何も言わずメイドとして働いてこい!とポイされたら、成り上がり令嬢になりました

さち姫

文字の大きさ
6 / 72

第6話 夕食作り2

しおりを挟む
厨房は1階の奥で、
仕事が終われば誰かが部屋まで案内してくれます。私は他の仕事が残っているので、残念ながら迎えには行けません。
アンナはつまらなそうに言ってくれた。
案内された厨房は、サヴォワ家よりもとても広く、調理器具や食器も綺麗で豪華だった。
かまどが大きくて広い!
洗い場も広い!
沢山人もいる!
凄い!
凄い!!
「ここが厨房です、シャーリー様。少し待ってて下さいね。すみませーん、ガイナ料理長!!・・・あ、ダメだ忙しくて聞こえてない。あ!チェーンナ、この方今日からここで働くことになった」
「新人か!ちょうど良かった」
そのチェーンナと呼ばれた30代くらいの女性は、私の顔を見ると腕を引っ張り中に入れた。
厨房は皆が忙しく動き、私の屋敷でも同じだったが、夕食作りは戦争なのだ。主の食事に、屋敷で働く皆の食事、それを一気に作らなければいけない。
でも、ここの方がサヴォワ家の厨房よりも広く、忙しそうに沢山の人達が忙しなく動いていた。
厨房は、主の権力と比例する、とお母様は言っていた。
厨房が広く、雇われた人間が多いのは、それ相応の貴族と人数をもてなしをしなければならないからだ。
実際、厨房の中は誰もが忙しそうに動いている。
つまり、見せかけ、ではないということだ。
「これ白衣と帽子ね。急いで着替えて」
「は、はい」
私に渡すとまた違う所へ歩いて行った。
「違うわよ!ちょっと、この方はね」
慌ててアンナが説明しようとしたが、全くチェーンナは聞いていない。
ともかく着替えよう。
「着替えたわね。こっち!」
「はい」
「だから、チェーンナ、違うわよちょっと!!」
アンナが慌てて大声を出すが、チェーンナは聞いてません、と無視し、私をチラチラ確認しながら、人参の前に連れてきた。
チェーンナは、上から下、また下から上と鋭い目線で何処も彼処も確認するかのように見てきた。
「新人、身だしなみはオッケーだ。まあその服は大きいけど、次までにはいい大きさを用意しとくよ!」
親指を立ててウインクしてくれた。
「はい!」
当然だ。
料理をするのだから、髪の毛をきちんと後ろで括り、かつ、垂れないようにお団子にしてきた。横からはみ出る短い髪の毛もないよう、ピンで止めて来た。
カンペキ!です。
「この人参の皮剥いて、半分は1センチのいちょう切り。残り半分は、乱切りして」
「はい。乱切りは1口大ですか?」
「いいや、それよりも少し大きめにして欲しいな。茹でて、サラダにするからね」
成程ね。大きめだと水っぽくなりにくいし、形が残るから食感を楽しめる。
「分かりました」
私が返事をする前に、チェーンナは誰かに呼ばれて行った。
私は言われたように、人参を切った。
丁寧に、丁寧に。
サヴォワ家の厨房でも、こうして野菜を切った。
でも、あそこでは「遅い」「下手くそ」と怒鳴られた。
ここでは、どうだろう。
私、ちゃんとできているだろうか。
心臓がドキドキして、手が少し震えた。
切り終わると、それを待っていたようで、ほかの人が急いで持っていった。
その人は、何も言わずに持って行ってしまった。
良かったのだろうか、悪かったのだろうか。
分からない。
サヴォワ家では、良くても何も言われず、悪ければ叩かれた。
だから、何も言われないのは、きっと良かったのだと思う。
でも、本当に?
次、は何したらいいの?
忙しそうで声をかけづらかった。
でも、ぼんやり立っていたら、役立たず、と思われて、屋敷に追い返されてしまうかもしれない。
そうなれば、お父様や御義母様に、何度も叩かれてしまうかもしれない。
ぎゅっと身体が強張って、息が苦しくなってきた。
なに、か・・・、何か、手伝える、こと・・・。
役に立たないと。
役に立たないと、ここにいられない。
ここから追い出されたら、もう行く場所がない。
急いで周りを確認すると、流しに使用した鍋やフライパンや食器が、次々置かれていくが、洗える人がおらず、どんどん溜まっていった。
あれだ。
さっと動き、洗い物をした。
誰かにこの仕事を取られるのが、嫌だった。
私にもできることがある。
私にも、役に立てることがある。
そう思いたかった。
鍋やフライパン、底にしても、裏にしても、きちんと洗わないと、菌が繁殖する事があるから、少し多めの洗剤をつけ、何度も擦った。
サヴォワ家では、洗い残しがあると、殴られた。
だから、私は丁寧に洗う。
何度も、何度も。
洗い物をしながら周りを確認する。
厨房の奥で、大きな声が響いた。
振り向くと、恰幅の良い男性が、大鍋を抱えて運んでいた。
多分、愛嬌のいいあの人が料理長のガイナなんだろうな。
四十代くらいだろうか、丸い体型で、お腹がエプロンの上からでも分かるほど出ている。
でも、その動きは機敏で、重い鍋を軽々と扱っている。
顔は日に焼けていて、目尻に笑い皺が刻まれている。
きっと、よく笑う人なんだろう。
大きな手で器用に野菜を切り、味見をしながら、皆に指示を出している。
その声は大きくて、厨房全体に響き渡る。
でも、怒鳴っているのではない。元気に、明るく、皆を引っ張っている感じだった。
皆に指示しながらも、自分も動き、色々味見しながら声を掛けていた。
よく動いている。
早く調理場の仕事を覚えないと、お父様にも迷惑がかかる。きっと、私の事は直ぐにお父様に話が行って、
なんだ、その程度しかできないのか、役立たず!!とか言われて、キャウリー様が怒られたり、罵られたり、嫌な目にあってしまう。
そんな事ダメだ。
キャウリー様は、私を助けてくれた。
優しくしてくれた。
だから、私は、キャウリー様の期待に応えないといけない。
私なんかのために、キャウリー様が嫌な思いをするなんて、絶対にダメだ。
頑張らないといけない。私は、普通の人よりも何倍も働いて、ようやく1人前なんだもの。
そうだよ。自分で努力しないとダメなんだ。
最後のひとつを洗い終わり、水切りの上に置く。
ドキドキ。
エプロンで手を拭き、また、周りを見る。
黙ってたら、逆に足手纏いだ。
ドキドキ。
声を出さないと。
でも、怖い。
声を出して、邪魔だと言われたら?
うるさいと怒鳴られたら?
でも、黙っていたら、もっと怒られる。
「あ、あの!私手が空いています。何をしましょうか!!」
思い切って声を出した。
こんなに大声出したのは久しぶりだった。屋敷では、勝手知ったる何とやらで、何をするべきか分かっていたし、すぐに、お姉様や御義母様が用事を言いつけにきたから、忙しかった。
声が震えている。
誰も振り向いてくれなかったら、どうしよう。
無視されたら、どうしよう。
「そうか、じゃあ、食器を並べてくれ。それでこのチキンをひとつずつ乗せてくれ」
「はい!」
誰だか分からないが私に指示をしてくれた。
ほっとした。
良かった。
無視されなかった。
怒られなかった。
普通に、仕事を頼んでもらえた。
これが、普通なのだろうか。
こんな風に、対等に扱ってもらえることが、普通なのだろうか。
胸が熱くなって、涙が出そうになった。
料理を乗せている時に、丁寧に、丁寧に、一つずつ。
チキンが傾かないように。
お皿に指紋がつかないように。
サヴォワ家では、少しでも汚れていたら、やり直しを命じられた。
だから、私は慎重に、慎重に。
「ご主人様達の料理が出来た。お!ハザード、丁度良かった。ご主人様に声をかけてきてくれ。今日からシャーリー様が仲間入りだろ」
料理長の大きな声が響いた。
私?
急に名を呼ばれ、顔を上げると、入口に立つ、ハザードと顔が合った。
ドキッとした。
私、何か間違えたのだろうか。
「いいもん作ったつもりだ。喜んでくれたらいいがな」
料理長が、大きな手でお腹をぽんと叩きながら、自信満々に言った。
その顔は、満足そうで、誇らしげだった。
「あらあら、そこにおられる方がシャーリー様よ、料理長」
くすくすと可笑しそうに笑いながら、ハザードが私のそばに来た。
「新人じゃないのか!?」
料理長が、目を丸くして驚いた。
その大きな体が、びくっと揺れた。
「そんな人が入るなんて言ってないでしょ」
「・・・す、すみません・・・」
反射的に謝っていた。
謝れば、許してもらえることが多かった。
謝れば、叩かれる回数が減ることもあった。
だから、私は謝る。
「何で謝るんだ?シャーリー様のお陰でとてもスムーズに出来た。いやあ、お嬢様が何しに来るんだ?とバカにしてたが、恐れ入った。なあ、皆!」
料理長が、豪快に笑った。
その笑い声は、厨房中に響き渡った。
え?
何を言われているのか、一瞬分からなかった。
お陰で?
スムーズに?
バカにしてた?
恐れ入った?
料理長の言葉に皆がおお、とか言ってくれて笑いながら頷いてくれた。
笑ってる。
でも、嘲笑じゃない。
優しい笑顔だ。
皆が、私を見て、笑ってる。
こんなの、初めて。
サヴォワ家では、誰も笑ってくれなかった。
いや、笑っていた。でも、それは私を馬鹿にした笑いだった。
これは、違う。
何か、違う。
「・・・いや・・・あの・・・すみません・・・」
なんだか身体がムズムズして、恥ずかしくて俯いた。
どうしていいのか、分からない。
褒められるって、こういう気持ちなのだろうか。
認められるって、こういう感覚なのだろうか。
胸がいっぱいで、息がうまくできない。
「シャーリー様。そういう時はすみませんは、おかしいですよ」
一言一言、ゆっくりと目を見て話すハザードは、何かを私に伝えたそうに感じた。
「あの、どう言ったらいいのでしょうか?」
本当に分からなかった。
こういう時、何て言えばいいのだろう。
お母様が生きていた頃、教えてもらっただろうか。
でも、思い出せない。
「そうですね、シャーリー様の今の気持ちを素直に、皆に教えてあげてください」
今の気持ち?
すみません、がおかしい、と言われた。
でも、家では皆の迷惑にならないように考え動いているつもりが、いつも、上手くいかず怒られていた。
今だってそうだ。本当なら人参を切った後は、待つべきだったのかもしれない。チェーンナは私に他の仕事をさせたかったのに、勝手に動いて食器を洗ってしまったのかもしれない。
そうして、食器洗いが終わったら頼もう、と思っていたのに、私が声を出し、他の仕事を頼まれた。
やっぱり、私は間違えたんじゃないだろうか。
そう考えると、身も心も縮こまり、逃げたくなった。
その瞬間、誰かが背中を優しくさすってくれた。
顔を上げるとハザードだった。
「下ばかりを向いては、下の気持ちになってしまいますよ。少し、上を見てはいかがですか?」
よく分からなかったが、ゆっくりと顔を上げて見ると、皆が私をとてもニコニコしながら見ていて、何だか自然に笑顔が出た。
誰も、怒っていない。
誰も、睨んでいない。
皆、優しい顔をしている。
料理長も、大きな笑顔で私を見ている。
これが、どういうことなのか、まだよく分からないけれど。
私の気持ち。
素直な気持ち。
これまでそんな事考えた事なかった。だって私の意思など必要とされていなかった。
私がどう思うか、なんて、誰も聞いてくれなかった。
だけれども、ハザードの言葉と皆の顔を見て、湧き上がった言葉は1つ、だった。
今、私が一番思っていること。
それは、
「あ、明日もよろしくお願いします!」
ここにいたい。
また、明日も、ここに来たい。
また、皆と一緒に働きたい。
それが、私の気持ちだった。
「ぶっ!!ぶわっはははは!!何だよ!!貴族の娘なんだろ?明日もだなんて変わってるな!!でも、よろしく頼むな、役に立つお嬢様は大歓迎だ!!」
料理長が、お腹を抱えて大笑いした。
その笑い声が、温かくて、優しくて。
役に立つ。
その言葉が、胸に響いた。
役に立つ、お嬢様。
私が、役に立つ?
本当に?
本当に、私が?
大爆笑の料理長に、皆も笑いだしとても穏やかな空気になった。
役に立つ。
役に立つ。
役に立つ。
頭の中でその言葉が何回も何十回も反芻した。
私、役に立てた。
私、認めてもらえた。
私、ここにいてもいいんだ。
また、笑顔が出て、とても嬉しかった。
涙が出そうになって、慌てて目頭を押さえた。
これは、嬉しい涙。
悲しい涙じゃない。
こんな涙があるなんて、知らなかった。
胸がいっぱいで、温かくて、何か、よく分からない感情が溢れてきた。
これが、幸せ、っていうものなのだろうか。
久しぶりすぎて、もう分からない。
でも、悪い気持ちじゃない。
むしろ、ずっとこの気持ちでいたい。
明日も、頑張ろう。
また、役に立ちたい。
また、皆に笑ってもらいたい。
そう思った。
料理長の豪快な笑い声が、まだ厨房に響いている。
アンナが私の肩をぽんと叩いて、ソバカスだらけの顔で笑いかけてくれた。
「シャーリー様、良かったですね」
その声も、明るくて、温かくて。
ハザードが、優しく微笑んで言った。
「では、シャーリー様。明日からも、よろしくお願いいたしますね」
「はい!よろしくお願いします!」
私は、大きな声で答えた。
こんなに大きな声で、こんなに前向きな言葉を言うのは、いつぶりだろう。
胸の奥から、何かが溢れてくる。
厨房の皆が、また笑った。
その笑い声に包まれて、私は思った。
ここなら、きっと、大丈夫。
ここなら、頑張れる、
そう、思えた。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

私の作るおにぎりが、騎士団の士気を異常に上げています(犯人は副団長)

星乃和花
恋愛
おにぎりを配っただけで、騎士団の士気が異常値になりました。 団長は警戒、監察部は呪術検査、国まで動きかけるのに――副団長だけが平然と断言。 副団長「彼女のご飯は軍事物資です」 私「えっ重い」 胃袋で落ちた策略家副団長の“最適化溺愛”に巻き込まれ、気づけば専属補給係(=婚約)寸前!? ほのぼの爆笑&甘々の騎士団ラブコメです。 (月水金21:00更新ー本編16話+後日談6話)

異世界に転移してしまった私、古民家をもらったのでカフェを始めたら大盛況。国王陛下が頻繁に来るのですが、どうしたらいいですか?

来栖とむ
ファンタジー
ブラック企業で疲れ果てた30歳の元OL・美里(みさと)が転移した先は、見渡す限りの深い森。 そこで彼女が授かったのは、魔女の称号……ではなく、一軒の**「日本の古民家」**だった! 亡き祖母が遺したその屋敷には、異世界では失われたはずの「お醤油」「お味噌」「白いお砂糖」という禁断の調味料が眠っていて――。 「えっ、唐揚げにそんなに感動しちゃうの?」 「プリン一口で、国王陛下が泣いちゃった……!?」 おにぎり、オムライス、そして肉汁溢れるハンバーグ。 現代日本の「当たり前」が、この世界では常識を覆す究極の美食に。 お掃除のプロな親子や、お忍びの王様、さらにはツンデレな宮廷料理人まで巻き込んで、 美味しい香りに包まれた、心もお腹も満たされるスローライフが今、始まります!

私と義弟の安全は確保出来たので、ゆっくり恋人を探そうと思います

織り子
恋愛
18歳で処刑された大公家の令嬢、セレノア・グレイス。 目を覚ますと――あの日の6年前に戻っていた。 まだ無邪気な弟ルシアン、笑う両親。 再び訪れる“反逆の運命”を知るのは、彼女だけ。 ――大公家に産まれた時点で、自由な恋愛は諦めていた。だが、本当は他の令嬢達の話を聞くたびにうらやましかった。人生1度きり。もう少し花のある人生を送りたかった。一度でいいから、恋愛をしてみたい。 限られた6年の中で、セレノアは動き出す。 愛する家族を守るため、未来を変えるために。 そして本当の願い(恋愛)を叶えるために。

数多の令嬢を弄んだ公爵令息が夫となりましたが、溺愛することにいたしました

鈴元 香奈
恋愛
伯爵家の一人娘エルナは第三王子の婚約者だったが、王子の病気療養を理由に婚約解消となった。そして、次の婚約者に選ばれたのは公爵家長男のリクハルド。何人もの女性を誑かせ弄び、ぼろ布のように捨てた女性の一人に背中を刺され殺されそうになった。そんな醜聞にまみれた男だった。 エルナが最も軽蔑する男。それでも、夫となったリクハルドを妻として支えていく決意をしたエルナだったが。 小説家になろうさんにも投稿しています。

夫に用無しと捨てられたので薬師になって幸せになります。

光子
恋愛
この世界には、魔力病という、まだ治療法の見つかっていない未知の病が存在する。私の両親も、義理の母親も、その病によって亡くなった。 最後まで私の幸せを祈って死んで行った家族のために、私は絶対、幸せになってみせる。 たとえ、離婚した元夫であるクレオパス子爵が、市民に落ち、幸せに暮らしている私を連れ戻そうとしていても、私は、あんな地獄になんか戻らない。 地獄に連れ戻されそうになった私を救ってくれた、同じ薬師であるフォルク様と一緒に、私はいつか必ず、魔力病を治す薬を作ってみせる。 天国から見守っているお義母様達に、いつか立派な薬師になった姿を見てもらうの。そうしたら、きっと、私のことを褒めてくれるよね。自慢の娘だって、思ってくれるよね―――― 不定期更新。 この世界は私の考えた世界の話です。設定ゆるゆるです。よろしくお願いします。

家族の靴を磨いていた私が、実は【神の加護を磨き上げた聖女】だった件。隣国の冷徹皇帝に「君の献身は世界を救う」と誘拐、24 執着されています

唯崎りいち
恋愛
「お前は一生、靴でも磨いていろ」 家族に虐げられ、靴を磨き続けた私。 実はその靴、磨くたびに『神の加護』が宿る聖具になっていました。 噂を聞きつけた隣国の冷徹皇帝に、出会い頭にさらわれて―― 「君は俺のものだ。24時間、指一本触れさせない」 靴を履かせてもらえず、移動は常に皇帝の腕の中!? 磨き上げた加護のせいで、皇帝の執着が神レベルに育ってしまう溺愛物語。

一度目で黒狼公に討たれた私ですが、二度目の夜はお父様のそばでしか眠れません

師走
恋愛
八歳の冬、リリア・ヴァルグレイは父に殺された。 王国最強の討魔貴族――黒狼公レオンハルト・ヴァルグレイ。 人にも魔にも容赦のないその男は、黒花の災厄に呑まれかけた実の娘を、自らの手で討ったのだ。 けれど次に目を覚ました時、リリアは赤ん坊に戻っていた。 もう二度と、お父様に剣を向けられたくない。 そう願うのに、夜になるとまた黒花の囁きが忍び寄る。甘くやさしいその声は、孤独な心に触れて、静かに破滅へと導こうとする。 そして、その囁きがぴたりと止むのは――世界でいちばん怖いお父様のそばだけだった。 一度目の父は、同じ城で暮らしていても遠い人だった。 リリアを見ない。抱かない。呼びもしない。 そのくせ二度目の父は、相変わらず冷たいまま、なぜか夜ごとリリアを放っておいてくれない。侍女を替え、部屋を守らせ、怯えて眠れない娘を黙って自分の近くへ置いてしまう。 人にはあれほど容赦がないのに、リリアにだけ少しずつおかしくなっていく。 怖い。近づきたくない。 それでも、その腕の中でしか眠れない。 またあの冬が来る。 また同じように、黒花はリリアを呑み込もうとするかもしれない。 今度こそ囁きに負けないために。今度こそ父に剣を抜かせないために。 一度目で父に討たれた娘は、二度目の人生でもっとも恐ろしいその人のそばへ、自分の意志で手を伸ばしていく。 小説家になろう様でも掲載中

エミリーと精霊

朝山みどり
恋愛
誰もが精霊と契約する国。エミリーの八歳の誕生日にやって来たのは、おもちゃのようなトカゲだった。 名門侯爵家の娘としてありえない恥。家族はエミリーをそう扱った。だからエミリーは居場所を得るために頑張った。役に立とうとした。

処理中です...