戦利品のオメガ

朏猫(ミカヅキネコ)

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「黒真珠はとても貴重なものです。真珠が豊富にあった我が国でも滅多に見ることが叶わないものでした」
「この国ではさらに貴重な宝石ですね」
「そんな黒真珠に例えられるほど、わたしは珍しく貴重なΩなのです」
「珍しいΩ……?」

 たしかにその美しさは際立っている。真珠が普通のΩだとしたら、シャオティエンは滅多に出会うことがない黒真珠と言っても過言ではないだろう。

「黒真珠を持つ者には富と祝福が与えられるという言い伝えは?」
「いえ、聞いたことがありません」
「この言い伝えも我が国では有名でした。そのことも含め、わたしは黒真珠だと言われていたのです」

 つまり、手にすれば富と祝福が与えられるΩ、ということだろうか。たしかに王族のΩを娶れば伴侶となったαには富と名声が与えられるだろう。美しいΩを手に入れたという優越感も得られる。しかし、それはほかの王族Ωを娶っても同じことだ。
 それなのに「珍しく貴重なΩ」とはどういうことだろうか。訝しむように細められたアルスーンの緑眼に、シャオティエンが小さく笑った。

「わたしを手に入れたαは、この世でもっとも強いαとなる。そう言われていましたが、実際は少し違います。わたしだけのαを、わたしが最上のαにするのです」
「最上のα……?」
「そう。誰よりも強く、どのαよりも優れた最上のαです。もちろん、この国の王などよりもずっと優れたαに」

 閉じた赤い唇がニィと微笑む。

「あなたはわたしのαです。わたしはあなたを最上のαにすることができる」

 シャオティエンの言葉と表情に、アルスーンは戦慄とも呼べる感覚を抱いた。戦場では真っ先に敵軍へと突っ込んできたというのに、そのときよりも底知れない恐怖を感じる。いや、恐怖というよりも神を前にしたときの畏れのほうが近いかもしれない。
 わずかに肌を粟立たせるアルスーンの頬を細い指がするりと撫でた。そうしながら見下ろしているシャオティエンの笑みは、まるで慈愛に溢れる女神のようだとアルスーンは思った。それなのに背筋を震わせる冷たい感覚がなかなか消えない。

「だからこそわたしは黒真珠と呼ばれ大事に育てられてきました。いずれは王族αの伴侶にし、我が国を栄えさせるために。けれど、我が国にわたしのαはいなかった。そのことにどれだけ絶望したか想像できますか? 求めるものを得られない現実に気が触れそうにもなりました。でも、あなたがやって来た。ようやくわたしだけのαを見つけたのです」

 黒髪がさらりと肩を滑り落ち、美しい顔がゆっくりとアルスーンに近づく。鼻先が触れてもなお、二人の目は開いたまま互いを見つめ続けた。

「わたしは運命のαにしか発情しません。だから王にも発情せず、それを王は馬鹿にされたと思ったのでしょう。何度もわたしを発情させようとしましたが、あのようなαに発情することなどあり得ない」
「そうして陛下の怒りを買い、わたしに下賜されるように仕向けましたか」

 かすかに笑ったシャオティエンは、触れるだけの口づけをアルスーンの唇に落とした。

 この日を境にシャオティエンの様子は明らかに変わった。表情がなく口を開くこともなかったのが嘘のように、笑顔を見せ侍女らにねぎらいの言葉をかける。自分こそがアルスーンの伴侶だと見せつけるように、執務以外は片時もそばを離れようとしない。

(さて、どうしたものか)

 シャオティエンを屋敷に連れて来た当初と同じことを思い、それよりも厄介なことになったなとアルスーンはため息をついた。
 うなじを噛み、正真正銘伴侶になるのはかまわない。アルスーンに拒否する気持ちも拒絶したい気持ちもない。十年前に婚約破棄されて以来、許嫁すらいないままのアルスーンにとって伴侶ができるのは幸いなことだ。問題は子宝だが、シャオティエンとの間に子ができないのであれば親戚の誰かに家督を譲る準備を始めればいい。

(だが、あの「最上のα」という言葉が気になる)

 それに「この国の王よりも」と口にしたことも気になった。あれはわざと言ったに違いない。シャオティエンの口調からそう感じた。

(殿下の狙いがはっきりしない状態でうなじを噛むことはできない)

 はたしてシャオティエンの狙いは何なのか。アルスーンは二つのことを考えていた。
 一つは、将軍であるアルスーンを取り込んでこの国から逃れること。大勢の民や軍人に慕われているアルスーンが力を貸せば、叶えることはできるだろう。だが、この国を出たところで祖国はもうない。彼の国があった場所に戻り再び国を興そうにも容易でないことはシャオティエンにもわかっているはずだ。
 二つ目は国家転覆だ。王よりすぐれたαがいれば、この国を内側から崩壊させることができる。そうすれば祖国の恨みを晴らすことにもなるだろうが、滅ぼしたところでシャオティエンが得るものは何もない。

「アルスーン殿」

 涼やかな声にどきりとし、眺めるだけになっていた文書から視線を上げた。開いたドアのそばには彼の国の衣装を身に着けたシャオティエンと、後ろにカートを押す侍女の姿がある。

「殿下」
「何やら難しそうな顔ばかりしています。疲れているのかと思い、息抜きにお茶を用意しました」

 そう言って微笑む姿はアルスーンが望んでいた姿そのものだ。彼の国で挨拶したときのシャオティエンを思い出すような笑顔が戻ったことは喜ばしい。しかし、アルスーンの心はざわついたままだった。

(何が狙いなのか、やはりはっきりしない)

 そのせいでどうしても警戒心が拭えない。それなのに一度でもシャオティエンを視界に入れると、なぜ警戒しているのかわからなくなりそうになる。慌てて視線を逸らしても、今度は香りが気になってますます胸がざわつく。

(そういえば、常にこの香りがしているような……)

 どことなく甘いのはΩの香りに似ているが、それよりも力強さを感じる。表現しづらい香りで、嫌ではないがずっと嗅いでいたいという類いのものでもなかった。

「どうかしましたか?」

 涼やかな声にハッと我に返った。「いえ、何でも」と答え、執務用の椅子から立ち上がる。途端に鼻をくすぐる香りが強まったような気がして思わず眉を寄せてしまった。

「もしや、執務の邪魔をしましたか」
「大丈夫です、問題ありません」
「それならよかった」

 そう言って微笑むシャオティエンは、まるで相思相愛の伴侶を前にしているような様子だ。そんなシャオティエンに、屋敷で働く者たち皆が「ようやく主人が伴侶を迎えられた」と安堵の表情を浮かべる。美しいのに表情がなく、言葉さえ発しない姿を恐れていた侍従や侍女たちもシャオティエンを慕い始めていた。

(よいことだとは思う。だが、どうにも胸がざわついてしまうのはなぜだろうか)

 このままでは何かに呑み込まれそうな気がする。王に疎まれているとわかったときも、彼の国で捕らえられそうになったときにも感じなかった得体の知れないものが纏わりついて離れない。

「あと少しといったところでしょうか」

 涼やかな声が聞こえた気がした。カップを傾けるシャオティエンの向かい側に座り視線を向ける。

「何かおっしゃいましたか?」
「いいえ。ただ、こうしてあなたといられることに幸せと喜びを噛み締めているのです」

 給仕をしていた侍女の頬がサッと赤らんだ。そうして、うっとりするように二人の主人を見つめる。
 これが幸せな日常だろうことはアルスーンにもわかっている。それでも得体の知れない感覚は日々強くなっていた。それが何か恐ろしいことを引き起こしそうな予感を感じながら、熱いお茶を一口含んだ。
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