37 / 64
現実を見た者と夢を描き続ける若人2
しおりを挟む「先生は、一回デビューを経験しているでしょう? 小説家として食べていこうとは思わなかったんですか? ……それがどうしても知りたくって」
ああ、と低く響く声で言った赤坂先生は、少し時間をかけて考えた後、絞り出すようにして、僕に説明をする。
「うーん。俺も実は最初の方は小説で食っていこうと思ってなんだよなあ。でも見事に挫折した」
「挫折?」
その言葉が僕にはぴんと来なかった。
「ああ、俺には才能がなかったんだよ」
それはいくらなんでもおかしい。だって、赤坂先生はちゃんとデビューをしているのだから。僕は食ってかかる様に、言葉を勢いよく口から吐き出す。
「でも、僕。先生が小説家だって知ってから、電子書籍で調べて先生の本を読んだんですけど、比喩表現が印象的で! あと、展開がドラマチックなのに、登場人物の感情が事細かに書かれているところがすごくいいなあって思って僕も、こんな文章書きたいと思いましたよ?」
食い気味に、捲し立てるように褒めると、赤坂先生は照れたような表情を見せる。
「ははは。褒めてくれて嬉しいよ。確かに俺は物語としてそのまま成立していることを文章に書き表すのはうまかったかもしれないな。でもな、名岡。小説家でい続けるために必要なのは、文章の巧さじゃない」
「運……とかですか?」
「まあ、運も大事な要素ではあるな。でも、一番大切なのは書き続けられることだ」
「え……。それは小説家なんだから当たり前のことなんじゃないですか」
「それが、当たり前じゃないんだよなあ」
赤坂先生は俯いて、静かに語り始めた。
「実は俺、高校卒業してから一年後に大学に入ったんだけど、その間、浪人をしていたわけじゃなくて、小説を書いてたんだ。……でも途中でこの道で食っていくのは無理だな、と判断して筆を折って大学に入り直した」
「……なんで小説家を諦めたんですか?」
「言っただろう? 才能がないって思ったから。それ以上でもそれ以下でもない」
さっきも言った言葉だ。でも僕には赤坂先生がさす、才能という言葉の真意がよくわからない。
「才能って……。先生最年少で新文芸賞を取ったんですよね? そんな人が才能ないはずないじゃないですか?」
「残念ながらな、名岡。あの時の俺は現実をモチーフにした小説はいくら書いても同じテーマにしかならないんだよ」
静かで染み入るような声だった。
「そもそも、俺が賞を取れたのは当時恋人が死んで、家族が離散して……。しっちゃかめっちゃかだった俺の実情をそのまま小説に落とし込んだだけだった。言わばあれは私小説だったんだ。でも、今の俺にはあの時以上のドラマは起こらない。あれ以上のものを求められても、書けないってくらい自分の全力を出し切ってしまったんだ」
赤坂先生は自嘲したように笑う。
「でも、あいつは……周はなんのドラマなんかなくても、机の上にしがみついたままでも本物のドラマを書ける本物の小説家なんだ」
「それはわかります。あーさんの書く小説って、登場人物の息遣いすら感じるような、リアルで、すぐ隣で起こっていそうな話ばっかりですよね」
「そうそう……。そういう物語が頭の中で構想できて、サラッと……ではなくても必死になれば書けちゃう能力って、ずるいし怖いよなあ。で、本物の才能を見て、俺は打ちひしがれちゃったわけ。あ、俺に書き続けることは無理だわって」
赤坂先生の気持ちはわかるけれど……。
「だからって、完全に諦めなくとも良かったと思うんですけど。構想はできなくとも、また身近に小説にすべき題材が転がり落ちて来るかもしれないし」
「そうだなあ……。それも選べなかったのが、俺のダメなところだと思うよ。教師になって、時間がないだとか、勉強しなくちゃいけないだとか、いろんなことを考えていたら、いつの間にか文章を書くために必要な勘みたいなものがするりと自分の体から抜け落ちていたんだ。気づいた時にはもう取り戻せなかったよ」
僕は何もいえなかった。
赤坂先生は、教師という職業を自分の仕事にするために多くの努力をしていたのだと思う。
自分が今までしていたことを全部捨てて、新しい世界に飛び込むことはきっと勇気のいることだっただろう。彼の文学性に期待した沢山の人たちがそれを裏切りだと評しても。
多分、今の赤坂先生は不幸じゃない。人生最高作のデビュー作を世に送り出せて、今はみんなに先生として慕われているのだから。
でも、語る言葉の端々に小説家としての心残りのようなものを感じるのはなぜだろう。あーさんに心のどこかで嫉妬しているようにも聞こえる。
「名岡、お前の夢について、俺から一つだけ言えることがある。バスから降りなければ、いつか夢にたどり着けるよ」
そのアドバイスにはどんな人間でも腑に落ちてしまう、確実な実体験が詰まっているように聞こえた。
0
あなたにおすすめの小説
エリート上司に完全に落とされるまで
琴音
BL
大手食品会社営業の楠木 智也(26)はある日会社の上司一ノ瀬 和樹(34)に告白されて付き合うことになった。
彼は会社ではよくわかんない、掴みどころのない不思議な人だった。スペックは申し分なく有能。いつもニコニコしててチームの空気はいい。俺はそんな彼が分からなくて距離を置いていたんだ。まあ、俺は問題児と会社では思われてるから、変にみんなと仲良くなりたいとも思ってはいなかった。その事情は一ノ瀬は知っている。なのに告白してくるとはいい度胸だと思う。
そんな彼と俺は上手くやれるのか不安の中スタート。俺は彼との付き合いの中で苦悩し、愛されて溺れていったんだ。
社会人同士の年の差カップルのお話です。智也は優柔不断で行き当たりばったり。自分の心すらよくわかってない。そんな智也を和樹は溺愛する。自分の男の本能をくすぐる智也が愛しくて堪らなくて、自分を知って欲しいが先行し過ぎていた。結果智也が不安に思っていることを見落とし、智也去ってしまう結果に。この後和樹は智也を取り戻せるのか。
宵にまぎれて兎は回る
宇土為名
BL
高校3年の春、同級生の名取に告白した冬だったが名取にはあっさりと冗談だったことにされてしまう。それを否定することもなく卒業し手以来、冬は親友だった名取とは距離を置こうと一度も連絡を取らなかった。そして8年後、勤めている会社の取引先で転勤してきた名取と8年ぶりに再会を果たす。再会してすぐ名取は自身の結婚式に出席してくれと冬に頼んできた。はじめは断るつもりだった冬だが、名取の願いには弱く結局引き受けてしまう。そして式当日、幸せに溢れた雰囲気に疲れてしまった冬は式場の中庭で避難するように休憩した。いまだに思いを断ち切れていない自分の情けなさを反省していると、そこで別の式に出席している男と出会い…
fall~獣のような男がぼくに歓びを教える
乃木のき
BL
お前は俺だけのものだ__結婚し穏やかな家庭を気づいてきた瑞生だが、元恋人の禄朗と再会してしまう。ダメなのに逢いたい。逢ってしまえばあなたに狂ってしまうだけなのに。
強く結ばれていたはずなのに小さなほころびが2人を引き離し、抗うように惹きつけ合う。
濃厚な情愛の行く先は地獄なのか天国なのか。
※エブリスタで連載していた作品です
【完結】 男達の性宴
蔵屋
BL
僕が通う高校の学校医望月先生に
今夜8時に来るよう、青山のホテルに
誘われた。
ホテルに来れば会場に案内すると
言われ、会場案内図を渡された。
高三最後の夏休み。家業を継ぐ僕を
早くも社会人扱いする両親。
僕は嬉しくて夕食後、バイクに乗り、
東京へ飛ばして行った。
ミルクと砂糖は?
もにもに子
BL
瀬川は大学三年生。学費と生活費を稼ぐために始めたカフェのアルバイトは、思いのほか心地よい日々だった。ある日、スーツ姿の男性が来店する。落ち着いた物腰と柔らかな笑顔を見せるその人は、どうやら常連らしい。「アイスコーヒーを」と注文を受け、「ミルクと砂糖は?」と尋ねると、軽く口元を緩め「いつもと同じで」と返ってきた――それが久我との最初の会話だった。これは、カフェで交わした小さなやりとりから始まる、静かで甘い恋の物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる