28 / 56
2章 夏
27話
しおりを挟む
「もしかして、心美さんじゃない?」
混乱したまま僕が口を開こうとすると、艶やかな女性の声が聞こえた。心美の目は僕の後ろに視線をうつし、声をかけてきた人物に焦点をあてた。
同時に、彼女の目の光が急に濁ったように感じた。
「おばさん・・・お久しぶりです」
おばさん。
春先に川沿いで心美が話をしていた人のことだろうか、心美の母親の妹だと言っていた。心美の叔母の後ろには、グレーの眼鏡をかけた背の高い男が叔母に連れ添うようにしている。
「あらぁ、一瞬誰だか分からなかったわ。あの陰気くさいメガネはやめたの?あなたによく似合っていたのに」
「どうしてここに?」
「ちょうど旦那の休みが週末に重なって、姉さんが好きだった犀川の花火大会でも見に行こうかって話になったのよ。姉さんの墓参りもかねてね」
ねぇ、と心美の叔母は後ろの男に声をかける。
彼女は黒地にいくつもの菊の花が描かれている浴衣を着ていて、どっしりとした存在感がある。顎と鼻が尖っていて、大きな二つの目玉がせわしなく動く。青白く作り物めいた顔は何を考えているのか分からない不気味さがあった。
「そうですか、母も喜ぶと思います」
「美術館に展示してあるあなたの絵、お昼に見に行ったのよぉ。相変わらず絵だけは上手なんだから。だけど、姉さんの絵とはまた違う感じなのねぇ」
語尾を伸ばし、ねっとりとした話し方をするのが彼女の特徴なのだろうか。ひとつひとつの言葉に含みがあるようで、僕はこの人が苦手かもしれないな、と思う。
「母の絵に届くには、本当にまだまだですから」
「姉さんの絵?あんなのたいしたことないわよぉ。ちょっとフランスで賞をもらったからって騒がれて、人気が出ただけでしょ。姉さんの絵が高額で売れるのはたしかだけれどねぇ」
「・・・そうですね。登は元気ですか?」
「元気よぉ。あなたの影響かしら、あの子も最近隠れて絵を描くようになったのよ。今はまだ高校受験までもう少し時間があるから好きにさせているけれど、どこかでやめさせないとねぇ」
「登には、才能があるかもしれない」
「才能があったって絵で食べていける人がこの世の中に何人いると思うの?そんな不確実な将来のためにわたしはあの子を育てているんじゃないわ」
かわいそうに・・・と心美は目の前にいる叔母に聞こえないくらい小さな声で呟いた。
「そちらの方は?彼氏?」
彼女たちの乾いた会話は、僕へと矛先が向けられる。
「はじめまして。友人の六藤といいます」
笑顔で答える。
あまり距離を詰めてこられないように、精いっぱいの作り笑顔で。
「なんだ友達ねぇ、残念だわ。根暗な心美さんにもようやく素敵な人があらわれたかと思っていたのに」
「根暗、ですか?心美が?」
「そうよぉ。陰気くさいメガネをかけて、家にこもって絵ばかり描いて、友達なんてほとんどいなかったんじゃない?」
おどろいた。
僕が見てきた心美はいつも生命力にあふれて輝いていて、ぐいぐいと周りを引きつける魅力があった。
そのとき、横にいる心美の左手が僕の右手に触れる。
彼女の左手が冷たい。
―高校三年間、ほんとに酷い生活だった
居酒屋でのケンカがあった夜、心美はそう言っていた。
心美は、感情をあえて押し殺しているのだ。
怒りを抑えて、目の前の叔母との会話に耐えているのだ。
その理由は僕にはわからないけれど、僕は僕にできることをしようと思った。
「まあ姉さんも似たようなところがあったから、あの親にしてこの子ありってところなのかしら。あの人も昔っから絵ばかり上手くて、父さんも母さんも甘やかしてばかり。わたしがどれだけ―」
「すみません」
僕がそう言うと、心美の叔母は話すのをやめ、僕をじっと見る。
ギョロリとした大きな目は、私の話をさえぎるんじゃない、と言っている。
「いま人を探しているので、ここで失礼します」
その目から逃げるようにではあったが、僕は心美の左手をとると、河川敷へと降りる階段へ走った。階段を下りて、人でいっぱいになった河川敷を掻き分け、人ごみを抜けていった。
混乱したまま僕が口を開こうとすると、艶やかな女性の声が聞こえた。心美の目は僕の後ろに視線をうつし、声をかけてきた人物に焦点をあてた。
同時に、彼女の目の光が急に濁ったように感じた。
「おばさん・・・お久しぶりです」
おばさん。
春先に川沿いで心美が話をしていた人のことだろうか、心美の母親の妹だと言っていた。心美の叔母の後ろには、グレーの眼鏡をかけた背の高い男が叔母に連れ添うようにしている。
「あらぁ、一瞬誰だか分からなかったわ。あの陰気くさいメガネはやめたの?あなたによく似合っていたのに」
「どうしてここに?」
「ちょうど旦那の休みが週末に重なって、姉さんが好きだった犀川の花火大会でも見に行こうかって話になったのよ。姉さんの墓参りもかねてね」
ねぇ、と心美の叔母は後ろの男に声をかける。
彼女は黒地にいくつもの菊の花が描かれている浴衣を着ていて、どっしりとした存在感がある。顎と鼻が尖っていて、大きな二つの目玉がせわしなく動く。青白く作り物めいた顔は何を考えているのか分からない不気味さがあった。
「そうですか、母も喜ぶと思います」
「美術館に展示してあるあなたの絵、お昼に見に行ったのよぉ。相変わらず絵だけは上手なんだから。だけど、姉さんの絵とはまた違う感じなのねぇ」
語尾を伸ばし、ねっとりとした話し方をするのが彼女の特徴なのだろうか。ひとつひとつの言葉に含みがあるようで、僕はこの人が苦手かもしれないな、と思う。
「母の絵に届くには、本当にまだまだですから」
「姉さんの絵?あんなのたいしたことないわよぉ。ちょっとフランスで賞をもらったからって騒がれて、人気が出ただけでしょ。姉さんの絵が高額で売れるのはたしかだけれどねぇ」
「・・・そうですね。登は元気ですか?」
「元気よぉ。あなたの影響かしら、あの子も最近隠れて絵を描くようになったのよ。今はまだ高校受験までもう少し時間があるから好きにさせているけれど、どこかでやめさせないとねぇ」
「登には、才能があるかもしれない」
「才能があったって絵で食べていける人がこの世の中に何人いると思うの?そんな不確実な将来のためにわたしはあの子を育てているんじゃないわ」
かわいそうに・・・と心美は目の前にいる叔母に聞こえないくらい小さな声で呟いた。
「そちらの方は?彼氏?」
彼女たちの乾いた会話は、僕へと矛先が向けられる。
「はじめまして。友人の六藤といいます」
笑顔で答える。
あまり距離を詰めてこられないように、精いっぱいの作り笑顔で。
「なんだ友達ねぇ、残念だわ。根暗な心美さんにもようやく素敵な人があらわれたかと思っていたのに」
「根暗、ですか?心美が?」
「そうよぉ。陰気くさいメガネをかけて、家にこもって絵ばかり描いて、友達なんてほとんどいなかったんじゃない?」
おどろいた。
僕が見てきた心美はいつも生命力にあふれて輝いていて、ぐいぐいと周りを引きつける魅力があった。
そのとき、横にいる心美の左手が僕の右手に触れる。
彼女の左手が冷たい。
―高校三年間、ほんとに酷い生活だった
居酒屋でのケンカがあった夜、心美はそう言っていた。
心美は、感情をあえて押し殺しているのだ。
怒りを抑えて、目の前の叔母との会話に耐えているのだ。
その理由は僕にはわからないけれど、僕は僕にできることをしようと思った。
「まあ姉さんも似たようなところがあったから、あの親にしてこの子ありってところなのかしら。あの人も昔っから絵ばかり上手くて、父さんも母さんも甘やかしてばかり。わたしがどれだけ―」
「すみません」
僕がそう言うと、心美の叔母は話すのをやめ、僕をじっと見る。
ギョロリとした大きな目は、私の話をさえぎるんじゃない、と言っている。
「いま人を探しているので、ここで失礼します」
その目から逃げるようにではあったが、僕は心美の左手をとると、河川敷へと降りる階段へ走った。階段を下りて、人でいっぱいになった河川敷を掻き分け、人ごみを抜けていった。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
還暦の性 若い彼との恋愛模様
MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。
そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。
その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。
全7話
秘書と社長の秘密
廣瀬純七
大衆娯楽
社内の調査のため、社長・高橋健一はこっそり秘書・木村由紀と不思議なアプリで入れ替わることに。
突然“社長役”を任された由紀と、自由に動ける立場を手に入れた高橋。
ふたりの秘密の入れ替わり作戦は、どの様な結末になるのか?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる