あさきゆめみし

八神真哉

文字の大きさ
4 / 89

第三話   『草の庵』

しおりを挟む
【輝夜】

「従者が生き返るのならな」
男は、憎らしいほどいきがる様子もなく答えた。

弓の腕からすれば、山の民の可能性も捨てきれない。
だが、人の体を打ち抜きながらたかぶる様子一つ見せないところを見れば、武士だろう。
若くはあっても、幾度となく戦を経験すれば度胸もつくに違いない。

恐ろしさもあって山賊たちには目をやらぬようにしていたが、何やら違和感を覚えていた。
ようやく、その正体に気がついた。

目の届く限りではあるが、矢はすべて脚に当たっていたのだ。
まさか、狙って射たというのか。

あらためて男の姿を眺めた。
狩衣に似た掛水干を短く細身に仕立て、すそ脛巾はばきに込めている。袂の幅も狭い。

奇をてらったように見えるが動きやすそうではある。
袖も庶民の直垂の袖に近い。
色は涼し気な薄浅黄。
月明かりの下でも質感は見て取れる。生地は麻だろう。

少々くたびれてはいたが質は悪くないように見える。
かつて牛車の物見から見た、農夫たちの匂い立つような衣とは明らかに違っていた。
意匠も変わっている。
縫い合わせた左右の袖と上前下前の色に濃淡がある。

かといって、破れたり穴が開いたりしたものを塞いだわけではないらしい。
色目を換えているようだ。
どこからこのような発想が出てくるのだろうか。
あえて似た物を探せば宮中で流行り始めた継紙だろうか。

何より変わっているのが、頭周りだ。
烏帽子えぼしをかぶらぬばかりか、妙な被り物をしている。

髪は結わず、背中に垂らした袋の中にしまいこんでいるように見える。
頭には露草色の麻布を巻いて、髪の毛を見事なまでに隠している。
しかも、この暑い中、手甲(てこう)をつけ、革の沓まではいていた。

手甲や脛巾はばきは、日焼けや、とげや葉のかぶれ、あるいはうるしや虫などから身を守るためのものだ、と聞いたことがある。
確かにここは山中である。
とはいえ、この暑い中、少々過剰に見えた。

傾いた様子からすると武士ではなく、山の民、あるいは曲芸師、軽業師の類だろうか。

力はあるようだ。
なにしろ、背負子の丈が異様に高い。七尺はあろう。
竹を接ぎたして伸ばしているのだ。
そこにまきを山のように積み上げている。

いつぞや自分一人で筝を動かそうとしたことがある。
その時でさえ指が折れるのではないかと思った。
薪の一本一本はそうでもなかろうが、これほどの量となれば相当の重さだろう。
背負子の横には、麻布に包まれた六尺ほどの棒状のものが結び付けられていた。

男が、どこにいくつもりだったのだ、と尋ねてくる。
牛車の向きを見れば、都から出るつもりだったことは一目瞭然である。
人目につかぬ安心して休めるところを、と話を逸らす。

男は、面倒なことになった、とばかりに眉をひそめた。
そもそも身分のあるものが移動する際には牛車や輿こし、馬を使う。
往来を歩くのは恥ずかしいとされる。
普段であれば、そのような衣は用意していない。

迎えを呼ぶのは朝になる、と男が告げてきた。
――明日のことなど考えられなかった。

見栄を張ったものの、自分の足で歩いたのは二十間もなかっただろう。
峠道を下るものと思い込んでいたが、男は山の斜面に足を踏み入れたのだ。
普段履かない緒太の緒が指の間に食い込み、こすれ、食い込んだ。
さらには、木の根を踏んで足首をひねってしまったのだ。

足を痛めて動けないと言うと、男はため息をついた。
それでも、わたしを背負子に乗せるため薪をおろし、葛籠をわたしの頭上に載せられるよう工夫した。

薪にいたっては腰にさげていた縄で背負子の横に器用にくくり直した。
なんともいびつで巨大で重量感あふれる飾り物が出来上がった。
さらに、わたしの重さが加わる。
しかし、男はいともたやすく担ぎ上げた。


    *

男は鬱蒼うっそうと生い茂る藪の中、およそ人の通るとは思えない場所を進む。
縦に横にと振り回され、虫の垂れ衣は木の枝に引きさかれ、わけのわからぬものが顔に張りついた。
幾度も声を上げたが、男は心配顔ひとつ見せず、そのうち、振り返りもしなくなった。

蚊に刺され、蒸し暑さに辟易する。
時折、何かの気配が感じられた。

蚊の羽音とも違う唸るような音や、聞いたことのない鳴き声、さらには人のすすり泣くような声さえ聞こえてくる。
姿は見えぬが、笹や枯葉を踏みしめながらわたしの目の前を横切るモノもいる。

「あれは何です?」と、尋ねるが、
「悪さはすまい」と、一言で片づけられた。

洛外では魑魅魍魎ちみもうりょう闊歩かっぽし、百鬼夜行に出逢った者もいると聞く。
それではないかと、男に念を押す。

「観たいのか」と、訊いてくる。
「御免です。人を喰らう、というではありませんか」と答えると、
「あれはあれで面白いのだが」と、まるで見世物でもあるかのように返してくる。

先ほど襲ってきた山賊は十人はいただろう。
一人取り逃がしたとは言え、それを瞬く間に退治するなど、人の仕業とも思えなかった。
この男こそ、その類のものではなかろうかと今更ながら不安に襲われた。

と、男の足が止まった。
慌てて身構えたが、そうではなかった。
巨大な岩が立ち塞がっていたのだ。
男の様子から、目的地に着いたのだと見当がついた。

右手に回ると、崖らしき場所にでた。
背負われたまま、崖を伝うように道ともいえぬ足場を進む。
夜で幸いだった。明るい刻限であれば大騒ぎしていたであろう。
二間ほど進み、岩と岩の狭い隙間をくぐり抜け、登っていくと柵らしいものが行く手を遮る。

それを通り過ぎると竹林が現われた。
その先に大きく突き出た大岩が見える。

岩下に屋根と壁を兼ねたような茅葺かやぶきの粗末な納屋のようなものがおさまっていた。
大岩の上から張り出す松の枝がその下にあるものを覆っている。
まるで、ここを何者からか隠すかのように。

草のいおり、という言葉が浮かんだ。

天を仰ぐ。
月の光が竹林にこぼれ落ちる。
あたりはしんと静まり返っている。
その様子に心が震えた。
時の止まった異世界に迷い込んだのではないかと。

――この時のことは、思い出しても不思議でならない。
自分のしでかした大事にさいなまれるのは、半刻もしてからである。
心が壊れてしまわないように、何かが守ってくれたのだろうか。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)

三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。 佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。 幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。 ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。 又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。 海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。 一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。 事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。 果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。 シロの鼻が真実を追い詰める! 別サイトで発表した作品のR15版です。

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

7番目のシャルル、狂った王国にうまれて【少年期編完結】

しんの(C.Clarté)
歴史・時代
15世紀、狂王と淫妃の間に生まれた10番目の子が王位を継ぐとは誰も予想しなかった。兄王子の連続死で、不遇な王子は14歳で王太子となり、没落する王国を背負って死と血にまみれた運命をたどる。「恩人ジャンヌ・ダルクを見捨てた暗愚」と貶される一方で、「建国以来、戦乱の絶えなかった王国にはじめて平和と正義と秩序をもたらした名君」と評価されるフランス王シャルル七世の少年時代の物語。 歴史に残された記述と、筆者が受け継いだ記憶をもとに脚色したフィクションです。 【カクヨムコン7中間選考通過】【アルファポリス第7回歴史・時代小説大賞、読者投票4位】【講談社レジェンド賞最終選考作】 ※表紙絵は離雨RIU(@re_hirame)様からいただいたファンアートを使わせていただいてます。 ※重複投稿しています。 カクヨム:https://kakuyomu.jp/works/16816927859447599614 小説家になろう:https://ncode.syosetu.com/n9199ey/

課長と私のほのぼの婚

藤谷 郁
恋愛
冬美が結婚したのは十も離れた年上男性。 舘林陽一35歳。 仕事はできるが、ちょっと変わった人と噂される彼は他部署の課長さん。 ひょんなことから交際が始まり、5か月後の秋、気がつけば夫婦になっていた。 ※他サイトにも投稿。 ※一部写真は写真ACさまよりお借りしています。

月弥総合病院

僕君☾☾
キャラ文芸
月弥総合病院。極度の病院嫌いや完治が難しい疾患、診察、検査などの医療行為を拒否したり中々治療が進められない子を治療していく。 また、ここは凄腕の医師達が集まる病院。特にその中の計5人が圧倒的に遥か上回る実力を持ち、「白鳥」と呼ばれている。 (小児科のストーリー)医療に全然詳しく無いのでそれっぽく書いてます...!!

旧校舎の地下室

守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

処理中です...