31 / 56
2章 夏
29話
しおりを挟む
「すまなかったな」
花火大会の翌日、僕は十文字書店でレジに立っていた。
休日ということもあり、昼間は多くの客が押し寄せていたが、暗くなるとだんだんと空いてきて、店内は静かな空間に包まれていた。
十文字は真っ白なタオルを手に持ち、丁寧にグランド・ファーザー・クロックを磨いている。
「何がですか?」
分かってんだろ、というように十文字は笑う。
花火大会が終わった後、書店へともどり、羽衣ちゃんは十文字と母親のことを話したようだ。きっと昨日は家族会議が開かれたのだろう。
今日は疲れているのか、すでに羽衣ちゃんは部屋で寝てしまっているようだ。
「元はと言えば、おれがちゃんと話していなかったことが原因だからな」
「いえ、こういうのはタイミングがありますから。だから原因はそこじゃなくて、引き出しの開けっ放しにあると思います」
「ほんとだよ。事件は引き出しから起こるんだな」
「なに言っているんですか」
僕の言葉に、十文字はバツの悪そうな顔を浮かべ、頭を掻いた。
「あいつはさ、たすきを繋いだんだよな」
ゴシゴシと古時計を磨きながら、十文字は一人呟くようにして言った。僕に話しているのではなく、まるで自分に言い聞かせるようだった。
「わたしたちが生きていく理由のひとつって“繋ぐこと”にあるんだと思う。親から受け継いだものを、自分の中で守って、育てて、ずっと先の未来に繋いでいくこと。わたしがいなくなっても、わたしが繋いだものはこの世界に残る。そのことが、とっても嬉しい」
きっと十文字の奥さんが言ったことなのだろう。奥さんのことを思い浮かべるようにして、十文字はゆっくりと話した。グランド・ファーザー・クロックの振り子が左右に揺れ、静かに時間を刻んでいる。
「羽衣が腹の中にできたって分かったとき、おれは最初反対したんだ。産めばあいつの弱い身体じゃやばくなるって医者に言われていたからな。だけどあいつは産むって言って聞かなかった。なんでだよ、お前産んだら死ぬかもしれねえんだぞって何度も、何度も説得したんだ。おれはあいつに生きていてほしかったから。だけど羽衣が生まれて、まだ小さな赤ん坊だった羽衣をこの腕で抱いたときにわかったんだ。この子は、あいつの繋いだ命だって。おれが守って、育てて、未来へ繋いでいかなきゃいけない子だって」
こいつも親父のずっと前の世代から繋がれてきたものだからなあー、と十文字はグランド・ファーザー・クロックを眺める。十文字の曽祖父の代から受け継がれてきたという古時計は時間と共に、この場所で生きる人々の想いを刻んできたのだろう。
「まあ結局、俺もあいつも、ただ単に羽衣と会いたかっただけって話だけどな」
“繋ぐこと”が、生きていく理由のひとつ。
田畑や土地、家、モノ、そして生命。この世界を生きている人たちにはそれぞれ繋がれてきたものがある。十文字のように書店や古時計、羽衣ちゃんだということもあれば、心美のように絵を描く才能ということもある。
大切なことは、その繋がれてきたものを次の世代、またその次の世代へと繋ぐ努力をすることだ。僕らが生まれてきたことに意味を加えるとするならば、この“繋がり”はひとつの大きな意味を持つのだ。
僕に繋がれてきたものは?
僕がこれからの未来に繋いでゆくものは?
「思えば羽衣には、あいつの母さんの話をあまり聞かせていなかったんだ。もしかしたら今までも、うすうす感じていたのかもしれないな」
「羽衣ちゃん、賢いですからね」
「さすがは俺の・・・いや、俺たちの子だな」
十文字は優しげな表情を浮かべると、タオルを片付けはじめた。古時計を磨き終わったのだろう。その後十文字は、なにかを思い出したようにして店の裏口を出て、ドタドタと二階へ上がっていたかと思うと、また店内に戻ってきた。
「ほらよ、頼まれていたもんだ」
十文字は僕に一枚の茶封筒を手渡した。
「ありがとうございます」
「たしかに渡したぞ。だけどな、あまり深く首を突っ込まない方がいいと思うぞ」
「え?」
「学生なんだ。本業をおろそかにするんじゃない」
見るからに学生時代は学業をおろそかにしていた雰囲気のある十文字がそう言ったので、僕は驚いた。あまり腑に落ちなかったが、はい、と答える。
十文字が二階へ上がり、レジ閉めが終わるころに心美がトートバッグを肩にかけて屋上から降りてきた。彼女はこんな風に狙ったように降りてくることもあれば、絵を描くのに疲れて雑誌を読み漁っていることもある。
「おーい、帰るぞー、恭二郎」
今日は集中して絵を描いていたのか、頬に絵の具がついたままぼーっとした顔をしている。口調もおっさんのそれだ。
僕は十文字から預かった茶封筒をリュックサックにいれて、入口にかかっている「一生懸命、営業中」の看板を「真心こめて、準備中」に裏返した。いつも思うが、ラーメン屋みたいな看板だ。入口の鍵を締め、店内の明かりを消し、裏口から店を出る。
働いているときは基本的に室内なので、アルバイトが終わって外に出ると空が広く、開放された感じがある。僕はこの瞬間がけっこう好きだ。自転車の前にとりつけられた籠に心美のトートバッグを入れて、心美の家経由で回り道をして帰る。
心美が暑いーといいながら白いワンピースをバサバサと上下に動かすので、はしたないからやめなさい、と注意した。
花火大会の翌日、僕は十文字書店でレジに立っていた。
休日ということもあり、昼間は多くの客が押し寄せていたが、暗くなるとだんだんと空いてきて、店内は静かな空間に包まれていた。
十文字は真っ白なタオルを手に持ち、丁寧にグランド・ファーザー・クロックを磨いている。
「何がですか?」
分かってんだろ、というように十文字は笑う。
花火大会が終わった後、書店へともどり、羽衣ちゃんは十文字と母親のことを話したようだ。きっと昨日は家族会議が開かれたのだろう。
今日は疲れているのか、すでに羽衣ちゃんは部屋で寝てしまっているようだ。
「元はと言えば、おれがちゃんと話していなかったことが原因だからな」
「いえ、こういうのはタイミングがありますから。だから原因はそこじゃなくて、引き出しの開けっ放しにあると思います」
「ほんとだよ。事件は引き出しから起こるんだな」
「なに言っているんですか」
僕の言葉に、十文字はバツの悪そうな顔を浮かべ、頭を掻いた。
「あいつはさ、たすきを繋いだんだよな」
ゴシゴシと古時計を磨きながら、十文字は一人呟くようにして言った。僕に話しているのではなく、まるで自分に言い聞かせるようだった。
「わたしたちが生きていく理由のひとつって“繋ぐこと”にあるんだと思う。親から受け継いだものを、自分の中で守って、育てて、ずっと先の未来に繋いでいくこと。わたしがいなくなっても、わたしが繋いだものはこの世界に残る。そのことが、とっても嬉しい」
きっと十文字の奥さんが言ったことなのだろう。奥さんのことを思い浮かべるようにして、十文字はゆっくりと話した。グランド・ファーザー・クロックの振り子が左右に揺れ、静かに時間を刻んでいる。
「羽衣が腹の中にできたって分かったとき、おれは最初反対したんだ。産めばあいつの弱い身体じゃやばくなるって医者に言われていたからな。だけどあいつは産むって言って聞かなかった。なんでだよ、お前産んだら死ぬかもしれねえんだぞって何度も、何度も説得したんだ。おれはあいつに生きていてほしかったから。だけど羽衣が生まれて、まだ小さな赤ん坊だった羽衣をこの腕で抱いたときにわかったんだ。この子は、あいつの繋いだ命だって。おれが守って、育てて、未来へ繋いでいかなきゃいけない子だって」
こいつも親父のずっと前の世代から繋がれてきたものだからなあー、と十文字はグランド・ファーザー・クロックを眺める。十文字の曽祖父の代から受け継がれてきたという古時計は時間と共に、この場所で生きる人々の想いを刻んできたのだろう。
「まあ結局、俺もあいつも、ただ単に羽衣と会いたかっただけって話だけどな」
“繋ぐこと”が、生きていく理由のひとつ。
田畑や土地、家、モノ、そして生命。この世界を生きている人たちにはそれぞれ繋がれてきたものがある。十文字のように書店や古時計、羽衣ちゃんだということもあれば、心美のように絵を描く才能ということもある。
大切なことは、その繋がれてきたものを次の世代、またその次の世代へと繋ぐ努力をすることだ。僕らが生まれてきたことに意味を加えるとするならば、この“繋がり”はひとつの大きな意味を持つのだ。
僕に繋がれてきたものは?
僕がこれからの未来に繋いでゆくものは?
「思えば羽衣には、あいつの母さんの話をあまり聞かせていなかったんだ。もしかしたら今までも、うすうす感じていたのかもしれないな」
「羽衣ちゃん、賢いですからね」
「さすがは俺の・・・いや、俺たちの子だな」
十文字は優しげな表情を浮かべると、タオルを片付けはじめた。古時計を磨き終わったのだろう。その後十文字は、なにかを思い出したようにして店の裏口を出て、ドタドタと二階へ上がっていたかと思うと、また店内に戻ってきた。
「ほらよ、頼まれていたもんだ」
十文字は僕に一枚の茶封筒を手渡した。
「ありがとうございます」
「たしかに渡したぞ。だけどな、あまり深く首を突っ込まない方がいいと思うぞ」
「え?」
「学生なんだ。本業をおろそかにするんじゃない」
見るからに学生時代は学業をおろそかにしていた雰囲気のある十文字がそう言ったので、僕は驚いた。あまり腑に落ちなかったが、はい、と答える。
十文字が二階へ上がり、レジ閉めが終わるころに心美がトートバッグを肩にかけて屋上から降りてきた。彼女はこんな風に狙ったように降りてくることもあれば、絵を描くのに疲れて雑誌を読み漁っていることもある。
「おーい、帰るぞー、恭二郎」
今日は集中して絵を描いていたのか、頬に絵の具がついたままぼーっとした顔をしている。口調もおっさんのそれだ。
僕は十文字から預かった茶封筒をリュックサックにいれて、入口にかかっている「一生懸命、営業中」の看板を「真心こめて、準備中」に裏返した。いつも思うが、ラーメン屋みたいな看板だ。入口の鍵を締め、店内の明かりを消し、裏口から店を出る。
働いているときは基本的に室内なので、アルバイトが終わって外に出ると空が広く、開放された感じがある。僕はこの瞬間がけっこう好きだ。自転車の前にとりつけられた籠に心美のトートバッグを入れて、心美の家経由で回り道をして帰る。
心美が暑いーといいながら白いワンピースをバサバサと上下に動かすので、はしたないからやめなさい、と注意した。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
還暦の性 若い彼との恋愛模様
MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。
そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。
その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。
全7話
秘書と社長の秘密
廣瀬純七
大衆娯楽
社内の調査のため、社長・高橋健一はこっそり秘書・木村由紀と不思議なアプリで入れ替わることに。
突然“社長役”を任された由紀と、自由に動ける立場を手に入れた高橋。
ふたりの秘密の入れ替わり作戦は、どの様な結末になるのか?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる