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第三章
46. 突然の死闘
「……それで、その男の正体は?」
チェフェンの話を聞き終えた俺は、決して弱くなかったチェフェンの戦闘意思を意図も容易く捻じ伏せたという謎の男の存在に、軽く戦慄していた。
それにチェフェンを操っていた奇妙な寄生生物も気になる。
男は『実験』と言っていたらしいが、あんなものが量産されていてこの世界にばら撒かれたら大変なことになる。
もしも理性を失った魔物たちが、人の住む都市部に流れ込んだら?考えただけでも恐ろしい。
「俺の記憶はそこまでで、残念ながら男が最後に何を言ったのかは記憶にない…」
申し訳なさそうに語るチェフェンの目には、哀悼のようなものが映っているように見えた。
さっきの語りで親友であったネルタを失ったことを鮮明に理解してしまったのだろう。
「そうか。まあいい。一人で歩けるか?」
「ああ。お前…名前はなんていうんだ?」
「俺はワタルだ」
「ワタルはこれから里まで戻るのか?」
「奥にある石版を回収してからな」
「石版?」
「ヴァルムがこの迷宮に残した秘宝だ」
さっきの話を聞いて推測が確信に変わった。
間違いなく、この奥にある竜王の秘宝とは石板のこと。
「そういえばあの男もそんなことを言っていたな。竜王の秘宝は竜王のリングではなかったのか……」
「そうだな。竜王のリングはヴァルムがずっと持っていたから」
俺は右腕に嵌めていた竜王のリングをチェフェンに見せた。するとチェフェンは他の竜たちと同様に目を見開いて驚いて見せた。
当然の反応だろう。一族が求めていた秘宝をぽっと出の人間が持っていたのだから。
「何故ワタルがそれを持っている?」
「ヴァルムと色々あってな。その辺の話は後でする」
もしかしたらこの場所にまた謎の男とやらが戻ってくるかもしれない。
長居は禁物なのだ。
俺は空間の奥へと歩みを進め、それにチェフェンもついてくる。
なんだかリリシアと会った時のことを思い出す。
あの時の俺は何もわからずに石版を取りに向かうリリシアの背中についていったっけ。その関係が、今の俺とチェフェンの関係と似ている。
リリシア……リリシアが残した石版もなんとかして見つけ出さないとな。
そんなことを考えながら、少しばかり進んだ先の壁の突き当たりで、かつてゼレス大迷宮の最下層で見たのと同じ紋様を発見する。
ゼレス大迷宮ではリリシアが『鍵』と呼ぶリングをこの紋様に当てることで、石板の間の扉が開いた。
その時使われた『鍵』がリングだったということも、竜王のリングが鍵であるという確信に至った所以。
俺は竜王のリングをその紋様に翳した。
案の定、仕掛け扉のように壁と擬態していた岩扉は開く。
「よし、チェフェンはここで待っててくれ」
「わかったが…まさかこんな仕掛けが…」
度重なる驚きを感じているであろうチェフェンを後ろ目に、俺は空間へと入る。
そこには予想していた通りゼレス大迷宮の時と同様、台座のような場所の上に石版のかけらが置かれていた。
それ以外は特に何もなかったので、回収して麻袋に入れすぐに空間から出る。
「じゃあ里まで戻るか」
ここにいてもこれ以上やることはない。
そういえばルフェゴール大森林にレイトを待たせてるから急がなければ。
と、いうわけで俺たちは元来た道を通り、迷宮の入り口まで戻った。
来た時と同様魔物の姿は見えなかったので、時間がかかりはしたが難なく戻ることはできた。
その間、チェフェンとは様々なことを話した。
ヴァルムのこと、レジェードのこと、そして俺が石版を集めていることなど。
チェフェンからは幼い頃のレジェードの話などを聞かせてもらった。
レジェードの性格はやはり幼い頃からあれぐらい臆病だったらしく、よくネルタとチェフェンに色々言われてたのだそうだ。
まさかそれで五年前にレジェードが里を飛び出すとは思いもしなかったらしいが……ちなみにレジェードは死んだと思われてたらしい。
だからレジェードの話を出した時、チェフェンは心底驚いていた。
迷宮を出ると、久々に感じられる太陽の明かりが心地よかった。
流石に出迎えてくれるなんてことはないらしく、入り口には誰もいない。
ここから里までの道は覚えてなかったが、チェフェンは一度原竜山を通らないといけないので、結局チェフェンの背に乗って一緒に原竜山を通って里に帰った。
「チェフェン…!チェフェンじゃねえか!!」
里に着くなり、こちらに気がついた住人の一匹が叫ぶ。
レジェードの時とはえらく違う反応だな。
やはりチェフェンは次期竜王候補であるということもあってこの里ではかなり有名な存在なのだろう。
対してレジェードは……これ以上は言わないでおこう。
続々と俺たちの周りに竜たちが集まってくる。
その騒ぎを聞きつけたのか、すぐさまヴァロメとレジェードもやってきた。
「おお…まさかこんな短期間であの迷宮を攻略したのか…?」
「ああ。魔物が全くいなかったからな」
「魔物がいなかった?」
「魔物たちは何かに怯えていて俺たちに姿を見せなかったって言った方が正しいか」
「何かに怯えていた?それはどういう…」
「俺は最初、魔物たちはこの竜王のリングを見て俺に手を出してこないのだと思っていた。だが違った。詳しくはチェフェンから聞いてくれ」
俺が説明するのでも良かったが、『謎の男』を実際に見ているチェフェンの口から話してもらったほうが伝わりやすいだろう。
聡明で強い魔物があそこまで怯えていた理由は──竜すらも軽々しく屠る『謎の男』による影響で間違いない。
「ここじゃ周りの目も多い…移動しよう」
確かに周りを見回してみると、思った以上に野次馬たちの存在がいた。
というわけで俺たちは俺とレジェードが最初に案内された建物へと移動する。
「それで、魔物は何に怯えていたのだ?」
「それは……」
チェフェンは俺に話したのと同様の話をヴァロメに話した。
話し終わる頃には、ヴァロメは細い目を更に細めて顎に手を当てて考えるそぶりを見せていた。
「謎の男…原竜山を通らずして直接ララー大迷宮に向かったのか…」
「つまり…もしあの男が原竜山の存在を知ってしまったら───って、何だ⁉︎」
その時。突如、チェフェンの言葉を遮るようにして建物が大きく揺れた。
そして響き渡る竜たちの悲鳴……一体何が。
俺たちは言葉を交わすことなくすぐさま建物を出た。
考えられる可能性としては、先ほどまで議題に出ていた謎の男が襲撃してきたこと。
だとしたら非常にマズイ。話を聞いた限り、今の俺の実力でその男とまともに戦えるとは思えない。
声が多数上がる方へ駆け、そこにいたのは二人の男だった。
二人?
あの男たちは…チェフェンが言っていた男とはたぶん違う。
そう思う根拠はある。
動きが俺でも対処できそうなレベルのものであったし、男のどちらもチェフェンが言っていたような特徴的な白い服を身に纏ってなかったからだ。
まあ服は着替えれるからなんの根拠にもならないが、それでも別と思えてしょうがない。
いや、これはチェフェンに確認を取った方が早いか。
「チェフェン。見えるか?あの男のどっちかはお前を襲った男と同一人物か?」
「いや……違う。絶対に違う」
「そうか。…行くぞ」
もしかしたらあいつらのどちらかが謎の男かもしれない。そんな憶測が俺の足を止めていた。
しかしその不安が無くなった今──俺の足を止めるものは何も無い。
「やめっ!やめてください!!!」
あれは…母竜とその子だろうか。
男の一人が小竜の首元に刃を突き立てている。それを制止しようと叫ぶ母竜。だが叫ぶだけでは男が止まることはない。
「はあ~。竜っつってもこんなもんかよ。こんな場所に何年もこもってっから肝心な時に戦えねぇんだよ。しかも本当はこのサイズだって?笑っちまうよな」
刃物を突き立てている男は呆れた、とでもいうように深いため息をついてみせた。
男の言っていることはわかる。
世間一般的に見て竜という種族は貴重で、そのどれもが人間を軽くあしらえるほどの脅威という認識だ。だが、ここにいる竜たちは違う。
想像の五倍くらいの数いたし、戦いを知らない弱い竜たちももちろん存在する。
外に出て行く竜こそが異常なのだ。『戦い』を求めて外の世界を放浪する竜こそが。レジェードは違うのだが…
「おい、その子を離せ」
わざわざこの里に乗り込んできてその現状を知り心底がっかりしたであろう男に、俺は神々封殺杖剣を突き出す。
男はたった二人だけで竜の里に乗り込んできた。
この事実だけで実力が窺えるが、臆している場合ではない。
「は?なんで人間がここにいるんだよ。あれか?竜に育てられた人間とかいうやつ。だったら普通の人間よりは強いはずだよな?」
黒の短髪に目の上に特徴的な傷。
よく見ると男が露出している箇所のほとんどに大小様々な傷跡があった。
「残念ながら俺は普通の人間に育てられた普通…の人間だ」
「じゃあなんでここにいるんだよ。竜に肩入れしてるってんなら容赦はしないぜ?」
「容赦してくれなくて結構だ」
「へえ、随分と余裕があるみたいだが、Aランク冒険者か何かか?」
「いや、駆け出しのDランク冒険者だ」
俺はポケットから鉄でできたギルドプレートをひらひらと見せつけてやった。
「笑わせにきてんのか?俺は雑魚が身の程も弁えずにしゃしゃり出てくるのが一番嫌いなんだよ!」
「とりあえず…戦ってみてからにするか?俺が勝ったらその竜を解放してやってくれ」
「…妙な自信だな。いいだろう。とりあえずコイツは離してやる」
男はそう言うと、掴んでいた小竜を母竜の方へと放り投げた。
どうやらこの男は徒らに竜を討伐しにきたわけではないらしい。
根っからの戦闘狂。そんな雰囲気を感じた。
俺は挑発こそしているが別に自信があるわけではない。
逆に、勝てるかどうかもわからない相手を挑発してしまったことを後悔している。
でも、先ほど遠目で見た男の動きはなんとか俺でも対処できるレベルのものに見えたから、多少の自信が出てきてしまっている。
「…行け」
この場にいては戦闘に巻き込まれてしまう可能性があるので、二匹の竜へ逃げるよう促す。
そして母竜は小さく頷いてこの場を離れた。
ちなみにチェフェンとヴァロメはと言うと、もう一人のの男の方へと向かったようだった。
まあ、そっちへ行くよう合図したのは俺だが。
すなわち、今の俺は目の前の男と一対一。
「かっこいいじゃんか。それで、イキった結果すぐ死ぬなんてことにはならないでくれよ?」
手に持っていた小刀を器用に手先で回しながら見せつけてくる男。
男が死んでからでは話を聞くことができない。まず先に情報を引き出しておくか。
「お前らは一体なんのためにこの場所に来た」
「俺?俺はローレイのやつに竜と戦える場所があるからついてこいって言われただけだ。…なんてのは建前だな」
「ローレイ?もう一人の男のことか?」
「ああ。…って少し喋りすぎたな。──失望させないでくれよ?」
紋章を展開し、それが開戦の合図だと言わんばかりに殺気立ったオーラを撒き散らす男。
おいおい、まさかとは思ったがこの男…レベル十じゃねーか。
刹那。
ヒュン、と乾いた音が耳元を通り抜ける。
男が持っていた小刀が、俺の頬を掠めていった。
決して反応できない速度だったわけではない。
だが、男の刃のように冷たく殺気立った眼差しを見ていたら、動くことができなかった。
それはまるでメデューサによって石にされてしまったかのような。
目が合うだけで動けなくなる?
もしかしてそれが男の紋章魔法なのか?
男は紋章を展開しているからその可能性はある。
…いや、ただ男の闘気に凄んでしまっただけか?
直後に放たれた男の縮地による一閃を、俺はギリギリで受ける。
攻撃を防いだ俺に、少しだけ目を見開いて驚いてみせる男。
「見かけによらずやるねぇ」
見かけによらず、か。俺ってそんなにひ弱に見えるか?
ってかコイツ、この剣どっから出した!?
「お前は見かけ通りの脳筋っぷりだな」
俺は焦りを悟らせないよう、相手を挑発するような言葉を出す。
「よくこの状況で冗談を言えたものだなぁ⁉︎」
俺が神々封殺杖剣で押さえつけていた剣を、男は叫びながら力で上にかちあげた。
脳筋などと言いつつ男は細身。
どこにこんな力があるというんだ──。
崩れる体勢。
手からこぼれ落ちそうになる神々封殺杖剣。
俺が神々封殺杖剣を離した時、俺の肉体を纏う鎧…神光支配の力は半減する。
それはすなわち俺の力が半減することであり、この勝てるかどうかわからない状況下では死に繋がるということ。
オーラが完全に消え去るわけではないのは、神々封殺杖剣から漏れるオーラが地面を伝って俺の元まで来るから。…これは最近気づいた。
戦闘に慣れた男がよろけた俺の隙を見逃すわけもなく、追撃をかけてくる。
俺はよろけたステップを利用して、機械的に首を狙ってくる男の追撃をギリギリで躱していく。
「なかなかどうして。意外とやれるじゃねーか。紋章魔法は使わねぇのか?それともナメてんのか?」
尚も追撃を続けながら、俺の顔を執拗に睨みつけてくる男。俺はその目を合わせないようにして言葉を交わす。
「俺は魔法を使えない。…お前はさっきからずっと紋章を展開させてるようだが…レベル十ってことを見せつけてんのか?」
「あぁ?気づいてると思ったが」
「目を合わせると体が動かなくなる魔法のことか?」
男がずっと紋章を展開し続けている理由。
それは、いつ魔法を使うかわからないというプレッシャーを俺に与え続けるため。
そして一度俺の体が硬直したという事実、俺の目を見ようというあからさまな態度。
それらから俺は男の紋章魔法を推測してカマをかけてみたが…
「やっぱ気づいてたのかよ……なんてな」
そう言って男がニヤついた瞬間。
男の紋章は一層煌めき、魔法が発動されたことが確認できた。
何が起こったか全くわからない状況下で、俺の額に流れる大粒の汗と、不敵に笑う男の声だけが鮮明な情報として流れ込んでくる。
一体何が。
俺は…あいつとは目を合わせていないはず。
「な…んで」
硬直した体でなんとか呟いた声は、自分で思っているよりも恐怖を含んでいた。
この世界に来てから何度来たかわからない『死』への恐怖。
魔王に、銀鏡の蜘蛛に、洞窟崩壊の時に…抱いた恐怖、恐怖、恐怖。
だけど、そのどれもに勝るほどの恐怖が、今の俺に襲いかかってきていた。
戦闘中に体が動かない。
先ほど俺の頬を刃が掠めていった時の硬直と同様ならば、その硬直は一瞬のものだろう。
だが、今の状況においてはその一瞬も悠久の時のように感じてしまう。
引き伸ばされた体感時間の中で、ゆっくりと男は俺の元へと近づいてくる。
その狂気を含んだ笑みを絶やさないまま。
違う。
この拘束は一瞬のものじゃない。
男が紋章を展開している限り続く、半永久的な拘束。
「お前、やっぱり戦闘経験浅いだろ?お前は勝手に俺の魔法を、『目を合わせないと発動しない』と思い込んでいた」
「な…マジ…か…よ」
デメリット無しで相手を硬直することができる魔法?そんなの強すぎないか…?
だが、本当に男の言う通りだ。
俺は戦闘経験がこの世界の住人に比べて少ないのにも関わらず、この世界に五つしかない秘宝の一つである神々封殺杖剣を手にしたくらいでいい気になっていた。
前に死にかけた時だって、自分の弱さを、慢心を、自覚していたはずだろう!それなのに俺は、全く変わっていやしない。
「安心しろ。すぐに殺しはしねえよ」
「なぜ…」
未だ硬直している俺の体を、どこから取り出したのか突如縄で縛りつけ始める男。
すぐには殺さない。その言葉にホッとしている自分がいた。
だが、そんな俺の安堵はすぐさま絶望に変わる。
「まずは左手からだぜ…?」
特殊な素材でできているのか、硬直が解けたにも関わらず俺の力では男が俺の両手足に縛りつけた縄を解くことができなかった。
神々封殺杖剣を手放した事で神光支配の効力が半減しているのもあるが。
にしてもまずは左手?男は一体何を──、
「────ッッ!!!」
不意に、意味を持たない空気を切り裂く程の乾いた絶叫が、竜の里全体を震わした。
その絶叫は、俺の喉から迸ったもの。
あまりに突然、唐突に訪れる激痛の嵐。
その痛みの根源は俺の左手からで間違いなかった。
そう、もはや無くなってしまった左手から、あるはずのない痛みを感じているのだ。
──左手を、切断された。
その断面が風や砂によって刺激され、激痛に拍車をかける。
視界の端で、溢れ出る涙で歪んでしまった世界で、俺は俺の左手をポンポンと上にあげてキャッチを繰り返している男を睨みつける。
「いいねえ、いいねえ!その声、その表情!!俺はそこそこ強いやつが苦痛に支配されるのを見るのが大好きなんだよぉ!」
痛い、痛い、痛い痛いいたいいたいいたいイタイイタイイタイ。
今まで感じてきた、経験してきたどの痛みよりも遥かに酷く、激しい痛みが俺の全身を駆け巡る。
レヴィオンの燃え盛る炎弾を見た時よりも醜い恐怖が、感情が押し寄せてきて、俺は喉を焼け落とすかのように鋭い液体を口から吐き出す。
それと一緒に吐き出るのは、命乞いの言葉ではく、只の空気。
もはや何かの言葉を出せるほどの意識は、俺から消えかけていた。
「やめ、やめろ!」
そんな時、消えゆく俺の意識に飛び込んできたのは、俺が助けた子竜の震えた声。
なんで戻ってきた。俺がお前を助けた意味がなくなるじゃないか…
もはや俺に、子竜に逃げろと叫ぶほどの気力は残されていなかった。
だが子竜は無策に俺を助けにきてくれたわけではなかった。
「その人間を離せ!」
子竜の背後から現れたのは紋章を展開させた大人の竜たち。
その数は四体ほどだが、その全員がレベル六~七程度で戦えないわけではない。
「チィ。ローレイのヤツは何やってんだか。いいぜ?お前らまとめてかかってこいよ」
挑発するように手招いて見せる男。
やめろ、お前たちが敵う相手じゃない。そう言おうとしたが、言葉には出せなかった。
それは俺の心が、助けてくれることを、この男を倒してくれることを少なからず願っている……願ってしまっているからだ。
竜たちは挑発に乗るようにそれぞれの紋章魔法を発動させる。
ある竜は大地を操り地面に亀裂を。
ある竜は自身の脚を剛脚に変化させ強力な蹴りの一撃を。
ある竜は岩石をも穿ちそうな速度の水弾を。
ある竜は背後から全員にバフをかける支援を。
それぞれの魔法は上手く作用し、完全に男を陥れたと思われた。
しかし戦闘に慣れた男がそんな攻撃に遅れをとるはずはない。
男は地面の亀裂を飛び越え、強化されたはずの蹴りを生身の蹴りで返し、水弾を難なく躱し、安全圏にいたはずの竜を蹂躙する。
「ハハッ。弱ぇ。弱ぇんだよなぁ?竜殺しってのは英雄の異名のはずだ。だがなんだこれは?まさか竜の里なんて場所が本当に存在してるとはなぁ?それも雑魚ばっかで。つまんねぇじゃねぇかよぉ⁉︎」
まるで思い通りにいかないことに怒る幼児のように地団駄を踏んでみせる男。
この男は純粋に戦いを楽しんでいて、強者と戦うことを目的にこの里に乗り込んできたのだ。
でも本当にそれだけが目的なのか?ローレイとかいうもう一人の男は?
突如湧いて出た当然の疑問。
本当にコイツは…コイツらはただ戦いを求めてこの場所に乗り込んできたって言うのか?
だが、そんな疑問の答えを示すように、袋から何かを取り出してみせる男。
袋から現れたのは、白く、まるでナメクジか何かのようにウネウネと動き、イソギンチャクのように触手を伸ばした不気味な生物。
「…ヒドラ…!」
一時は喋る気力も無くなっていたが、神光支配を切り口に纏わせなんとか止血できたことにより、男に質問するだけの精神力を取り戻した。
チェフェンはこの男はチェフェンにヒドラを突き刺した男とは別だと言っていた。
だが、この強さ、そしてヒドラを持っているという事実。
本当はこの男がチェフェンを操り人形にした男なんじゃないか?
──これより強い人間がいるなんて思いたくないだけかもしれないが。
「あ?ヒドラ?この生物のことか?お前はこの生物を知ってんのか?」
「ああ…!お前だろ!ここ近くの迷宮の最下層で、ネルタという竜を殺し、チェフェンという藍竜にその生物を寄生させたのは…!」
「…?知らねえなあ。まさかサイディスのことか?」
「…サイディス?そいつは…特徴的な白い服を着てるか…?」
「ああ?…そう言われてみればそうだな」
…決まりだ。
ネルタを殺った男と目の前のこの男は別。
こんな強さのやつが…まだいるっていうのか…!
おそらくこいつらは古代の代理人。
いや、おそらくじゃない。俺の勘がそう叫んでいる。もはや確信が俺の中で渦巻いていた。
そういえば男は何故今ヒドラを取り出した…?
──まさか。
「うあぁ!助けっ、助けてぇ!」
先ほど薙ぎ倒された竜の背後に隠れるようにしていた子竜の首を掴み、軽々と持ち上げてみせる男。
子供だから。
そんな考えは目の前の男には通用しないらしい。
「まずは手始めにお前からだ。子供に殺される親。どんな絶望の表情を見せてくれるかなぁ?」
そういって、男はヒドラの鋭利な触手を子竜の首裏に突き刺した。
たちまち狂ったようにもがき苦しみだす子竜。
「いやだ、やめて、」と口に出しながら鋭利な牙を剥き出しにし、顎からは幾筋もの唾液を、両手両足からは凶悪な爪を露見させ、理性を失ったように喚く子竜を──俺は見ていられなかった。
「あいつを殺れ」
母竜を指差しながら、男は狂気に染まった子竜に指示を出す。
まさか、ヒドラの宿主はヒドラを突き刺した者の命令を聞くっていうのか?
だとしたら…だとしたら男たちがこの里に来た理由は明白だ。
竜たちをこのヒドラで手駒にしようとしてるんだ。
返事もせずにただ唸り声をあげながら母竜の元へと近づく子竜。
母竜は潤んだ目を子竜に向けながら、「元に戻って…お願い…」と話しかけている。
だが、もはやヒドラに完全に寄生されてしまった子竜に聞く耳などない。
チェフェンのように強い精神力を持った歴戦の竜ならば或いは理性を取り戻す可能性もあるかもしれないが、寄生されているのはまだ戦闘のせの字も経験していない幼竜。
例え愛している母親の悲痛な声であっても、小竜に届くことは無い。
ザシュ、と鋭い音が響き渡る。
ヒドラによって凶暴化された鋭利な爪が、抵抗しない母竜の喉をいとも容易く掻き切った。
溢れ出る鮮血。倒れ込む母竜。
まだ多少の意識はあるのか、血走った目に涙を浮かばせる小竜の息は荒く、加速していく。
「あぁ?僕、なんで母さんを──」
予想外に意味のある言葉を発してみせる子竜。
自らの手で愛する母親を殺めたことによる罪悪感か、それとも憤怒からか、意識を一時的に取り戻したようだ。
「う~ん。いいねぇいいねぇ!大好きなママを殺した気分はどうだ?」
煽るように突っ立つ小竜の顔を覗き込む男。
ダメだ──もう、我慢の限界だ。
「うぁああああ!!!!!!」
叫び、力の限り俺を縛っていた縄を引きちぎる。
この極限状況下で、俺は神光支配の更なる有用な使い方に気づいた。
神光支配は、硬質化させることが出来る。
ただの気のようなオーラを、実際に手で触れられる硬度まで固めることが出来る。
──何故今まで気づかなかったのか。…いや、出来なかったのかと言った方が正しいか。
神光支配を鋭利に変化させ硬質化し、男の気があちらに取られている隙に少しづつに切れ目を入れた。
この縄を作る糸は、以前見たことがある。だから、切れると確信した。
「はあ?マジかよ。その糸は銀鏡の蜘蛛の巣から持ってきた特別性だぞ?」
興奮したように、そして楽しげに歯を剥き出しにする男。
ぜってえ負けられねえ。
「黙れ。二回戦開幕だ」
「そうこなくっちゃなぁ?」
男は異様に長い舌で唇を舐めながら剣をチラつかせてくる。
警戒すべきは男の紋章魔法による硬直だ。
あれだけ強力な魔法にデメリットがないとは思えない。
おそらく対象は一人だけで長いクールタイムが必要、そして色が薄まっている男の紋章からして、かなりの魔力を必要とする。
いや、クールタイムが必要などど自分優位に判断するのは死へと直結する。さっき学んだはずだろ。
魔力に関してはポーションで回復できるから魔力の枯渇を狙うのは現実的ではない。
ではどうすればいいのか……一対一で挑まなければいい。
消費魔力からして、流石にこの場にいる全員を硬直させることは出来ないはず。
「お前ら!力を貸してくれ!」
ヒドラによって凶暴化し、母竜を自らの手で殺めた小竜の姿を見て呆然とする四体の竜たちに向けて叫ぶ。
俺の声に竜たちは頷いている。
「おいおい、一人じゃ戦えねぇのか?…まあ賢明な判断だな。俺の魔法の難点に気づいたのかもしれねえが、さっきみたいに間違ってるかもしれないぜ?」
全く、男の言う通りだ。
さっきみたいに勝手な憶測で動いてしまうと、左手を失うなんて結末になってしまう。
慢心、そして根拠のない自信。
それに踊らされてしまうのがつくづく自分の悪い癖だ、
だが、戦闘において自分の勘に頼って動くのは悪いことじゃない。
論理的に考えて行動している時間なんてないし、自分を信じられなければ何も信じられないからだ。
「いい、俺は自分を信じる」
「そうか、なら死ね」
再び男は縮地をして距離を詰めてくる。それはもう織り込み済みだ。
俺は瞬時に背後に跳躍し、一匹の竜に男に向かって魔法を使うよう瞬時に指示を出す。
それは地面に亀裂を入れる魔法。
その亀裂を避けるには空中に逃げるしかない。
空中にいれば俺の追撃を避けることが難しくなるはずだ。
指示通り竜は男に向かって魔法を行使した。割れる地面、それを避けようと跳躍する男。
しめた、狙い通りだぜ。
即座に足に神光支配を集中させ、全力の跳躍で男に刃を向ける。
男は縦のベクトルに対して俺は横のベクトルのジャンプ。
俺の一撃は男を吹き飛ばすのには十分な一撃のように思えた──が。
男は背中を回旋させながら俺の剣を受け、衝撃を最小限に殺して見せた。
多少男は吹き飛んだものの、難なくその場で立ち上がってみせる程の余裕さ。
ダメだ、何か決定的な一撃を与える手段を考えなければあの男は倒せない。
と、その時。
俺にあるアイデアが舞い降りてきた。
先ほど俺が掴んだ神光支配の応用…硬質化。
それを利用すれば……
思いつくのはこれしかない。うまく行けばアイツを倒せる。
だが実行するにはタイミングが重要だ。もしうまく行っても俺が男の魔法によって硬直してしまえばそれは水の泡となる。
いや、それを利用すればいいのか…?
いずれにせよ実行するのにベストなのは男が魔法を使った直後だ。
そのためには男にもう一度魔法を使わせなければならない。
万全を期すなら四匹の竜のいずれかに男の魔法を受けてもらいたいが、そう上手くはいかないことだろう。
だが、一応伝えておく。
現在、男は多少俺たちから離れている。幸いだが急いでこちらに向かってくる様子もない。
作戦を伝えるなら今のうちだ。
「よく聞いてくれ、なんとかしてお前たちのいずれかにあの男の魔法を受けてもらいたい。俺がくらってしまうとマズイんだ」
「それは私たちの誰かが犠牲になれということですか?」
「違う。犠牲にはしない。絶対に助ける」
わざと男に聞こえるように、そして簡潔に、伝えたはずだ。
先ほどの子竜の凶暴化を見ていたからか、竜たちには多少の怯えが見えた気がしたが、頷いてくれたことから了承してくれたようだった。
「作戦会議は終わったかぁ?」
ゆっくりと、余裕げにこちらに歩んでくる男。
それに対し竜たちはそれぞれの紋章を展開し、反撃に備える。
「…行くぞ」
「いいぜ?一斉にかかってこいよ。雑魚が一人増えたくらいじゃさっきと変わんねえと思うけどなぁ?」
男が剣を構えると、再び大地が割れ、剛脚が駆け、水弾は宙を舞い、鼓舞が竜たちを支援した。
肝心な俺はと言うと……
「な⁉︎」
俺の行動を見た竜の一匹が素っ頓狂な声をあげる。
そう、俺は勇敢にも男に戦いを挑む竜たちを尻目に、男にバレないようにある細工をしてから背後に広がる森へと飛び込んだのだ。
竜たちは『人間が逃げた』、そう思ったことだろう。
だが、もちろん俺は逃げたわけではない。
森を駆け回り、男の死角から懐へと飛び込めそうな場所を見つけ、タイミングを見計らう。
俺が戦場から離脱したことにより、士気が下がったのか、次々とのされていく竜たち。
やはり魔法を発動させることはできなかったか。
だが、それでもいい。
渾身の竜の一撃によって、少しだけだが体勢が崩れた男の隙を俺は見逃さない。
先ほど同様、大樹を蹴って瞬発し、男めがけて一直線に跳躍する。
このタイミングだったらさっきみたいに体を旋回させて避けるなんてことはできずに剣で受けるか…魔法を使うはずだ。
さっきと同じ手は使わせねえ。
案の定、死角から跳んできたはずの俺をきっちりとその視野に捉え、紋章を光らせた男。
剣で受けずに魔法を使ってきたか……思う壺だぜ。
俺は空中で硬直し、そのまま慣性で男の元まで跳んで行く。男はそれを剣で受けようと思っていたようだが、俺が行った細工により男は腕と足を自由に動かせなかったようで、結果俺と正面衝突をした。
そうして俺と男は一緒に吹き飛ばされ、同時に近くの岩石へと衝突して止まる。
「なんで…だ。四肢が動かねえ…!」
困惑に目を見開く男に覆い被さる俺。
俺は未だ硬直しており、男が今持っている剣で背中でもつき刺されれば終わりだが、男は四肢が拘束されたように動けないようだ。
いや…実際に拘束しているのだ。
よかった、うまくいった。
そう、俺は森へと飛び込む際、男の腕へと不可視の神光支配を巻きつけ、跳躍して男とぶつかる際に硬質化させたのだ。
ぶつかる直前は俺と男は離れていたためにその硬さは男の力によって振り解かれてしまうほどのものだったと思うが、男には神光支配は見えてないし、あの状況で咄嗟にやられたものだから対処しきれなかったのは当然だろう。
そして男と接触している今は万全の神光支配を男に対し充てがっているため、男の力を持ってしても振り解けないはず。
現に振り解かれていない。
そして俺がしていたもう一つの細工。
それは……
「お前が…トドメを…さすんだ」
俺は膠着している男のそばまで来ていた子竜にそう指示を出した。
森に姿を隠す前に、呆然と立ち尽くしていた子竜に取り付いていたヒドラを殺しておいたのだ。
それにより自分の意思で動けるようになった子竜は、いつの間にかここまで来ていた。
「こいつが…僕を…母さんを…」
恨みが、憎悪が、憎しみがこもった目で男を見つめる子竜。
…あれ?俺はこの子にこんな目をさせるために、この子をヒドラから解き放ったのか?……違うだろ。
俺は小竜のあまりに悲しみを含んだその目を見て、そんなことを思った。思ってしまった。が、言葉には出せなかった。止めることはできなかった。
「ク…ソッ!ウォォアアア!!」
マズイと思ったのか信じられない力で暴れ回る男。
ヤバい、これ以上はもちこたえれな……
「僕は……僕の手では…このヒトを殺せない。母さんはきっとそれを望まないはずだから……」
俯いて、なんとか聞き取れるくらいの声量で呟やいてみせる子竜。
そうか。俺の心配は…杞憂だったみたいだな。
魔力が尽きたのか、男の魔法による俺の体の硬直は解け、俺は自分の体が自由になっていることに気づく。
この男はここで殺さなければいずれ厄介なことになる。
殺さないという選択肢はない。
「じゃあな、お前…強かったぜ」
「マジ…か…よ」
死を悟り、それでも尚狂気じみた笑みを浮かべる男。
最後まで男の名前はわからなかったが、俺の記憶に一生残るくらいには強かった。
…左手の恨み、返すぜ。
男に馬乗りになったまま、神々封殺杖剣を喉元に突き立て、差し込む。
カハッ、という空気の抜ける音とともに溢れ出る血飛沫。
ああ、久しぶりだな。人間の首を掻き切る感覚は。
できればもう味わいたくはなかった。
男の紋章から徐々に色がなくなり、やがて死人の紋章となる。
それが確実に男が絶命したことを示し、こうして突如始まった死闘は幕を閉じた。
後には小竜の悲痛で小さなすすり泣く声だけが、残るのみだった。
チェフェンの話を聞き終えた俺は、決して弱くなかったチェフェンの戦闘意思を意図も容易く捻じ伏せたという謎の男の存在に、軽く戦慄していた。
それにチェフェンを操っていた奇妙な寄生生物も気になる。
男は『実験』と言っていたらしいが、あんなものが量産されていてこの世界にばら撒かれたら大変なことになる。
もしも理性を失った魔物たちが、人の住む都市部に流れ込んだら?考えただけでも恐ろしい。
「俺の記憶はそこまでで、残念ながら男が最後に何を言ったのかは記憶にない…」
申し訳なさそうに語るチェフェンの目には、哀悼のようなものが映っているように見えた。
さっきの語りで親友であったネルタを失ったことを鮮明に理解してしまったのだろう。
「そうか。まあいい。一人で歩けるか?」
「ああ。お前…名前はなんていうんだ?」
「俺はワタルだ」
「ワタルはこれから里まで戻るのか?」
「奥にある石版を回収してからな」
「石版?」
「ヴァルムがこの迷宮に残した秘宝だ」
さっきの話を聞いて推測が確信に変わった。
間違いなく、この奥にある竜王の秘宝とは石板のこと。
「そういえばあの男もそんなことを言っていたな。竜王の秘宝は竜王のリングではなかったのか……」
「そうだな。竜王のリングはヴァルムがずっと持っていたから」
俺は右腕に嵌めていた竜王のリングをチェフェンに見せた。するとチェフェンは他の竜たちと同様に目を見開いて驚いて見せた。
当然の反応だろう。一族が求めていた秘宝をぽっと出の人間が持っていたのだから。
「何故ワタルがそれを持っている?」
「ヴァルムと色々あってな。その辺の話は後でする」
もしかしたらこの場所にまた謎の男とやらが戻ってくるかもしれない。
長居は禁物なのだ。
俺は空間の奥へと歩みを進め、それにチェフェンもついてくる。
なんだかリリシアと会った時のことを思い出す。
あの時の俺は何もわからずに石版を取りに向かうリリシアの背中についていったっけ。その関係が、今の俺とチェフェンの関係と似ている。
リリシア……リリシアが残した石版もなんとかして見つけ出さないとな。
そんなことを考えながら、少しばかり進んだ先の壁の突き当たりで、かつてゼレス大迷宮の最下層で見たのと同じ紋様を発見する。
ゼレス大迷宮ではリリシアが『鍵』と呼ぶリングをこの紋様に当てることで、石板の間の扉が開いた。
その時使われた『鍵』がリングだったということも、竜王のリングが鍵であるという確信に至った所以。
俺は竜王のリングをその紋様に翳した。
案の定、仕掛け扉のように壁と擬態していた岩扉は開く。
「よし、チェフェンはここで待っててくれ」
「わかったが…まさかこんな仕掛けが…」
度重なる驚きを感じているであろうチェフェンを後ろ目に、俺は空間へと入る。
そこには予想していた通りゼレス大迷宮の時と同様、台座のような場所の上に石版のかけらが置かれていた。
それ以外は特に何もなかったので、回収して麻袋に入れすぐに空間から出る。
「じゃあ里まで戻るか」
ここにいてもこれ以上やることはない。
そういえばルフェゴール大森林にレイトを待たせてるから急がなければ。
と、いうわけで俺たちは元来た道を通り、迷宮の入り口まで戻った。
来た時と同様魔物の姿は見えなかったので、時間がかかりはしたが難なく戻ることはできた。
その間、チェフェンとは様々なことを話した。
ヴァルムのこと、レジェードのこと、そして俺が石版を集めていることなど。
チェフェンからは幼い頃のレジェードの話などを聞かせてもらった。
レジェードの性格はやはり幼い頃からあれぐらい臆病だったらしく、よくネルタとチェフェンに色々言われてたのだそうだ。
まさかそれで五年前にレジェードが里を飛び出すとは思いもしなかったらしいが……ちなみにレジェードは死んだと思われてたらしい。
だからレジェードの話を出した時、チェフェンは心底驚いていた。
迷宮を出ると、久々に感じられる太陽の明かりが心地よかった。
流石に出迎えてくれるなんてことはないらしく、入り口には誰もいない。
ここから里までの道は覚えてなかったが、チェフェンは一度原竜山を通らないといけないので、結局チェフェンの背に乗って一緒に原竜山を通って里に帰った。
「チェフェン…!チェフェンじゃねえか!!」
里に着くなり、こちらに気がついた住人の一匹が叫ぶ。
レジェードの時とはえらく違う反応だな。
やはりチェフェンは次期竜王候補であるということもあってこの里ではかなり有名な存在なのだろう。
対してレジェードは……これ以上は言わないでおこう。
続々と俺たちの周りに竜たちが集まってくる。
その騒ぎを聞きつけたのか、すぐさまヴァロメとレジェードもやってきた。
「おお…まさかこんな短期間であの迷宮を攻略したのか…?」
「ああ。魔物が全くいなかったからな」
「魔物がいなかった?」
「魔物たちは何かに怯えていて俺たちに姿を見せなかったって言った方が正しいか」
「何かに怯えていた?それはどういう…」
「俺は最初、魔物たちはこの竜王のリングを見て俺に手を出してこないのだと思っていた。だが違った。詳しくはチェフェンから聞いてくれ」
俺が説明するのでも良かったが、『謎の男』を実際に見ているチェフェンの口から話してもらったほうが伝わりやすいだろう。
聡明で強い魔物があそこまで怯えていた理由は──竜すらも軽々しく屠る『謎の男』による影響で間違いない。
「ここじゃ周りの目も多い…移動しよう」
確かに周りを見回してみると、思った以上に野次馬たちの存在がいた。
というわけで俺たちは俺とレジェードが最初に案内された建物へと移動する。
「それで、魔物は何に怯えていたのだ?」
「それは……」
チェフェンは俺に話したのと同様の話をヴァロメに話した。
話し終わる頃には、ヴァロメは細い目を更に細めて顎に手を当てて考えるそぶりを見せていた。
「謎の男…原竜山を通らずして直接ララー大迷宮に向かったのか…」
「つまり…もしあの男が原竜山の存在を知ってしまったら───って、何だ⁉︎」
その時。突如、チェフェンの言葉を遮るようにして建物が大きく揺れた。
そして響き渡る竜たちの悲鳴……一体何が。
俺たちは言葉を交わすことなくすぐさま建物を出た。
考えられる可能性としては、先ほどまで議題に出ていた謎の男が襲撃してきたこと。
だとしたら非常にマズイ。話を聞いた限り、今の俺の実力でその男とまともに戦えるとは思えない。
声が多数上がる方へ駆け、そこにいたのは二人の男だった。
二人?
あの男たちは…チェフェンが言っていた男とはたぶん違う。
そう思う根拠はある。
動きが俺でも対処できそうなレベルのものであったし、男のどちらもチェフェンが言っていたような特徴的な白い服を身に纏ってなかったからだ。
まあ服は着替えれるからなんの根拠にもならないが、それでも別と思えてしょうがない。
いや、これはチェフェンに確認を取った方が早いか。
「チェフェン。見えるか?あの男のどっちかはお前を襲った男と同一人物か?」
「いや……違う。絶対に違う」
「そうか。…行くぞ」
もしかしたらあいつらのどちらかが謎の男かもしれない。そんな憶測が俺の足を止めていた。
しかしその不安が無くなった今──俺の足を止めるものは何も無い。
「やめっ!やめてください!!!」
あれは…母竜とその子だろうか。
男の一人が小竜の首元に刃を突き立てている。それを制止しようと叫ぶ母竜。だが叫ぶだけでは男が止まることはない。
「はあ~。竜っつってもこんなもんかよ。こんな場所に何年もこもってっから肝心な時に戦えねぇんだよ。しかも本当はこのサイズだって?笑っちまうよな」
刃物を突き立てている男は呆れた、とでもいうように深いため息をついてみせた。
男の言っていることはわかる。
世間一般的に見て竜という種族は貴重で、そのどれもが人間を軽くあしらえるほどの脅威という認識だ。だが、ここにいる竜たちは違う。
想像の五倍くらいの数いたし、戦いを知らない弱い竜たちももちろん存在する。
外に出て行く竜こそが異常なのだ。『戦い』を求めて外の世界を放浪する竜こそが。レジェードは違うのだが…
「おい、その子を離せ」
わざわざこの里に乗り込んできてその現状を知り心底がっかりしたであろう男に、俺は神々封殺杖剣を突き出す。
男はたった二人だけで竜の里に乗り込んできた。
この事実だけで実力が窺えるが、臆している場合ではない。
「は?なんで人間がここにいるんだよ。あれか?竜に育てられた人間とかいうやつ。だったら普通の人間よりは強いはずだよな?」
黒の短髪に目の上に特徴的な傷。
よく見ると男が露出している箇所のほとんどに大小様々な傷跡があった。
「残念ながら俺は普通の人間に育てられた普通…の人間だ」
「じゃあなんでここにいるんだよ。竜に肩入れしてるってんなら容赦はしないぜ?」
「容赦してくれなくて結構だ」
「へえ、随分と余裕があるみたいだが、Aランク冒険者か何かか?」
「いや、駆け出しのDランク冒険者だ」
俺はポケットから鉄でできたギルドプレートをひらひらと見せつけてやった。
「笑わせにきてんのか?俺は雑魚が身の程も弁えずにしゃしゃり出てくるのが一番嫌いなんだよ!」
「とりあえず…戦ってみてからにするか?俺が勝ったらその竜を解放してやってくれ」
「…妙な自信だな。いいだろう。とりあえずコイツは離してやる」
男はそう言うと、掴んでいた小竜を母竜の方へと放り投げた。
どうやらこの男は徒らに竜を討伐しにきたわけではないらしい。
根っからの戦闘狂。そんな雰囲気を感じた。
俺は挑発こそしているが別に自信があるわけではない。
逆に、勝てるかどうかもわからない相手を挑発してしまったことを後悔している。
でも、先ほど遠目で見た男の動きはなんとか俺でも対処できるレベルのものに見えたから、多少の自信が出てきてしまっている。
「…行け」
この場にいては戦闘に巻き込まれてしまう可能性があるので、二匹の竜へ逃げるよう促す。
そして母竜は小さく頷いてこの場を離れた。
ちなみにチェフェンとヴァロメはと言うと、もう一人のの男の方へと向かったようだった。
まあ、そっちへ行くよう合図したのは俺だが。
すなわち、今の俺は目の前の男と一対一。
「かっこいいじゃんか。それで、イキった結果すぐ死ぬなんてことにはならないでくれよ?」
手に持っていた小刀を器用に手先で回しながら見せつけてくる男。
男が死んでからでは話を聞くことができない。まず先に情報を引き出しておくか。
「お前らは一体なんのためにこの場所に来た」
「俺?俺はローレイのやつに竜と戦える場所があるからついてこいって言われただけだ。…なんてのは建前だな」
「ローレイ?もう一人の男のことか?」
「ああ。…って少し喋りすぎたな。──失望させないでくれよ?」
紋章を展開し、それが開戦の合図だと言わんばかりに殺気立ったオーラを撒き散らす男。
おいおい、まさかとは思ったがこの男…レベル十じゃねーか。
刹那。
ヒュン、と乾いた音が耳元を通り抜ける。
男が持っていた小刀が、俺の頬を掠めていった。
決して反応できない速度だったわけではない。
だが、男の刃のように冷たく殺気立った眼差しを見ていたら、動くことができなかった。
それはまるでメデューサによって石にされてしまったかのような。
目が合うだけで動けなくなる?
もしかしてそれが男の紋章魔法なのか?
男は紋章を展開しているからその可能性はある。
…いや、ただ男の闘気に凄んでしまっただけか?
直後に放たれた男の縮地による一閃を、俺はギリギリで受ける。
攻撃を防いだ俺に、少しだけ目を見開いて驚いてみせる男。
「見かけによらずやるねぇ」
見かけによらず、か。俺ってそんなにひ弱に見えるか?
ってかコイツ、この剣どっから出した!?
「お前は見かけ通りの脳筋っぷりだな」
俺は焦りを悟らせないよう、相手を挑発するような言葉を出す。
「よくこの状況で冗談を言えたものだなぁ⁉︎」
俺が神々封殺杖剣で押さえつけていた剣を、男は叫びながら力で上にかちあげた。
脳筋などと言いつつ男は細身。
どこにこんな力があるというんだ──。
崩れる体勢。
手からこぼれ落ちそうになる神々封殺杖剣。
俺が神々封殺杖剣を離した時、俺の肉体を纏う鎧…神光支配の力は半減する。
それはすなわち俺の力が半減することであり、この勝てるかどうかわからない状況下では死に繋がるということ。
オーラが完全に消え去るわけではないのは、神々封殺杖剣から漏れるオーラが地面を伝って俺の元まで来るから。…これは最近気づいた。
戦闘に慣れた男がよろけた俺の隙を見逃すわけもなく、追撃をかけてくる。
俺はよろけたステップを利用して、機械的に首を狙ってくる男の追撃をギリギリで躱していく。
「なかなかどうして。意外とやれるじゃねーか。紋章魔法は使わねぇのか?それともナメてんのか?」
尚も追撃を続けながら、俺の顔を執拗に睨みつけてくる男。俺はその目を合わせないようにして言葉を交わす。
「俺は魔法を使えない。…お前はさっきからずっと紋章を展開させてるようだが…レベル十ってことを見せつけてんのか?」
「あぁ?気づいてると思ったが」
「目を合わせると体が動かなくなる魔法のことか?」
男がずっと紋章を展開し続けている理由。
それは、いつ魔法を使うかわからないというプレッシャーを俺に与え続けるため。
そして一度俺の体が硬直したという事実、俺の目を見ようというあからさまな態度。
それらから俺は男の紋章魔法を推測してカマをかけてみたが…
「やっぱ気づいてたのかよ……なんてな」
そう言って男がニヤついた瞬間。
男の紋章は一層煌めき、魔法が発動されたことが確認できた。
何が起こったか全くわからない状況下で、俺の額に流れる大粒の汗と、不敵に笑う男の声だけが鮮明な情報として流れ込んでくる。
一体何が。
俺は…あいつとは目を合わせていないはず。
「な…んで」
硬直した体でなんとか呟いた声は、自分で思っているよりも恐怖を含んでいた。
この世界に来てから何度来たかわからない『死』への恐怖。
魔王に、銀鏡の蜘蛛に、洞窟崩壊の時に…抱いた恐怖、恐怖、恐怖。
だけど、そのどれもに勝るほどの恐怖が、今の俺に襲いかかってきていた。
戦闘中に体が動かない。
先ほど俺の頬を刃が掠めていった時の硬直と同様ならば、その硬直は一瞬のものだろう。
だが、今の状況においてはその一瞬も悠久の時のように感じてしまう。
引き伸ばされた体感時間の中で、ゆっくりと男は俺の元へと近づいてくる。
その狂気を含んだ笑みを絶やさないまま。
違う。
この拘束は一瞬のものじゃない。
男が紋章を展開している限り続く、半永久的な拘束。
「お前、やっぱり戦闘経験浅いだろ?お前は勝手に俺の魔法を、『目を合わせないと発動しない』と思い込んでいた」
「な…マジ…か…よ」
デメリット無しで相手を硬直することができる魔法?そんなの強すぎないか…?
だが、本当に男の言う通りだ。
俺は戦闘経験がこの世界の住人に比べて少ないのにも関わらず、この世界に五つしかない秘宝の一つである神々封殺杖剣を手にしたくらいでいい気になっていた。
前に死にかけた時だって、自分の弱さを、慢心を、自覚していたはずだろう!それなのに俺は、全く変わっていやしない。
「安心しろ。すぐに殺しはしねえよ」
「なぜ…」
未だ硬直している俺の体を、どこから取り出したのか突如縄で縛りつけ始める男。
すぐには殺さない。その言葉にホッとしている自分がいた。
だが、そんな俺の安堵はすぐさま絶望に変わる。
「まずは左手からだぜ…?」
特殊な素材でできているのか、硬直が解けたにも関わらず俺の力では男が俺の両手足に縛りつけた縄を解くことができなかった。
神々封殺杖剣を手放した事で神光支配の効力が半減しているのもあるが。
にしてもまずは左手?男は一体何を──、
「────ッッ!!!」
不意に、意味を持たない空気を切り裂く程の乾いた絶叫が、竜の里全体を震わした。
その絶叫は、俺の喉から迸ったもの。
あまりに突然、唐突に訪れる激痛の嵐。
その痛みの根源は俺の左手からで間違いなかった。
そう、もはや無くなってしまった左手から、あるはずのない痛みを感じているのだ。
──左手を、切断された。
その断面が風や砂によって刺激され、激痛に拍車をかける。
視界の端で、溢れ出る涙で歪んでしまった世界で、俺は俺の左手をポンポンと上にあげてキャッチを繰り返している男を睨みつける。
「いいねえ、いいねえ!その声、その表情!!俺はそこそこ強いやつが苦痛に支配されるのを見るのが大好きなんだよぉ!」
痛い、痛い、痛い痛いいたいいたいいたいイタイイタイイタイ。
今まで感じてきた、経験してきたどの痛みよりも遥かに酷く、激しい痛みが俺の全身を駆け巡る。
レヴィオンの燃え盛る炎弾を見た時よりも醜い恐怖が、感情が押し寄せてきて、俺は喉を焼け落とすかのように鋭い液体を口から吐き出す。
それと一緒に吐き出るのは、命乞いの言葉ではく、只の空気。
もはや何かの言葉を出せるほどの意識は、俺から消えかけていた。
「やめ、やめろ!」
そんな時、消えゆく俺の意識に飛び込んできたのは、俺が助けた子竜の震えた声。
なんで戻ってきた。俺がお前を助けた意味がなくなるじゃないか…
もはや俺に、子竜に逃げろと叫ぶほどの気力は残されていなかった。
だが子竜は無策に俺を助けにきてくれたわけではなかった。
「その人間を離せ!」
子竜の背後から現れたのは紋章を展開させた大人の竜たち。
その数は四体ほどだが、その全員がレベル六~七程度で戦えないわけではない。
「チィ。ローレイのヤツは何やってんだか。いいぜ?お前らまとめてかかってこいよ」
挑発するように手招いて見せる男。
やめろ、お前たちが敵う相手じゃない。そう言おうとしたが、言葉には出せなかった。
それは俺の心が、助けてくれることを、この男を倒してくれることを少なからず願っている……願ってしまっているからだ。
竜たちは挑発に乗るようにそれぞれの紋章魔法を発動させる。
ある竜は大地を操り地面に亀裂を。
ある竜は自身の脚を剛脚に変化させ強力な蹴りの一撃を。
ある竜は岩石をも穿ちそうな速度の水弾を。
ある竜は背後から全員にバフをかける支援を。
それぞれの魔法は上手く作用し、完全に男を陥れたと思われた。
しかし戦闘に慣れた男がそんな攻撃に遅れをとるはずはない。
男は地面の亀裂を飛び越え、強化されたはずの蹴りを生身の蹴りで返し、水弾を難なく躱し、安全圏にいたはずの竜を蹂躙する。
「ハハッ。弱ぇ。弱ぇんだよなぁ?竜殺しってのは英雄の異名のはずだ。だがなんだこれは?まさか竜の里なんて場所が本当に存在してるとはなぁ?それも雑魚ばっかで。つまんねぇじゃねぇかよぉ⁉︎」
まるで思い通りにいかないことに怒る幼児のように地団駄を踏んでみせる男。
この男は純粋に戦いを楽しんでいて、強者と戦うことを目的にこの里に乗り込んできたのだ。
でも本当にそれだけが目的なのか?ローレイとかいうもう一人の男は?
突如湧いて出た当然の疑問。
本当にコイツは…コイツらはただ戦いを求めてこの場所に乗り込んできたって言うのか?
だが、そんな疑問の答えを示すように、袋から何かを取り出してみせる男。
袋から現れたのは、白く、まるでナメクジか何かのようにウネウネと動き、イソギンチャクのように触手を伸ばした不気味な生物。
「…ヒドラ…!」
一時は喋る気力も無くなっていたが、神光支配を切り口に纏わせなんとか止血できたことにより、男に質問するだけの精神力を取り戻した。
チェフェンはこの男はチェフェンにヒドラを突き刺した男とは別だと言っていた。
だが、この強さ、そしてヒドラを持っているという事実。
本当はこの男がチェフェンを操り人形にした男なんじゃないか?
──これより強い人間がいるなんて思いたくないだけかもしれないが。
「あ?ヒドラ?この生物のことか?お前はこの生物を知ってんのか?」
「ああ…!お前だろ!ここ近くの迷宮の最下層で、ネルタという竜を殺し、チェフェンという藍竜にその生物を寄生させたのは…!」
「…?知らねえなあ。まさかサイディスのことか?」
「…サイディス?そいつは…特徴的な白い服を着てるか…?」
「ああ?…そう言われてみればそうだな」
…決まりだ。
ネルタを殺った男と目の前のこの男は別。
こんな強さのやつが…まだいるっていうのか…!
おそらくこいつらは古代の代理人。
いや、おそらくじゃない。俺の勘がそう叫んでいる。もはや確信が俺の中で渦巻いていた。
そういえば男は何故今ヒドラを取り出した…?
──まさか。
「うあぁ!助けっ、助けてぇ!」
先ほど薙ぎ倒された竜の背後に隠れるようにしていた子竜の首を掴み、軽々と持ち上げてみせる男。
子供だから。
そんな考えは目の前の男には通用しないらしい。
「まずは手始めにお前からだ。子供に殺される親。どんな絶望の表情を見せてくれるかなぁ?」
そういって、男はヒドラの鋭利な触手を子竜の首裏に突き刺した。
たちまち狂ったようにもがき苦しみだす子竜。
「いやだ、やめて、」と口に出しながら鋭利な牙を剥き出しにし、顎からは幾筋もの唾液を、両手両足からは凶悪な爪を露見させ、理性を失ったように喚く子竜を──俺は見ていられなかった。
「あいつを殺れ」
母竜を指差しながら、男は狂気に染まった子竜に指示を出す。
まさか、ヒドラの宿主はヒドラを突き刺した者の命令を聞くっていうのか?
だとしたら…だとしたら男たちがこの里に来た理由は明白だ。
竜たちをこのヒドラで手駒にしようとしてるんだ。
返事もせずにただ唸り声をあげながら母竜の元へと近づく子竜。
母竜は潤んだ目を子竜に向けながら、「元に戻って…お願い…」と話しかけている。
だが、もはやヒドラに完全に寄生されてしまった子竜に聞く耳などない。
チェフェンのように強い精神力を持った歴戦の竜ならば或いは理性を取り戻す可能性もあるかもしれないが、寄生されているのはまだ戦闘のせの字も経験していない幼竜。
例え愛している母親の悲痛な声であっても、小竜に届くことは無い。
ザシュ、と鋭い音が響き渡る。
ヒドラによって凶暴化された鋭利な爪が、抵抗しない母竜の喉をいとも容易く掻き切った。
溢れ出る鮮血。倒れ込む母竜。
まだ多少の意識はあるのか、血走った目に涙を浮かばせる小竜の息は荒く、加速していく。
「あぁ?僕、なんで母さんを──」
予想外に意味のある言葉を発してみせる子竜。
自らの手で愛する母親を殺めたことによる罪悪感か、それとも憤怒からか、意識を一時的に取り戻したようだ。
「う~ん。いいねぇいいねぇ!大好きなママを殺した気分はどうだ?」
煽るように突っ立つ小竜の顔を覗き込む男。
ダメだ──もう、我慢の限界だ。
「うぁああああ!!!!!!」
叫び、力の限り俺を縛っていた縄を引きちぎる。
この極限状況下で、俺は神光支配の更なる有用な使い方に気づいた。
神光支配は、硬質化させることが出来る。
ただの気のようなオーラを、実際に手で触れられる硬度まで固めることが出来る。
──何故今まで気づかなかったのか。…いや、出来なかったのかと言った方が正しいか。
神光支配を鋭利に変化させ硬質化し、男の気があちらに取られている隙に少しづつに切れ目を入れた。
この縄を作る糸は、以前見たことがある。だから、切れると確信した。
「はあ?マジかよ。その糸は銀鏡の蜘蛛の巣から持ってきた特別性だぞ?」
興奮したように、そして楽しげに歯を剥き出しにする男。
ぜってえ負けられねえ。
「黙れ。二回戦開幕だ」
「そうこなくっちゃなぁ?」
男は異様に長い舌で唇を舐めながら剣をチラつかせてくる。
警戒すべきは男の紋章魔法による硬直だ。
あれだけ強力な魔法にデメリットがないとは思えない。
おそらく対象は一人だけで長いクールタイムが必要、そして色が薄まっている男の紋章からして、かなりの魔力を必要とする。
いや、クールタイムが必要などど自分優位に判断するのは死へと直結する。さっき学んだはずだろ。
魔力に関してはポーションで回復できるから魔力の枯渇を狙うのは現実的ではない。
ではどうすればいいのか……一対一で挑まなければいい。
消費魔力からして、流石にこの場にいる全員を硬直させることは出来ないはず。
「お前ら!力を貸してくれ!」
ヒドラによって凶暴化し、母竜を自らの手で殺めた小竜の姿を見て呆然とする四体の竜たちに向けて叫ぶ。
俺の声に竜たちは頷いている。
「おいおい、一人じゃ戦えねぇのか?…まあ賢明な判断だな。俺の魔法の難点に気づいたのかもしれねえが、さっきみたいに間違ってるかもしれないぜ?」
全く、男の言う通りだ。
さっきみたいに勝手な憶測で動いてしまうと、左手を失うなんて結末になってしまう。
慢心、そして根拠のない自信。
それに踊らされてしまうのがつくづく自分の悪い癖だ、
だが、戦闘において自分の勘に頼って動くのは悪いことじゃない。
論理的に考えて行動している時間なんてないし、自分を信じられなければ何も信じられないからだ。
「いい、俺は自分を信じる」
「そうか、なら死ね」
再び男は縮地をして距離を詰めてくる。それはもう織り込み済みだ。
俺は瞬時に背後に跳躍し、一匹の竜に男に向かって魔法を使うよう瞬時に指示を出す。
それは地面に亀裂を入れる魔法。
その亀裂を避けるには空中に逃げるしかない。
空中にいれば俺の追撃を避けることが難しくなるはずだ。
指示通り竜は男に向かって魔法を行使した。割れる地面、それを避けようと跳躍する男。
しめた、狙い通りだぜ。
即座に足に神光支配を集中させ、全力の跳躍で男に刃を向ける。
男は縦のベクトルに対して俺は横のベクトルのジャンプ。
俺の一撃は男を吹き飛ばすのには十分な一撃のように思えた──が。
男は背中を回旋させながら俺の剣を受け、衝撃を最小限に殺して見せた。
多少男は吹き飛んだものの、難なくその場で立ち上がってみせる程の余裕さ。
ダメだ、何か決定的な一撃を与える手段を考えなければあの男は倒せない。
と、その時。
俺にあるアイデアが舞い降りてきた。
先ほど俺が掴んだ神光支配の応用…硬質化。
それを利用すれば……
思いつくのはこれしかない。うまく行けばアイツを倒せる。
だが実行するにはタイミングが重要だ。もしうまく行っても俺が男の魔法によって硬直してしまえばそれは水の泡となる。
いや、それを利用すればいいのか…?
いずれにせよ実行するのにベストなのは男が魔法を使った直後だ。
そのためには男にもう一度魔法を使わせなければならない。
万全を期すなら四匹の竜のいずれかに男の魔法を受けてもらいたいが、そう上手くはいかないことだろう。
だが、一応伝えておく。
現在、男は多少俺たちから離れている。幸いだが急いでこちらに向かってくる様子もない。
作戦を伝えるなら今のうちだ。
「よく聞いてくれ、なんとかしてお前たちのいずれかにあの男の魔法を受けてもらいたい。俺がくらってしまうとマズイんだ」
「それは私たちの誰かが犠牲になれということですか?」
「違う。犠牲にはしない。絶対に助ける」
わざと男に聞こえるように、そして簡潔に、伝えたはずだ。
先ほどの子竜の凶暴化を見ていたからか、竜たちには多少の怯えが見えた気がしたが、頷いてくれたことから了承してくれたようだった。
「作戦会議は終わったかぁ?」
ゆっくりと、余裕げにこちらに歩んでくる男。
それに対し竜たちはそれぞれの紋章を展開し、反撃に備える。
「…行くぞ」
「いいぜ?一斉にかかってこいよ。雑魚が一人増えたくらいじゃさっきと変わんねえと思うけどなぁ?」
男が剣を構えると、再び大地が割れ、剛脚が駆け、水弾は宙を舞い、鼓舞が竜たちを支援した。
肝心な俺はと言うと……
「な⁉︎」
俺の行動を見た竜の一匹が素っ頓狂な声をあげる。
そう、俺は勇敢にも男に戦いを挑む竜たちを尻目に、男にバレないようにある細工をしてから背後に広がる森へと飛び込んだのだ。
竜たちは『人間が逃げた』、そう思ったことだろう。
だが、もちろん俺は逃げたわけではない。
森を駆け回り、男の死角から懐へと飛び込めそうな場所を見つけ、タイミングを見計らう。
俺が戦場から離脱したことにより、士気が下がったのか、次々とのされていく竜たち。
やはり魔法を発動させることはできなかったか。
だが、それでもいい。
渾身の竜の一撃によって、少しだけだが体勢が崩れた男の隙を俺は見逃さない。
先ほど同様、大樹を蹴って瞬発し、男めがけて一直線に跳躍する。
このタイミングだったらさっきみたいに体を旋回させて避けるなんてことはできずに剣で受けるか…魔法を使うはずだ。
さっきと同じ手は使わせねえ。
案の定、死角から跳んできたはずの俺をきっちりとその視野に捉え、紋章を光らせた男。
剣で受けずに魔法を使ってきたか……思う壺だぜ。
俺は空中で硬直し、そのまま慣性で男の元まで跳んで行く。男はそれを剣で受けようと思っていたようだが、俺が行った細工により男は腕と足を自由に動かせなかったようで、結果俺と正面衝突をした。
そうして俺と男は一緒に吹き飛ばされ、同時に近くの岩石へと衝突して止まる。
「なんで…だ。四肢が動かねえ…!」
困惑に目を見開く男に覆い被さる俺。
俺は未だ硬直しており、男が今持っている剣で背中でもつき刺されれば終わりだが、男は四肢が拘束されたように動けないようだ。
いや…実際に拘束しているのだ。
よかった、うまくいった。
そう、俺は森へと飛び込む際、男の腕へと不可視の神光支配を巻きつけ、跳躍して男とぶつかる際に硬質化させたのだ。
ぶつかる直前は俺と男は離れていたためにその硬さは男の力によって振り解かれてしまうほどのものだったと思うが、男には神光支配は見えてないし、あの状況で咄嗟にやられたものだから対処しきれなかったのは当然だろう。
そして男と接触している今は万全の神光支配を男に対し充てがっているため、男の力を持ってしても振り解けないはず。
現に振り解かれていない。
そして俺がしていたもう一つの細工。
それは……
「お前が…トドメを…さすんだ」
俺は膠着している男のそばまで来ていた子竜にそう指示を出した。
森に姿を隠す前に、呆然と立ち尽くしていた子竜に取り付いていたヒドラを殺しておいたのだ。
それにより自分の意思で動けるようになった子竜は、いつの間にかここまで来ていた。
「こいつが…僕を…母さんを…」
恨みが、憎悪が、憎しみがこもった目で男を見つめる子竜。
…あれ?俺はこの子にこんな目をさせるために、この子をヒドラから解き放ったのか?……違うだろ。
俺は小竜のあまりに悲しみを含んだその目を見て、そんなことを思った。思ってしまった。が、言葉には出せなかった。止めることはできなかった。
「ク…ソッ!ウォォアアア!!」
マズイと思ったのか信じられない力で暴れ回る男。
ヤバい、これ以上はもちこたえれな……
「僕は……僕の手では…このヒトを殺せない。母さんはきっとそれを望まないはずだから……」
俯いて、なんとか聞き取れるくらいの声量で呟やいてみせる子竜。
そうか。俺の心配は…杞憂だったみたいだな。
魔力が尽きたのか、男の魔法による俺の体の硬直は解け、俺は自分の体が自由になっていることに気づく。
この男はここで殺さなければいずれ厄介なことになる。
殺さないという選択肢はない。
「じゃあな、お前…強かったぜ」
「マジ…か…よ」
死を悟り、それでも尚狂気じみた笑みを浮かべる男。
最後まで男の名前はわからなかったが、俺の記憶に一生残るくらいには強かった。
…左手の恨み、返すぜ。
男に馬乗りになったまま、神々封殺杖剣を喉元に突き立て、差し込む。
カハッ、という空気の抜ける音とともに溢れ出る血飛沫。
ああ、久しぶりだな。人間の首を掻き切る感覚は。
できればもう味わいたくはなかった。
男の紋章から徐々に色がなくなり、やがて死人の紋章となる。
それが確実に男が絶命したことを示し、こうして突如始まった死闘は幕を閉じた。
後には小竜の悲痛で小さなすすり泣く声だけが、残るのみだった。
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