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2章 夏
28話
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僕らは最初に出会った橋の下までやってきていた。屋台の灯りからは少し距離があり、この辺りは人もまばらである。
「ごめん」
僕は心美の左手を握り続けていたことに気づき、パッと手を離す。
「なんで謝るの?」
僕は心美の叔母との会話を邪魔したことや、勝手に手を握っていたことなどをボソボソと説明した。
今さらになって、僕の行動が正しかったのか不安になる。
「ううん。また助けられちゃったよ」
心美は僕の言葉を聞くと、優しく笑った。
「あの人、お母さんのことが嫌いで、わたしのことも嫌いなの。新潟にいたときもわたしのやることなすこと気に食わないらしくて、一日中皮肉を言われてた。だけどお母さんが死んでからわたし、ずっと抜け殻みたいだったから、おばさんの言うことに歯向かいもせずになんでもハイハイって言うことを聞いてたわ」
心美は淡々と話した。
叔母に会ったことで、高校時代の生活を思い出したのだろう。
「学校が終わって家に帰ったら、食材の買い出しに掃除、洗濯、お風呂や夕食の準備までほとんどやってた。まるで家政婦みたい。友達とも遊ぶ暇がなかったし、どこかに出かけたりもできなかった」
「登って?」
「登はあの家の子供なの、今年中学三年生になる男の子。あの家で唯一わたしと普通に話をしてくれた子よ。登には絵の才能があるのに・・・おばさんが絵の道に進むことを許すはずはないと思う。夫が弁護士だから、将来はそういう法律の道に進ませるつもりなんじゃないかな」
「そっか・・・」
おばさんの後ろにいた人物は、彼女の夫だったのか。弁護士という職業が似合いそうな、インテリジェンスな雰囲気を携えていた。
「なんだか巻きこんじゃってごめんね」
「心美のせいじゃないだろ」
心美は僕を見て目を細めると、ほんと暗黒時代だったなあ、と言って川の方に顔を向ける。白く透き通った彼女の横顔を見ながら、高校の時の心美に会っていても彼女だと分からなかったかもしれない、と僕は思う。
メガネもかけていたみたいだし。
「あれ」
彼女が突然そう言って、耳の後ろに手を当てた。
「恭二郎、聞こえるよ」
「なにが?」
「クジラの唄」
春から心美と一緒に帰っているとき、時々心美が聞こえる、と言うときがあった。僕はそのたびに両手を耳の後ろに当てて耳を澄ませてみるが、なにかが聞こえたことはなかった。
だけど、心美が嘘をついているようには見えないし、父さんのノートにも書いてあったので、僕は今日も真剣に耳を澄ます。
目を閉じ、音を拾えないかと意識を集中させてみる。
屋台のほうから聞こえる喧騒、じーじーと五月蝿いセミの声、ザァーと流れる川の音。ひとつひとつを判断し、意識的に遮断していく。
だが、海の底からわきあがるような反響音は今日も聞こえない。
「恭二郎、あれ」
僕が川に意識を集中させていると、横で心美が言う。
僕は目を開け、心美の目線の先を追いかける。暗くてよく見えなかったが、目をこらすとピンク色の浴衣を着た女の子が石段の上に座っていた。
羽衣ちゃんだ。
「ごめん」
僕は心美の左手を握り続けていたことに気づき、パッと手を離す。
「なんで謝るの?」
僕は心美の叔母との会話を邪魔したことや、勝手に手を握っていたことなどをボソボソと説明した。
今さらになって、僕の行動が正しかったのか不安になる。
「ううん。また助けられちゃったよ」
心美は僕の言葉を聞くと、優しく笑った。
「あの人、お母さんのことが嫌いで、わたしのことも嫌いなの。新潟にいたときもわたしのやることなすこと気に食わないらしくて、一日中皮肉を言われてた。だけどお母さんが死んでからわたし、ずっと抜け殻みたいだったから、おばさんの言うことに歯向かいもせずになんでもハイハイって言うことを聞いてたわ」
心美は淡々と話した。
叔母に会ったことで、高校時代の生活を思い出したのだろう。
「学校が終わって家に帰ったら、食材の買い出しに掃除、洗濯、お風呂や夕食の準備までほとんどやってた。まるで家政婦みたい。友達とも遊ぶ暇がなかったし、どこかに出かけたりもできなかった」
「登って?」
「登はあの家の子供なの、今年中学三年生になる男の子。あの家で唯一わたしと普通に話をしてくれた子よ。登には絵の才能があるのに・・・おばさんが絵の道に進むことを許すはずはないと思う。夫が弁護士だから、将来はそういう法律の道に進ませるつもりなんじゃないかな」
「そっか・・・」
おばさんの後ろにいた人物は、彼女の夫だったのか。弁護士という職業が似合いそうな、インテリジェンスな雰囲気を携えていた。
「なんだか巻きこんじゃってごめんね」
「心美のせいじゃないだろ」
心美は僕を見て目を細めると、ほんと暗黒時代だったなあ、と言って川の方に顔を向ける。白く透き通った彼女の横顔を見ながら、高校の時の心美に会っていても彼女だと分からなかったかもしれない、と僕は思う。
メガネもかけていたみたいだし。
「あれ」
彼女が突然そう言って、耳の後ろに手を当てた。
「恭二郎、聞こえるよ」
「なにが?」
「クジラの唄」
春から心美と一緒に帰っているとき、時々心美が聞こえる、と言うときがあった。僕はそのたびに両手を耳の後ろに当てて耳を澄ませてみるが、なにかが聞こえたことはなかった。
だけど、心美が嘘をついているようには見えないし、父さんのノートにも書いてあったので、僕は今日も真剣に耳を澄ます。
目を閉じ、音を拾えないかと意識を集中させてみる。
屋台のほうから聞こえる喧騒、じーじーと五月蝿いセミの声、ザァーと流れる川の音。ひとつひとつを判断し、意識的に遮断していく。
だが、海の底からわきあがるような反響音は今日も聞こえない。
「恭二郎、あれ」
僕が川に意識を集中させていると、横で心美が言う。
僕は目を開け、心美の目線の先を追いかける。暗くてよく見えなかったが、目をこらすとピンク色の浴衣を着た女の子が石段の上に座っていた。
羽衣ちゃんだ。
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