犀川のクジラ

みん

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2章 夏

26話

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 羽衣ちゃんが行きそうな場所が分からなかったので、ひとまず歩道から河川敷を見下ろして人ごみの中を探す。道路では警備員がピーッと笛を吹き、車を駐車場へと誘導している。市内では規模の大きい花火大会なので、街の外からも花火を見にたくさんの人がやってくるのだ。

「羽衣ちゃん、どこに行っちゃったんだろうな・・・」
 僕はイギリスで出版された有名な絵本にでてくる縞々柄の男をさがす要領で、ピンクの浴衣を着た羽衣ちゃんをさがすが、なかなか見つからない。
「ねえ、なにか面白い話をしてよ」と心美は羽衣ちゃんの姿を探しながら言った。
ときどき、彼女は困ったことを言い出す時がある。根っからのお嬢様気質なのかもしれない。

「なんだよ急に。今は羽衣ちゃんを探さなきゃ、だろ。」
「探しながら話せばいいじゃん。夏祭りなんだし、楽しい気分にさせてよ」
心美は口をとがらせて言った。話といっても、僕が話すことのできる話なんて、失敗談ばかりだけどなあ。
「じゃあ・・・別に面白い話でもないんだけど。小学生の頃に、この花火大会で迷子になったことがあるんだ」
「へえ」
 心美は自分から聞いたにもかかわらず興味がなさそうに、小さく呟く。両手にぐるりと輪っかをつくり、双眼鏡のようにして羽衣ちゃんを探している。
「迷子になっていた女の子がいて、ひどく心細そうだったから、一緒にその子の両親をさがして、結局二人で迷子になっちゃったんだ」
「ダメじゃん」
「まあまあ」
「何がまあまあなのよ」心美は手すりにもたれかかるようにして羽衣ちゃんを探す。下から風が吹きあがってきてワンピースが捲りあがりそうになると、心美は双眼鏡を崩して片手でワンピースを押さえる。無防備な彼女の服装は、目のやり場に困った。
「僕のせいだけじゃないよ。なんだか二人とも慌ててしまって、走って探していたら、その子が転んじゃって足を怪我したんだよね。下駄の鼻緒も切れちゃうし」
「それで?」
「それで、仕方がないからその子をおぶって人が少ないところに行って、休んでいたら僕の父さんが見つけてくれたんだ」
いや、僕が走って探しに行ったんだったかな。その辺りの記憶はすごく曖昧だ。
「ふーん。その子、可愛かった?」
「あまりよく覚えていないんだ。その子がピンク色の浴衣を着ていたことは、覚えているけれど」羽衣ちゃんの浴衣を探していて思い出したんだ、と僕はつづける。
「もったいない。その子は恭二郎を好きになったかもしれないのに」
「好きに?なんで?」
「なんでもよ」
 ふむ。
 これだから恭二郎はモテないのよ、と心美はこれ見よがしにため息をつく。
 僕が少年時代の思い出話を語ると、しばらくお互い無言になった。羽衣ちゃんはどこに行ってしまったのか、見つかる気配がない。

「だけど恭二郎、由紀さんの浴衣姿に鼻の下をのばしてたね」
 心美は羽衣ちゃんをさがしながら、ポツリとつぶやく。横目で彼女をみると、形の良い唇を曲げて、薄く笑っている。
「なんだよ急に。そんなことないよ」
「ううん、のばしてた」
 そんなに顔に出ていたのか、と僕は顔が熱くなる。おもわず心美のほうを見ると、彼女も僕を見ていた。大きな瞳はビー玉みたいに透き通っていて、いつもこの瞳に、なにもかも見透かされているような気持ちになる。鼻筋はスッと透き通っていて、白い肌にはしみひとつない。心美の性格のせいで忘れていたが、彼女はおどろくほどに美しい顔をしているのだ。

「恭二郎は、由紀さんのことが好きなの?」

 心美はまっすぐに僕を見る。僕の本心をさぐる時の目だ。普通こんなにまっすぐ質問をするやつがいるだろうか。
そうやって、僕のことをからかうつもりなのだろう。

「心美には関係ないよ」

 目を合わせていると心の中を読まれそうで、心美から目を逸らす。人ごみが目に飛び込んでくるが、ピンクの浴衣を着た小学生などたくさんいて、羽衣ちゃんの姿を見つけることはできない。
 僕は心の中の動揺が悟られないように、必死に羽衣ちゃんの姿を探した。
「もしもね」と心美は言う。
「もしもわたしが浴衣を着てここにいたら、恭二郎はわたしのこと、綺麗だって言ってくれるかな?」

 飾り気のない恰好をした目の前の女の子は、僕にそんなことを言う。

 いつもなら、どうだろう、と軽く流してしまうところなのに、今日はそのまま彼女の言葉が僕の中に流れてくる。彼女の気持ちが河川敷をいろどる提灯の灯りと一緒に、ぼんやりと浮かんでいるみたいだ。
 なにか、言わなくちゃいけない。
 だけど、なにを?
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