68 / 91
第六十八話 唯我独尊
しおりを挟む
誰一人、布石に気がつかなかったというのか。
「おじじ……忠信様には知らせたのであろうな?」
声が上ずっていた。
イダテンは首を振った。
「国司と、おまえのおじじは、うまくいっていないようだった」
その言葉に血の気が引いた。
イダテンのいうとおりだ。
鬼の子が何を言っても相手にされなかっただろう。
そもそも、たった一日で、このような場所に砦を築こうとする者がいるなど誰が想像できよう。
知らせたところで何が変わっただろう。
国親を最も疑っていたはずの、おじじでさえ薬王寺に向かう主人を止められなかったのだ。
大伯父に至っては、戦前に郎党もろとも皆殺しにされたのだ。
これは、われらの問題だ。
武門に生まれながら、主人を守れなかった、われら兵の問題だ。
これほどの謀略を予見できなかった義久や主人の信頼を得られなかったおじじの問題だ。
姫の父である阿岐権守も阿岐権守で、この頃は国親を頼りにする言動があったと聞く。
が、哀しげに眉を下げている姫の前で罵倒するわけにはいかない。
「頑固者ばかりだからな」
気持ちを静めようと瓢箪を口に当てて唇を湿らせる。
――それでも、こいつなら何とかできたのではないか、という思いは捨てきれなかった。
だが、今、考えねばならないことは、そのことではない。
「あれを突破するほかないのであろう?」
当然だ、という顔でイダテンがうなずく。
「先ほどの橋のように、上から岩を投げて砦を壊せぬか?」
「床が、ひとつふたつ抜けておしまいだ」
イダテンが即座に否定する。
確かに葛橋ほど脆弱ではあるまい。
崖の上に、投げるに適した岩がごろごろしているはずもない。
もたもたしていれば矢で射殺されるだろう。
だが、自らこの峠道を選びながら、悩む風でもなく平然としているイダテンに腹が立ってきた。
ではどうするというのだ。
その焦りが口について出る。
「やってみねばわからぬであろう」
「イダテンは建築には詳しいのですよ」
姫が口を挟んできた。
何かと、イダテンの肩を持つのが面白くなかった。
しかも、このような状況で笑みさえ浮かべている。
人に襲われた鬼の子……イダテンを姫が助け、使用人の家で療養させているとは聞いていた。
おじじのことだ、三郎や母者と一緒に住まわせたのだろう。
とはいえ、その、わずか半月ほどの間に、ここまでの信頼を得たというのか。
ならばどうするのだ、と口にしようとして、思いとどまった。
イダテンをせめてどうなるものでもない。
義久自身、軽く考えていたのだ。
味方の伝令を装って門だか柵だかを開けさせた隙にイダテンと姫が突破すればよいだろう、と。
だが、用心深さを絵に描いたような砦である。
やつらは門を開けてみせることさえしないだろう。
イダテン一人であれば、敵を出し抜いて馬木の隆家様につなぎをつけられるかもしれない。
とは言え、隆家様が、急ぎ邸の侍を引き連れてきたところで落とせるような規模の砦ではない。
かといって近隣の土豪に招集をかけていたのではいつになるかわからない。
追手も必死である。
道を塞いでいる岩や土砂、倒木の撤去には危険が伴おうが、なりふり構わず人手を投入するだろう。
おそらく二刻(※約4時間)とかかるまい。
そうなれば雪隠づめである。
姫と自分の命は風前の灯となる。
「だが」と、イダテンが口を開いた。
「応用すれば、一撃で柵をこじ開けることができよう」
さらりと口にした。
大言壮語が過ぎる、と言われる義久でさえ、鼻白むほどである。
だが、大軍に囲まれた邸から姫を救い出したイダテンの言葉である。
裏付けなり、考えなりがあるのだろう。
悔しいが義久に、これといった策もない以上、イダテンに頼るほかなかった。
「ならば、斥候にでてくれるか? なんにせよ、もう少し近くから砦の様子を見ておかねばなるまい。門をこじ開けたところで、どこから矢が飛んでくるかもわからぬ、では、突破もおぼつくまい」
「先ほど行ってきた」
思わずイダテンに、次に、館を囲む闇に目をやった。
砦の前の道は直線で月明かりに照らされている。
ならば、崖を登って近づくほかはない。
しかし、このあたりに人が登れるような崖はない。
猿でさえ、登れるかどうか怪しいものだ。
と、口にしようとして、イダテンが人ではないことに思いあたった。
葛橋でのことと言い、まさに鬼神のごとき働きぶりである。
思わずため息をついた。
こいつといると、おのれが小物に見えて仕方がない。
「……登れるのであれば。姫様を背負って先に進め。矛など交えておっては何が起こるかわからぬでな」
置いて行かれたのでは、姫に、自分の男ぶりを見せることができなくなる。
が、姫の命には代えられない。
断腸の想いで口にした。
事実、声は震えていた。
だが、イダテンは、あっさりと首を横に振った。
「物と違い、人は重心が取りにくい」
なにより、捨てて逃げるわけにはいかない。
音をたてただけでも矢が降り注ごう――イダテンは、他に方法はないのだ、とばかりに話を続けた。
「門の代わりに丸太の柵が三つ並んでいる。谷側の一つを壊せばなんとかなろう。おれが、あの柵を開ける。いつでも走り抜けられるよう馬の用意をしておけ。砦まではおよそ八町(※約870m)。いうまでもないが上り坂だ。馬の脚も重かろう」
「待て、待て」
と、思わず大声を上げた。
「馬鹿なことを言うな。それは策とも、打ち合わせともいえぬぞ」
が、こいつができるというのなら、できるような気がしてくるのも確かである。
何より義久の出番もある。
「存分に働いてください。義久も、あなたに負けぬ働きで応えましょう」
突然、割り込んできた姫が自信ありげに微笑んでいる。
当の本人には何の成算もないというのに。
「四半刻もせぬうちに騒ぎになろう。それを合図に走り出せ」
イダテンは、そう言い捨てると、櫓の端に置いていた背負子を取りに向かった。
姫や義久の言うことなどまったく意に介していない。
まさに唯我独尊だ。
*
「おじじ……忠信様には知らせたのであろうな?」
声が上ずっていた。
イダテンは首を振った。
「国司と、おまえのおじじは、うまくいっていないようだった」
その言葉に血の気が引いた。
イダテンのいうとおりだ。
鬼の子が何を言っても相手にされなかっただろう。
そもそも、たった一日で、このような場所に砦を築こうとする者がいるなど誰が想像できよう。
知らせたところで何が変わっただろう。
国親を最も疑っていたはずの、おじじでさえ薬王寺に向かう主人を止められなかったのだ。
大伯父に至っては、戦前に郎党もろとも皆殺しにされたのだ。
これは、われらの問題だ。
武門に生まれながら、主人を守れなかった、われら兵の問題だ。
これほどの謀略を予見できなかった義久や主人の信頼を得られなかったおじじの問題だ。
姫の父である阿岐権守も阿岐権守で、この頃は国親を頼りにする言動があったと聞く。
が、哀しげに眉を下げている姫の前で罵倒するわけにはいかない。
「頑固者ばかりだからな」
気持ちを静めようと瓢箪を口に当てて唇を湿らせる。
――それでも、こいつなら何とかできたのではないか、という思いは捨てきれなかった。
だが、今、考えねばならないことは、そのことではない。
「あれを突破するほかないのであろう?」
当然だ、という顔でイダテンがうなずく。
「先ほどの橋のように、上から岩を投げて砦を壊せぬか?」
「床が、ひとつふたつ抜けておしまいだ」
イダテンが即座に否定する。
確かに葛橋ほど脆弱ではあるまい。
崖の上に、投げるに適した岩がごろごろしているはずもない。
もたもたしていれば矢で射殺されるだろう。
だが、自らこの峠道を選びながら、悩む風でもなく平然としているイダテンに腹が立ってきた。
ではどうするというのだ。
その焦りが口について出る。
「やってみねばわからぬであろう」
「イダテンは建築には詳しいのですよ」
姫が口を挟んできた。
何かと、イダテンの肩を持つのが面白くなかった。
しかも、このような状況で笑みさえ浮かべている。
人に襲われた鬼の子……イダテンを姫が助け、使用人の家で療養させているとは聞いていた。
おじじのことだ、三郎や母者と一緒に住まわせたのだろう。
とはいえ、その、わずか半月ほどの間に、ここまでの信頼を得たというのか。
ならばどうするのだ、と口にしようとして、思いとどまった。
イダテンをせめてどうなるものでもない。
義久自身、軽く考えていたのだ。
味方の伝令を装って門だか柵だかを開けさせた隙にイダテンと姫が突破すればよいだろう、と。
だが、用心深さを絵に描いたような砦である。
やつらは門を開けてみせることさえしないだろう。
イダテン一人であれば、敵を出し抜いて馬木の隆家様につなぎをつけられるかもしれない。
とは言え、隆家様が、急ぎ邸の侍を引き連れてきたところで落とせるような規模の砦ではない。
かといって近隣の土豪に招集をかけていたのではいつになるかわからない。
追手も必死である。
道を塞いでいる岩や土砂、倒木の撤去には危険が伴おうが、なりふり構わず人手を投入するだろう。
おそらく二刻(※約4時間)とかかるまい。
そうなれば雪隠づめである。
姫と自分の命は風前の灯となる。
「だが」と、イダテンが口を開いた。
「応用すれば、一撃で柵をこじ開けることができよう」
さらりと口にした。
大言壮語が過ぎる、と言われる義久でさえ、鼻白むほどである。
だが、大軍に囲まれた邸から姫を救い出したイダテンの言葉である。
裏付けなり、考えなりがあるのだろう。
悔しいが義久に、これといった策もない以上、イダテンに頼るほかなかった。
「ならば、斥候にでてくれるか? なんにせよ、もう少し近くから砦の様子を見ておかねばなるまい。門をこじ開けたところで、どこから矢が飛んでくるかもわからぬ、では、突破もおぼつくまい」
「先ほど行ってきた」
思わずイダテンに、次に、館を囲む闇に目をやった。
砦の前の道は直線で月明かりに照らされている。
ならば、崖を登って近づくほかはない。
しかし、このあたりに人が登れるような崖はない。
猿でさえ、登れるかどうか怪しいものだ。
と、口にしようとして、イダテンが人ではないことに思いあたった。
葛橋でのことと言い、まさに鬼神のごとき働きぶりである。
思わずため息をついた。
こいつといると、おのれが小物に見えて仕方がない。
「……登れるのであれば。姫様を背負って先に進め。矛など交えておっては何が起こるかわからぬでな」
置いて行かれたのでは、姫に、自分の男ぶりを見せることができなくなる。
が、姫の命には代えられない。
断腸の想いで口にした。
事実、声は震えていた。
だが、イダテンは、あっさりと首を横に振った。
「物と違い、人は重心が取りにくい」
なにより、捨てて逃げるわけにはいかない。
音をたてただけでも矢が降り注ごう――イダテンは、他に方法はないのだ、とばかりに話を続けた。
「門の代わりに丸太の柵が三つ並んでいる。谷側の一つを壊せばなんとかなろう。おれが、あの柵を開ける。いつでも走り抜けられるよう馬の用意をしておけ。砦まではおよそ八町(※約870m)。いうまでもないが上り坂だ。馬の脚も重かろう」
「待て、待て」
と、思わず大声を上げた。
「馬鹿なことを言うな。それは策とも、打ち合わせともいえぬぞ」
が、こいつができるというのなら、できるような気がしてくるのも確かである。
何より義久の出番もある。
「存分に働いてください。義久も、あなたに負けぬ働きで応えましょう」
突然、割り込んできた姫が自信ありげに微笑んでいる。
当の本人には何の成算もないというのに。
「四半刻もせぬうちに騒ぎになろう。それを合図に走り出せ」
イダテンは、そう言い捨てると、櫓の端に置いていた背負子を取りに向かった。
姫や義久の言うことなどまったく意に介していない。
まさに唯我独尊だ。
*
3
あなたにおすすめの小説
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-
ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。
1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。
わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。
だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。
※アルファポリス限定投稿
ソラノカケラ ⦅Shattered Skies⦆
みにみ
歴史・時代
2026年 中華人民共和国が台湾へ軍事侵攻を開始
台湾側は地の利を生かし善戦するも
人海戦術で推してくる中国側に敗走を重ね
たった3ヶ月ほどで第2作戦区以外を掌握される
背に腹を変えられなくなった台湾政府は
傭兵を雇うことを決定
世界各地から金を求めて傭兵たちが集まった
これは、その中の1人
台湾空軍特務中尉Mr.MAITOKIこと
舞時景都と
台湾空軍特務中士Mr.SASENOこと
佐世野榛名のコンビによる
台湾開放戦を描いた物語である
※エースコンバットみたいな世界観で描いてます()
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
If太平洋戦争 日本が懸命な判断をしていたら
みにみ
歴史・時代
もし、あの戦争で日本が異なる選択をしていたら?
国力の差を直視し、無謀な拡大を避け、戦略と外交で活路を開く。
真珠湾、ミッドウェー、ガダルカナル…分水嶺で下された「if」の決断。
破滅回避し、国家存続をかけたもう一つの終戦を描く架空戦記。
現在1945年中盤まで執筆
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる