新吉原の珠吉は三尾の化け猫と明け暮らす

朏猫(ミカヅキネコ)

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 声をひそめつつそう尋ねる珠吉に「ちょうど新しい従者を雇わなくてはと思っていたところだったんだ」とリチャードが答える。

「常にわたしのそばにいる従者はこの国の言葉を流暢に話せる者でないと困る。ところが本国から連れて来た使用人たちは皆うまく話せない。いっそこの国で雇おうかと思っていたところだったんだ」
「従者って、あの人のような仕事をするってことですよね?」
「あぁ。わたしが行く先々に付いてきてもらうことになる。荷物持ちや先方への挨拶回り、車や宿泊先の手配、取引先とのやり取りを頼むこともある」
「ちょっと待ってください。そんなことわたしにできるはずありません。そもそも異国の言葉はからっきしなんです」
「それはかまわない。当面はこの国での仕事になる」
「そうだとしても、わたしは新吉原でしか働いたことがありません。それも洗濯や掃除をする下働きです。諸々の手配やご贔屓様への挨拶なんて無理です」
「無理ではないだろう」
「リチャード様」
「きみは長年あの伊勢太夫のそばにいたんだ。最初は慣れなくてもすぐに覚えられる。もちろんはじめは指導者をつけてやろう」
「でも、」
「わたしはきみを恐れたりはしない。従者としてそばにいてくれれば心強いとさえ思っている」

 最後の言葉に珠吉はハッとした。リチャードは珠吉の気持ちを考え従者にと口にしたに違いない。妖や幽霊が見えても気にしない、そう言いたかったのだ。珠吉は開きかけた口を閉じ、深々と頭を下げた。それを見たリチャードは「よろしく頼む」と微笑んだ。
 この日もリチャードはお大尽よろしく伊勢太夫の座敷で宴会を開いた。何度か酒を持っていった珠吉は、そのたびに太夫がニコニコと自分を見ることに首を傾げた。気のせいでなければ座敷に呼ばれた葵やほかの遊女もニコニコと満面の笑みを浮かべている。なんとなく居心地の悪さを感じた珠吉は酒を置くとすぐに座敷を離れ、「なんだかなぁ」と思いながら台所の仕事を手伝った。
 それから数日後、珠吉は正式にリチャードの従者になることが決まった。喜んだのは伊勢太夫や葵といった珠吉の性別を知る遊女で、店の主人も「よかった、よかった」と涙ぐんでいる。自分が拾ってきた赤ん坊の未来が明るいことに、まるで孫に奉公先ができたような気持ちがしているのだろう。

「太夫姐さん、リチャード様に何か言いましたね?」
「あらあら、そんな怖い顔は駄目よ。せっかくの可愛い顔が台無しじゃあないの」
「姐さん!」
「珠吉は大事な妹分だから大事に雇ってくださいなと話をしただけよ?」
「……だからって、わたしにリチャード様の従者なんて務まるはずがないのに」
「あら、そうかしら。珠吉ならきっとどこにいても上手に生きられるわ。賢くて気が利いて、銭の勘定も文字の読み書きもできて、それに繕い物に髪結いだってできるんだから。それにこんなに可愛いのよ? 大門の外でもあっという間に人気者になるわね」

 太夫の言葉に珠吉の目元がわずかに赤くなった。「お世辞がうまいんだから」と照れ隠しを口にしながら、遊女たちにもらった品を葛籠つづらに仕舞う作業を続ける。
 珠吉が牡丹楼から持って行くのは葛籠一つ分だ。「いくつでもかまわないよ」とはリチャードの言葉だが、遊女でもないのに大層な荷物を持参するのはよくない。そう考え一つ分だけと決めた。

「そうだ、吉乃太夫から餞別を預かっているの」

 伊勢太夫が布に包まれた細長いものを取り出した。布を開くと煙管が入っている。よく見れば吉乃太夫が大事にしていたもので、太夫になったときにご贔屓に頂戴したものだと話していた。

「こんな大事なもの、受け取れません」
「そうお言いでないよ。これは吉乃太夫のおまえへの気持ちなんだから」
「でも、」
「受け取っておやりなさいな。そのほうが吉乃太夫もきっと元気になるわ」

 そう言われてしまえば頷くしかない。「はい」と受け取った珠吉は丁寧に布で巻くと、葛籠の一番上に置いた。
 一時、命が危ういと言われた吉乃太夫だったが、少し前から回復の兆しを見せ始めていた。いまでは重湯を口にし、そろそろ粥をも食べられそうなほどだ。それに一番驚いたのは医者で、首を傾げながらも「もう大丈夫でしょう」と口にした。
 その理由を珠吉は知っていた。吉乃太夫に纏わり付いていたネズミが綺麗さっぱり消えたからだ。ネズミを消したのは珠吉が買ってきた洋紅で、どうやら懐に仕舞っている間に照魔鏡の影響を受けたらしい。照魔鏡は妖を映し出す鏡のはずだが、リチャードがそばにいたからか何かしらの力を宿したのだろう。そんな手鏡に珠吉の懐の中で触れていた洋紅に祓う力が宿り、最後の化粧にと唇に塗ったことでネズミの犬神を追い払った。どういう仕組みか茶々丸もよくわからないようだが、紅は元々邪気を祓うと言われている。そうした力が増したのかもしれない。
 煙管の横に伊勢太夫にもらった櫛を入れた。伊勢太夫の部屋での作業はこれで終わりだ。蓋をした珠吉に太夫が「本当によかった」と口にする。

「リチャード様が珠吉を従者にと言ってくださったこと、皆喜んでいるのよ」
「そうそう。妓楼の下働きが異国人のお金持ちの従者だなんて大層な出世じゃないの」
「葵姐さん、言い方」
「あら、皆そう思っているわよ?」
「太夫姐さんまで」
「何かあったら戻ってらっしゃい、とは言えないけれど、皆珠吉のことを思っているわ」
「……ありがとうございます」
「なぁに、泣いてるの?」
「そんなことありません」
「泣くならあたしの胸でお泣きよ」
「葵姐さん、お酒臭い」
「白粉とお酒の混じった匂いも懐かしい思い出になるさ」
「もう、葵姐さんったら飲み過ぎないでくださいよ。お薬を買いに行かされる下働きも大変なんですから」

 牡丹楼の奥座敷に笑い声が広がった。珠吉の性別を知っている遊女は「出世頭だ」と喜び、知らない遊女や禿たちも「身請け、本当にようござんした」と喜んでいる。

(もうすぐここともお別れかぁ)

 部屋に戻った珠吉は、障子を開け外を眺めた。珠吉が使っている一階奥の部屋からは裏庭に植えられた梅の木が見える。すでに蕾は膨らみ始め、あと少しで咲き出そうなあんばいだ。

『すぐに横濱に行くのか?』
「ううん。品川の屋敷にしばらくいて、それからだって聞いた」
『なんだ、ハイカラなものはまだ先か』
「茶々丸、ほんと食い意地が張ってるね」
『うるさい。ところで品川は仕事なのか?』
「そう聞いてる。銀座と四谷、あと新宿にも用事があるって言ってたけど」
『なるほど、これはまた何かを呼びそうな場所ばかりだな』
「えぇ……ちょっと、いやなこと言わないでくれる?」
『そうならないことを祈ろう』

 三本の尻尾をゆらりと揺らした茶々丸が「ここは寒い」と言って部屋を出て行った。大方、店の入り口にある火鉢に当たりに行ったのだろう。昼が過ぎれば外も暖かくなる。その頃には馴染みの妓楼や蕎麦屋に好物をもらいに行くに違いない。

「品川に銀座、四谷、新宿かぁ」

 いずれも珠吉には話でしか聞いたことがない場所ばかりだ。銀座の賑わいや四谷の妖話、新宿の貸座敷の話は知っているものの、どんなところか想像もつかない。どれも物語の向こう側のような場所だったが、従者となればリチャードに付き従って赴くことになる。

(楽しみといえば楽しみかな)

 異国人の従者が自分に務まるかはわからない。それでも知らない世界に一歩踏み出すのはなんだか胸が躍るような気持ちがした。

(どんな毎日になるのかなぁ)

 リチャードのところには茶々丸も一緒に行く。きっといま以上に賑やかになるに違いないと思いながら珠吉は紅梅の蕾を眺めた。
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みんなの感想(1件)

一ノ瀬麻紀
2025.01.20 一ノ瀬麻紀

一気読みさせていただきました。
普段読まないジャンルで、どうだろう?と思いながら読み始めたのですが、あっという間に読み終わってしまいました。
凄く面白かったです!

妖が見える女の子が、三尾の化け猫と事件を解決していくんだろうなと、ぼんやりとしたイメージで読み始めたのですが、意外な展開が何度か訪れて、ええー?そうだったのー?と、口にしそうになりながら(健康診断の待ち時間に読んだので、声は出せず)物語にのめり込みました。

さあ、新しい門出だ!次は何があるのかな?わくわく!

……というところで、ひとまずの完結。
あー、ここで終わりなのかー!残念!
また機会があれば、続きが読みたいです。

最後に。うちの愛猫も茶々丸なので、めちゃくちゃ親近感がわきました♫

2025.01.20 朏猫(ミカヅキネコ)

感想ありがとうございます。
け、健康診断に影響なかったでしょうか…(妖が医療機器の奥に…電磁波に負けて去って行く姿が…あれ?)。まさか茶々丸繋がりとは! ちなみに茶々丸は突然降ってわいた名前でした。黒猫なのになぜ茶々丸…と未だに首を傾げています(そのうち理由を出したいと思いつつ)。次は銀座か四谷か内藤新宿か、いっそ百鬼夜行などなど続きを考えたいと思います! 読んでいただいてありがとうございます!

解除

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