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2章 夏
27話
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「もしかして、心美さんじゃない?」
混乱したまま僕が口を開こうとすると、艶やかな女性の声が聞こえた。心美の目は僕の後ろに視線をうつし、声をかけてきた人物に焦点をあてた。
同時に、彼女の目の光が急に濁ったように感じた。
「おばさん・・・お久しぶりです」
おばさん。
春先に川沿いで心美が話をしていた人のことだろうか、心美の母親の妹だと言っていた。心美の叔母の後ろには、グレーの眼鏡をかけた背の高い男が叔母に連れ添うようにしている。
「あらぁ、一瞬誰だか分からなかったわ。あの陰気くさいメガネはやめたの?あなたによく似合っていたのに」
「どうしてここに?」
「ちょうど旦那の休みが週末に重なって、姉さんが好きだった犀川の花火大会でも見に行こうかって話になったのよ。姉さんの墓参りもかねてね」
ねぇ、と心美の叔母は後ろの男に声をかける。
彼女は黒地にいくつもの菊の花が描かれている浴衣を着ていて、どっしりとした存在感がある。顎と鼻が尖っていて、大きな二つの目玉がせわしなく動く。青白く作り物めいた顔は何を考えているのか分からない不気味さがあった。
「そうですか、母も喜ぶと思います」
「美術館に展示してあるあなたの絵、お昼に見に行ったのよぉ。相変わらず絵だけは上手なんだから。だけど、姉さんの絵とはまた違う感じなのねぇ」
語尾を伸ばし、ねっとりとした話し方をするのが彼女の特徴なのだろうか。ひとつひとつの言葉に含みがあるようで、僕はこの人が苦手かもしれないな、と思う。
「母の絵に届くには、本当にまだまだですから」
「姉さんの絵?あんなのたいしたことないわよぉ。ちょっとフランスで賞をもらったからって騒がれて、人気が出ただけでしょ。姉さんの絵が高額で売れるのはたしかだけれどねぇ」
「・・・そうですね。登は元気ですか?」
「元気よぉ。あなたの影響かしら、あの子も最近隠れて絵を描くようになったのよ。今はまだ高校受験までもう少し時間があるから好きにさせているけれど、どこかでやめさせないとねぇ」
「登には、才能があるかもしれない」
「才能があったって絵で食べていける人がこの世の中に何人いると思うの?そんな不確実な将来のためにわたしはあの子を育てているんじゃないわ」
かわいそうに・・・と心美は目の前にいる叔母に聞こえないくらい小さな声で呟いた。
「そちらの方は?彼氏?」
彼女たちの乾いた会話は、僕へと矛先が向けられる。
「はじめまして。友人の六藤といいます」
笑顔で答える。
あまり距離を詰めてこられないように、精いっぱいの作り笑顔で。
「なんだ友達ねぇ、残念だわ。根暗な心美さんにもようやく素敵な人があらわれたかと思っていたのに」
「根暗、ですか?心美が?」
「そうよぉ。陰気くさいメガネをかけて、家にこもって絵ばかり描いて、友達なんてほとんどいなかったんじゃない?」
おどろいた。
僕が見てきた心美はいつも生命力にあふれて輝いていて、ぐいぐいと周りを引きつける魅力があった。
そのとき、横にいる心美の左手が僕の右手に触れる。
彼女の左手が冷たい。
―高校三年間、ほんとに酷い生活だった
居酒屋でのケンカがあった夜、心美はそう言っていた。
心美は、感情をあえて押し殺しているのだ。
怒りを抑えて、目の前の叔母との会話に耐えているのだ。
その理由は僕にはわからないけれど、僕は僕にできることをしようと思った。
「まあ姉さんも似たようなところがあったから、あの親にしてこの子ありってところなのかしら。あの人も昔っから絵ばかり上手くて、父さんも母さんも甘やかしてばかり。わたしがどれだけ―」
「すみません」
僕がそう言うと、心美の叔母は話すのをやめ、僕をじっと見る。
ギョロリとした大きな目は、私の話をさえぎるんじゃない、と言っている。
「いま人を探しているので、ここで失礼します」
その目から逃げるようにではあったが、僕は心美の左手をとると、河川敷へと降りる階段へ走った。階段を下りて、人でいっぱいになった河川敷を掻き分け、人ごみを抜けていった。
混乱したまま僕が口を開こうとすると、艶やかな女性の声が聞こえた。心美の目は僕の後ろに視線をうつし、声をかけてきた人物に焦点をあてた。
同時に、彼女の目の光が急に濁ったように感じた。
「おばさん・・・お久しぶりです」
おばさん。
春先に川沿いで心美が話をしていた人のことだろうか、心美の母親の妹だと言っていた。心美の叔母の後ろには、グレーの眼鏡をかけた背の高い男が叔母に連れ添うようにしている。
「あらぁ、一瞬誰だか分からなかったわ。あの陰気くさいメガネはやめたの?あなたによく似合っていたのに」
「どうしてここに?」
「ちょうど旦那の休みが週末に重なって、姉さんが好きだった犀川の花火大会でも見に行こうかって話になったのよ。姉さんの墓参りもかねてね」
ねぇ、と心美の叔母は後ろの男に声をかける。
彼女は黒地にいくつもの菊の花が描かれている浴衣を着ていて、どっしりとした存在感がある。顎と鼻が尖っていて、大きな二つの目玉がせわしなく動く。青白く作り物めいた顔は何を考えているのか分からない不気味さがあった。
「そうですか、母も喜ぶと思います」
「美術館に展示してあるあなたの絵、お昼に見に行ったのよぉ。相変わらず絵だけは上手なんだから。だけど、姉さんの絵とはまた違う感じなのねぇ」
語尾を伸ばし、ねっとりとした話し方をするのが彼女の特徴なのだろうか。ひとつひとつの言葉に含みがあるようで、僕はこの人が苦手かもしれないな、と思う。
「母の絵に届くには、本当にまだまだですから」
「姉さんの絵?あんなのたいしたことないわよぉ。ちょっとフランスで賞をもらったからって騒がれて、人気が出ただけでしょ。姉さんの絵が高額で売れるのはたしかだけれどねぇ」
「・・・そうですね。登は元気ですか?」
「元気よぉ。あなたの影響かしら、あの子も最近隠れて絵を描くようになったのよ。今はまだ高校受験までもう少し時間があるから好きにさせているけれど、どこかでやめさせないとねぇ」
「登には、才能があるかもしれない」
「才能があったって絵で食べていける人がこの世の中に何人いると思うの?そんな不確実な将来のためにわたしはあの子を育てているんじゃないわ」
かわいそうに・・・と心美は目の前にいる叔母に聞こえないくらい小さな声で呟いた。
「そちらの方は?彼氏?」
彼女たちの乾いた会話は、僕へと矛先が向けられる。
「はじめまして。友人の六藤といいます」
笑顔で答える。
あまり距離を詰めてこられないように、精いっぱいの作り笑顔で。
「なんだ友達ねぇ、残念だわ。根暗な心美さんにもようやく素敵な人があらわれたかと思っていたのに」
「根暗、ですか?心美が?」
「そうよぉ。陰気くさいメガネをかけて、家にこもって絵ばかり描いて、友達なんてほとんどいなかったんじゃない?」
おどろいた。
僕が見てきた心美はいつも生命力にあふれて輝いていて、ぐいぐいと周りを引きつける魅力があった。
そのとき、横にいる心美の左手が僕の右手に触れる。
彼女の左手が冷たい。
―高校三年間、ほんとに酷い生活だった
居酒屋でのケンカがあった夜、心美はそう言っていた。
心美は、感情をあえて押し殺しているのだ。
怒りを抑えて、目の前の叔母との会話に耐えているのだ。
その理由は僕にはわからないけれど、僕は僕にできることをしようと思った。
「まあ姉さんも似たようなところがあったから、あの親にしてこの子ありってところなのかしら。あの人も昔っから絵ばかり上手くて、父さんも母さんも甘やかしてばかり。わたしがどれだけ―」
「すみません」
僕がそう言うと、心美の叔母は話すのをやめ、僕をじっと見る。
ギョロリとした大きな目は、私の話をさえぎるんじゃない、と言っている。
「いま人を探しているので、ここで失礼します」
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