76 / 91
第七十六話 雄叫び
しおりを挟む
一刻も早く砦の兵どもの目をそらさねばならない。
柵が開いたとはいえ、このままでは姫と義久が無事に突破できないだろう。
今はまだ距離も離れている。
運も味方した。
暗いなかで、動く標的を上から狙うのも難しい。
だが、目の前に迫れば話は別だ。
まっすぐに駆けてくる相手に十人、二十人が射掛けて当たらぬはずがない。
上り坂ゆえ、馬の脚も重い。
転がっていた松明を掴み、二層目にあがると前後を塞がれた。
後方の兵が太刀を手に踏み込んでくる。
突き出される太刀をかわすと、その切っ先が前方から踏み込んできた兵の腹に突き刺さった。
だが、刺した兵が、それを後悔することはなかった。
刺された兵が振り下ろした太刀が自分の額に落ちてきたのだ。
イダテンは腹を刺された兵の太刀を奪い、駆けつけて来た別の兵の肩に投げつけた。
近くにあった炭桶と油壷を蹴倒した。
砦に攻め寄せる敵に煮立った油をかけるための物だ。
そこに松明を投げ捨てると炎は勢いを増し、壁を伝い、あっという間に天井まで届いた。
だが、燃えるのはこれだけではない。
先日、油を入れた壷を十ほど用意し、洞窟に置いてきた。
壷には、多祁理宮の符だを貼った。
ありがたい戦勝祈願の符だである。
ついでに、酒も失敬してきて壷に降りかけた。
封印したので中を見た者はおるまい。
お神酒と勘違いしている者もいるだろう。
燃え上がった火の先に、その壷が見えた。
中は二重にして油紙の中に藁や縄、端布、木っ端などを入れ、中身がこぼれ出た時に燃えやすくした。
転がっていた太刀を投げつけ破壊すると、中身が飛び散り火の勢いが増した。
さらに手前にあった壺も破壊し、痛みを覚悟で二層目の狭間から下流側の道に飛び降りた。
そこへ矢が飛んできた。
すんでのところで身をかわし、近くに転がっていた矛を、五間先で弓を手にしていた兵の太もも目がけて投げつけた。
兵が倒れ、視界が開けると蹄の音を鳴り響かせながら砦に向かってくる馬たちの姿が見えた。
最後尾の馬上には義久と姫の姿があった。
下流側の兵の注意は、そちらに向いていた。
砦の屋上に目をやると、階下の火に気づいた兵が避難のための縄梯子を板壁に沿って投げ落とした。
それでもすぐに退避しようとはせずに五人の兵が弓を手にした。
痛む足を引きずり、先ほど、背負子とともに落とした革の筒袋と弓を拾いあげ、こぼれ落ちていた自分の矢と敵の矢、四本のうち二本を筒袋に放り込む。
下流側に歩を進めながら連射した。
屋上の兵四人を倒した。
だが、ここで矢がなくなった。
火だるまになった兵が二層目から飛び降りてきた。
着地もできずに叩きつけられ、嫌な匂いをまき散らした。
三郎の最後の匂いだった。
三層目からも火の手は上がったものの、仕掛けが遅れたために火の回りが遅い。
このままでは姫と義久は格好の的になるだろう。
かといって、再び火をかけて回っている時はない。
――姫の胸に足に、義久の目に腹に、次々と矢が降り注ぐ――その光景が目に浮かんだ。
気がつくと雄叫びを上げていた。
呼応するように谷底から吹き上がった風が真っ紅な髪を舞い上げた。
風は、炎をも舞い上げた。
炎が縄梯子に燃え移ると状況は一変した。
縄が火を噴き、まるで踊ってでもいるかのように尻を振り、矢のような速さで砦をなめまわした。
*
屋上の中ほどにいた兵が、あわてて戦勝祈願の符だを貼った油壺に足を突っ込み、割って転がした。
さらに倒れ際に、もう一つの壺を割った。
こぼれ出た油が滑るように広がり、板壁を伝い、柱を伝い、谷底に流れ落ちて行った。
そこに縄の火と二層目と三層目の狭間から吹き上がる火が燃え移った。
地獄に滝があるのなら、かようであろうと思うほどの流れと勢いに、その場にいた者たちは一人残らず息を飲んだ。
*
柵が開いたとはいえ、このままでは姫と義久が無事に突破できないだろう。
今はまだ距離も離れている。
運も味方した。
暗いなかで、動く標的を上から狙うのも難しい。
だが、目の前に迫れば話は別だ。
まっすぐに駆けてくる相手に十人、二十人が射掛けて当たらぬはずがない。
上り坂ゆえ、馬の脚も重い。
転がっていた松明を掴み、二層目にあがると前後を塞がれた。
後方の兵が太刀を手に踏み込んでくる。
突き出される太刀をかわすと、その切っ先が前方から踏み込んできた兵の腹に突き刺さった。
だが、刺した兵が、それを後悔することはなかった。
刺された兵が振り下ろした太刀が自分の額に落ちてきたのだ。
イダテンは腹を刺された兵の太刀を奪い、駆けつけて来た別の兵の肩に投げつけた。
近くにあった炭桶と油壷を蹴倒した。
砦に攻め寄せる敵に煮立った油をかけるための物だ。
そこに松明を投げ捨てると炎は勢いを増し、壁を伝い、あっという間に天井まで届いた。
だが、燃えるのはこれだけではない。
先日、油を入れた壷を十ほど用意し、洞窟に置いてきた。
壷には、多祁理宮の符だを貼った。
ありがたい戦勝祈願の符だである。
ついでに、酒も失敬してきて壷に降りかけた。
封印したので中を見た者はおるまい。
お神酒と勘違いしている者もいるだろう。
燃え上がった火の先に、その壷が見えた。
中は二重にして油紙の中に藁や縄、端布、木っ端などを入れ、中身がこぼれ出た時に燃えやすくした。
転がっていた太刀を投げつけ破壊すると、中身が飛び散り火の勢いが増した。
さらに手前にあった壺も破壊し、痛みを覚悟で二層目の狭間から下流側の道に飛び降りた。
そこへ矢が飛んできた。
すんでのところで身をかわし、近くに転がっていた矛を、五間先で弓を手にしていた兵の太もも目がけて投げつけた。
兵が倒れ、視界が開けると蹄の音を鳴り響かせながら砦に向かってくる馬たちの姿が見えた。
最後尾の馬上には義久と姫の姿があった。
下流側の兵の注意は、そちらに向いていた。
砦の屋上に目をやると、階下の火に気づいた兵が避難のための縄梯子を板壁に沿って投げ落とした。
それでもすぐに退避しようとはせずに五人の兵が弓を手にした。
痛む足を引きずり、先ほど、背負子とともに落とした革の筒袋と弓を拾いあげ、こぼれ落ちていた自分の矢と敵の矢、四本のうち二本を筒袋に放り込む。
下流側に歩を進めながら連射した。
屋上の兵四人を倒した。
だが、ここで矢がなくなった。
火だるまになった兵が二層目から飛び降りてきた。
着地もできずに叩きつけられ、嫌な匂いをまき散らした。
三郎の最後の匂いだった。
三層目からも火の手は上がったものの、仕掛けが遅れたために火の回りが遅い。
このままでは姫と義久は格好の的になるだろう。
かといって、再び火をかけて回っている時はない。
――姫の胸に足に、義久の目に腹に、次々と矢が降り注ぐ――その光景が目に浮かんだ。
気がつくと雄叫びを上げていた。
呼応するように谷底から吹き上がった風が真っ紅な髪を舞い上げた。
風は、炎をも舞い上げた。
炎が縄梯子に燃え移ると状況は一変した。
縄が火を噴き、まるで踊ってでもいるかのように尻を振り、矢のような速さで砦をなめまわした。
*
屋上の中ほどにいた兵が、あわてて戦勝祈願の符だを貼った油壺に足を突っ込み、割って転がした。
さらに倒れ際に、もう一つの壺を割った。
こぼれ出た油が滑るように広がり、板壁を伝い、柱を伝い、谷底に流れ落ちて行った。
そこに縄の火と二層目と三層目の狭間から吹き上がる火が燃え移った。
地獄に滝があるのなら、かようであろうと思うほどの流れと勢いに、その場にいた者たちは一人残らず息を飲んだ。
*
4
あなたにおすすめの小説
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-
ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。
1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。
わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。
だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。
※アルファポリス限定投稿
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら
俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。
赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。
史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。
もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
If太平洋戦争 日本が懸命な判断をしていたら
みにみ
歴史・時代
もし、あの戦争で日本が異なる選択をしていたら?
国力の差を直視し、無謀な拡大を避け、戦略と外交で活路を開く。
真珠湾、ミッドウェー、ガダルカナル…分水嶺で下された「if」の決断。
破滅回避し、国家存続をかけたもう一つの終戦を描く架空戦記。
現在1945年中盤まで執筆
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる