ちはやぶる

八神真哉

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第五十九話  化け物

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崖の上から真下にある橋を眺める。
ここから七丈(※約21m)というところか。
足もとには二尺(※約60cm)ほどの岩がある。

この岩があることは承知していた。
おばばが倒れたあと、このあたりを見て回っていたからだ。

二人が中ほどまで進んだのを見計らい、両手でかかげ、投げつけた。
岩は狙い通り、その手前の床に穴をあけ、川に落ち、その音をあたり一帯に響かせた。

葛橋は、その衝撃で悲鳴を上げて沈み込み、反動でうねりながら跳ね上がった。
さらにその余波で、もう一度、上下に跳ねたときには橋の上に二人の姿はなかった。

橋は下流側に大きく傾いている。
岩は、その重量で橋床の板に穴を開けると同時に、橋を吊る葛の片側をも断ち切ったのだ。

対岸に残っていた武士が茫然と立ちすくんでいる。
何が起こったか理解できないのだろう。

弓と矢を手にとり、ゆっくりと弦を引き絞る。
放たれた矢は、糸で引かれたかのように男の喉元に吸い込まれた。

橋の衝撃音を聞いて、篝火の番をしていたと思われる兵が上流側から様子を見にやってきた。
イダテンは二の矢を放った。

     *

傾き、きしんでいた橋は、やがて、しんと静まり返った。

追手は絶つことができたが、橋を渡って戻ることはできなくなった。

「噂以上の化け物じゃな」
崖から降りると、義久があきれたように声をかけてきた。
「失礼ですよ」という姫の言葉にも、「ほめ言葉ですぞ」と屈託がない。

義久の言うとおりだ。
人にできることではない。
イダテンをかばった姫でさえ顔色をなくしている。

「おお、そうじゃ、そうじゃ。まずは足だ。馬がいろう」
義久が、場違いにも、どこか誇らしげに提案した。
雰囲気を変えたいだけでもなさそうだ。

「忍び轡をかまし、この先に繋いである。兼親の馬は、都に出ても十指に入ろうという見事な馬じゃ」

先ほどから、なにやら物音がしていたのは馬の暴れる音だったのだろう。
狼の匂いにおびえたのだ。

「乗れるのですか?」
姫の問いに義久が左の口端をあげて笑う。
「あれから三度目の冬ですぞ……お任せください。存分にお見せしましょうぞ。この義久が手綱捌きを」

「その馬は使わぬ」
義久に釘を刺した。

「愚かな……馬なしで逃げ切れるとおもうておるのか? おまえはともかく姫様はどうする?」
詰問調の義久ではあったが、イダテンの担いだ背負子に気がつくと、
「おい、おい、まさか……」
と、笑い出した。

だが、隣で姫が平然と微笑んでいるのを見て、それが答えと知ったのだろう。
「しかし、先は長いぞ」

「一番近い道を行く」
馬にも乗らず、対岸の道に戻る、と宣言したイダテンに、義久は、本気かと尋ねる。

「この道が馬木ではなく、畑賀に続いておることは、わしとて承知しておる。ガキの頃から、このあたりを走り回っておるでな。が、遠まわりになっても、やむ終えまい。橋のかかっている下流まで戻ろうものなら追手と鉢合わせじゃ」

義久は、イダテンの考えには承服できぬとばかりに腕を組んだ。
「あの橋は渡れまい。少なくとも、わしはごめんじゃ」

     *
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