9 / 68
1章
おかしな新婚生活 1
しおりを挟むコンコンッ! コンコンッ!
きれいに晴れ渡ったある日の屋敷に、釘を打つ小気味いい音が響く。
「ありがとう、シオン。助かったわ。ずっとガタガタしていて、おそるおそる使ってたの」
シオンが長期滞在することになって、一週間が過ぎた。
最初は互いにぎこちなかった関係も、今では程よい距離感で接することができるようになった。たまに顔を直視できなくなる時はあるけど。
やはり寝食をともにするというのは、親しみを生む一番の方法に違いない。
シオンが金槌を片手に爽やかな笑みを浮かべ、振り向いた。
「あと他に直すところは? なんなら、もっと手のかかるものでもかまわないが……」
「あ、なら……」
王都育ちのシオンにはこんな田舎暮らしは退屈だろうと思っていたのだけれど、もはやすっかりなじんでいた。
てきぱきと無駄のない動きで力仕事をこなしていくシオンのたくましい二の腕をちらと見つめ、安堵する。
シオンに長期滞在してもらったのは、正解だった。父の世話もなかなかに大変だし、こうしてガタのきているあれやこれやまで直してもらえて感謝しかない。
それになんといっても、頼もしい男手が屋敷にいてくれるというのは安心感が違う。父とはまた違った安心感とか頼もしさ、というか。
(やっぱり軍人さんだけあるわよね……。すごい筋肉。かと言って見た感じはゴツゴツした感じはないし、なんていうか……すっごくスマート、というか……)
基本的には体を動かす仕事の方が好きらしいのだけれど、だからと言って事務仕事ができないというわけでもないらしい。文官ではなく軍人になることを選んだのは、ただ単に居場所の問題らしかった。
確かに家を継ぐ兄弟が他にいると、残った兄弟はどうしたっていつか屋敷を出る羽目になる。かといって王都に居を構えるのはそれなりに費用もかさむ。
ならば、と基本家などなくてもどうにかなる軍人になるのが手っ取り早いと考えたかららしかった。
「これが済んだら、ログのシーツを交換しに行こうか。アグリア」
「そうね。そろそろ湿布も変える時間だし、お願いできる?」
「あぁ」
父の世話は、正直想像していたよりもずっと大変だった。心臓を悪くして寝込んでいる間は、本人も具合が悪そうだったしただひたすらに静かに休んでいることが多かった。だからどうにかなっていたのだ。
でも、今はぶっちゃけ腰以外はピンピンしている。なんなら長く療養生活が続いていたせいか、本人は動きたくてたまらないらしいのだ。
おかげで一言で言ってうるさいし、世話が焼ける。
思わず父の腰から上の元気さを思い、ため息がこぼれた。
「ん? どうした、アグリア」
シオンが手を止め、振り返った。
「あ、ううん! 違うの。ただちょっと……早く父の腰がよくならないと困るなぁって思ってただけ。じゃないと、シオンが大変だもの」
苦笑しながらそう答えれば、シオンが小さく笑った。
「ふっ。ログは領地のことが気になって仕方ないらしい。仕事がしたくてうずうずしてるみたいだ。ずっと寝込んでいたせいだろうな」
「それはわかるんだけど……。階段からこけて腰を痛めたのは自分の不注意なんだから、もうちょっとおとなしくしててほしいわ」
ぽろりと本音がこぼれ落ちた。でも事実なのだから仕方ない。
「そう言えば昨日、ログが言っていたよ。君ひとりに領地の未来を背負わせて申し訳ない、と」
「えっ……」
そんなことを聞いたら、ついさっき口にしたばかりの苦言を撤回したくなる。
「別に……私はここのひとり娘なんだし、そんなの当たり前だわ」
父は十分に自分に愛情をかけてここまで育て上げてくれた。母がいた時も、いなくなってからもずっと。そんな父が大切に思う領地を守りたいと思うのは、娘なら当然のことだ。
「男手ひとつで娘ひとり育てるのって、大変だったと思うの……。ほら、やっぱり思春期とか……難しいじゃない? でもいつだって、私とこの領地のために身を粉にして頑張ってきてくれたの。そのせいで心臓も……」
本当は、父が倒れた日から不安が消えない。
いつかひとりでこの領地を守っていかなくてはならない日がくる。この屋敷の中で、たったひとりで両親の記憶だけを胸に抱いて――。
「ずっと、この時間が続いてくれたらいいのに……」
ふいにぽろり、と言葉がこぼれ落ちた。
「……アグリア?」
シオンの声で、はっと顔を上げた。
今、何を言おうとしたんだろう。この時間というのは、腰はともかく父が元気になってくれた今を指しているのか。それとも、シオンのいるこの時間――?
自分でもどうしてそんな言葉を口にしたのかわからず、慌てて言葉を重ねた。
「ええっと、今のは……、だから……! つまり……皆元気が一番よねってそういう意味で!」
「……」
けげんそうなシオンの視線が痛い。
こうなったら強引に話題を変えてしまおう、とあることをひらめいた。
「あっ、そうだ! 昼食だけど、いいお天気だからお庭で食べない? ピクニックみたいに足を伸ばして、サンドイッチなんかを広げるのっ」
「貴族の令嬢が、足を伸ばしていいのか……?」
からかうようなシオンの顔に、ドキリとする。
「貴族って言ったって、こんな田舎じゃ誰もお嬢様扱いなんかしないわっ。小さい時から領地の子たちと一緒になって、泥んこになって遊んでたんだから!」
「くくくくっ! 確かにアグリアは、誰よりも泥だらけになって遊んでそうだ。なんなら今から一緒に遊びに行くか?」
「……もう大人なんだから、しないわよっ。もうっ、シオンったら!」
次から次へと新しい表情を見せてくれるシオンに、ドキドキしてばかりだ。見た目が素敵なだけじゃなくて、シオンの醸し出すやわらかな穏やかな空気がとても心地いい。
「なら、さっさとやるべきことを終わらせないとな」
シオンが白い歯を見せて笑った。
「う、うんっ! じゃあ私は、腕によりをかけておいしいサンドイッチを作っておくわ」
「あぁ。楽しみだ」
シオンが笑うたびに、自分の中で何かが動く。胸の奥底にずっと押さえつけてきた、見ないようにしてきたものが少しずつ音を立てて変わっていく。
そんな予感をひしひしと感じていた。
713
あなたにおすすめの小説
本日、貴方を愛するのをやめます~王妃と不倫した貴方が悪いのですよ?~
なか
恋愛
私は本日、貴方と離婚します。
愛するのは、終わりだ。
◇◇◇
アーシアの夫––レジェスは王妃の護衛騎士の任についた途端、妻である彼女を冷遇する。
初めは優しくしてくれていた彼の変貌ぶりに、アーシアは戸惑いつつも、再び振り向いてもらうため献身的に尽くした。
しかし、玄関先に置かれていた見知らぬ本に、謎の日本語が書かれているのを見つける。
それを読んだ瞬間、前世の記憶を思い出し……彼女は知った。
この世界が、前世の記憶で読んだ小説であること。
レジェスとの結婚は、彼が愛する王妃と密通を交わすためのものであり……アーシアは王妃暗殺を目論んだ悪女というキャラで、このままでは断罪される宿命にあると。
全てを思い出したアーシアは覚悟を決める。
彼と離婚するため三年間の準備を整えて、断罪の未来から逃れてみせると……
この物語は、彼女の決意から三年が経ち。
離婚する日から始まっていく
戻ってこいと言われても、彼女に戻る気はなかった。
◇◇◇
設定は甘めです。
読んでくださると嬉しいです。
余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめる事にしました 〜once again〜
結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
【アゼリア亡き後、残された人々のその後の物語】
白血病で僅か20歳でこの世を去った前作のヒロイン、アゼリア。彼女を大切に思っていた人々のその後の物語
※他サイトでも投稿中
【完結】何もできない妻が愛する隻眼騎士のためにできること
大森 樹
恋愛
辺境伯の娘であるナディアは、幼い頃ドラゴンに襲われているところを騎士エドムンドに助けられた。
それから十年が経過し、成長したナディアは国王陛下からあるお願いをされる。その願いとは『エドムンドとの結婚』だった。
幼い頃から憧れていたエドムンドとの結婚は、ナディアにとって願ってもいないことだったが、その結婚は妻というよりは『世話係』のようなものだった。
誰よりも強い騎士団長だったエドムンドは、ある事件で左目を失ってから騎士をやめ、酒を浴びるほど飲み、自堕落な生活を送っているため今はもう英雄とは思えない姿になっていた。
貴族令嬢らしいことは何もできない仮の妻が、愛する隻眼騎士のためにできることはあるのか?
前向き一途な辺境伯令嬢×俺様で不器用な最強騎士の物語です。
※いつもお読みいただきありがとうございます。中途半端なところで長期間投稿止まってしまい申し訳ありません。2025年10月6日〜投稿再開しております。
優しすぎる王太子に妃は現れない
七宮叶歌
恋愛
『優しすぎる王太子』リュシアンは国民から慕われる一方、貴族からは優柔不断と見られていた。
没落しかけた伯爵家の令嬢エレナは、家を救うため王太子妃選定会に挑み、彼の心を射止めようと決意する。
だが、選定会の裏には思わぬ陰謀が渦巻いていた。翻弄されながらも、エレナは自分の想いを貫けるのか。
国が繁栄する時、青い鳥が現れる――そんな伝承のあるフェラデル国で、優しすぎる王太子と没落令嬢の行く末を、青い鳥は見守っている。
狂おしいほど愛しています、なのでよそへと嫁ぐことに致します
ちより
恋愛
侯爵令嬢のカレンは分別のあるレディだ。頭の中では初恋のエル様のことでいっぱいになりながらも、一切そんな素振りは見せない徹底ぶりだ。
愛するエル様、神々しくも真面目で思いやりあふれるエル様、その残り香だけで胸いっぱいですわ。
頭の中は常にエル様一筋のカレンだが、家同士が決めた結婚で、公爵家に嫁ぐことになる。愛のない形だけの結婚と思っているのは自分だけで、実は誰よりも公爵様から愛されていることに気づかない。
公爵様からの溺愛に、不器用な恋心が反応したら大変で……両思いに慣れません。
あなたの愛が正しいわ
来須みかん
恋愛
旧題:あなたの愛が正しいわ~夫が私の悪口を言っていたので理想の妻になってあげたのに、どうしてそんな顔をするの?~
夫と一緒に訪れた夜会で、夫が男友達に私の悪口を言っているのを聞いてしまった。そのことをきっかけに、私は夫の理想の妻になることを決める。それまで夫を心の底から愛して尽くしていたけど、それがうっとうしかったそうだ。夫に付きまとうのをやめた私は、生まれ変わったように清々しい気分になっていた。
一方、夫は妻の変化に戸惑い、誤解があったことに気がつき、自分の今までの酷い態度を謝ったが、妻は美しい笑みを浮かべてこういった。
「いいえ、間違っていたのは私のほう。あなたの愛が正しいわ」
一年後に離婚すると言われてから三年が経ちましたが、まだその気配はありません。
木山楽斗
恋愛
「君とは一年後に離婚するつもりだ」
結婚して早々、私は夫であるマグナスからそんなことを告げられた。
彼曰く、これは親に言われて仕方なくした結婚であり、義理を果たした後は自由な独り身に戻りたいらしい。
身勝手な要求ではあったが、その気持ちが理解できない訳ではなかった。私もまた、親に言われて結婚したからだ。
こうして私は、一年間の期限付きで夫婦生活を送ることになった。
マグナスは紳士的な人物であり、最初に言ってきた要求以外は良き夫であった。故に私は、それなりに楽しい生活を送ることができた。
「もう少し様子を見たいと思っている。流石に一年では両親も納得しそうにない」
一年が経った後、マグナスはそんなことを言ってきた。
それに関しては、私も納得した。彼の言う通り、流石に離婚までが早すぎると思ったからだ。
それから一年後も、マグナスは離婚の話をしなかった。まだ様子を見たいということなのだろう。
夫がいつ離婚を切り出してくるのか、そんなことを思いながら私は日々を過ごしている。今の所、その気配はまったくないのだが。
氷の騎士と契約結婚したのですが、愛することはないと言われたので契約通り離縁します!
柚屋志宇
恋愛
「お前を愛することはない」
『氷の騎士』侯爵令息ライナスは、伯爵令嬢セルマに白い結婚を宣言した。
セルマは家同士の政略による契約結婚と割り切ってライナスの妻となり、二年後の離縁の日を待つ。
しかし結婚すると、最初は冷たかったライナスだが次第にセルマに好意的になる。
だがセルマは離縁の日が待ち遠しい。
※小説家になろう、カクヨムにも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる