犀川のクジラ

みん

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2章 夏

29話

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「すまなかったな」

 花火大会の翌日、僕は十文字書店でレジに立っていた。
 休日ということもあり、昼間は多くの客が押し寄せていたが、暗くなるとだんだんと空いてきて、店内は静かな空間に包まれていた。

 十文字は真っ白なタオルを手に持ち、丁寧にグランド・ファーザー・クロックを磨いている。

「何がですか?」

 分かってんだろ、というように十文字は笑う。
 花火大会が終わった後、書店へともどり、羽衣ちゃんは十文字と母親のことを話したようだ。きっと昨日は家族会議が開かれたのだろう。
 今日は疲れているのか、すでに羽衣ちゃんは部屋で寝てしまっているようだ。

「元はと言えば、おれがちゃんと話していなかったことが原因だからな」
「いえ、こういうのはタイミングがありますから。だから原因はそこじゃなくて、引き出しの開けっ放しにあると思います」
「ほんとだよ。事件は引き出しから起こるんだな」
「なに言っているんですか」
 僕の言葉に、十文字はバツの悪そうな顔を浮かべ、頭を掻いた。

「あいつはさ、たすきを繋いだんだよな」
 ゴシゴシと古時計を磨きながら、十文字は一人呟くようにして言った。僕に話しているのではなく、まるで自分に言い聞かせるようだった。
「わたしたちが生きていく理由のひとつって“繋ぐこと”にあるんだと思う。親から受け継いだものを、自分の中で守って、育てて、ずっと先の未来に繋いでいくこと。わたしがいなくなっても、わたしが繋いだものはこの世界に残る。そのことが、とっても嬉しい」

 きっと十文字の奥さんが言ったことなのだろう。奥さんのことを思い浮かべるようにして、十文字はゆっくりと話した。グランド・ファーザー・クロックの振り子が左右に揺れ、静かに時間を刻んでいる。

「羽衣が腹の中にできたって分かったとき、おれは最初反対したんだ。産めばあいつの弱い身体じゃやばくなるって医者に言われていたからな。だけどあいつは産むって言って聞かなかった。なんでだよ、お前産んだら死ぬかもしれねえんだぞって何度も、何度も説得したんだ。おれはあいつに生きていてほしかったから。だけど羽衣が生まれて、まだ小さな赤ん坊だった羽衣をこの腕で抱いたときにわかったんだ。この子は、あいつの繋いだ命だって。おれが守って、育てて、未来へ繋いでいかなきゃいけない子だって」

 こいつも親父のずっと前の世代から繋がれてきたものだからなあー、と十文字はグランド・ファーザー・クロックを眺める。十文字の曽祖父の代から受け継がれてきたという古時計は時間と共に、この場所で生きる人々の想いを刻んできたのだろう。

「まあ結局、俺もあいつも、ただ単に羽衣と会いたかっただけって話だけどな」
 “繋ぐこと”が、生きていく理由のひとつ。
 田畑や土地、家、モノ、そして生命。この世界を生きている人たちにはそれぞれ繋がれてきたものがある。十文字のように書店や古時計、羽衣ちゃんだということもあれば、心美のように絵を描く才能ということもある。
 大切なことは、その繋がれてきたものを次の世代、またその次の世代へと繋ぐ努力をすることだ。僕らが生まれてきたことに意味を加えるとするならば、この“繋がり”はひとつの大きな意味を持つのだ。

 僕に繋がれてきたものは?

 僕がこれからの未来に繋いでゆくものは?

「思えば羽衣には、あいつの母さんの話をあまり聞かせていなかったんだ。もしかしたら今までも、うすうす感じていたのかもしれないな」
「羽衣ちゃん、賢いですからね」
「さすがは俺の・・・いや、俺たちの子だな」
 十文字は優しげな表情を浮かべると、タオルを片付けはじめた。古時計を磨き終わったのだろう。その後十文字は、なにかを思い出したようにして店の裏口を出て、ドタドタと二階へ上がっていたかと思うと、また店内に戻ってきた。

「ほらよ、頼まれていたもんだ」
 十文字は僕に一枚の茶封筒を手渡した。
「ありがとうございます」
「たしかに渡したぞ。だけどな、あまり深く首を突っ込まない方がいいと思うぞ」
「え?」
「学生なんだ。本業をおろそかにするんじゃない」
 見るからに学生時代は学業をおろそかにしていた雰囲気のある十文字がそう言ったので、僕は驚いた。あまり腑に落ちなかったが、はい、と答える。
 十文字が二階へ上がり、レジ閉めが終わるころに心美がトートバッグを肩にかけて屋上から降りてきた。彼女はこんな風に狙ったように降りてくることもあれば、絵を描くのに疲れて雑誌を読み漁っていることもある。

「おーい、帰るぞー、恭二郎」
 今日は集中して絵を描いていたのか、頬に絵の具がついたままぼーっとした顔をしている。口調もおっさんのそれだ。

 僕は十文字から預かった茶封筒をリュックサックにいれて、入口にかかっている「一生懸命、営業中」の看板を「真心こめて、準備中」に裏返した。いつも思うが、ラーメン屋みたいな看板だ。入口の鍵を締め、店内の明かりを消し、裏口から店を出る。
 働いているときは基本的に室内なので、アルバイトが終わって外に出ると空が広く、開放された感じがある。僕はこの瞬間がけっこう好きだ。自転車の前にとりつけられた籠に心美のトートバッグを入れて、心美の家経由で回り道をして帰る。

 心美が暑いーといいながら白いワンピースをバサバサと上下に動かすので、はしたないからやめなさい、と注意した。
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