44 / 64
父の命日と感傷的な金木犀5
しおりを挟む少し休んだら、歩けるようになったので、今日はタクシーは使わずに、歩いて病院に行く。
あーさんは調子が悪い時は迷わずタクシーを使え、と言ってくれるけど、僕はそんなもののためにお金を使いたいとは思わない。
だって、僕、すっごく医療費かかるし。
コスパ、最悪。
いつものようにかかりつけの病院に行って、倒れたので、一応きました、と告げると、医師はそうですか、といつもの調子でいう。
もう僕の体の調子の悪さは医者も知っていることなので、特に検査もしない。
頭を打ってないか、打撲痕の有無で確認して、常備薬が切れていないか確認されて、ないものだけ追加でもらう。
以上。
「せめて学生が終わる頃には体が丈夫になってるといいねえ」
医師の言葉は呑気に響く。僕の体の弱さは治そうと手を尽くしても、無駄だということがよくわかる無気力な響きだった。
「そうですね。こればっかりはどうにもなりませんからね」
僕も気怠げに返すことしかできない。
*
ゆっくり、時間をかけて病院から家に帰ったはずなのに、病院と家が近いせいで、すぐに家に着いてしまう。
太陽はまだ、真上に近い部分にあるこの時間。あーさんはきっと筆がやっと乗ってきたところだろう。
そんなことを思い始めると、なんだか今日は早退になってしまったことが後ろめたくなってくる。せめて迷惑にならないようにと、静かに音を立てないように鍵を開け自宅マンションのドアを開けた。
あーさんが今年愛用している丸みのある革靴がきちんと並べられて置いてあるところを見るとあーさんは部屋に入るらしい。
なのに部屋が恐ろしいほどに静かだった。いつもはうるさいほど響いているあーさんのパソコンのタイピング音とアーサンお気に入りのジャズミュージックが聞こえない。その代わりに、ずっずっと鼻水をすするような鳴き声が聞こえる。
うそ。あーさん、泣いてるの?
この家に住み始めてから、あーさんが泣いたところなんて一度も見たことがない。
いつも、あーさんは不機嫌さは顔に滲ませることはあっても、その瞳を濡らすことなんてないのだ。
どうして、なんで泣いているの? 焦るような気持ちと、その真相が知りたくて逸るような気持ち。
いろんな気持ちが合わさって、かき混ぜられるような心をなんとか落ち着かせて、ドアをゆっくりと慎重に閉める。
そのまま、抜き足差し足で廊下を進む。まだ、あーさんの嗚咽は止んではいない様子からして、あーさんは僕が帰ってきたことに気がついていない。
ドアが閉まる音にも気が付かないなんて、どれだけ必死に泣いているんだろう。何がそんなにあーさんの心を埋め尽くしているんだろう。
僕はそれをどうしても知りたくて、息を顰めて、あーさんの口から漏れる嗚咽を聞き取ろうとする。
「ヒトカズさん……。なんであんたは死んだんですか?」
ヒトカズ。仁和。それは紛れもなく、僕の父親の名前だった。
あ。
僕の頭の中で全てが繋がったような気がした。
ロクデモナイ人と付き合っていた、と言っていたあーさん。
あなたのお父さんは私のことなんて、ちっとも愛していないのよ。他に大好きな人がいるのよ、と囁いた僕の母親。
葬式中、僕の顔を見て、動揺を隠し切れなかったあーさん。
——ああ、そっか。あーさんとお父さんは付き合っていたんだ。
理解は一瞬だった。
要は、今もあーさんの心を、お父さんは占領しているってことでしょ?
なんでそれがこんなに苦くて苦しくて、切ないんだろう。
どうやら僕の恋のライバルは死んだ自分の父親だったらしい。
0
あなたにおすすめの小説
エリート上司に完全に落とされるまで
琴音
BL
大手食品会社営業の楠木 智也(26)はある日会社の上司一ノ瀬 和樹(34)に告白されて付き合うことになった。
彼は会社ではよくわかんない、掴みどころのない不思議な人だった。スペックは申し分なく有能。いつもニコニコしててチームの空気はいい。俺はそんな彼が分からなくて距離を置いていたんだ。まあ、俺は問題児と会社では思われてるから、変にみんなと仲良くなりたいとも思ってはいなかった。その事情は一ノ瀬は知っている。なのに告白してくるとはいい度胸だと思う。
そんな彼と俺は上手くやれるのか不安の中スタート。俺は彼との付き合いの中で苦悩し、愛されて溺れていったんだ。
社会人同士の年の差カップルのお話です。智也は優柔不断で行き当たりばったり。自分の心すらよくわかってない。そんな智也を和樹は溺愛する。自分の男の本能をくすぐる智也が愛しくて堪らなくて、自分を知って欲しいが先行し過ぎていた。結果智也が不安に思っていることを見落とし、智也去ってしまう結果に。この後和樹は智也を取り戻せるのか。
宵にまぎれて兎は回る
宇土為名
BL
高校3年の春、同級生の名取に告白した冬だったが名取にはあっさりと冗談だったことにされてしまう。それを否定することもなく卒業し手以来、冬は親友だった名取とは距離を置こうと一度も連絡を取らなかった。そして8年後、勤めている会社の取引先で転勤してきた名取と8年ぶりに再会を果たす。再会してすぐ名取は自身の結婚式に出席してくれと冬に頼んできた。はじめは断るつもりだった冬だが、名取の願いには弱く結局引き受けてしまう。そして式当日、幸せに溢れた雰囲気に疲れてしまった冬は式場の中庭で避難するように休憩した。いまだに思いを断ち切れていない自分の情けなさを反省していると、そこで別の式に出席している男と出会い…
fall~獣のような男がぼくに歓びを教える
乃木のき
BL
お前は俺だけのものだ__結婚し穏やかな家庭を気づいてきた瑞生だが、元恋人の禄朗と再会してしまう。ダメなのに逢いたい。逢ってしまえばあなたに狂ってしまうだけなのに。
強く結ばれていたはずなのに小さなほころびが2人を引き離し、抗うように惹きつけ合う。
濃厚な情愛の行く先は地獄なのか天国なのか。
※エブリスタで連載していた作品です
【完結】 男達の性宴
蔵屋
BL
僕が通う高校の学校医望月先生に
今夜8時に来るよう、青山のホテルに
誘われた。
ホテルに来れば会場に案内すると
言われ、会場案内図を渡された。
高三最後の夏休み。家業を継ぐ僕を
早くも社会人扱いする両親。
僕は嬉しくて夕食後、バイクに乗り、
東京へ飛ばして行った。
ミルクと砂糖は?
もにもに子
BL
瀬川は大学三年生。学費と生活費を稼ぐために始めたカフェのアルバイトは、思いのほか心地よい日々だった。ある日、スーツ姿の男性が来店する。落ち着いた物腰と柔らかな笑顔を見せるその人は、どうやら常連らしい。「アイスコーヒーを」と注文を受け、「ミルクと砂糖は?」と尋ねると、軽く口元を緩め「いつもと同じで」と返ってきた――それが久我との最初の会話だった。これは、カフェで交わした小さなやりとりから始まる、静かで甘い恋の物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる