王子としらゆき

秋月朔夕

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第三十ニ話 しらゆきは王子を見送る

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「しゃっちょっおぉっう!! 貴方はいつになったら会社に来るんですかっ?」
  心からの絶叫はリビングにまで聞こえてきた。興奮しているためか男の声は少しだけ高まっていて、鷹夜が口を挟む隙間を与えずに捲し立てている。
 (うーん、どうしよう……)
  突然、訪問者が現れて五分が経過したけど、一方的な話し合いは終わりが見えそうにない。下手にしゃしゃり出て鷹夜に迷惑を掛けたくはないけれど、二月の今はまだ寒い。部屋は全体的に暖かくなっているけれど、ずっと玄関先にいたら、身体が冷えてしまうだろう。そう考えたら心配だ。
 (…………ちょっとだけ様子を見てこようかな?)


  いきなり話を途切れさせるのも悪いと思って少し離れた所から覗くと、訪れたのはダークグレーのスーツを着た真面目そうな人だった。撫で付けた黒髪に銀縁の眼鏡を掛けた彼は鷹夜よりも何個かだけ上に見える。すぐ傍まで来たけど、どうやって声を掛けようか迷っている内に、わたしに気付いた男性が困ったように口を閉じた。
 「…………すみません。うるさかったですか?」
 「いえっ! えっと、話なら中に入った方がいいと思って……」
  言葉の途中で止めたのは、鷹夜が眉根を寄せて険しい顔をしたからだ。
 「雪乃が気にすることじゃない。水沢、話は会社に向かう最中でいいだろう」
  厳しい口調は自分に向けられていないのに、聞いているわたしの方がすくみあげてしまう。
 (今まで鷹夜はわたしに甘い顔しか見せていなかったから)
  そう言って無理やり水沢と呼ばれた男の人を追い出すと、先程のことはなかったかのように、やんわりと優しくわたしを抱き締めた。
 「…………会社に行くことになってしまったけれど、心配だ」
  さっきとは打って代わって弱々しい声だ。そのギャップが少しだけ可笑しく思う。
 「どうして?」
 「今の状況の雪乃を一人にさせたくはなかった」
  鷹夜は心からわたしを心配している――それはわたしの記憶がないから。
 「留守番くらい大丈夫だよ」
  意識して口角を上げても、彼は納得してないようで、さらに力を込めてわたしを抱きしめる。
 「本当に?」
 「子どもじゃないんだから、お留守番くらいできるよ」
  鷹夜は心配性過ぎる。
 (それだけ大事にされてるってことなのかな?)
  そう思うと嬉しくなるけれど――









(気にくわない……)
  車の中で嘆息を吐く。水沢があからさまに眉を潜めたが、どうでもいい。 雪乃とキスできなかったことも、雪乃の手料理を食べることができなくなったのも、この男のタイミングの悪さのせいなのだから。それに、できることならまだ彼女を誰にも会わせたくなかったのに。
  ――雪乃が私を好きになるまでは……
 それまでは雪乃の世界は私一人で充分だ。そうしたら、強制的に私しか見れなくなってしまうのだから。どれだけ彼女が心細くなっても頼れるのは私だけ。心細い時に優しく包み込めば、誰だって堕ちてくるはずだ。
 (しらゆきだって、きっと……)
 「…………社長、聞いていますか?」
  私に睨まれても仕事のことだけはキッチリ告げる男は有能だろう。
  ――だけど、それすらも今は気にくわない要因となっている。
  フランスから秘書をしている水沢は、私の遠い親族にあたる。親族といっても血が薄いのであれば、ほとんど関係はない。ましてやフランスで生まれ育ったならば、なおさら。それなのに、この男はわざわざ北条の会社を選ぶのだから、物好きだと思う。
  ――そのせいで、いらないやっかみを受けているというのに。
 「今日の夜中まで予定が入っていることくらい聞いている。会社に行く前にスーツを調達したい」
 「それなら、車内のトランクに用意してあります」
  そうか、と言ったきり会話は終了した。長期休暇をしていたとはいえ、もともと書類などの仕事は、パソコンで処理していたし特に溜まってはいない。数ある打ち合わせもスカイプでやっていたので問題はないはずだ。

  北条家には様々な会社がある。私は今までフランスで代表取締役をしていたが、明日からは今日視察する会社の取締役になる。そのため引き継ぎが終わっていない今日の仕事は、会社の様子を見たり、経済紙のインタビュー。あとはパーティーへの顔出しを何件廻るために夜中まで掛かる。


  ――雪乃のことは……
 移動中など手が空いた時に、様子を見なければいけない。マンションには無数のカメラが設置されていて、いつでも彼女の様子が分かるようになっている。
 (逃げても、すぐに、分かるように)
  今の雪乃には縛るものがない。『婚約者』という甘い関係を信じているために、今までと違って脅して傍に居させることができなくなってしまった。
 (皮肉なことだ……)
  一方的に関係を持っていた方が、まだ安心することができるのだから。
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