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父の代わりの僕1
しおりを挟む全てを理解した僕の心は、びっくりするくらい凪いでいた。
あーさんの近くまで忍足で近づき、ゆっくりと口を開く。
「あーさん?」
僕の姿に気がつくと、あーさんは驚愕した表情を見せる。顔は見たことのないくらいぐしゃぐしゃに濡れていた。
いつもしゃんとしているあーさんが泣いている姿なんて初めて見る。
ああ、あーさんを泣かせられるのはガーネットのピアスを与えた恋人——つまりは僕のお父さんだけなんだな。
間違っても、僕じゃない。
そのことが、身を引き裂かれるようにどうしようもなく切なくて、煮えたぎるマグマのみたいに嫉妬の感情が湧き上がって、死んだ人なのに殺したいくらい憎らしく思ってしまう。
「ヒト……。学校は?」
「早退」
「っ! どうした? 体調が悪かったのか?」
あーさんはの目が涙で濡れていることよりも、僕の体調を心配していた。
「そ。今日、なんか体調悪かったから、一回帰ろうと思って。墓参りはしなくちゃいけないから、無理はできないし」
「墓参りなんて明日でもいいだろう? とにかく無理はするな」
あーさんは自分が顔ぐっちゃぐちゃになるくらい泣いているのに、それには一切触れずに僕の世話を焼こうとしてくる。袖で乱暴に顔を拭って、貼り付けたような笑顔で対応しようとする。
目元は、赤く、腫れていた。
なんで、この人は僕に何も言ってくれないんだろう。どうして泣いているの? そんな問いを投げかけることすら、許してくれない。
大人としてのプライドだとか、見栄だとかカッコつけたいだとか。
そういう感情もあるのかもしれないけれど、それを見せようとはせず隠してしまう態度に、あーさんがどれだけ僕を子供扱いしているのかということを思い知らされてしまう。
「僕は……今日、半分サボりみたいなもんだから、平気」
「学校、サボるなよ。単位足りなくなるぞ」
あーさんは脳裏のどこかにかけらほど残っていた養育者らしさを引っ張り出してきたようだ。僕を、静かに叱る。
でも、僕はそんなあーさんのことが、全然恐ろしくなかった。
弱いところを剥き出しのまま提示された後に怖い顔をされても恐ろしくなんてない。
「ねえ。あーさん」
「なんだ?」
あーさんはまるで自分の心を完全に飼い慣らした立派な大人みたいな優しい顔をして、僕を見ていた。
「あーさんさ。僕の両親の葬式の時、僕の顔に見入っていたよね」
つぶやきを聞かれていたことに気がついたあーさんは視線をあからさまに揺らす。
「僕はさあ。自分でも思うんだけど……お父さんに似てるよね」
あーさんは僕から目を逸らさなかった。目を大きく上下に開いて、驚愕、と言う表情をあーさんは浮かべていた。いつの間にか立場が反対になっちゃったみたいだ。
あーさんは悪いことをした子供みたいに怯んでいた。きっと僕はいつも浮かべようと努力している柔和な笑みを消すと、もっとお父さんに似た顔に見えるんだろう。
「あーさんは僕をお父さんの代わりにしようとした?」
そういうと、あーさんの表情はわかりやすく曇った。
その変化で僕は状況を瞬時に理解した。
あーさんは聖人ではなかった。
自分から失われたものを、別のもので補完したいという、人間らしい、形を持った欲があって、そのために僕をこの家に引き込んだんだ。
昔の恋人と同じ顔になっていく僕の成長を、間近で、自らの目で見守るために。
ああ、何て人間らしいんだろう。全然、聖人じゃない。
僕は急に、それまでかっこいい大人みたいだった、あーさんに子供のような愛おしさと、安心感を感じた。
何気ない生活の中で見せる、ちょっとした甘えとは違う、もっと根本的で、人間そのものの弱さみたいなものを。
あーさんが僕を育てる行為が、百パーセントの善行で行われていたとしたら、僕は苦しくて仕方がなくなっていたと思う。
自分の欲の汚さと、あーさんの綺麗さを勝手に比較して、ヘドロに推し潰されていたかもしれない。
あーさんもこっち側の人間だったんだ。自分の欲を叶えるために、自分の欲を隠して行動をするんだ。
あーさんは、張り詰めた表情をしたまま、黙って僕の顔を見つめる。瞬きが少ない様子に少しだけあーさんの精神状態が心配になる。
反対に、僕の心はそれまでに感じたことのないほどにどっしりと、安定を見せはじめていた。
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