ちはやぶる

八神真哉

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第六十七話  砦

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わずかばかりの星明かりの下、姫を挟んで櫓に立った。
砦があるであろう方向に目を凝らす。

雲が流れ、月が姿を現すと、五、六町(※約600m)ほど先にそれらしいものの一部が浮かび上がった。
月明かりが刻々と、その全貌を明らかにしていく。

真ん中に立った姫が、目を見張った。
「これは……」
義久は言葉を失った。
それは想像を絶する光景だった。

その砦は、谷の底から谷の向こう岸までのすべてを覆っていた。
これほどの物を、たった一日で組み上げたというのか。

馬の数を見ても門番をしていた男たちの自慢げな話を聞いても、まだ心のどこかで峠道を塞ぐには大仰な櫓付の柵を作ったのだろうと思っていた。楽観していた。
このあたりに砦を立ち上げる場所などなかったからだ。

谷底から砦の天辺までの高さは、ゆうに二十四丈(※約70m)はあるだろう。
そのうち峠道の上から天辺までが六丈(※約18m)。幅は三十間(※約55m)というところか。

造りは比べようもないが、都にある最も高い建築物と言われる五重塔よりも高いのではないか。
まさに、そびえ立つ壁だ。

度肝を抜く大きさにも驚かされるが、問題はそれだけではない。
その大きさに見合うだけの兵を配置しているであろうことだ。

この砦は、隆家様の挙兵に備えると同時に、落ち延びようとする者を食い止める盾なのだ。

――身震いが襲ってきた。
これほどの砦を突破することなどできるのだろうか。

イダテンが声をかけてきたが、一度では聴き取れなかった。
それほど動揺していた。
「この先に、開けた場所があろう」
繰り返してくれなければ、姫の前で、間抜け面をさらしていたところだ。

確かに、たった一箇所だけそのような場所がある。
ただし、この先というほど近くはない。
イダテンにとっては、この先かもしれないが、人の足であれば四半刻はかかるだろう。

祠に祀ってあった地蔵菩薩は別の場所に移され、今は誰も訪れなくなっている。
手前には木々が生い茂った藪。奥は草地と岩場で大きな洞窟もあった。
夏になるとひんやりと涼しい。

この館に来たときは、そこまで足を伸ばし、洞窟内の湧き水で瓜を冷やして食べたものだ。
寝転ぶと、天井近くで、うっすらと光るコケが星のように見えた。

姫に話したら、連れて行けと、せがまれたものだ。
叶えてさしあげたかったが、できようはずもない。
答えを渋っていると姫の目に涙が浮かんだ。
思わず、機会を見つけお連れします、と口にした――その約定は違えたままだ。

    *

義久の目を見て続けた。
「そこに材木が積み上げてあった……多祁理宮の拝殿が新しくなると聞いていた」
その材木が、この砦に変わったのだ。

それを聞いたとたん義久が表情を取り戻した。
「いつ気がついた?」
拝殿に使うような部材ではなかった。
姫の尽力で見ることができた書物がそれを裏付けた。

「三日前に、三郎の……おまえのおじじの忠信から、国親が謀反を起こすだろうと聞いた。ことが起これば、馬木の隆家に助けを求めよとも」
義久が、うなずいた。

「半月ほど前、この道で国親と兼親に襲われた」
この峡谷の先にあるのは、馬木だ。
国親が支配する海田ではない。

老臣の言葉で、ようやく見当がついた。
隆家に備え、あの場所に砦を築くのだろうと。

だが、あれほどの量だ。
すべてを使うとは思わなかった。
ましてや一朝一夕で組み上げるとは思いもしなかった。

老臣には、邸を離れるときに土産代わりに教えてやればよいと安易に考えていた。
つまらぬ細工に時などかけず、すぐに火をかけるべきだったのだ。

――ならば、運命は変わっていたかもしれない。

     *
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