僕が結婚を延ばす理由

朏猫(ミカヅキネコ)

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 その日の夜、康孝さんがオリヴァー様のことをいろいろと聞かせてくれた。琴祢さんが話していたとおり、オリヴァー様は康孝さんが英国に行った際にお世話になった家の末のご子息だそうで、さらに王立の学校に通っているのだという。そこで王女殿下の目に留まったらしく、王女殿下と親しくしている琴祢さんもオリヴァー様と交流があるのだと教えてくれた。
 オリヴァー様はΩだというのに優秀な成績を修めているそうで、さらに学生の身分でありながら親族が関わっている貿易事業の手伝いもしているのだという。そうしたこともあって、帰国した康孝さんとは個人的な付き合いだけでなく仕事でも関わっているのだと教えてくれた。今でも定期的に手紙のやり取りを続けているらしく、僕と婚約したことも早々に手紙に書いたのだと照れくさそうに笑う。

「今回の披露宴に会わせて来日するとは聞いていたけど、予定より随分早かったな」

 そう言って笑っている康孝さんの表情に、なぜか胸がちくりと痛んだ。

「あの……琴祢さんから、とても美しい方だと聞きました」
「そうだね。ホワイトストン家は金髪碧眼の人が多くて彼も金髪碧眼をしている。最近は英国でも珍しくないけど、昔から欧州各国の貴族と血縁関係を結んできたそうだからその影響もあるのだろう」
「ホワイトストン家というのは、そんなにすごいお家柄なのですか?」
「いくつかの爵位を持つ古い家なんだそうだ。大航海時代には当時の女王陛下のもと、海洋進出で手腕を発揮したと聞いている。そうしたこともあって、インドを中心にアジア圏での貿易に関わってきた一族でもあるんだ。だから、わたしにとっては貴族というより貿易商としての印象が強いかな。あぁ、だけど英国で滞在した城はとてもよかった。それこそ百年以上経っているというのに手入れが行き届いていて、自前の葡萄畑で採れる葡萄を使ったワインを貯蔵する地下室まで持っていた」

 懐かしそうに目を細める康孝さんの表情はうっとりするほど美しい。見ているだけで胸がときめくけれど、そんな家柄の人に挨拶をするのかと思うと気が引けた。しかも同じΩながら僕とはまったく違っている。緊張よりも恐縮する気持ちのほうが強い。

(そんな人からすれば、ぼくはきっとどうしようもないΩに見えるだろう。そんなぼくが優秀で綺麗な康孝さんの伴侶だなんて……)

 つい卑屈なことを考えてしまい、ふるふると頭を振った。僕は康孝さんに求められて伴侶になった。以前の僕と違って語学やピアノ、それに我が国の歴史や外国のことも学んでいる。鳴宮の家にいたときはあまり外に出ることがなかったけれど、今では美術館や劇場にも足を運ぶようになった。結婚すればそうした場所に行くことも増えると聞いて、慣れるためにと康孝さんにお願いして連れて行ってもらっている。
 先日、先生の婚約者だという英国人と話す機会もあった。あの方も英国貴族で、僕の発音がとても美しいと褒めてくださった。

(そうだ、きっと大丈夫だ)

 それに康孝さんはこんな僕でもいいのだと言ってうなじを噛んでくれた。康孝さんは僕を伴侶として認めてくれていて、不動家の人たちも祝ってくれている。そんな僕が卑屈なままでは康孝さんに失礼だ。

「ご挨拶するのが楽しみです」
「彼からはきっといい刺激を受けると思うよ」

 康孝さんの言葉にこくりと頷く。英語の先生に刺激を受けているように、僕にとってよいことだと思ってそう言ってくれたに違いない。わかっているのにまたもや胸がちくりとする。

(しっかりしないと)

 情けないΩを伴侶に選んだのだと康孝さんが笑われるのは嫌だ。そう思って「楽しみです」と答えたものの、薄墨のような不安がじわりと胸の中に広がるのを止めることはできなかった。
 翌日の午後、予定どおりホワイトストン家のオリヴァー様がいらっしゃった。数日ぶりに本宅に入り、康孝さんと一緒に応接間で待つ。

(……緊張してきた)

 いろいろ考えてしまい、昨夜はあまり眠ることができなかった。いつもなら康孝さんの体温を感じるだけで幸せな気分になれるのに、なぜか不安や嫌なことばかり想像して目が冴えてしまう。それでも康孝さんに心配をかけたくなくて腕の中で目を閉じた。何度も寝なければと必死に目を閉じたのに結局うまく眠れず、寝息を立てる康孝さんの顔を何度見つめただろう。

(僕は康孝さんの伴侶なんだ。それに以前の僕とは違うのだから、きっと大丈夫)

 トントンとドアを叩く音にハッとした。ソファから立ち上がった康孝さんに倣って急いで立ち上がる。服に乱れがないか確認し、最後に髪の毛を指で整えたところでドアが開いた。

「ヤスタカさま!」

 大きな声にドキッとした。満面の笑みを浮かべた金髪の人がパタパタと駆け寄ったかと思えば、そのままガバッと康孝さんに抱きつく。そうなると予想していたのか、康孝さんは「相変わらずだね」と言いながら笑顔で受け止めていた。
 あまりに親しげな様子に僕は声を出すこともできなかった。呆然と二人を見ていると、体を離した金髪の人がにこりと微笑みながら僕を見る。その顔にハッとし、慌てて会釈をして口を開いた。

「あの、お会いできて、じゃなくて、It’s a pleasure to meet you」

 先に日本語が出てしまい、慌てて英語で挨拶をした。そうしてもう一度会釈をしたところで「こちらこそ、お会いできて光栄です」と日本語が返ってくる。あまりにも流暢な日本語で咄嗟に返事ができなかった。

「日本語はマスターしています。どうぞ日本語で話してください」

 ニコッと微笑んだ顔は外国語の本で見た天使のようだと思った。その顔はすぐに康孝さんのほうを向き、さらに満面の笑みへと変わる。

「随分上手になったね」
「ヤスタカさまの母国語だから一番に勉強しました。それで、こちらはもしかして……」
「珠希くん、わたしの婚約者だ」

 再びこちらを見た碧眼がニコッと笑う。

「タマキさま、ですね。わたしはオリヴァーです」

 右手を差し出されて焦った。挨拶では握手をするのだとわかっていたものの、差し出された手がとても白く美しくて、そんな手に触れてもいいのか戸惑ってしまう。それでも差し出された手を無視するのはよくない。会釈をしてから右手を差し出すと、思いのほか強く握られてドキッとした。

「ネックガードをしていないのは、もしかして……?」

“ねっくがーど”というのはΩが身に着ける首飾りのことだ。一瞬、オリヴァー様が眉をひそめたように見えた。もしかして英国では婚前にうなじを噛まれるのはよくないことなのだろうか。思わず指先で首を撫でると、康孝さんが「辛抱できなくてね」とはにかむような表情で答えた。

「ヤスタカさまがそんなことを言うなんて驚きました」

 宝石のような碧い瞳がパッと大きくなる。

「わたしもただの男、ただのαだったということだよ」

 ばつが悪そうにそう答える康孝さんの腕をオリヴァー様がガシッと掴んだ。

「いいえ、ヤスタカさまは優秀なαです。我が国の優秀な貴族αに負けないαです。どうか自分を卑下しないでください」
「きみの兄上たちと比べられるのは遠慮したいかな。彼らはとても優秀なαだからね」
「いいえ、兄たちに負けたりしません。ヤスタカさまはわたしが認めるすばらしいαです」

 オリヴァー様の表情が険しくなる。きっと康孝さんを励まそうと必死なのだろう。外国のαには優秀な人が多いと僕も聞いたことがあった。この国のαとどのくらい違うのかわからないけれど、広い世界には見たことがないほど優秀な人がいるに違いない。オリヴァー様だってそうだ。こんなに美しくてすばらしいΩに会ったのは初めてだ。

(そんなオリヴァー様が康孝さんを褒めている)

 自分が褒められるよりずっと嬉しい。それなのに康孝さんをじっと見つめるオリヴァー様の横顔を見ているとソワソワした落ち着かない気持ちになる。

「何人もの優秀なαを排出してきたホワイトストン家のきみにそう言ってもらえるのはありがたい。だけど、きみに褒められたのだと兄上たちに知られたら、次に会ったときにひどく睨まれそうだ。なんといってもきみはホワイトストン家のサファイアだからね」
「ふふっ、ヤスタカさまもそう思ってくれるのですか?」
「もちろんだとも」

 目元をうっすらと赤く染めたオリヴァー様は僕でもドキッとしてしまうくらい美しかった。思わず惚けていると康孝さんがこちらを見た。

「彼は英国の社交界でホワイトストン家の青い宝石、“サファイア”と呼ばれているんだ。王女殿下からもそう呼ばれているのだと琴祢から聞いている」
「殿下からそう呼ばれるのも嬉しいですが、ヤスタカさまに言ってもらえるのが一番です」

 そう言って微笑むオリヴァー様は本物の宝石のように輝いていた。なによりも自信に満ちあふれた笑顔がまぶしい。

(なんて素敵なΩだろう)

 まるで帝室の方々のようだ。実際にお目にかかったことはないけれど、噂で聞くΩの皇子殿下や皇女殿下は光り輝いているのだと聞いている。

(それに比べて僕は……って、そんなふうに思うのは駄目だ)

 昔からの癖で、ついそんなふうに思ってしまった。小さく息を吐き、「しっかりしなくては」と心の中で自分を叱りつける。
 その後、康孝さんとオリヴァー様は英国の現状や康孝さんが滞在していたときの話、それに琴祢さんの留学中の話で大いに盛り上がった。時々英語を交えながら話す康孝さんはとても楽しそうで、必死に勉強してきたおかげか流暢な英語もかろうじて聞き取ることができる。どの話も興味深いものばかりだというのに、二人と違って僕の気持ちは沈んだままだ。

(康孝さんとオリヴァー様……二人ともまるで天使のようだ)

 そう思ったからかオリヴァー様の美しい笑顔を見ることができず、相づちを打ちながら何度も視線を逸らしてしまっていた。
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