ちはやぶる

八神真哉

文字の大きさ
86 / 91

第八十六話  窮地

しおりを挟む
――が、郎党は足を止め、あわてたように振り返った。

そして叫んだ。
「兼親様の大太刀が!」

その声に国親の気がそれた。
足元の太刀を掴み、手首を返した。
太刀は冷たい空気を切り裂き、郎党の胸に吸い込まれた。

意外なことに、崩れ落ちる郎党を目にしても国親は冷静だった。
焦りひとつ見せず、イダテンに目をやるだけで行動も起こさなかった。

白い雲が流れ、枯草が風にそよいだ。
国親が静かに声をかけてきた。

「どうじゃ、わしと組まぬか?」
夜目の利かぬ国親は、背負子に括りつけられた兼親の大太刀に気がつかなかったのだろうか。

いや、この男に限ってそれはあるまい。
たとえ目視できなかったとしても、郎党の発した言葉から何があったかを的確に理解しただろう。

背の高い男に目配せして一歩前に出る。
「いつまでも、このような地で燻ってはおれぬでな。わしについて損はないぞ……」

にやりと笑う。
何事もなかったかのように。
欠けた者がいるなら補充すれば良いではないかとでもいうように。
おまえを手に入れることができれば儲けものだとでもいうように。

「がてんが行かぬか?」
断られることを承知で口にしているのだ。
男をイダテンの背後に回すために刻を稼いでいるのだ。

そのおかげで呼吸は楽になったものの、相変わらず膝は震え体に力が入らない。
弱みを見せまいと国親を睨みつけ、口の中にたまった血を吐き気を堪え飲み込んだ。

「われらは、国衙の役人の要請に応じ、国司の邸に押し入った山賊どもを討っただけじゃ」

国親は続けた。
「……国司様の威光を知らしめるため、他国に先駆け、この国の山賊、盗賊どもを殲滅いたしてはいかがでしょう。この国親に命じていただければ、と先日、言上したのだ。……が、国司がそれを自慢げに吹聴したゆえ、それが山賊どもの耳に入った」

一息入れて淡々と続けた。
「追い詰められた山賊と盗賊は徒党を組み、国司の邸に押し入った――邸に引き入れたのは、やつら同様、国司に不満を持つ鬼の子――と言う筋書きよ。……わしと組むなら書き換えてやろう」

イダテンと山賊どもが国司の邸を襲い、皆殺しにしたあげく、火を放ったと言い抜けようというのだ。

またしても罪を押しつけるか――そして口を封じるか。
「だれぞと利害が一致したのだな」

国親は、一瞬目をみはり、そして冷ややかに微笑んだ。
「頭の巡りも良い……が良すぎる奴は使いづらい」

イダテンを見下ろす血色の目に三日月が映りこんだ。
「冥途の土産に教えてやろう。ささらが姫がいなければ、と願っている方がおられるのだ」

老臣の言葉は正しかったのだ。

「こたびの山賊退治で、わしは、都に迎えられる。すでにさる方の家人になった。しかるべき官位につけるとの約定も交わした。だが、そのようなものはわしにとって足がかりにすぎぬ」

と、口端を上げた。

笑っているのだ。

「わしの望みは征夷大将軍じゃ。名実ともに武家の棟梁よ。『たわけたことを。下衆の武家の分際で』と、嘲笑する者もおろう……が、必ず上り詰めて見せよう。どのような手段を用いてもな」

――出世のために殺したか。

三郎を。
ミコを。
罪もない者を。

怒りが体を突き動かした。
叫んでいた。

横に飛んで手斧を掴むと五体を躍らせ、国親の頭上に跳んだ。
体を前に回しながら頭を狙って手斧を振るった。

だが、届かなかった。
情けないほど動きが鈍い。

手斧の側面を大太刀で打たれ、肘にしびれが走る。
着地の際に左足の衝撃を和らげるために転がった。

手斧を握り直し、国親が下手から回してきた大太刀を跳ね返した。
火花が散った。
足の痛みと頭の疼きをこらえ、国親の懐に飛び込んで、腹をめがけて手斧を叩きこんだ。

かろうじて弾き返しはしたものの国親の動きも鈍い。
五尺を超える大太刀があだとなり、傷を負った腕が痛むのか、よろけながらあとすざった。

ここぞとばかりに踏み込んで、手斧を振り抜いた。
今度こそ手ごたえがあった。
が、それは身を挺して主人を守ろうと割り込んできた男の左腕に与えたものだった。

それでも、男は叫びながら、右手一本で太刀を振り回してきた。
それを弾き、続いて打ち込んできた国親の大太刀を左にかわしざま、男の腰を手斧で打ち砕いた。
男は、体を二つに折って後方に吹き飛んだ。

雲が流れ、月が姿を現した。
三日月から弓張月へと満ちていく。

「良将。力で押し込め」
国親が、一人残った背の高い男に声をかけた。
男の衣は裂け、血がにじんでいる。
先ほどイダテンに太刀を振るってきた時に傷ついたようだ。

男は、あきらかに怯えていた。
まさか自分たちの方が追い込まれるとは思ってもみなかったのだろう。
それでも、主人の命令に従いイダテンと対峙する。

一方の国親は、余裕ありげに、にたりと笑った。
「手負いの姫を放っておいてよいのか? 急がぬと手遅れになるぞ」

はったりだ。
近づこうとした男は串刺しにした。

気を散らそうとしているのだ。
そう思いながらも、国親の自信ありげな表情に、姫を置いた崖下の窪みに目をやった。

それを待っていたように良将と呼ばれた男が太刀を振り下ろしてきた。
反応が遅れ、柄で受けた。

樫でなければ、柄ごと切り裂かれていたかもしれない。
逆に相手の太刀が曲がっていた。

だが、相手もひるまない。
背丈の差を利用して上から太刀を押し付けてきた。

足の痛みをこらえながら姫に目をやるが、月明りの届かない場所に置いたため姫の表情は読み取れない。
背を丸めている様子は苦しそうにも見える。

視線を戻すと、国親は男の背後に隠れていた。
思ったより深手を与えたのか。

ならば、右手から回り込み……。
そう思ったとたん、胸もとにぶら下がっていた鏡が耳障りな音をたてた。

同時に、肩に衝撃が走った。
見ると血に濡れた太刀が左肩に突き刺さっていた。

――避けられぬのも無理はない。

太刀は思いもよらぬところから伸びていた。
イダテンと鍔迫り合いをしている男の腹から突き出ていたのだ。
男の衣が見る間に血で染まっていく。

火の出るような疼痛が襲って来た。
倒れたら、そこで終わる。
力を失った男の胸を押しながら後ろに下がった。

こめかみに青筋を浮かべた国親が男の脇から、睨みつけてきた。
「浅かったか」

「……国親様」
男は、自分の腹から突き出たものが何であるかに気がついたようだ。
「まさか、鎧を脱げと、お……」
うつろな目で、後方に立つ国親を追おうとする。

「待ち伏せするのに具足の音がしてはならぬ……ただ、こういった使い方もできると言うことよ」
国親が誇らしげに唇の端をあげた。

男の手から太刀がこぼれ落ちた。
「後の憂いはいらぬ。おまえの子は、いずれ郎党として取り立ててやる」

国親は男を足で前に蹴倒し、太刀を引き抜くと同時にイダテンめがけて振り下ろした。
血糊と紅い髪の毛が宙を舞った。

「人を挟むとなかなか急所はつけぬのう。さすがに事前に試してみるわけにもいかなんだが」
いや、狙いは正確だった。
母の形見の鏡がなければ、今頃は骸をさらしていただろう。

この男も壊れているのだ。
配下の命を奪っておきながら、おのれの策に陶酔している。

長引かせるほど不利になる。
空を見ると、厚い雲が月を隠そうとしていた。
足元には、腹を貫かれた男の太刀が転がっていた。

闇が国親の背後から忍び寄る、その瞬間を待って手斧を捨てた。
太刀に手を伸ばし片腕だけで薙いだ。捨て身の前傾で。
それは両手で振るうより遥かに先まで届いた。

肉を裂く感触が伝わってきた。
抑えられてはいるものの獣のようなうめき声が聞こえてきた。

風が雲を押し流した。
欠けた月が姿を現し、片手をついて、うずくまっている国親の姿を照らし出した。
袴が血に濡れていた。
その顔は怒りに歪んでいた。

――何を怒っている。
罪もなく、お前に殺された者たちの恨みや怒りに比べれば何ほどのことがあろう。

止めを刺そうと足を踏み出したとき、後方で物音がした。
続いて、かすかなうめき声が耳に届いた。

振り返ると、姫が背負子ごと横に倒れていた。
あわてて駆け寄った。
腰に矢が突き刺さっていた。
袿が血で濡れている。

おのれの迂闊さに腹が立った。
この荒れ地に入ってから射られたのではない。
前の道を横切ったときに射られたのだ。

幾重にも衣を重ね、さらに毛皮を羽織っていたためか、深くは刺さっていないように見える。
いや、腰の骨に当たって止まったのであれば骨が砕けているかも知れない。

姫の手から、小さな白い花がこぼれ落ちた。
血の気がひき、汗が浮かんだ額に、乱れた髪が貼りついていた。
呼吸も乱れている。
一刻も早く隆家の邸に届けて、薬師の治療を受けさせねばならない。

だが、矢が刺さったままでは、獣道どころか山道を走ることさえできない。
枝などに当たれば傷を深くしてしまうからだ。
かといって、抜いてしまうと、より血が流れる。

丸薬を一粒、姫の喉の奥にねじ込んだ。
痛みがやわらぐまでにはしばらくかかる。

落ちていた矢の軸を重ね、端布を巻き、口に咥えさせ、尻で腰を押さえつけ、危険を承知で刺さった矢の軸を短く折った。
喰いしばった歯から声が漏れる。

血の気の引いた顔に涙と汗がにじんだ。

矢を折った後、その穴から毛皮を抜き、開いた穴に縄を通してたくし上げた。
矢の刺さった個所の衣を十文字に裂いた。
見た目より遥かに重い守袋を姫の首から外し、背負子に結びつけた。

蹄の音が耳に届く。
国親がうずくまっていた場所に目をやるが、すでにその姿はない。
洞窟か祠の陰にでも隠していた馬で逃れたのだろう。

自らの肩の傷は、倒した郎党の衣を裂き、幾重にも巻きつけ、押さえつけてごまかした。
隆家の邸まで持てばよい。

が、足は限界に近く、肩は空の背負子を担ぐのさえ辛い――姫を背負って、馬木までたどり着けるとは思えなかった。

もはや選択の余地はない。
最後の丸薬を口に放り込んだ。

    *
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら

俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。 赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。 史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。 もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

If太平洋戦争        日本が懸命な判断をしていたら

みにみ
歴史・時代
もし、あの戦争で日本が異なる選択をしていたら? 国力の差を直視し、無謀な拡大を避け、戦略と外交で活路を開く。 真珠湾、ミッドウェー、ガダルカナル…分水嶺で下された「if」の決断。 破滅回避し、国家存続をかけたもう一つの終戦を描く架空戦記。 現在1945年中盤まで執筆

処理中です...