生で、ふたりが出会ったきっかけは、孝之のバイト先での事故だった。
*
高校卒業後からフリーターを続けている孝之は当時、夜勤も含めた仕事をいくつか掛け持ちしていた。そのうちのひとつがビルの窓ガラス清掃で、事故はその作業中に起きた。
事故当日は快晴で風もなく、まさに穏やかな陽気だった。
窓清掃は屋外の高所作業もあるため、天候次第では休みになり、その日の稼ぎが無しというのも珍しくはない。前日は夜遅くまで雨が降っていたので、場合によって作業中止も考えられた。仕事が休みになるのはうれしいが、給料が少ないのではバイトを掛け持ちしている意味がない。
晴れやかな青空とは裏腹に、複雑な心境のまま屋内から身を乗り出して窓ガラスを拭いていたその時、孝之は運悪く足を滑らせて落っこちた。
ビルの2階……約6メートル下へと足から落ちて苦痛に身悶えしている孝之に、一部始終を目撃していた若い女性が誰よりも早く駆け寄る。
「大丈夫ですよ! 死なない怪我ですから、大丈夫ですよ!」
そう言って孝之を励ましながら、救急車へ通報してくれたのが真綾だった。彼女は通報後も孝之が搬送されるまで、その場に残ってくれて見守り続けてくれたのだ。
*
「死なない怪我って、なんだよ」
ふと、孝之がつぶやいた言葉に、助手席で熱心にゲームをしていた真綾が反応して「えっ?」と声を上げた。
「もうそろそろ、村が見えてきてもいいんだけどな」
ふたたび盗み見た太股には、次々と木々の影絵が浮かんでは消えてゆく。
「孝之のエッチー。ねえ、うしろの車もケツバット村かな?」
真綾に言われてサイドミラーを見れば、黒いランドクルーザーが車間距離を一定に保ちながらついてきていた。
「ああ……うん。きっと、ほかの観光客だろ。こんな山奥にランクルって、違和感ハンパないよ」
間もなくして、ケツバット村を示す錆びついた看板が道路脇に見えた。孝之は速度を少し上げて村へと急ぐ。気のせいか、黒いランドクルーザーも同じように速度を上げたような気がした。
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