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後宮に繋がれしは魔石を孕む御子
1 帝国に渡った第五王子1
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「おまえには幸せになってほしい。だから軍帝の元に行きなさい」
「兄上様」
「大丈夫、あの人は決して悪いようにはしないから」
「でも、兄上様は……」
「わたしは大丈夫」
そう言った兄上様が、美しい顔に微笑みを浮かべながら僕の手を引く。兄上様が開けた白い扉の先には階段があった。踏み外さないように足元を見ながら、兄上様の右手をぎゅうっと握った。
僕は三歳から十五年弱、王宮のそばに建てられたこの小さな塔で暮らしてきた。ここから出てはいけないと言われ、塔に出入りするのは兄上様と世話係の従僕らしかいなかった。
その塔から今日、僕は外に出る。塔を出ることになったのは、僕が生まれ育ったこの国が帝国に滅ぼされたからだ。
(……地面は少し柔らかいんだ)
いつもと違う感触に足元を見た。硬い塔の床とは違って緑色の草や茶色の土がある。草や土がこんなに柔らかいのだということを僕は初めて知った。
(あれが王宮……)
右手を引く兄上様の先には王宮があった。視線を上げると煌びやかな屋根の上でキラキラと輝くものが見える。日の光と同じくらい明るいあれは王宮の魔具を動かすための魔石だ。あの中にはきっと僕が生み出した魔石も含まれているのだろう。
魔石は王宮の中のあらゆる魔具を動かすための動力だ。水や灯り、暖炉に至るまで、あらゆる魔具は魔石がなければ動かせない。この国はそうした魔具にも魔石にも恵まれていて、いつしか“魔術士の国”と呼ばれるようになった。
この国には優れた魔具だけでなく純度の高い魔石が豊富にある。他国の追随を許さないほどの魔石を持つということは、どんな魔具をも動かすことができる最強の国の証……になるはずだった。それなのに、あっという間に帝国軍に侵略されてしまった。隣国が帝国軍に下ったのは半年と少し前で、そのまま進軍してきた帝国になす術もなく陥落したと教えてくれたのは兄上様だ。
(帝国軍にはとてつもない魔具があると聞いたけれど……)
兄上様の話では、帝国軍はどの国よりも火力の高い魔具の兵器を持っているのだそうだ。その圧倒的な軍事力で多くの国を制してきたと聞いている。そして今日、この国もそんな敗戦国の一つになった。
帝国がそれほどの軍事力を持つようになったのは十年ほど前からだと言われている。その頃から帝国は少しずつ領土を広げ、そのたびに帝国軍も強く大きくなった。そうして少し前には皇帝を廃した軍が権力を掌握したと聞いている。
いま帝国の頂点に立っているのは“赤眼の獅子”と呼ばれる軍帝だ。そう教えてくれた兄上様は、そんな軍帝の元に行くことが僕の幸せだと話した。
(本当にそうなんだろうか)
手を引かれながら中庭を通り抜け、一度も入ったことがない王宮を足早に進む。建物の中は塔と同じ白色だったけれど、塔にはない金や銀の装飾品があちこちで光っていた。それらの装飾品よりもずっと美しい兄上様の銀色の長い髪が、ときおり僕の手を撫でる。
(兄上様はとても美しい)
美しい顔立ちにすらりとした体、それに銀の髪はまぶしいくらいで触れている手は温かく柔らかい。七つ歳上の兄上様は第二王子として、さらには国でもっとも優秀な魔術士として国王である父上様を支えてきた。それだけでなく、物心ついたときからいつも僕を気遣ってくれていた。
(同母胎だからと言って、まるで母上様のように接してくれていた兄上様。恐がりな僕のために魔石の採取まで担ってくれていた優しい兄上様)
その兄上様が、僕が幸せになるためには軍帝のもとに行くのが一番だと言っている。僕にはよくわからないけれど、兄上様が言うのならきっとそうなのだろう。
僕の手を引きながら長い廊下を歩いていた兄上様の足が止まった。立ち止まると目の前に大きな扉がある。金や銀で装飾された真っ白な扉の中央には青色の魔石がはめ込まれていた。もしかしてこれも僕が生み出した魔石だろうかと眺めていると、音も立てずに大きな扉がゆっくりと開く。
扉の先には真っ黒な軍服を着た人たちが大勢いた。この国の真っ白な騎士服とはまったく違う、黒、黒、黒ばかり。そんな真っ黒な集団の真ん中を、僕の手を引きながら兄上様が歩いていく。
「我が弟、第五王子カナリヤを連れてまいりました」
静かにそう告げる兄上様と僕の前には煌びやかな椅子があった。そこに真っ黒な軍服を着た人が座っている。軍服と同じくらい真っ黒な髪と、見たことがないような赤い眼をしたとても美しい人だ。兄上様は女性のように美しいけれど、軍服の男性はとても男らしく見える。それでも美しいと言いたくなる顔立ちをしていた。
「それが魔純の御子か」
「はい」
魔純の御子――それがこの国での僕の呼び名だった。
この国でしか得ることができない、純度の高い魔石を生み出す“魔血”と呼ばれる血筋の最高傑作。同母胎の兄上様よりもはるかに高純度の魔石を生む王子。いつからか父上様でさえ僕のことを「魔純の御子」と呼ぶようになっていた。
「どうか手元に置き、誰にも害されることのない生涯の保証を」
僕の手を離した兄上様が膝を折り、右手を胸に当てながら深々と頭を下げた。それは国王に対する挨拶のときに取る形で、この国では最上の敬意を示す姿だ。
「わかっている。魔純の御子はその生を終えるまで俺の手元に置く」
「ありがたきお言葉」
もう一度深々と頭を下げた兄上様は、頭を上げるとゆっくりと僕を見た。そうして僕の頭を撫で、頬を撫で、きゅっと抱きしめてくれる。ふわりとした兄上様の熱に、僕は「あぁ、お別れなんだ」と悟った。
「幸せになりなさい、カナ」
「ルリ兄上様、オオルリ兄上様」
思わずそう口にすると、僕と同じ瑠璃色の瞳が「大丈夫」と告げるように優しく笑った。
「兄上様」
「大丈夫、あの人は決して悪いようにはしないから」
「でも、兄上様は……」
「わたしは大丈夫」
そう言った兄上様が、美しい顔に微笑みを浮かべながら僕の手を引く。兄上様が開けた白い扉の先には階段があった。踏み外さないように足元を見ながら、兄上様の右手をぎゅうっと握った。
僕は三歳から十五年弱、王宮のそばに建てられたこの小さな塔で暮らしてきた。ここから出てはいけないと言われ、塔に出入りするのは兄上様と世話係の従僕らしかいなかった。
その塔から今日、僕は外に出る。塔を出ることになったのは、僕が生まれ育ったこの国が帝国に滅ぼされたからだ。
(……地面は少し柔らかいんだ)
いつもと違う感触に足元を見た。硬い塔の床とは違って緑色の草や茶色の土がある。草や土がこんなに柔らかいのだということを僕は初めて知った。
(あれが王宮……)
右手を引く兄上様の先には王宮があった。視線を上げると煌びやかな屋根の上でキラキラと輝くものが見える。日の光と同じくらい明るいあれは王宮の魔具を動かすための魔石だ。あの中にはきっと僕が生み出した魔石も含まれているのだろう。
魔石は王宮の中のあらゆる魔具を動かすための動力だ。水や灯り、暖炉に至るまで、あらゆる魔具は魔石がなければ動かせない。この国はそうした魔具にも魔石にも恵まれていて、いつしか“魔術士の国”と呼ばれるようになった。
この国には優れた魔具だけでなく純度の高い魔石が豊富にある。他国の追随を許さないほどの魔石を持つということは、どんな魔具をも動かすことができる最強の国の証……になるはずだった。それなのに、あっという間に帝国軍に侵略されてしまった。隣国が帝国軍に下ったのは半年と少し前で、そのまま進軍してきた帝国になす術もなく陥落したと教えてくれたのは兄上様だ。
(帝国軍にはとてつもない魔具があると聞いたけれど……)
兄上様の話では、帝国軍はどの国よりも火力の高い魔具の兵器を持っているのだそうだ。その圧倒的な軍事力で多くの国を制してきたと聞いている。そして今日、この国もそんな敗戦国の一つになった。
帝国がそれほどの軍事力を持つようになったのは十年ほど前からだと言われている。その頃から帝国は少しずつ領土を広げ、そのたびに帝国軍も強く大きくなった。そうして少し前には皇帝を廃した軍が権力を掌握したと聞いている。
いま帝国の頂点に立っているのは“赤眼の獅子”と呼ばれる軍帝だ。そう教えてくれた兄上様は、そんな軍帝の元に行くことが僕の幸せだと話した。
(本当にそうなんだろうか)
手を引かれながら中庭を通り抜け、一度も入ったことがない王宮を足早に進む。建物の中は塔と同じ白色だったけれど、塔にはない金や銀の装飾品があちこちで光っていた。それらの装飾品よりもずっと美しい兄上様の銀色の長い髪が、ときおり僕の手を撫でる。
(兄上様はとても美しい)
美しい顔立ちにすらりとした体、それに銀の髪はまぶしいくらいで触れている手は温かく柔らかい。七つ歳上の兄上様は第二王子として、さらには国でもっとも優秀な魔術士として国王である父上様を支えてきた。それだけでなく、物心ついたときからいつも僕を気遣ってくれていた。
(同母胎だからと言って、まるで母上様のように接してくれていた兄上様。恐がりな僕のために魔石の採取まで担ってくれていた優しい兄上様)
その兄上様が、僕が幸せになるためには軍帝のもとに行くのが一番だと言っている。僕にはよくわからないけれど、兄上様が言うのならきっとそうなのだろう。
僕の手を引きながら長い廊下を歩いていた兄上様の足が止まった。立ち止まると目の前に大きな扉がある。金や銀で装飾された真っ白な扉の中央には青色の魔石がはめ込まれていた。もしかしてこれも僕が生み出した魔石だろうかと眺めていると、音も立てずに大きな扉がゆっくりと開く。
扉の先には真っ黒な軍服を着た人たちが大勢いた。この国の真っ白な騎士服とはまったく違う、黒、黒、黒ばかり。そんな真っ黒な集団の真ん中を、僕の手を引きながら兄上様が歩いていく。
「我が弟、第五王子カナリヤを連れてまいりました」
静かにそう告げる兄上様と僕の前には煌びやかな椅子があった。そこに真っ黒な軍服を着た人が座っている。軍服と同じくらい真っ黒な髪と、見たことがないような赤い眼をしたとても美しい人だ。兄上様は女性のように美しいけれど、軍服の男性はとても男らしく見える。それでも美しいと言いたくなる顔立ちをしていた。
「それが魔純の御子か」
「はい」
魔純の御子――それがこの国での僕の呼び名だった。
この国でしか得ることができない、純度の高い魔石を生み出す“魔血”と呼ばれる血筋の最高傑作。同母胎の兄上様よりもはるかに高純度の魔石を生む王子。いつからか父上様でさえ僕のことを「魔純の御子」と呼ぶようになっていた。
「どうか手元に置き、誰にも害されることのない生涯の保証を」
僕の手を離した兄上様が膝を折り、右手を胸に当てながら深々と頭を下げた。それは国王に対する挨拶のときに取る形で、この国では最上の敬意を示す姿だ。
「わかっている。魔純の御子はその生を終えるまで俺の手元に置く」
「ありがたきお言葉」
もう一度深々と頭を下げた兄上様は、頭を上げるとゆっくりと僕を見た。そうして僕の頭を撫で、頬を撫で、きゅっと抱きしめてくれる。ふわりとした兄上様の熱に、僕は「あぁ、お別れなんだ」と悟った。
「幸せになりなさい、カナ」
「ルリ兄上様、オオルリ兄上様」
思わずそう口にすると、僕と同じ瑠璃色の瞳が「大丈夫」と告げるように優しく笑った。
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