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第十四話 この地の支配者
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釣殿から眺める丹塗りの唐橋の鮮やかさとは対照的に姫の表情が暗い。
このように哀しげな姫の姿は見たことがなかった。
急かされたとはいえ、まずは忠信が会って様子を見てからにすべきだった。
とんだ思い上がりだった。
その成長を時おり覗き見ただけで、イダテンの気性を把握しているつもりになっていた。
「イダテンは、もしや笑うことができないのではありませんか?」
「そのようです」
「なぜ、そのようなことになったのでしょう?」
「幼き頃から感情を抑えて生きてきたのでありましょう……父母の愛があれば、また、違ったやも知れませぬが」
「おばば様がいらしたのであれば」
扇を握る手に力が入る。
姫の言葉が心をえぐる。
「イダテンの獲ってきた獣を街に売りに来て、代わりに塩や生活に必要なものを持ち帰っていたようです」
忠信の言葉を姫が引き継いだ。
「公平な取引とは言えなかった……のですね」
ずいぶんとひどい扱いを受けていたとも聞いた。
「笑うことはおろか、怒りを見せることもなかったと聞いております」
その年齢以上に老けて見えた。
その昔、住んでいた地名から「宮小町」と呼ばれた美貌は見る影もなく、まるで老婆のようであった。
人として扱われず、働き手である男もおらず、田も畑も与えられない。
助けてくれる者もいない。
百姓育ちでもない老いたおなごが嬰児をかかえ、なにができただろう。
イダテンの父であるシバが逝って十年。
今のイダテンならば狩りもできよう。
山の奥まで入って芋や実や菜を採ることもできよう。
それまでは常に餓死する恐怖にさらされてきたはずだ。
自分であれば耐えることができただろうか、と自問する。
生きていく、その原動力が、いずれ、この孫が怨みを晴らしてくれるという妄執だったとしても責めることはできまい。
しかし、あのおなごにはできなかったのだ。
それは、決して昔、惚れたおなごへの願望ではない。
イダテンの目を見ればわかる。
生きる喜びを知らぬ者の目だ。
生きる目的を失った者の目だ。
たったひと言、宗我部に怨みをはらせと、と口にしてくれていれば使いようもあったものを。
このところ頻繁に、みぞおちあたりがきりきりと痛む。
姫の父であり、わが主人である阿岐権守が、うとんじていた宗我部兄弟の評価をあげつつあるからだ。
流罪の身の主人としては、邸に閉じこもり謹慎生活を送るほかなく、国司としての実務は目代と呼ばれる代官に任せている。
代官であり郡司である宗我部国親は、領民から年貢を徴収し、受領である阿岐権守に遅れることなく届けている。
それだけを見れば有能である。
どれだけ、ごまかしているかを別にすれば。
事実、国親はろくでもないやり口で蓄財を増やしている。
本来の税の上にさらに税を掛け、不法な労役を課し、税の払えぬ者は下人とする。その下人を税の免除を受けたおのれの開墾地で働かせるのだ。
加えて、敵対するものは手段を選ばず葬り、領地を広げ、手下を増やしてきた。
今や、その支配は、阿岐一国に及ぼうとしている――問題なのは、それでも満足していないことだ。
わが主人は、代々、人の上に立つ摂関家の嫡子として生まれてきた。
育ちが良いといってしまえばそれまでだが、考えが甘いのだ。
自分や帝が命を出せば誰もが従うものと思っている。
だからこそ、若くして関白に手が届くところまで昇進しながら、このような鄙びた地に国司として流されることになる。
十年を過ぎたが未だに赦しはでない。
都への執着も尋常ではない。
自分に取って代わった男は内覧の宣旨を受け、その地位を盤石としているにもかかわらず、金に糸目をつけず、帰れるよう工作をしている。
都に戻ったところで、かつての栄華を取り戻すことなど叶うまい。
帝の臣下として最高位に就くはずだった主人には、むしろ辛いだけだろう。
一方で、この地にとどまり続けるのも危険だった。
主人の前では慇懃にふるまってはいるが、国親には前科がある。
宗我部兄弟の横暴なふるまいにいらだっていたのは領民だけではなかった。
隣接する地を治める船越の郷司、船越満仲が宗我部に不満を持つ近隣の土豪郎党に声をかけた。
その情報を手に入れた国親は、期を逃さず満仲の館を取り囲み、一人残らず葬り去ったのだ。
館にいた、おなごも赤子も区別なしに。
死人に口無し、というわけだ。
宗我部国親が描いた絵図は――税をごまかしていた船越満仲一党が、証拠隠滅を図り国衙の焼き討ちを計画し、その情報を得た宗我部一党が館を取り囲むと、抵抗ののち、自ら火を放ち自害した――というものだった。
国親にとっては反対勢力を一掃する好機であった。
私闘であれば処罰の対象になるが、その点も抜かりはなかった。
財力に物を言わせ、追補史を兼任していた当時の国司から、討伐の委任状をとりつけていたのだ。
凶党を倒したとして、宗我部国親は船越満仲や賛同した者たちが所有していた領地、財産を報奨として受け取った。
新しい郷司には、満仲が税をごまかしていたと証言した領主が選ばれた。
忠信のよく知る男である。
それ以降、郷司や保司をはじめ多くの土豪がなびき、口を閉じた。
その後、多祁理宮の巫女の呪に倒れたが、回復したここ三年、精力的に動いてきた。
阿岐国に敵はいなくなった。
国親のやり口は、この地で生きてきた自分たちの方がよく知っている。
もう一度、進言しなければならないだろう。
たとえ、それが主人の怒りを買い、忠信にとって最後の務めとなろうとも。
*
このように哀しげな姫の姿は見たことがなかった。
急かされたとはいえ、まずは忠信が会って様子を見てからにすべきだった。
とんだ思い上がりだった。
その成長を時おり覗き見ただけで、イダテンの気性を把握しているつもりになっていた。
「イダテンは、もしや笑うことができないのではありませんか?」
「そのようです」
「なぜ、そのようなことになったのでしょう?」
「幼き頃から感情を抑えて生きてきたのでありましょう……父母の愛があれば、また、違ったやも知れませぬが」
「おばば様がいらしたのであれば」
扇を握る手に力が入る。
姫の言葉が心をえぐる。
「イダテンの獲ってきた獣を街に売りに来て、代わりに塩や生活に必要なものを持ち帰っていたようです」
忠信の言葉を姫が引き継いだ。
「公平な取引とは言えなかった……のですね」
ずいぶんとひどい扱いを受けていたとも聞いた。
「笑うことはおろか、怒りを見せることもなかったと聞いております」
その年齢以上に老けて見えた。
その昔、住んでいた地名から「宮小町」と呼ばれた美貌は見る影もなく、まるで老婆のようであった。
人として扱われず、働き手である男もおらず、田も畑も与えられない。
助けてくれる者もいない。
百姓育ちでもない老いたおなごが嬰児をかかえ、なにができただろう。
イダテンの父であるシバが逝って十年。
今のイダテンならば狩りもできよう。
山の奥まで入って芋や実や菜を採ることもできよう。
それまでは常に餓死する恐怖にさらされてきたはずだ。
自分であれば耐えることができただろうか、と自問する。
生きていく、その原動力が、いずれ、この孫が怨みを晴らしてくれるという妄執だったとしても責めることはできまい。
しかし、あのおなごにはできなかったのだ。
それは、決して昔、惚れたおなごへの願望ではない。
イダテンの目を見ればわかる。
生きる喜びを知らぬ者の目だ。
生きる目的を失った者の目だ。
たったひと言、宗我部に怨みをはらせと、と口にしてくれていれば使いようもあったものを。
このところ頻繁に、みぞおちあたりがきりきりと痛む。
姫の父であり、わが主人である阿岐権守が、うとんじていた宗我部兄弟の評価をあげつつあるからだ。
流罪の身の主人としては、邸に閉じこもり謹慎生活を送るほかなく、国司としての実務は目代と呼ばれる代官に任せている。
代官であり郡司である宗我部国親は、領民から年貢を徴収し、受領である阿岐権守に遅れることなく届けている。
それだけを見れば有能である。
どれだけ、ごまかしているかを別にすれば。
事実、国親はろくでもないやり口で蓄財を増やしている。
本来の税の上にさらに税を掛け、不法な労役を課し、税の払えぬ者は下人とする。その下人を税の免除を受けたおのれの開墾地で働かせるのだ。
加えて、敵対するものは手段を選ばず葬り、領地を広げ、手下を増やしてきた。
今や、その支配は、阿岐一国に及ぼうとしている――問題なのは、それでも満足していないことだ。
わが主人は、代々、人の上に立つ摂関家の嫡子として生まれてきた。
育ちが良いといってしまえばそれまでだが、考えが甘いのだ。
自分や帝が命を出せば誰もが従うものと思っている。
だからこそ、若くして関白に手が届くところまで昇進しながら、このような鄙びた地に国司として流されることになる。
十年を過ぎたが未だに赦しはでない。
都への執着も尋常ではない。
自分に取って代わった男は内覧の宣旨を受け、その地位を盤石としているにもかかわらず、金に糸目をつけず、帰れるよう工作をしている。
都に戻ったところで、かつての栄華を取り戻すことなど叶うまい。
帝の臣下として最高位に就くはずだった主人には、むしろ辛いだけだろう。
一方で、この地にとどまり続けるのも危険だった。
主人の前では慇懃にふるまってはいるが、国親には前科がある。
宗我部兄弟の横暴なふるまいにいらだっていたのは領民だけではなかった。
隣接する地を治める船越の郷司、船越満仲が宗我部に不満を持つ近隣の土豪郎党に声をかけた。
その情報を手に入れた国親は、期を逃さず満仲の館を取り囲み、一人残らず葬り去ったのだ。
館にいた、おなごも赤子も区別なしに。
死人に口無し、というわけだ。
宗我部国親が描いた絵図は――税をごまかしていた船越満仲一党が、証拠隠滅を図り国衙の焼き討ちを計画し、その情報を得た宗我部一党が館を取り囲むと、抵抗ののち、自ら火を放ち自害した――というものだった。
国親にとっては反対勢力を一掃する好機であった。
私闘であれば処罰の対象になるが、その点も抜かりはなかった。
財力に物を言わせ、追補史を兼任していた当時の国司から、討伐の委任状をとりつけていたのだ。
凶党を倒したとして、宗我部国親は船越満仲や賛同した者たちが所有していた領地、財産を報奨として受け取った。
新しい郷司には、満仲が税をごまかしていたと証言した領主が選ばれた。
忠信のよく知る男である。
それ以降、郷司や保司をはじめ多くの土豪がなびき、口を閉じた。
その後、多祁理宮の巫女の呪に倒れたが、回復したここ三年、精力的に動いてきた。
阿岐国に敵はいなくなった。
国親のやり口は、この地で生きてきた自分たちの方がよく知っている。
もう一度、進言しなければならないだろう。
たとえ、それが主人の怒りを買い、忠信にとって最後の務めとなろうとも。
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