即オチしても恋はしない

朏猫(ミカヅキネコ)

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18 過去、そして現在

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「ハイネ」
「ルークレット」

 呼ばれて振り返ると、憧れの剣士が短い黒髪を風に揺らしながら立っていた。大好きな碧眼はいつものように俺を見ていて、それだけで胸の奥がズキンと疼く。

「また師匠に頼まれごと?」
「おまえの顔を見るついでにな」

 きっと深い意味なんてないんだろうけれど、憧れの人にそう言われるだけで幸せな気持ちでいっぱいになった。

「そういや、もうすぐ十六だよな」
「うん」
「ギルドの登録、挑戦するのか?」
「そんなの、まだ無理だよ」
「解毒に関しちゃ完璧だって、師匠のお墨付きをもらってるんだろ?」
「……解毒、だけだよ」

 解毒だけなら現役の白手袋にだって負けない自信はある。でも、解毒だけだ。
 傷を塞ぐことはできるようになったものの、初歩的な治癒魔術すら満足に使えない。治癒も体力回復も、当然幻惑の解除もできない中途半端な俺は、このままでは冒険者になれないだろう。それでも師匠は「少しずつ進みましょう」と言ってくれている。

(きっと、俺が冒険者を諦めきれないからだ)

 そう、俺はどうしても冒険者になりたかった。ギルドに登録し、正式な冒険者になって……、目の前にいる憧れのルークレットのそばにいたいと思っていた。

「まぁたしかに、解毒だけじゃなぁ」
「……っ」

 ルークレットの言葉に、今度は甘さのない胸の痛みを感じて両手をギュッと握り締める。
 このままじゃそばにいられなくなる――焦ってろくでもない方法に出たのは、十六歳になった当日だった。

 十六歳の誕生日の夜、俺は少し無理を言ってルークレットを食事に誘った。
 師匠の家から離れた繁華街で食事をし、ルークレットが好きなオールドエールが楽しめる人気のエールハウスに行った。十六になれば酒が飲めるようになるけれど目的のために酔うわけにはいかず、お酒はルークレットに勧めるだけにして自分はソーダ水をちびちびと飲むだけにした。
 そうしてルークレットが酔っ払ったところでエールハウスの二階に行き、あらかじめ取っておいた部屋になだれ込むように入った。

 ルークレットは出会った十二歳のときから、俺のことを美人だといつも言っていた。依頼で少し遠くに行ったときには、きれいなブローチや髪紐を買ってきてくれたりもした。
 弟のように思っているだけかもしれないけれど、それ以外の好意を持ってくれているんじゃないかと淡い期待を抱いた。それなら冒険者としてじゃなく、もしかして恋人としてそばにいられるんじゃないか、そんなことを考えた。
 だから俺は誕生日のこの日、ルークレットとそういう関係になろうと目論んだ。素面のルークレットが相手だと恥ずかしすぎるからと、わざわざエールハウスを選んだりもした。

 目論見は見事成功し、酔ったルークレットは俺を抱いてくれた。そこそこ名の知れた剣士らしい逞しい体に剣ダコで硬くなった手、汗でしっとりした黒髪、ギラギラした碧眼に、俺はエールを飲んでいないのに酔っ払ったかのようになった。
 ペニスを扱かれるのは気持ちよかったけれど、後ろに突っ込まれるのはそうでもなかった。初めては痛いと言うのは本当なんだと、ぼんやり思った。
 それでも痛みがセックスしているんだと実感させてくれるような気がして、痛みを口にすることはなかった。ずっと憧れていて、いつの間にか好きになっていた人に抱かれているだけで幸せだった。初めてだった俺はどうすればいいのかわからず、それでもルークレットを必死に受け入れ続けた。

 痛みとうれしさが混在した俺の耳に、ルークレットの言葉がはっきりと聞こえたのは偶然だったのかもしれない。

「美人だけど、それだけだな」

 酔っ払ったかのようにふわふわしていた俺の頭は、一瞬にして覚めた。それから一度、ルークレットの欲を受け止めたけれど、心から幸せを感じることはできなかった。

 ルークレットは街でも一、二を争うくらいの人気者だった。あとから知った話だが、男女どちらにもモテて経験豊富だったらしい。そんなルークレットが初心者の、しかも男の体に満足するはずがないのは当たり前だ。
 憧れ続けた気持ちを拗らせて恋をしていた俺は、好きだと告白することもせずに一方的に暴走した。その結果、ルークレットが口にした言葉に勝手に傷つき、白手袋になるという目標も一気に色褪せて諦めてしまった。

(いや、勝手に傷ついたわけでもなかったっけ)

 そのあとのことは、いまでも思い出すと腹が立つ。

(なんでこんな昔のことを思い出してるんだろう)

 思い出すというより、やけに鮮明な追体験のようだ。まるで当時のことを夢で見ているような、そんな感じがした。

(あぁ、そうか、夢か)

 夢だと思えば鮮明なことも納得できる。
 それにしても、いまさらあのときのことを夢に見るなんて珍しいこともあるものだ。ルークレットに言われた言葉を思い出したからだろうか。もう思い出すこともないと思っていたのにと、内容よりも思い出してしまったことに腹が立つ。

「ルークレットのことなんて、忘れてしまえればいいのに」

 思わず口から出た言葉は、夢の中なのにやけにはっきり聞こえた。


 ++++


 目が覚め、一番に視界に飛び込んできたのはそばに立つニゲルだった。それに驚き、昨夜は一緒に過ごしたっけと記憶をたぐり寄せる。

「どこか痛くないですか?」
「痛み……?」

 ニゲルとのセックスの翌日は、怠いことはあっても痛みを感じることはない。それに痛いかなんて訊かれたこともなかった。
 おかしなことを言うなと思いながら上半身を起こそうとして、体に力が入らないことに気がついた。

「あ、れ……?」
「まだ起き上がれないと思いますよ。なんたって魔力が底をついていたんですから」
「魔力……」

 そう言われて、自分がめいっぱい無茶をして解毒の魔術を使ったことを思い出した。同時にアイクのことも思い出す。

「アイクは?」

 慌ててニゲルに訊ねると、柔らかい微笑みが返ってきた。

「大丈夫ですよ。回復魔術を使っていた疲労もあって、寝てはいますけど」
「よかった……」
「ハイネさんのおかげですね。ほとんど解毒されていたそうですから」
「そっか」
「いまはあの人の家でぐっすり眠っているはずです」

 あの人……ということは、ヒューゲルさんの家にいるということか。ヒューゲルさんなら白手袋とパーティを組んだこともあるし、手当や看病の経験も豊富だと話していたから大丈夫だろう。

「そういえば、魔獣は?」
「そっちも問題ありません。鋼鼠スチールラットの群れは俺たちで殲滅しました。ハイネさんたちを襲ったデカイのは、あの人が瞬殺しましたし」

「本当は俺が討伐したかったんですけど、さすがゴールドランクですね」と、少し悔しそうにニゲルが言う。

「あんな大きな鋼鼠スチールラットなんて、初めて見た」
「俺も初めてです。最初に西の入り口に現れたのも黒妖犬ヘルハウンドだったようですし」
黒妖犬ヘルハウンド!? どうしてそんなのが街の近くに……」

 黒妖犬ヘルハウンドは深い森に棲む大型SSランクの四ツ脚型魔獣として知られていて、魔獣の森でも棲息が確認されている。
 獰猛な性格の魔獣だと言われているが、人やほかの魔獣と争うことを嫌い森から出ることはない。一方で縄張り意識が非常に強く、侵入者は必ずなぶり殺されることでも有名だった。
 だから棲息場所には近づかないようにギルドが注意喚起し、むやみに討伐依頼を出さないようにもしてきた。そういうこともあって街の近くに現れることもなく、付近での目撃情報もなかったはずだ。

「理由はわかりませんけど、世界各地で魔獣の巨大化や棲息地域の変化が起きているらしいですよ。ギルドマスターがそんな話をしていましたから」
「ギルドマスターが……。ってことは、ギルドも調査に乗り出すのか」
「たぶん、そうなるでしょうね。このままでは冒険者たちも街の人たちも不安でしょうから」
「そっか……」
「まぁ、当分は様子見でしょうし、SSランクの目撃情報はごく少数ですから大丈夫ですよ」

 少し安心したところで、ニゲルがジッと俺を見ていることに気がついた。

「どうかした?」
「ハイネさんもアイクも無事でよかったと心底思ってます。ですが、さすがに今回は無茶をしすぎです」
「あー、うん」
「本当にわかってます?」
「うん、わかってるよ」

 魔術は便利ではあるが、万能ではない。
 白手袋が扱う魔術は癒しに特化されているものの、同時に二人を解毒するなんてことは本来できない。理由は人の意識を何か所にも集中させるのが難しいことと、ほとんどの魔術士が手を使って魔力を集中させるからだった。
 魔術士が魔術を使うには、体内の魔力を集めて使いたい魔術に転換する必要がある。そのとき魔力を集中させるための目標物にするのが手だ。自分の手なら目で見て確認できるし、「手に魔力を集中させるんだ」と手を見ながら意識すれば、闇雲に魔力を集中させようとするよりもずっとわかりやすい。
 同じように「手で触れている部分に魔術を使うんだ」と思えば、目で見るだけでなく接触して確認することもでき、対象物に集中しやすくなる。攻撃系の魔術も「手から放つ」と意識するほうが、ただ「火をぶつける」と思うよりもずっと意識しやすい。
 そのため魔術士は手で魔術を扱うことが多く、魔力補助の道具類も手に着けるものや手で持つものが多かった。

 そんななか、俺は自分の左肩の解毒に手を使わなかった。左肩を解毒するには右手を当てるのが普通だが、そうするとアイクの解毒ができなくなる。痺れた左手に魔力を集めるのは困難で、左手でアイクに触れ続けるのも難しかった。
 だから左肩は肩自体に魔力を集め、それとは別に右手にも魔力を集めることにした。これは昔、解毒の魔術に秀でていた師匠から教えてもらった“とっておきの方法”だった。

「同時に二人を解毒するなんて、聞いたことがありません」
「だろうね。俺も師匠以外から聞いたことがない」
「相当無茶をしたって、わかってます?」
「わかってるよ。師匠からも『とっておきの方法だから、よほどのときしか使うことは勧めません』って言われたからね」

 そう答えれば、ハァァと大きなため息をつかれた。

「それだけじゃない。魔力が枯渇しても解毒魔術を使い続けようとするなんて、死んでもおかしくなかったんですからね」

 そう言われて、初めて自分の状況がわかった。
 あのときは夢中だったが、最後のほうは頭痛がひどくて状況がよくわからなくなっていた。魔力が底を尽きかけていたというなら、そのせいで耳が聞こえず、怒号や鋼鼠スチールラットの鳴き声が飛び交うなかでも静寂を感じていたということだろう。
 それをおかしいと感じられないくらい、自分の魔力がどうなっているか判断できないくらい、俺は解毒に集中しすぎていたことになる。

「魔力が枯渇すれば生死に関わることは、冒険者じゃなくてもわかってますよね」
「あー……、うん。ごめん」

 細くなった灰青色の目に、素直に謝った。

「そもそも、何のためにこれを渡したと思ってるんですか」

 ニゲルの声に視線を向けると、手に楕円形の淡い碧色の石の首飾りが載っていた。

「あ、」

 すっかり忘れていた。いや、首飾りの存在を忘れたことは一度もないが、そこに魔力を貯めていたことを忘れていたのだ。

「せっかく俺の分の魔力も貯めておいたっていうのに」
「忘れていたんだ。いや、首飾りのことは忘れたことなんてないよ? いつも身につけていたし、あのときもちゃんと下げていたんだ。ただ、魔力を貯めていたことは、忘れてた……」
「まぁ、冒険者じゃないハイネさんが忘れてしまうのは仕方がないと思いますけど」

 少し刺々しい口調にしゅんとする。せっかく三週間もかけて探してくれた貴重なものだというのに使うことを忘れ、ただの首飾りにしてしまった。それが申し訳なく、またどうして忘れていたのかと情けなくなる。

闇魔蝶ダークバタフライの効果は十分にあったみたいですから、忘れずに身につけてくれていてよかったとは思っています」
「……そっか、それでアイクの解毒も間に合ったんだ」
「でも、これきりにしてくださいね。顔面蒼白で生気のないハイネさんなんて、二度と見たくないですから」
「……うん、ごめん」

 もう一度謝ると、小さくため息をついたニゲルがベッドに腰掛けた。そうして枕に散らばっている金髪を一房持ち上げ、キスをしている。

「まぁ、首飾りに魔力を貯めておいたおかげでハイネさんが早くに目覚めたんだから、結果オーライとしておきますか」
「早くって?」
「首飾りの魔力をハイネさんに転移させたんです。おかげで丸一日寝ただけで目が覚めてくれました」
「え? でも転移って、俺は眠ってたはずじゃ……」
「俺の魔力も貯めておいたでしょ? だからできるかなと思って、俺の体を媒介にしてハイネさんに転移してみました」
「え……?」

 言われた内容に驚き、思わず目を見開いた。そんな俺に「かわいい」と言ったニゲルは、また髪の毛にキスをしている。

 ニゲルは何でもないことのように言ったが、自分の体を媒介にして魔力を転移するなんて、とんでもない荒技だ。なぜなら人が他人の血を簡単に分け与えられないのと同じように、他人の魔力は色というか気配のようなものが違うため、簡単に受け取ることができないのだ。
 だから道具を使う場合も自分の魔力を少しずつ貯めておくのが普通で、そこから魔力を取り出す場合も本人が行う。もし自分以外の魔力を貯めて使うのなら、自分の魔力に馴染ませるために常に道具を身につけておく必要がある。
 最後の点については俺が常に身につけていたから大丈夫だとして、それでもニゲルの体を介してしまえば、他人の魔力に再び染め直して転移するのと同じことだ。そんなことをすれば、俺の魔力と反発して跳ね返ってしまうことさえある。そもそも俺に馴染んだ魔力をニゲルの体に転移する段階で、そうなってもおかしくない。

 それなのにニゲルに何の問題もなく、また俺のほうも反発することなく受け入れたということは……、太古の富エンシェントウェルスだから、ということだろうか。
 白手袋にならず、ましてや道具に詳しくない俺には、残念ながらこれ以上のことはわからない。それでも「うーん」と考え込む俺の髪に、またもやキスをする気配がした。

「とりあえず、今回のことは厳重注意ですからね」
「……わかってる」

 というか、本来ならニゲルだって厳重注意されるべきことをしたんだが、ここはおとなしく言われるままにしておくのがよさそうだ。そう思ったところでニゲルの唇が耳たぶに近づき、触れるだけのキスをしてきた。

「ん、」
「それからもう一つ、聞きたいことがあるんですけど」
「な、に」

 耳たぶにチュッチュッと口づける唇のせいで、声が少し上ずってしまう。

「ルークレットって誰ですか?」
「……え?」
「眠っている間に何度か名前を呼んでいました。しかも、熱っぽく」

 やけに近いところに灰青色の目がある。ジッと見ている目は静かで、それなのに逸らすことを許さない力強さを持っていた。
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