燕ヶ原レジデンス205号室

風見雛菊

文字の大きさ
33 / 64

夢見る権利とシャボン玉のマーチ1

しおりを挟む
 
「あーさん。三者面談のプリントが来たから冷蔵庫に貼っとくね」
「三者面談?」

 あーさんが締切にも追われていない、平和な日曜日。あーさんはコーヒーを淹れながら目をまん丸にして、こちらを見た。

 あーさんは真っ白なスタンドカラーのシャツの上に群青色チェック柄のエプロンをきている。僕が誕生日にプレゼントしたものだ。
 そのシックでおしゃれなエプロンは、あーさんをカフェ店員顔負けのかっこよさに見せてくれているのに、顔がポカンとしているせいで空気が締まらない。

 どうやらあーさんは、なんのための面談なのか見当がついていないらしい。

「もう高二の秋だからね。そろそろ進路を決める時期でしょ? だから、保護者を呼んで面談があるんだよ」
「そっか……。もうそんな時期なんだな」

 感慨深い顔をしたあーさんは僕の方を見上げながら言う。
 うちの高校は一般的な普通科だけど、進学校という名を掲げられるほど熱心な学校ではない。

 七割程度の生徒は大学か、専門学校に進むけどそのまま就職する生徒もいる。そのゆるさとちょうど良さが、今の高校を志望した理由にもなっているんだけれど。

 僕は就職よりも、進学をしたいなと思っている。
 でもそれは勉強したい科目があるというよりも、時間稼ぎをしたいという不純な理由だった。

「そういえばヒトって何になりたいんだ? 志望大学は聞いたけど、肝心の何になりたいかは何度聞いてもずっとはぐらかしたままじゃんか」

 その言葉に僕は苦い顔を見せる。

 わかってる。わかってはいるんだ。そろそろ、ちゃんとあーさんに言わなくちゃいけないことくらい。でも、あーさんは僕の夢を反対するだろう。それは言わなくても百%わかるのだ。


 どうしよう。僕は戸惑ってしまう。このまま、適当にはぐらかした方がいいのか、そのまま口に出してしまった方がいいのか、迷ってしまう。
 でも、ここで言わないと拗れてしまう気がする。そう思った僕は勇気を出して、口を開いた。

「僕、小説家になりたいと思ってるんだけど」

 その言葉に、あーさんは目を見開く。その後、一瞬考えたような表情をしてからびっくりするくらい怖い顔をして口を開いた。

「……小説家だけはやめろ。憧れるな。絶対に食いっぱぐれるし、そんなに旨味のある職業でもないぞ。お前、それをこの生活で目の当たりにしてるだろう?」

 あーさんは自分の職業なのに、詰るような強い視線で僕に言ってくる。

 きっと小説家になって、大変なことが多かったのだろう。小説家が稼げない職業だと言うことは、僕も身に染みて知っている。

 でも僕はそれでも、それでも小説家になりたかった。
 そもそも僕が小説を書こうと思ったきっかけはお話を作っているときのあーさんの背中はとってもかっこよかったから、と言う不純な理由からだ。

 でもそれはただのきっかけであって、今の僕は小説を書くのが楽しくて楽しくて仕方がない。物語が頭の中でうるさく鳴り響いていて、止まない。それを文章に落とし込んでいくのが、たまらなく楽しいのだ。

 ああ、こういう大人になりたいそう思う目標が目の前にいると僕は俄然やる気になってしまう。
 僕はとっくに覚悟を決めてしまっているのだ。

「僕はそれでも、諦めたくない。やれるところまでやってみたいんだ。経済的にはあーさんに負担かけないようにするから、挑戦くらいさせてよ」

 僕は精一杯の目力であーさんを見る。あーさんは僕の顔を見て呆れた表情を見せた。

「そう言うことを言ってるんじゃないよ。ヒトはただでさえ体が弱いんだから、小説家なんて不安定で、心身に負担がかかるような職業に俺は就かせたくないんだ。小説家は鬱と年がら年中お友達だぞ? もっと普通の……仕事がそこまで辛くないホワイトカラーの企業に入社して、堅実に働いた方がまだ未来があるし、幸せになれる確率が高いだろう?」

 あーさんは畳み掛けるように続ける。

「俺はヒトには幸せになって欲しいんだよ」

 あーさんはずるい。僕はその一言を使われると、何もいえなくなってしまう。

 養育者である、あーさんの言葉は絶対だ。

「あーさんの言いたいこともわかるよ。でもあーさんは小説家になって不幸になったの?」
「……どうだろうな。俺は文筆で食っていくために、書きたくないものもたくさん書いたからな」
「それはあの、灰色の箱のこと?」

 そう言うとあーさんはギョッと目を見開いてから、ああ、そうかと言わんばかりの気の抜けた曖昧な表情を作った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

エリート上司に完全に落とされるまで

琴音
BL
大手食品会社営業の楠木 智也(26)はある日会社の上司一ノ瀬 和樹(34)に告白されて付き合うことになった。 彼は会社ではよくわかんない、掴みどころのない不思議な人だった。スペックは申し分なく有能。いつもニコニコしててチームの空気はいい。俺はそんな彼が分からなくて距離を置いていたんだ。まあ、俺は問題児と会社では思われてるから、変にみんなと仲良くなりたいとも思ってはいなかった。その事情は一ノ瀬は知っている。なのに告白してくるとはいい度胸だと思う。 そんな彼と俺は上手くやれるのか不安の中スタート。俺は彼との付き合いの中で苦悩し、愛されて溺れていったんだ。 社会人同士の年の差カップルのお話です。智也は優柔不断で行き当たりばったり。自分の心すらよくわかってない。そんな智也を和樹は溺愛する。自分の男の本能をくすぐる智也が愛しくて堪らなくて、自分を知って欲しいが先行し過ぎていた。結果智也が不安に思っていることを見落とし、智也去ってしまう結果に。この後和樹は智也を取り戻せるのか。

同居人の距離感がなんかおかしい

さくら優
BL
ひょんなことから会社の同期の家に居候することになった昂輝。でも待って!こいつなんか、距離感がおかしい!

宵にまぎれて兎は回る

宇土為名
BL
高校3年の春、同級生の名取に告白した冬だったが名取にはあっさりと冗談だったことにされてしまう。それを否定することもなく卒業し手以来、冬は親友だった名取とは距離を置こうと一度も連絡を取らなかった。そして8年後、勤めている会社の取引先で転勤してきた名取と8年ぶりに再会を果たす。再会してすぐ名取は自身の結婚式に出席してくれと冬に頼んできた。はじめは断るつもりだった冬だが、名取の願いには弱く結局引き受けてしまう。そして式当日、幸せに溢れた雰囲気に疲れてしまった冬は式場の中庭で避難するように休憩した。いまだに思いを断ち切れていない自分の情けなさを反省していると、そこで別の式に出席している男と出会い…

男の娘と暮らす

守 秀斗
BL
ある日、会社から帰ると男の娘がアパートの前に寝てた。そして、そのまま、一緒に暮らすことになってしまう。でも、俺はその趣味はないし、あっても関係ないんだよなあ。

fall~獣のような男がぼくに歓びを教える

乃木のき
BL
お前は俺だけのものだ__結婚し穏やかな家庭を気づいてきた瑞生だが、元恋人の禄朗と再会してしまう。ダメなのに逢いたい。逢ってしまえばあなたに狂ってしまうだけなのに。 強く結ばれていたはずなのに小さなほころびが2人を引き離し、抗うように惹きつけ合う。 濃厚な情愛の行く先は地獄なのか天国なのか。 ※エブリスタで連載していた作品です

  【完結】 男達の性宴

蔵屋
BL
  僕が通う高校の学校医望月先生に  今夜8時に来るよう、青山のホテルに  誘われた。  ホテルに来れば会場に案内すると  言われ、会場案内図を渡された。  高三最後の夏休み。家業を継ぐ僕を  早くも社会人扱いする両親。  僕は嬉しくて夕食後、バイクに乗り、  東京へ飛ばして行った。

ミルクと砂糖は?

もにもに子
BL
瀬川は大学三年生。学費と生活費を稼ぐために始めたカフェのアルバイトは、思いのほか心地よい日々だった。ある日、スーツ姿の男性が来店する。落ち着いた物腰と柔らかな笑顔を見せるその人は、どうやら常連らしい。「アイスコーヒーを」と注文を受け、「ミルクと砂糖は?」と尋ねると、軽く口元を緩め「いつもと同じで」と返ってきた――それが久我との最初の会話だった。これは、カフェで交わした小さなやりとりから始まる、静かで甘い恋の物語。

欠けるほど、光る

七賀ごふん
BL
【俺が知らない四年間は、どれほど長かったんだろう。】 一途な年下×雨が怖い青年

処理中です...