ちはやぶる

八神真哉

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第四十六話  放棄

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南二の門前の石段に立ち、呆然と眼下を眺める。
街のあちこちから火の手が上がっている。

門衛が、門を閉めるぞ、早く入れと怒鳴っている。
一の郭を放棄するようだ。
迎え撃つ侍が足りないのだろう。

三郎が先ほどまで立っていた東一の門横にある櫓に目をやった。
そこに三郎の姿はなかった。
代わりに侍が一人倒れていた。

一の郭の住人たちが次々と駆け込んでくる。
だが、その中に三郎の姿はない。
前の道は長屋に隠れて見えない。
西一の門もここから望むことはできない。

櫓の上にいる侍に、一の郭に三郎の姿はないかと声をかけるが、逃げてくる住人たちの悲鳴でかき消されてしまう。
門は、すぐにも閉じられるだろう。

三郎は要領の良い子である。
誰にも見つからぬ場所に逃げ込んだに違いない。
そう思いながらも、ミコを背負い一の郭に引き返した。
追ってくる門衛の声をさえぎるようにヨシは三郎の名を呼んだ。

東一の門が、あっという間に打ち破られた。
塀に梯子を掛けて乗り込んでくる者もある。
西一の門が破られるのも時間の問題だろう。

騎馬武者に続き、腹巻姿の兵どもが雪崩込んできた。
逃げる使用人や職人たちとすれ違った。
そのうちの幾人かは血走った目で鎌や鍬を手にしている。

悲鳴をあげて逃げ惑うおなごや童がいる。
幼子や年寄りを守ろうと、普段は使わない閂(かんぬき)を内側からかけ、家に籠ろうとするおなごがいる。

――三郎を探すどころではない。
ヨシはミコを背負ったまま近くの納屋に逃げ込んだ。
戸を閉めようとしたところに、年老いた夫婦が、息を切らせて逃げ込んできた。

    *

手も足も震えている。
皺としみだらけの老いた男のものだ。

四十年前に下人となった。
不作がもとで、領主から半強制的に貸し付けられていた高利を払えなくなったのだ。

無償労働をするか身を売るかを選ばなければならなかった。
無償労働では家族は養えない。
十年前の国司の赴任に伴い、ここに売られてきた。

幸運だった。
下人とは思えぬほど待遇がよくなった。
侍所の鷲尾という武士がわれらに気を配ってくれたこともあるだろう。
以来、ここで暮らすおなごや童たちを家族と思って生きてきた。

土間の壁に掛けている鎌を手に取り外に出ると、目の前で腹巻姿の郎党二人が、納屋の戸の閂を掛けていた。
そこへ萌黄威の鎧に身を包んだ武士が馬に乗ってやってきた。

    *

小森正義は馬上から声をかけた。
「だれぞ、名のある者でも逃げ込んだか」
「使用人の親子と年寄り夫婦だけです」

「火をかけろ」
眉一つ動かさず、野焼きでも命じるように言い放った。

「やめろ!」
老いた男が鎌を持って近づいてきた。
近くに潜んでいたのだろうか。
が、息は切れ、足もとは定まらない。

郎党の一人が、わずらわしげに矛で腹をずぶりと一突きした。
老いた男から表情が消え、矛を引き抜くと、血が吹き出し、粗末な衣を濡らした。
枯れた男のどこにこれだけの血があったのだろう。
崩れ落ちた体から流れ出た血がじわじわと地面に広がっていく。

そこへ、馬に乗った郎党たちが、駆けつけてきた。
「殿、山賊か夜盗としか見えぬ者どもが略奪を始めておりますが」
「わしも見ましたぞ。どこから入り込んだものやら」

思わず舌打ちした。
やつらはどこまで浅ましいのだ。
国司の邸を落としてからと伝えているはずだ。
使用人たちの住む、このような場所で略奪したところで何ほどの物があろう。

「放っておけ。我らの仕事は、この邸の者の殲滅じゃ」
「しかし、やつらにお宝を……」
「心配にはおよばぬ。蟻一匹、這い出る隙間もないのだ」
顎で周りを指し示し、にやり、と笑って見せる。

したり、と郎党が応える。
「この邸を襲ったのは山賊ども……ということですな」

その言葉に、もう一人が反応した。
「その山賊どもを、退治したのが我々……という筋書きですな。さすが赤目様、悪知恵が働きますなあ」

「言葉に気をつけろ。国親様の側近に聞かれたら首が飛ぶぞ」

    *
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