34 / 64
夢見る権利とシャボン玉のマーチ2
しおりを挟む「……知ってたのか。盗み見でもしたか?」
あーさんの顔は青ざめていた。
「見ちゃいけません、って言われたものを見るのは子供の特権でしょう?」
「それでも俺は、お前には見て欲しくなかったよ」
あーさんはそのままダイニングテーブルに突っ伏すようにしてうなだれた。僕に箱の中身を見られたことがだいぶショックだったらしい。
肌色の男たちが絡み合ってる図は、結構視覚的に衝撃が強いもんね。
「でも、あれも結構……。なんて言うか、文章の中の細やかな表現の中にあーさんらしさが散りばめられていて、ただエロいって言うか、艶っぽくてよかったけどなあ……」
「しかも読んだのかよ……」
「僕、あーさんが書くものだったらなんでも読みたいんだけど」
「……読むなよ」
あーさんは苦虫を噛み締めるような表情だった。こっそり胃のあたりを押さえている。
意外と繊細な一面があるあーさんにとって、自分の書いた官能小説を身内に読まれるという行為はひどく体力を削ることだったのかもしれない。
僕は執筆中のあーさんの姿を脳裏に浮かべる。執筆中のあーさんは、音も聞こえなくなるくらい集中して、部屋に引きこもる。食事だってまともに取らない。
不健康極まりないけれど、それがあーさんの執筆スタイルなのだから仕方がない。それは出血した幹部を手当てしないまま、戦場に向かっていく様に似ている。
小説家って座っているだけだし、楽な職業だろう? と親しくない人に軽い口調で問われた時、あーさんはひどく乾いた笑みを浮かべて、相手を蔑むような薄暗い視線を向ける。
あんたには、俺の苦しさがちっともわからないだろうな、そんな視線を。
小説家は自ら痛みを選択しなければならない。
僕にたいして、できるだけ健康に、生き抜いてほしいという願いを持っているあーさんにとって、小説家になりたいと願う僕の夢は逆行しているように感じるのだろう。
だけど、僕にだって譲れないものがある。
「それでも……それでも、僕はなりたいよ。小説家に。血を流してでも、文章が上手くなりたいもん」
頑固な口調で言うと、あーさんは深いため息をついた。
「……上手くなるには、とにかく書くしかない。これは果たして面白いのか? って自問自答しながら、自分の首を自分で締めながら。文字通り死ぬような苦しみを経て。そんな経験をお前にさせるなんてことがあったら、俺は仁和さんに顔が立たない」
「なんでそこで僕のお父さんの名前が出てくるの?」
「あいつはよく言ってたよ。小説家なんて最低の職業だって」
「はあ?」
意味がわからなかった。なんで? 僕のお父さんはあーさんの担当編集者で、一緒に本を作っていたわけだよね。
なのに、なんで、あーさんを貶めるような言葉を『よく』言っていたのだろう。
——お父さんって最低じゃない?
「お前が本気で小説家になりたいと願うのであれば、何にでもネタにして、書け。書いて書いて、ひたすら書いて……嫌いになればいい。小説も、俺のことも」
あーさんは言い捨てるみたいに言った。
僕はドキッとした。
「なんであーさんのこと?」
多分、僕の声は震えていた。わからないふりをしていたかったのに、あーさんの言わんとしていることがわかってしまう。
きっと僕の熱情はあーさんに伝わっていた。
「気がつかないと思ってたのかよ?」
「は……何を」
その一言を言わないで。ずっとここにいさせて。
そう願ったけど、だめだった。あーさんは見たことのないくらいひんやりとした目をして言い放った。
「お前さ、俺に依存してるだろ?」
息が止まった。
全部が伝わってしまっていたわけではないらしい。だけど、僕の心があーさんに囚われていることは伝わってしまったみたいだ。
もし僕が恋愛対象としてあーさんを愛していることがバレたら、あーさんはどうする?
僕を捨てる?
きっとそんな感情が、表情に現れていたんだと思う。
「そんな目で見つめられても俺は無理だ」
「そんな目……?」
「俺が昔恋人に向けていたような熱のこもったやつだよ」
またまたドキッとする。
小説家という生き物は人間観察に長けた独自の器官でも持ち合わせているのだろうか。
焦る。とにかく焦る。僕はあーさんから目を離せないまま、背中に汗を滴らせていた。
「まあ、何でもいいけど。俺が関与できるのは高校卒業までだ。とにかくとっとと巣立てよ。早く、この家から」
その声は、養育者としての温かさが一切ない、ひどく冷たい温度をしていた。
線を引かれた。
僕は多分、勘違いしていたんだ。
あーさんは家族だから、僕にどこまでも愛情を注いでくれるんじゃないかって。
でも、僕たちは他人だ。
所詮他人。
気が付きたくないことに気づいてしまった僕は、固まったまま動けない。
あーさんはそんな僕に何も言わずに、自室へと戻っていってしまった。
0
あなたにおすすめの小説
エリート上司に完全に落とされるまで
琴音
BL
大手食品会社営業の楠木 智也(26)はある日会社の上司一ノ瀬 和樹(34)に告白されて付き合うことになった。
彼は会社ではよくわかんない、掴みどころのない不思議な人だった。スペックは申し分なく有能。いつもニコニコしててチームの空気はいい。俺はそんな彼が分からなくて距離を置いていたんだ。まあ、俺は問題児と会社では思われてるから、変にみんなと仲良くなりたいとも思ってはいなかった。その事情は一ノ瀬は知っている。なのに告白してくるとはいい度胸だと思う。
そんな彼と俺は上手くやれるのか不安の中スタート。俺は彼との付き合いの中で苦悩し、愛されて溺れていったんだ。
社会人同士の年の差カップルのお話です。智也は優柔不断で行き当たりばったり。自分の心すらよくわかってない。そんな智也を和樹は溺愛する。自分の男の本能をくすぐる智也が愛しくて堪らなくて、自分を知って欲しいが先行し過ぎていた。結果智也が不安に思っていることを見落とし、智也去ってしまう結果に。この後和樹は智也を取り戻せるのか。
宵にまぎれて兎は回る
宇土為名
BL
高校3年の春、同級生の名取に告白した冬だったが名取にはあっさりと冗談だったことにされてしまう。それを否定することもなく卒業し手以来、冬は親友だった名取とは距離を置こうと一度も連絡を取らなかった。そして8年後、勤めている会社の取引先で転勤してきた名取と8年ぶりに再会を果たす。再会してすぐ名取は自身の結婚式に出席してくれと冬に頼んできた。はじめは断るつもりだった冬だが、名取の願いには弱く結局引き受けてしまう。そして式当日、幸せに溢れた雰囲気に疲れてしまった冬は式場の中庭で避難するように休憩した。いまだに思いを断ち切れていない自分の情けなさを反省していると、そこで別の式に出席している男と出会い…
fall~獣のような男がぼくに歓びを教える
乃木のき
BL
お前は俺だけのものだ__結婚し穏やかな家庭を気づいてきた瑞生だが、元恋人の禄朗と再会してしまう。ダメなのに逢いたい。逢ってしまえばあなたに狂ってしまうだけなのに。
強く結ばれていたはずなのに小さなほころびが2人を引き離し、抗うように惹きつけ合う。
濃厚な情愛の行く先は地獄なのか天国なのか。
※エブリスタで連載していた作品です
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる