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2章
甘くて、苦い 3
しおりを挟むその後も夜会はにぎやかに続いた。
ちらほらとシオンを見知った招待客が、シオンに声をかけていく。その度に妻だと名乗るのが少々心苦しいけれど、致し方ない。
しばらくして、シオンが疲れた顔をして口を開いた。
「少し外の風に当たりにいくか……。いい加減香水の匂いが鼻につく」
「ふふっ。なら、甘いものをほんのちょっぴり取っていこうかな……」
さっそくずらりと並んだおいしそうなスイーツをふたりで物色していると、誰かの視線を感じてはっと顔を上げた。
「シオン……? どうした……」
シオンの顔に浮かんだ険しい色にはっとして、シオンの向いた方を見ればそこには――。
「ほぅ? シオン・イグバートじゃないか……。ふんっ。まだしぶとく生きていたか」
けれどシオンは男を強くにらみつけたまま、微動だにしない。今にも殴りかからんばかりに憎しみを込めた目で、男を見つめている。
男はシオンの様子にはんっ、と嫌な笑みを浮かべ鼻を鳴らした。
「……ふんっ! 相変わらず気にくわない男だな。元上官に対して挨拶もできんとは……」
シオンの頬がぴくりと動いた。
「……それなりの礼が必要な相手には、ちゃんと示しているつもりだが? それにすでにお前は俺の上官じゃない。それを指示したのはお前だろう。俺の口を封じるためにお前が俺を追い出したんだ。忘れたのか? クロイツ・シュクルゼン」
「……」
胸に覚えがあったのか、男は。悔しげに顔を歪め、シオンを強くにらみつけた。
ふたりの冷たい空気に挟まれ身をすくませていると、男がこちらを向いた。
「……君はまさか、シオンの連れか? くくっ。そうか……。そう言えば結婚したと噂に聞いた気もするな」
「は、はい……。アグリアと申します……」
小さく頭を下げれば、シオンが舌打ちをするのが聞こえた。
「くくっ……! 時の経過というものは、便利なものだ。どんな悲しみも苦しみも、そのうち忘れる。お前だってそうだろう? こうして友の死の上にひとりだけ安穏と幸せに生きているんだからな」
「お前にそんなことをいう資格はないはずだっ。クロイツ!」
シオンの大声に、周囲にいた幾人かが驚きの顔で振り返った。
けれどクロイツと呼ばれた男は、気に留める様子もなくおかしげに笑った。
「どんなきれい事を並べようと何の得にもならん正義感を振りかざそうと、お前も私と大して変わらんということさ! 過去など忘れてよろしくやってると知って、安心したよ。きっとあの男も、お前の幸せを土の下で喜んでくれているさ。はっはっはっはっはっ!」
そう言うと、男は下卑た笑いをこぼしながら立ち去っていった。
その背中を見据えるシオンの両の拳が小刻みに震え、顔にははじめて会った時と同じ暗い影が差していた。
「……外に出よう。ここは空気が悪い」
何も言えず、こくりとうなずいてバルコニーへと出た。
ひんやりとした夜風がさっきまでの淀んだ悪い空気を優しく拭い去ってくれるようで、少し肩から力が抜けた。
「……寒くはないか?」
むき出しの肩をちらと見て、シオンが自分の上着をそっとかけてくれた。
「あ、ありがとう……」
顔から怒りは消えた気がするものの、その表情は今だに暗く強張ったままだ。
さっきの男――、確かクロイツ・シュクルゼンと言っただろうか。あの男とシオンがどんな関係で、過去に何があったのか聞いてみたい気はする。
けれどとても聞けるような空気ではなかった。
仕方なく、取り留めのない言葉で沈黙を紛らわした。
「中はすごい熱気だったから、夜風が涼しくて気持ちいいわね。王都でも夜はさすがに静かだし……。ほら、星だって見える」
夜空を指させば、シオンが小さく笑った。
「君の領地ほどきれいじゃないな。やっぱり俺は王都より君の領地の方がいい。心の底から息をしている気になる」
「ふふっ。そう言ってもらえると領主の娘としては嬉しいわ」
ふたりで星を見上げるうちに、さっきまでの殺伐とした空気がきれいに澄んでいく気がした。
シオンも同じ感覚を覚えたらしい。さきほどよりもやわらかな顔で、ほぅ、と息を吐き出した。
「……さっきはすまない。嫌な思いをさせてしまって」
「……いえ、私は大丈夫」
一瞬言い淀み、意を決したようにシオンが続けた。
「さっきの男は……六年前に所属していた部隊の上官なんだ。当時色々ともめてね、目障りだったんだろう。俺だけじゃなく部隊全員が一旦解散状態になって、外されたんだ……」
「そう……。だからあんな態度を……。でもあの人、すっごく嫌な感じだったもの! きっとあんな上官のもとで命を賭けずに済んでよかったのよ」
あえて明るくうなずいて見せれば、シオンも苦笑した。
「まぁな、多分そうなんだろう。なんならもっと早くに配置換えを申し出ていれば、あいつも……」
「え?」
何かを言いかけて、シオンは口をつぐんだ。
「いや、なんでもない……。なんでもないんだ……」
のみ込んだ言葉はきっと、さっきあのクロイツという元上官が口にしたことに関係しているに違いなかった。
クロイツは『友の死の上に安穏と幸せに生きている』と言っていた。それはきっと、シオンと関係の深かったともに戦地で戦った仲間が亡くなったという意味だろう。
(もしかしてシオンも、戦地で大切な人を亡くしているのかもしれない……。そのことが心の傷になって、今も苦しんでいるのかも……。でもどうしてクロイツはあんなこと言ったのかしら? きれい事とか正義感がどうとか……)
どちらにせよ、あのクロイツという男がシオンに好意を抱いていないことは明らかだ。むしろ憎んでいるとかうとましく思っていると言った方がいい。
シオンに向けられたその悪意にも近いその感情が、なぜかとても嫌な感じがして体をぶるりと震わせた。
「寒いか? ならそろそろ中へ……」
心配げに声をかけたシオンに、ふるふると首を振った。
「あの……シオン? もしも……」
「ん?」
「もしも何か誰かに何か吐き出してしまいたいことが心の中にあるのなら、その……私でよかったらいつでも聞くから言ってね!」
シオンが目を大きく見開いた。
「え?」
「えっとだから……、ほら、何か心の中でもやもやすることとか嫌なこととか! そういう時はすっきりするまで大声で叫んだっていいし、お酒だって私付き合うから! だから……その……。私がいるから……」
一体何を言っているのだろう。わけのわからないことを急に言わずにはいられなくなった自分を、どういうつもりかと問い詰めたい気持ちになる。
けれどどうしても何か言わずにはいられなかった。
シオンをこのままにしておきたくない。あんな暗く辛そうな顔をしたままにはしておきたくなかった。
領地で見せてくれるいつものやわらかで穏やかな顔でいてほしい。
そう思ったたら、勝手に口からこぼれ落ちていた。
「ごめんなさい……。私ったら急におかしなことを……」
しゅるしゅるとしぼんでいくように、シオンに借りた上着の中で体を小さく縮こませた。
「ふっ……!」
一瞬シオンが笑った気がして、はっと顔を上げた。
「……ありがとう。アグリア、今夜君がここにいてくれてよかった」
「え……?」
シオンは穏やかにいつも通り――、いや、いつもよりもずっとやわらかな表情をしていた。その口元には優しげな笑みも浮かんでいて、そこに漂うとびきりの甘さに思わず目をシパシパと瞬いた。
「あの……シオン?」
ふとシオンの手が伸びて、ずれ落ちそうになった上着をかけ直してくれた。その時わずかにシオンの指先がむき出しの肩口に触れて、ドキリとする。
「……いや、なんでもない」
それきり会話は途切れた。
けれどふたりの間に流れる空気は、さっきの刺々しさが嘘のようにあたたかくやわらかなものに変わっていた。
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