何も言わずメイドとして働いてこい!とポイされたら、成り上がり令嬢になりました

さち姫

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第32話養女に

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扉を叩く音で目が覚めた。
身体も心も鉛のように重く、泣き腫らした瞼は張り付くように重かった。
目を開けるだけで、じん、と鈍い痛みが走る。
……久しぶりに、こんなにも泣いた。
喉の奥がひりつき、胸の中がまだざわざわしている。
眠ったというより、気を失っていたに近い。
「……シャーリー様?」
控えめで、小さな声。
扉越しに聞こえるその呼びかけに、心臓がきゅっと縮む。
ハザードだ。
起きているかどうか、何度か確かめてくれていたのだろう。
声の間に、ほんのわずかな間があった。
重い身体を無理やり起こし、足を床に下ろす。
ふらつく感覚に、壁に手をつきながら扉へ向かった。
扉を開けると、そこにいたハザードは、私の顔を見てほっとしたように息を吐いた。
「お顔、冷やしましょうか?」
そう言って、責めるでも詮索するでもなく、ただ優しく尋ねてくれる。
その声に、張り詰めていたものが少しだけ緩んだ。
言われるがまま、こくりと頷く。
用意してくれているタオルをもって私をソファに促してくれた。冷たいタオルを頬に当てられると、火照っていた熱がすっと引いていく。
ひんやりとした感触が、痛いほど心地よかった。
「夕食は、今日はお部屋にしましょう」
その一言に、胸の奥で小さく安堵が広がる。
今は誰にも会いたくなかったし、誰かに見せられる顔でもなかった。
「ただ……」
ハザードは一拍置いてから、言葉を続けた。
「ご主人様が、どうしても大切なお話があるとのことで、九時にお部屋に来てほしい、と伝言を承っております」
時計を見る。
もう七時を過ぎていた。
時間の感覚が、すっかり曖昧になっていたことに気づく。
「……今日は、夕食の手伝いができなくて、すみません」
思わず、そんな言葉が口をついた。
最悪だ。
自分の都合で、仕事を無断でサボってしまった。つまり、皆に迷惑をかけてしまった。
「そうですね」
一瞬だけ間を置いてから、ハザードは続ける。
「しかし人間ですからそういう時もあります。誰しも、急に体調を崩したり、家の事情ができたり、どうしても休まなければならない時はあります」
まただ。
いつも、私が考えもしない答えをくれる。
「でも……前もってならともかく、急に休まれたら現場は困りますよね」
言いながら、視線が落ちる。
「それなら、少し無理をしてでも仕事をするべきです」
だって、急に休めば、私の分の仕事を誰かが背負うことになる。
それは、とても大変なことだ。
「おかしなことを言われますね」
ハザードは苦笑する。
「仕事よりも、己の身が何より大切です」
きっぱりとした声音だった。
「仕事は、皆で分担すれば問題ありません。この屋敷では、それが普通です」
普通。
その言葉に、胸が少しだけ痛んだ。
「自分が休みやすい環境を作るためには、他の人が休んだ時に嫌な顔をせず、協力すればいいだけです」
「……」
「ですから、シャーリー様が今日お休みされても、何も心配はいりません」
「……誰かが休んだ時に、私が手伝うのが普通なの?」
「その通りです。お互い様、ですからね」
「……お互い様……」
その言葉を、何度も心の中で転がす。
サヴォワ家とは、まるで違う考え方だった。
サヴォア家では、人が少なかったせいもあるがいつも人の悪口ばかり言っていた。だから、急に誰かが休むと聞くも耐えない悪口雑言が飛び交い、次に日に出勤したら、聞こえるように陰口が叩かれた。
だから、耐えれなくて辞めていく人もいたが、私は辞めることなんて出来ないし、家の人間何だから働いて当然でしょ、という空気になっていた。
「綺麗になりましたよ」
ハザードは、何事もなかったかのようにそう言うと、手際よく片付けをして部屋を出ていった。
すぐに夕食が運ばれてくる。
食事を終えたあと、キャウリー様の部屋へ行く前に、ハザードが身支度を整えてくれた。
あの二人が来て、何があったかもうハザードから伝わっているだろう。
家に帰った方がいい、と言われるのだろう。
誤解されたままでは、キャウリー様に迷惑がかかる。
それくらいは、分かっている。
……本当は、帰りたくない。
あんな家。
でも、もう、何もかもがどうでもよかった。
……疲れた。
帰れと言われたら、帰ろう。
もう、抗う気力もなかった。
キャウリー様の部屋の前で、ハザードが扉を叩く。
「どうぞ」
中から、落ち着いた声が返ってきた。
「さあ、シャーリー様。ご心配はいりませんよ」
背中をそっと押され、部屋へ入る。
「お呼びですか、キャウリー様」
「座りなさい」
「……はい」
ソファに腰掛けると、目の前のテーブルに書類が山積みになっているのが見えた。
珍しい。
いつも几帳面に片付けられているのに。
「……今日の出来事のあとに言うのも、なんだが……」
キャウリー様は、穏やかな表情で書類の中から一枚を抜き取り、私の前に置いた。
「シャーリー。私の娘にならないか」
一瞬、言葉が理解できなかった。
「勝手にだが、書類はすべて用意した」
……え?
「ど、どうした!?」
涙が溢れ出した私を見て、キャウリー様が慌てる。
もう涙なんて出ないと思っていたのに。
嬉し涙は、まるで別の場所から湧き出てくるみたいに、止まらなかった。
「……シャーリー?」
私は何度も、何度も頷いた。
「……うれしい……です……」
掠れた声だったが、ちゃんと届いたらしい。
「それなら……良かった……」
そう言って、ハンカチを差し出してくれる。
私が落ち着くまでの間に、ハザードを呼び、お茶を用意させていたようだ。
冷めていたが、喉が渇いていて、とても飲みやすかった。
「落ち着いたか?」
「……はい」
「では、改めて聞く。シャーリー、私の娘になってくれるね?」
「はい。喜んで」
キャウリー様は、満足そうに微笑んだ。
「ここに、名前を書いてくれ。あとは、サヴォワ伯爵殿の署名があればいい」
その言葉に、身体が強ばる。
「……お父様の……」
「……ああ。養子縁組には、どうしても両家当主の承諾がいる」
一拍置いて、問いかけられる。
「もし、万が一だ。伯爵殿が断ったら、どうする?」
答えに詰まる。
断るということは、あの家へ帰れ、という意味。
……帰りたくない。
はっきりと、そう思えた。
「……シャーリーの気持ちは?」
諭すような声だった。
「帰りたくない。ここに、いたいです」
「よく分かった」
キャウリー様は頷く。
「では、私に任せなさい。必ず署名をもらってくる」
「……ありがとうございます」
「こちらこそだ」
優しく、しかし確信に満ちた声で言う。
「私たちは、こうなる運命だった。必然だったのだ」
また、その言葉。
でも、とても嬉しかった。
「さあ、サインを」
震える手で、言われた通りに名前を書く。
「それと……」
キャウリー様は続けた。
「騎士団の指導が始まる。私の留守が多くなるが、サヴォワ伯爵家に関わる者を屋敷に通すことは二度とない」
「ありがとうございます」
「王宮から、祝いの席も用意されることになった」
「王宮……?」
「今日は、もう休みなさい。心配はいらない」
「……はい」
立ち上がろうとすると、声をかけられる。
「シャーリー。今日はつまみは遠慮しておくよ。明日は、よろしく頼む」
その言葉に、胸が熱くなった。
「はい。分かりました」
部屋を出る。
王宮か。
よく分からないけれど、今日はもう、考えたくなかった。
とにかく、疲れた。
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