8 / 68
1章
はじめまして、旦那様 5
しおりを挟むその時だった。
「わっ……! うおぁっ……‼」
ガタンッ! ガタガタッ! ドオォォォンッ!
夜の屋敷に響きわたる轟音とうめき声に、シオンとふたり音のした方を見やった。
「な、何っ⁉ 今の音はっ?」
「今の声って……! お父様っ!?」
何かとてつもなく嫌な予感がして、急ぎかけつければ――。
「う……うぅっ……! うおぁっ……」
そこには、階段の下で痛そうに腰を押さえうめき声を上げている父の姿があった。
「お、お父様っ!? どうしたのっ? まさか……」
「もしかして……、上から落ちたのか……?」
シオンの視線の先には、父の部屋へと続く階段があった。
「いででででで……! うおっ……、アグリア。だめだ、そこ……触るなっ! 痛いっ……」
「もうっ……! 何してるのよ、お父様っ。ようやくモンバルト先生からもう心臓は大丈夫だってお墨つきをもらったばかりなのに……!」
相当に腰を痛そうに押さえているところを見ると、きっと階段の途中でこけて腰をひどく打ちつけてしまったのだろう。
「待ってて! すぐにモンバルト先生を呼ぶからっ!」
夕食の折調子に乗ってモンバルトもそこそこな量の酒を飲んでいた気もするが、この際致し方ない。領地にモンバルト以外の医者はいないのだ。
「俺が行く。アグリア、君はここにいてくれ。いいな?」
実に冷静な態度でシオンに指示され、声もなくこくこくとうなずいた。
確かにこんな夜更けに寝間着姿にストールを引っかけた自分が呼びに行くよりは、シオンが出向いた方がいいだろう。
モンバルトはあきれ顔をしつつも、すぐに飛んできてくれた。
そして、腰を診てもらった結果は――。
「腰痛で……全治一か月、ですってぇっ!? やっと……やっと心臓がよくなったのに……? 今度は、腰を痛めて……当分寝たきりっ!?」
「すまん。つい足を滑らせてしまった……。いや、本当に申し訳ない……。というわけで、シオン君」
「……はい?」
父がシオンをじっと見やり、シオンの手をぐっと力強く握った。そして――。
「君にはすまないが、しばらくの間君にここにいてもらうわけにはいかないだろうかっ⁉」
突然の懇願に、シオンの口があんぐりと開いた。
「はっ!? いや……しかし、もともとここには一週間の滞在の予定で……」
「そこをなんとか……! アグリアだけでは、さすがに身動きの取れない私の面倒は無理だ。ひ弱な女性なんだし」
「それは……確かにそうでしょうが……。しかし……」
すがるように父に熱く見つめられ、シオンが口ごもった。
「大丈夫よっ。いつも力仕事だってしてるし、どうにかなるわ! いざとなったら誰か手伝いにきてもらってもいいんだし……!」
慌てて父を止めれば、なぜかモンバルトも父に加勢しはじめた。
「おぉっ! それはいい案だっ。寝たきりとなれば、寝具の交換やら色々な介助にどうしたって力がいるからな。男手は必要だっ。そうしろ、シオン!」
「ちょっと、モンバルト先生まで……! 私なら大丈夫だからっ」
けれど、モンバルトはにやりと笑うとちらとシオンを見やった。
「……シオン。お前本当は今度の休暇は、ひと月近くあると聞いたぞ。一週間だけ滞在すると言ったのは、さすがに長すぎるからと遠慮したんだろう?」
その瞬間、シオンの顔が大きくひきつった。
「えっ? そうなのっ、シオン!?」
見れば、シオンの目が泳いでいる。
「それは……だから……」
もごもごと言い淀むシオンに、モンバルトがさらに詰め寄る。
「どうせ王都にいくつもりはないんだろう? ならここにいればいいじゃないか。残りの休暇をどこで過ごすにしたって、それなりに金もかかるしな。ならここでアグリアの手伝いでもしておけばいい」
「しかし……」
困惑するシオンの様子に、はっとした。
「も、もしかしてシオン、実はどこかに恋人でもいてその人と過ごすつもり……とか!?」
こんなに素敵な人なのだ。恋人のひとりやふたり、いてもおかしくはない。
けれどシオンはそれを激しく否定した。
「馬鹿な……! 形だけとはいえ、結婚しているのにそんなことするはずが……!」
「え? そうなの? ならどうして? 別にこちらはどれくらい滞在してもらってもかまわないけど……」
正直に言えば、シオンに会うまではどうかと思っていた。もしもちょっと不安を感じるような人なら、こんなことを言いはしなかっただろう。
でもシオンならきっと大丈夫。そんな謎の安心感さえあった。
どうしてか、と言われると返答に困るけど。
「ならどうだ? この際、アグリアを助けると思ってしばらくここに滞在するってのは? そうすればアグリアだって男手があって色々助かるし」
「……」
モンバルトの説得に、しばしシオンは黙り込みそしてはぁ、と深く息を吐き出した。
「……本当にいいのか? アグリア」
「え?」
「君には色々と負担になると思うが……、本当に俺がここにいてもいいのか?」
どこか不安そうにこちらをうかがうシオンの顔が、なんだかかわいく見えた。
きっとよく知りもしない異性が長期間同じ屋敷にいることに、不安を覚えてはいないかと心配してくれているのだろう。
そんな不器用な気遣いが、なんだか嬉しい。
「ふふっ」
思わず小さく笑いがこぼれた。
「……?」
けげんそうな顔をしてこちらを心配そうに見つめるシオンに、にっこりと笑いかけた。
「あなたさえ嫌じゃなかったら、歓迎します! 実際シオンが手伝ってくれたら助かると思うし、それにせっかくならもっとこの領地のよさを知ってもらいたいし!」
奇妙な縁ではあるけれど、せっかくこうしてきてくれたのだ。
この領地の素敵なところを存分に見ていってほしい。そして戦地での疲れを存分に癒して体も心も休めてほしい。
そんな思いが自然にわき上がった。
シオンはしばし驚いた顔で黙り込むと、こくりとうなずいた。
「わかった……。君がそう言ってくれるなら……、ひと月世話になる。よろしく頼む」
「はいっ! こちらこそ、よろしく」
こうして、シオンとのひと月にも渡る奇妙な新婚生活がはじまったのだった。
789
あなたにおすすめの小説
本日、貴方を愛するのをやめます~王妃と不倫した貴方が悪いのですよ?~
なか
恋愛
私は本日、貴方と離婚します。
愛するのは、終わりだ。
◇◇◇
アーシアの夫––レジェスは王妃の護衛騎士の任についた途端、妻である彼女を冷遇する。
初めは優しくしてくれていた彼の変貌ぶりに、アーシアは戸惑いつつも、再び振り向いてもらうため献身的に尽くした。
しかし、玄関先に置かれていた見知らぬ本に、謎の日本語が書かれているのを見つける。
それを読んだ瞬間、前世の記憶を思い出し……彼女は知った。
この世界が、前世の記憶で読んだ小説であること。
レジェスとの結婚は、彼が愛する王妃と密通を交わすためのものであり……アーシアは王妃暗殺を目論んだ悪女というキャラで、このままでは断罪される宿命にあると。
全てを思い出したアーシアは覚悟を決める。
彼と離婚するため三年間の準備を整えて、断罪の未来から逃れてみせると……
この物語は、彼女の決意から三年が経ち。
離婚する日から始まっていく
戻ってこいと言われても、彼女に戻る気はなかった。
◇◇◇
設定は甘めです。
読んでくださると嬉しいです。
余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめる事にしました 〜once again〜
結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
【アゼリア亡き後、残された人々のその後の物語】
白血病で僅か20歳でこの世を去った前作のヒロイン、アゼリア。彼女を大切に思っていた人々のその後の物語
※他サイトでも投稿中
【完結】何もできない妻が愛する隻眼騎士のためにできること
大森 樹
恋愛
辺境伯の娘であるナディアは、幼い頃ドラゴンに襲われているところを騎士エドムンドに助けられた。
それから十年が経過し、成長したナディアは国王陛下からあるお願いをされる。その願いとは『エドムンドとの結婚』だった。
幼い頃から憧れていたエドムンドとの結婚は、ナディアにとって願ってもいないことだったが、その結婚は妻というよりは『世話係』のようなものだった。
誰よりも強い騎士団長だったエドムンドは、ある事件で左目を失ってから騎士をやめ、酒を浴びるほど飲み、自堕落な生活を送っているため今はもう英雄とは思えない姿になっていた。
貴族令嬢らしいことは何もできない仮の妻が、愛する隻眼騎士のためにできることはあるのか?
前向き一途な辺境伯令嬢×俺様で不器用な最強騎士の物語です。
※いつもお読みいただきありがとうございます。中途半端なところで長期間投稿止まってしまい申し訳ありません。2025年10月6日〜投稿再開しております。
優しすぎる王太子に妃は現れない
七宮叶歌
恋愛
『優しすぎる王太子』リュシアンは国民から慕われる一方、貴族からは優柔不断と見られていた。
没落しかけた伯爵家の令嬢エレナは、家を救うため王太子妃選定会に挑み、彼の心を射止めようと決意する。
だが、選定会の裏には思わぬ陰謀が渦巻いていた。翻弄されながらも、エレナは自分の想いを貫けるのか。
国が繁栄する時、青い鳥が現れる――そんな伝承のあるフェラデル国で、優しすぎる王太子と没落令嬢の行く末を、青い鳥は見守っている。
狂おしいほど愛しています、なのでよそへと嫁ぐことに致します
ちより
恋愛
侯爵令嬢のカレンは分別のあるレディだ。頭の中では初恋のエル様のことでいっぱいになりながらも、一切そんな素振りは見せない徹底ぶりだ。
愛するエル様、神々しくも真面目で思いやりあふれるエル様、その残り香だけで胸いっぱいですわ。
頭の中は常にエル様一筋のカレンだが、家同士が決めた結婚で、公爵家に嫁ぐことになる。愛のない形だけの結婚と思っているのは自分だけで、実は誰よりも公爵様から愛されていることに気づかない。
公爵様からの溺愛に、不器用な恋心が反応したら大変で……両思いに慣れません。
あなたの愛が正しいわ
来須みかん
恋愛
旧題:あなたの愛が正しいわ~夫が私の悪口を言っていたので理想の妻になってあげたのに、どうしてそんな顔をするの?~
夫と一緒に訪れた夜会で、夫が男友達に私の悪口を言っているのを聞いてしまった。そのことをきっかけに、私は夫の理想の妻になることを決める。それまで夫を心の底から愛して尽くしていたけど、それがうっとうしかったそうだ。夫に付きまとうのをやめた私は、生まれ変わったように清々しい気分になっていた。
一方、夫は妻の変化に戸惑い、誤解があったことに気がつき、自分の今までの酷い態度を謝ったが、妻は美しい笑みを浮かべてこういった。
「いいえ、間違っていたのは私のほう。あなたの愛が正しいわ」
一年後に離婚すると言われてから三年が経ちましたが、まだその気配はありません。
木山楽斗
恋愛
「君とは一年後に離婚するつもりだ」
結婚して早々、私は夫であるマグナスからそんなことを告げられた。
彼曰く、これは親に言われて仕方なくした結婚であり、義理を果たした後は自由な独り身に戻りたいらしい。
身勝手な要求ではあったが、その気持ちが理解できない訳ではなかった。私もまた、親に言われて結婚したからだ。
こうして私は、一年間の期限付きで夫婦生活を送ることになった。
マグナスは紳士的な人物であり、最初に言ってきた要求以外は良き夫であった。故に私は、それなりに楽しい生活を送ることができた。
「もう少し様子を見たいと思っている。流石に一年では両親も納得しそうにない」
一年が経った後、マグナスはそんなことを言ってきた。
それに関しては、私も納得した。彼の言う通り、流石に離婚までが早すぎると思ったからだ。
それから一年後も、マグナスは離婚の話をしなかった。まだ様子を見たいということなのだろう。
夫がいつ離婚を切り出してくるのか、そんなことを思いながら私は日々を過ごしている。今の所、その気配はまったくないのだが。
氷の騎士と契約結婚したのですが、愛することはないと言われたので契約通り離縁します!
柚屋志宇
恋愛
「お前を愛することはない」
『氷の騎士』侯爵令息ライナスは、伯爵令嬢セルマに白い結婚を宣言した。
セルマは家同士の政略による契約結婚と割り切ってライナスの妻となり、二年後の離縁の日を待つ。
しかし結婚すると、最初は冷たかったライナスだが次第にセルマに好意的になる。
だがセルマは離縁の日が待ち遠しい。
※小説家になろう、カクヨムにも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる