45 / 91
第四十五話 一番手柄
しおりを挟む
振り返ると、弓を手にした男に、
「こわっぱ、どけ!」
と、言う声とともに櫓の柵に押し付けられた。
「邪魔じゃ! 命が惜しくば二の郭に逃げ込め。この郭は放棄するぞ」
日頃から弓の腕を自慢している侍所の景時だ。
敵に気をとられているうちに櫓に上がってきたのだろう。
三郎は引かなかった。
景時をにらみつけた。
「わしが先にこの場所をとったのじゃ」
「そうじゃ、三郎が先じゃ」
「横取りは許さぬぞ」
「お前には矜持と言うものがないのか」
と、喜八郎たちが後押しする。
童たちに責め立てられた影時は形相を変え、
「尻の青いこわっぱの出る幕ではないわ! さっさと降りぬと突き落とすぞ」
と、加減なしに胸を突いてきた。
尻から倒れ、櫓の端に転がった。
横木に手を伸ばさねば下に落ちていただろう。
なおも踏みつけようとする景時だったが、再び聞こえてきた法螺貝の音に、真の敵が誰だったかを思い出したとみえ、あわてて弓を構えた。
一番手柄をものにしようと、白絲威の鎧に身を包んだ騎馬武者が門をめがけ、正面から一直線に駆け上がってくる。
反撃する力など無いと思っているのだ――ならば一泡吹かせてくれる。
手のひらを衣で拭って立ち上がった。
じきに弓場で稽古している距離になる。
と、三郎の右手前に立った景時が矢を放った。
腕自慢の景時であったが矢は遥か手前に落ちた。
そもそも矢の届く距離ではない。
だが、これが実戦というものなのだろう。
雑念を払おうと、弦を引き絞ることに集中する。
人の目を盗んで幾度も大人用を使ったことがある。
大丈夫だ。落ち着け、と自分にいい聞かせる。
――が、腕が震え、狙いを定めるどころではない。
先頭を駆ける大鎧姿の騎馬武者が笑ったように見えた。
一番手柄は自分のものだと確信したのか。童を押し出してきた邸の守りにあきれたのか。
武者は背の箙から矢を引き抜くと、さほど狙った風もなく、馬上から弓を引く。
怖ろしさに逃げ出したくなった。
だが、馬上から的に当てるのは難しい。
逃げ腰では的が絞れない。
そう、念じて踏みとどまった。
うなりをあげた矢が目前に迫る。
恐怖に耐え、会の姿勢を保つ。
鈍い音がした。
見ると右斜め前で弓を構えていた影時の首に突き刺さっていた。
景時は傀儡師の手を離れた人形のように崩れ落ちた。
別の武者の放った矢が三郎の頬をかすめて、仲間のいる後方に消えた。
悲鳴が耳に届く。
腕の震えが全身に広がっていく。
矢を射るどころではない。
腰から崩れ落ちそうだった。
あきらめかけたその時、先頭を走ってくる武者の乗った馬が目に入った。
なんと大きく立派な馬だろう。
あの毛並みと力強さはどうだ。
まるでイダテンの彫った馬が動き出したようではないか。
わしは一矢も報いることなく、あのような馬に乗れぬまま、ここで死んでいくのだろうか。
――いや、乗るのだ! 乗らねばならんのだ。
おかあのために、ミコのために、先祖の名を汚さぬために。
そして三郎義守の武名を轟かすために。
――そうだ、鎧は赤絲威が良い。
イダテンの髪と同じ、燃えるような紅だ。
兜には金色の大鍬形をつけよう。
太刀は錦で包み、足元はカモシカの毛沓で固めるのだ。
気をそらしたことが幸いしたのか、震えが治まっていた。
先頭を駆る白絲威の武者が三十間(※約55m)に迫ったところで「ままよ」と、矢を放った。
これぐらいなら外れまい。
が、稽古のようにはいかなかった。
矢は狙った武者には当たらなかった。
それでも馬の額に命中した。
武者は、前足から崩れ落ちた馬もろとも地面に叩きつけられた。
「三郎が騎馬武者を射たぞ、一番手柄じゃ!」
後方から興奮した声が聞こえた。
振り返ると、いつの間に上がってきたのか、矛を二本持った喜八郎が顔を紅潮させて立っていた。
櫓の下の仲間たちから、わっ、と歓声があがる。
「わしも手伝うぞ」
喜八郎が矛を一本差し出してきた。夢心地で受け取った。
落ちていく陽で、あたりは茜色に染まっていた。
「三郎! 来たぞ」
喜八郎の声が響いた。
門の横の櫓に立つ邪魔者をまずは始末しようと、紫威の騎馬武者が矛を手に、塀に沿って横から回り込んできた。
喜三郎が転がっていた景時の弓を投げつける。
足元に転がった弓を嫌った馬が興奮したことが幸いした。
騎馬武者が櫓の下から突き出した矛は浮き上がり頭上を翳めるにとどまった。
腰の引けた喜八郎の腕は縮こまり、矛が武者に届かない。
一方、落ち着きを取り戻した三郎は両手で矛を握り、体を預けるように武者の胸を突いた。
が、所詮は童の力、鎧の上からでは痛手を与えることはできなかった。
逆に、そのまま押し出してくる力に跳ね返され、板の上を転がった。
痛いと感じる間もなかった。
地面が、そして空が見えた。
「三郎―― !」
喜八郎の叫び声が耳に届いた。
*
「こわっぱ、どけ!」
と、言う声とともに櫓の柵に押し付けられた。
「邪魔じゃ! 命が惜しくば二の郭に逃げ込め。この郭は放棄するぞ」
日頃から弓の腕を自慢している侍所の景時だ。
敵に気をとられているうちに櫓に上がってきたのだろう。
三郎は引かなかった。
景時をにらみつけた。
「わしが先にこの場所をとったのじゃ」
「そうじゃ、三郎が先じゃ」
「横取りは許さぬぞ」
「お前には矜持と言うものがないのか」
と、喜八郎たちが後押しする。
童たちに責め立てられた影時は形相を変え、
「尻の青いこわっぱの出る幕ではないわ! さっさと降りぬと突き落とすぞ」
と、加減なしに胸を突いてきた。
尻から倒れ、櫓の端に転がった。
横木に手を伸ばさねば下に落ちていただろう。
なおも踏みつけようとする景時だったが、再び聞こえてきた法螺貝の音に、真の敵が誰だったかを思い出したとみえ、あわてて弓を構えた。
一番手柄をものにしようと、白絲威の鎧に身を包んだ騎馬武者が門をめがけ、正面から一直線に駆け上がってくる。
反撃する力など無いと思っているのだ――ならば一泡吹かせてくれる。
手のひらを衣で拭って立ち上がった。
じきに弓場で稽古している距離になる。
と、三郎の右手前に立った景時が矢を放った。
腕自慢の景時であったが矢は遥か手前に落ちた。
そもそも矢の届く距離ではない。
だが、これが実戦というものなのだろう。
雑念を払おうと、弦を引き絞ることに集中する。
人の目を盗んで幾度も大人用を使ったことがある。
大丈夫だ。落ち着け、と自分にいい聞かせる。
――が、腕が震え、狙いを定めるどころではない。
先頭を駆ける大鎧姿の騎馬武者が笑ったように見えた。
一番手柄は自分のものだと確信したのか。童を押し出してきた邸の守りにあきれたのか。
武者は背の箙から矢を引き抜くと、さほど狙った風もなく、馬上から弓を引く。
怖ろしさに逃げ出したくなった。
だが、馬上から的に当てるのは難しい。
逃げ腰では的が絞れない。
そう、念じて踏みとどまった。
うなりをあげた矢が目前に迫る。
恐怖に耐え、会の姿勢を保つ。
鈍い音がした。
見ると右斜め前で弓を構えていた影時の首に突き刺さっていた。
景時は傀儡師の手を離れた人形のように崩れ落ちた。
別の武者の放った矢が三郎の頬をかすめて、仲間のいる後方に消えた。
悲鳴が耳に届く。
腕の震えが全身に広がっていく。
矢を射るどころではない。
腰から崩れ落ちそうだった。
あきらめかけたその時、先頭を走ってくる武者の乗った馬が目に入った。
なんと大きく立派な馬だろう。
あの毛並みと力強さはどうだ。
まるでイダテンの彫った馬が動き出したようではないか。
わしは一矢も報いることなく、あのような馬に乗れぬまま、ここで死んでいくのだろうか。
――いや、乗るのだ! 乗らねばならんのだ。
おかあのために、ミコのために、先祖の名を汚さぬために。
そして三郎義守の武名を轟かすために。
――そうだ、鎧は赤絲威が良い。
イダテンの髪と同じ、燃えるような紅だ。
兜には金色の大鍬形をつけよう。
太刀は錦で包み、足元はカモシカの毛沓で固めるのだ。
気をそらしたことが幸いしたのか、震えが治まっていた。
先頭を駆る白絲威の武者が三十間(※約55m)に迫ったところで「ままよ」と、矢を放った。
これぐらいなら外れまい。
が、稽古のようにはいかなかった。
矢は狙った武者には当たらなかった。
それでも馬の額に命中した。
武者は、前足から崩れ落ちた馬もろとも地面に叩きつけられた。
「三郎が騎馬武者を射たぞ、一番手柄じゃ!」
後方から興奮した声が聞こえた。
振り返ると、いつの間に上がってきたのか、矛を二本持った喜八郎が顔を紅潮させて立っていた。
櫓の下の仲間たちから、わっ、と歓声があがる。
「わしも手伝うぞ」
喜八郎が矛を一本差し出してきた。夢心地で受け取った。
落ちていく陽で、あたりは茜色に染まっていた。
「三郎! 来たぞ」
喜八郎の声が響いた。
門の横の櫓に立つ邪魔者をまずは始末しようと、紫威の騎馬武者が矛を手に、塀に沿って横から回り込んできた。
喜三郎が転がっていた景時の弓を投げつける。
足元に転がった弓を嫌った馬が興奮したことが幸いした。
騎馬武者が櫓の下から突き出した矛は浮き上がり頭上を翳めるにとどまった。
腰の引けた喜八郎の腕は縮こまり、矛が武者に届かない。
一方、落ち着きを取り戻した三郎は両手で矛を握り、体を預けるように武者の胸を突いた。
が、所詮は童の力、鎧の上からでは痛手を与えることはできなかった。
逆に、そのまま押し出してくる力に跳ね返され、板の上を転がった。
痛いと感じる間もなかった。
地面が、そして空が見えた。
「三郎―― !」
喜八郎の叫び声が耳に届いた。
*
4
あなたにおすすめの小説
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-
ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。
1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。
わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。
だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。
※アルファポリス限定投稿
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら
俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。
赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。
史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。
もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
If太平洋戦争 日本が懸命な判断をしていたら
みにみ
歴史・時代
もし、あの戦争で日本が異なる選択をしていたら?
国力の差を直視し、無謀な拡大を避け、戦略と外交で活路を開く。
真珠湾、ミッドウェー、ガダルカナル…分水嶺で下された「if」の決断。
破滅回避し、国家存続をかけたもう一つの終戦を描く架空戦記。
現在1945年中盤まで執筆
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる