声を失った悪役令息は北の砦で覚醒する〜無詠唱結界で最強と呼ばれ、冷酷侯爵に囲われました〜

天気

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 婚姻式、前夜。

 ヴァルクレスト要塞は、昼間の賑やかさが嘘のように静まり返っていた。

 準備はすべて整っている。

 あとは――明日を迎えるだけ。


 エアリスの部屋。

 窓の外には、夏の夜空。

 涼しい風が、カーテンをわずかに揺らしている。

 ベッドの端に座り、手元を見るエアリス。

 指にはめられた指輪。

 淡い青が、月明かりにきらりと光る。

(……あした)

 胸が、少しだけざわつく。

 怖いわけじゃない。

 でも――

 知らない何かに向かうような、そんな感覚。

 コンコン。

 ノックの音。

「……っ」

 びくりと肩が揺れる。

「入るぞ」

 低く、よく知った声。

「……ん」

 小さく頷くと、扉が開く。

 カイゼルが入ってくる。

 いつもと同じはずなのに――

 どこか、少しだけ違って見える。

「……起きていたか」

 こくり、と頷く。

「……少し、話すか」

「……!」

 わずかに目が見開かれる。

 ベッドの隣に座るカイゼル。

 いつもより、少し近い。


 しばらく、静かな時間が流れる。

「……明日だな」

 ぽつり、と。

「……ん」

「……緊張しているか」

 少し考えて。

 こくり、と頷く。

「……そうか、私も、緊張している」

 エアリスは目を瞬かせて、カイゼルを見つめる。

「…か、ぜる、さまも…いっしょ…?」

 静かに頷く。

(同じ…なんだ……)

 なんだか嬉しくて、少し肩の力が抜ける。

 言葉数は少ない。

 それでも、隣にいる。

 その距離が、少しずつ安心をくれる。

「……エアリス」

「……?」

「……ここに来たばかりの頃」

 少しだけ、目を細める。

「……お前は、ほとんど何も話さなかった」

「……」

 静かに聞く。

「……今も多くはないが」

「……」

「それでも――」

 一瞬、言葉を選ぶ。

「……変わったな」

「……っ」

 小さく、目が揺れる。

「……いい方向に、だ」

「……」

 胸が、じんわりと温かくなる。

 少しだけ勇気を出して。

「……かいぜる、さま」

「……なんだ」


「……ここ、きて……よかった」

 ゆっくりと。

 一語ずつ。

「……っ」

 カイゼルの呼吸が、わずかに止まる。


「……そうか」

 それだけ。

 でも――

 それ以上はいらない。


 沈黙。

 でも、心地いい。

 ふと。

 エアリスが、少しだけ身体を寄せる。

「……」

 カイゼルは拒まない。

 そのまま、受け入れる。

「……あした」

「……?」

「……ちゃんと、できるか、な?」

 不安そうに見上げる。

「……できる」

 即答。

「……私がいる」

「……ん」

 安心したように、目を細める。


 少しの間。

 ただ寄り添う時間。

 そして――

 カイゼルが、そっとエアリスの顎に手を添える。

「……」

 ゆっくりと、顔を上げさせる。

 目が合う。

 近い。

(……あ)

 エアリスの呼吸が止まる。

 ゆっくり、距離が縮まる。

 あと、少しで――

 その時。

 エアリスの指が、ぎゅっと服を掴む。

「……っ」

 緊張。

 カイゼルが、ぴたりと止まる。

 数秒。

 そのまま見つめて――

 ふっと、わずかに笑う。

「……明日に取っておくか」

 低く、優しい声。

「……っ」

 顔が一気に赤くなるエアリス。

「……」

 こくこく、と小さく頷く。

 カイゼルは、そのまま――

 額に、軽く触れるだけの口づけを落とす。

「……おやすみ」

「…………おやすみ」

 たどたどしく、でも確かに返す。


 カイゼルが部屋を出ていく。

 静かになった部屋。

 エアリスは、そっと自分の額に触れる。

(……あした)

 胸が、少しだけ高鳴る。

 もう――怖くない。

 ベッドに潜り込みながら。

 指輪をぎゅっと握る。

(……かいぜるさま)

 小さく、心の中で呼ぶ。


 明日。

 ふたりは、正式に結ばれる。









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